世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

湯浅醤油の社長、新古敏朗が想いを綴ります。
和歌山県の情報の発信、イベント情報などの掲載


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丸新本家、湯浅醤油有限会社の新古です。
 
湯浅町のマリンスポーツの紹介です。
湯浅町には、シーカヤックのお店が2軒あります。
 
バイエルン和歌山店の初心者体験レポートします。
 
 
場所は、左の⭕️です。
湯浅醤油有限会社、(中央の⭕️)から、車で10分かからない。
 
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朝9:00に行って、店舗の前で簡単な講習を受けて。海にでます。
 
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自分でカヤックを運び
 
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着水させ
 
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海に入って、体を慣らします。
 
 
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私は、2人乗りで娘と参加
意外とスイスイ走ります。
水も凄く綺麗でした。
 
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途中の洞窟に連れて行ってもらいました。
 
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 案内人の
バイエルン和歌山店の澤崎さんです。
 
技術指導や写真撮影してくれます。
 
 
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途中で、沖の丘に上陸して スノーケリングして遊んで
 
 
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帰ってきます。
 
 
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一回は、安全面で指導講習受けないといけませんが、2回目からは、レンタルで3500円です。
 
一度お試しあれ
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バイエルン和歌山店 0737-63-6550
和歌山県有田郡湯浅町栖原970-7
 

 

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湯浅醤油丸新本家の新古敏朗です。

丸新本家のわかめ金山寺味噌の原料の
若ワカメを湯浅町の田村漁協さんにいただきました。

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採りたてのわかめは、茶色?
こんな色です。


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湯をくぐらすと一瞬で綺麗な緑色に変わります。
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これをポン酢で食べると
細い茎がコリコリとして
磯香りがして最高!

先日は、一人でどんぶり一杯食べました。

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湯浅醤油、丸新本家の新古です。

 

これだけ、ブログを書いていたのに醤油の発祥の事を書き忘れていました。

 

金山寺味噌と日本の醤油の起源について、その歴史的背景と現在をお教えします。
そもそも、金山寺味噌とはその名からも想像できるように、金山寺(正しくは鎮江府金山竜遊江寺)という中国の宋の時代のお寺から覚心(法燈国師)という名の僧によって、和歌山県の由良にある臨済宗鷲峰山興国寺に伝えられました。

 

この覚心和尚とはどんなひとなのでしょうか。

覚心和尚の生まれは、今の長野県松本市の豪族と呼ばれる力のある家の子として誕生しました。

(彼は、座禅を組んで悟りをひらく禅宗で名高い臨済宗の高僧でもありました。)

彼は、15歳で天台宗の厳殿寺に修学し、19歳であの有名な東大寺に学び、そして真言密教を三輪寺で学んだ後に高野山に登りました。

高野山に登った覚心和尚が、なぜ和歌山県由良の興国寺なのか。
 

時は、鎌倉時代までさかのぼります。

鎌倉三代将軍・実朝が、甥・公暁に鎌倉の鶴岡八幡宮で殺されたことは、あまりに有名 です。

その時、実朝の忠臣・葛山五郎(後の「願性」)は、君主の夢である宋へ渡る船の準備を由良の港で行っていたのです。

主人の死を知り葛山は、その苦堤をとむらうため高野山に入ります。

その時に知り合ったのが若い覚心であったことは云うまでもありません。

 寺
 

故主人・実朝のひたすらな供養ぶりを聞いた当時の尼将軍・北条政子は、葛山にその供養料として由良の地を与え、一寺を建てたのです。

これが興国寺の始まりです。
 しかし、葛山は次第に主人・実朝が生まれてからずっと憧れ続けていた宋の国に遺骨の半分を納めたいと思うようになります。

年老いた葛山の宿願をはたしてくれたのが、覚心だったのです。

覚心が1249年に入宋し杭州湾口にある普蛇山に着き、中国5大禅寺のひとつである径山寺(興聖万寿禅寺)に上る。翌年、阿育王山に掛塔し、三年ほどその地で修行する。その後、天台山、大梅山に上る。杭州の霊洞山護国仁王寺の無門慧開(1183年-1260年)に参じ、その法を嗣ぎ1254年(建長6年)に4人の宋の人をつれて帰国した。

杭州径山寺では金山寺味噌の製法を習い、将軍実朝の遺骨を明州広利禅寺(現阿育王寺)に納め、供養に務め葛山との約束を果たし、鎮江金山寺で豆鼓(浜納豆のような食品)の製法を学ぶ。

その後、覚心は、葛山からその才を見込まれて興国寺の住職となったのです。

本来なら、由良が醤油発祥の地となるはずがなぜ?

隣町の山漁村の湯浅が醤油発祥の地といわれているのか?

 

由良町は、湯浅町の南の山を越えた村、和歌山市と白浜との中間点位で、平地が少なく、山ぶかい所です。

湯浅町は、主に漁村として栄え、和歌山市寄りで由良のとなりになります。

興国寺では、野菜と大豆から作られる金山寺味噌は健康食品として作られていたが、醸造に必要な川の水が無く、たまたま湯浅の水が味噌を作るのに適していたため、その製法が伝わったと言われています。

 味噌を作る段階で野菜から出る余分な水分は、捨てられていました。

ところが、この汁を調味料として使ってみると以外にも美味しかったので、始めから、醤油を作るつもりで味噌を仕込むことが次第に行われ、改良を重ねて今の醤油になったのです。

  
 

湯浅から、醤油が商品として出荷されたのは、今から約400年前の安土・桃山時代まで文献に記されています。

その後、徳川御三家紀州藩の保護のもと藩の専売制も手伝って文化・文政の時には1000戸の湯浅町に約92件もの醤油屋があったとされています。


 享保の改革で有名な享保年間には湯浅の人々が今の房総半島に渡り、銚子に出かけ、醤油の製産を始めています。

 

 

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丸新本家、湯浅醤油の新古です。


今年で10回目のゆあさ行灯アート展

作品も年々レベルが上がり
素晴らしい 人気も抜群でたくさんの人で賑わっています。

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期間は、4月29日~5月3日まで
 夕暮れから21:00頃まで、強風や大雨以外は開催されます。

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これは、子供の部の作品です。なかなか良いできですね。


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この地区の金山寺味噌屋さんも大勢のお客さんで賑わっていました。

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まだ、間に合いますのでお立ち寄りください。

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