当時の師弟関係というものは、非常に深いもので

一生続くと言っても過言ではありません。

 現代とは全く異なります。

盆暮の挨拶は勿論の事で婚礼の介添えまでありました。

「一に師匠、二に檀那寺」といわれたものです。

「師の恩は 目と手と耳に いつまでも

 

当時は体罰などという言葉は有りません。

あるのは、木刀や弓の折れ等で叩くだけで

殺されてもやむを得ないという覚悟だった。

特に、武士出身の師匠は厳しかった。

 

休日が少ないですから、もし、師匠が病気で

休もうものなら、もう生徒は大喜びでした

師匠様 風邪を引いたと 嬉しがり」

勿論、事前に連絡など有りませんから、当日、

行ってから判る事ですが、それでも、1日遊ぶことが

出来るから満足です。

子供の天下です

しかし、師匠というのは厳しいものでした。

授業中に悪戯などをすると今より遥かに厳しい

お仕置きが待ってました。

今でしたら、モンスターペアレントが黙ってませんね。

 

中には、[雷師匠]と呼ばれ恐れられたが、

人気が絶大な師匠もいました。

 

「雷師匠、日本橋左内町に、手跡の指南をなす。

弟子男女500人に及ぶ。

人となり厳にして和顔を見せず、弟子師に面する時は

寒からずして粟す。

 

しかれども書法を綬くるにおいては、

丁寧なること慈母の幼児を扱う如し。

ここに於いて、人々其の子をここに頼むもの多し」

これは現代も求められてる資質でしょうが

寺子屋:驚くべき江戸時代の教育力 | nippon.com

月末には「小さらい」、年末には「大さらい」という読み方の試験が有り

成績優秀者には賞品が贈られた。

母親にとっては、子供自慢の機会でしたから晴れ着を着せ

豪華な弁当を用意したそうです。

 

寺子屋の行事としては、席書がある。

4,8月に行われ成績の発表会で、師匠も弟子も正装し、

家族も参加、寺子を順番に呼出し、手本なしに清書させ

成績を付けて壁に貼り出した。

「席書の 文鎮になる 母の指

よく書かせようとして、母が一生懸命に

紙を押さえてる様子が窺えて、ほのぼのとした様子です。

席書

 

競争心も煽ります。

軍日といい、源平2組に分けて旗や幕を作って机に

置き,単語や熟語を書いて、

どれだけ正しく読めるかをした。

 

道具については、机、硯箱の代金が250から300文

筆が1本4文、墨が1つ16文。

半紙1帖10文。

筆は幼児の場合は、幼児用として「椎の実筆」があり

毛が短く、長さも短いものであった。

1. 椎の實筆|東京都立図書館

尚、半紙は勿論再生紙です。

上の方を綴じて、真っ黒になるまで書き、なったら、

紙屋に紙を取り替えに行く。

 

取り替え賃は僅かだったという。

紙屋は、その真っ黒な紙を漉き返して、

浅草紙のような便所で使う紙にする。

捨てるという事は無く、徹底的に使う。

使用した便所紙も、更に漉き返して使ったのですから

灰になるまで、いや、灰になって田畑の肥料になるまで

使ったのです。

素晴らしいリサイクル時代でした。