「ネット利用者の右傾化、その功罪について」 その2 | C.I.L.

「ネット利用者の右傾化、その功罪について」 その2

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「ネット利用者の右傾化、その功罪について」 その3
「ネット利用者の右傾化、その功罪について」 勉強会本編(音源)



(3) 行動するネットウヨクの誕生 ~ 活動場所がネットから現実社会に

<簡易年表>
1995年12月 維新政党・新風 設立
1997年5月 日本会議 設立
2004年4月 チャンネル桜 開局
2005年1月 桜井誠、木村誠名義で地上波討論番組に出演
2006年7月 主権回復を目指す会(代表:西村修平) 結成
2006年11月 新風連結成
2007年1月 在日特権を許さない市民の会(代表:桜井誠)結成
2007年12月 瀬戸弘幸 新風副代表に就任
2007年12月 日本を護る市民の会(代表:黒田大輔)結成
2008年7月 瀬戸弘幸らが東村山問題(※後述)に参戦
2008年9月 瀬戸・桜井・西村・槇・黒田らが東村山街宣で一般市民を襲う
2009年6月 瀬戸弘幸副代表を辞任
2009年9月 新風連解散
2009年10月My日本 設立
2010年7月 排害社(代表:金友隆幸)結成

※槇泰智(元一水会)を代表とする政経調査会は設立年不明。これは政治団体というより槇の選挙資金を管理する資金管理団体である。


1995年12月 維新政党・新風設立

在特会等の先祖を辿って行くと、必ず行き当たるのが「維新政党・新風」という政治団体である。新風は青年民族派(もしくは新右翼)の系譜で、1995年に結成され、極右政党を自称していた。この新風には瀬戸弘幸(元副代表)・西村修平(元千葉本部代表)・金友隆幸(元東京都本部所属)といった、後述するネトウヨ系団体の主だったメンバー(リーダー)が在籍しており、彼らの活動がそのままネットウヨク系団体の増殖に直結している。

1997年5月 日本会議 設立
その後の新風の失墜を考えると、同列に語ってくれるなとお叱りを受けそうだが、ネットウヨク一派の中には少なからず日本会議のシンパが存在している。この組織は保守系の組織や文化人、旧日本軍関係者らを中心に立ち上げられた「日本を守る国民会議」と、保守系の神社・仏教系団体「日本を守る会」とが合併して発足した。成り立ちから考えて、この組織は日本の保守系団体の取りまとめと言ってもいいポジションにあるのだが、それを逆手に取ってネットウヨク界隈と日本会議との両方に跨って活動している輩も多い。歴史ある団体だけに、新風の二の舞にする訳にはいかない。

2004年4月 チャンネル桜 開局
チャンネルとは言っても放送局ではなく、保守系の番組制作会社と呼ぶのが正しい。スカパーに放送枠を持っており、ネットウヨク一派の依存先のひとつとなっている。また一部ネットウヨク一派とは行動を共にすることがあり、昨今のネトウヨブームと密接な関わりがある。

2005年1月 桜井誠、木村誠名義で地上波討論番組に出演
この時点での桜井は、保守的発言を自身のブログで発信するだけの、純然たるネットウヨクであった。しかし彼がジェネレーションジャングルという日本テレビ系の討論番組に出演した際に行った韓国批判に対し、2ちゃんねる等を中心に桜井を賞賛する声が挙がった。この反響に自信をつけた事が、後の在特会立ち上げに強く影響を及ぼしている。

また笑い話になってしまうかもしれないが、常日頃から「朝鮮人は通名を使いやがって許せない!」と息巻いている桜井誠自身が、【桜井誠・木村誠・高田誠・doronpa……】と、様々な偽名やHNを使っている点が興味深い。現在最も有名な名前であろう「桜井誠」は、実は本名ではないのである。

しかしこの「自分のやっている事を棚上げする」「ダブルスタンダードどころの話ではない」といったあまりに幼稚すぎる言動は、その他ネトウヨに共通する要素であり、単に指を差して笑えばいいという話ではない点をご理解いただきたい。むしろこの点こそネットウヨクと呼ばれる彼らの「思想信条が薄弱でただ発散したいだけ」という実態を表しているのだ。

2006年7月 主権回復を目指す会(代表:西村修平) 結成
西村修平は元は極左活動家で、文革当時の国交のない中国に渡った過去すらある人物である。その後なぜか極右に転向して新風の千葉支部を任され、全ての暴れまわるネトウヨの元祖とも呼べる差別心丸出しの街宣活動(ヘイトスピーチ)をするようになった。桜井誠が自身の街宣スタイルを模索する中で強く影響を受けたのがこの西村だという。

2006年11月 新風連結成
総会屋系ブラックジャーナリスト・街宣右翼といった経歴(逮捕歴アリ)を経ている瀬戸弘幸らが中心となり、インターネットを拠点として維新政党・新風を応援する勝手連が結成された。それが新風連である。誕生当時の新風連には、それなりに耳を傾けられる主張をする保守派論客もいたのだが、そうした「まともな層」は次々と新風連から離れて行く(もしくはパージ=排除される)事となる。(後述)

2007年1月 在日特権を許さない市民の会(代表:桜井誠)結成
新風連メンバーのブログやコミュニティ、さらには彼らの街宣活動に参加するなどして名前を売っていた桜井誠が、自身でも組織を立ち上げて活動し始める。当初は単なるネットウヨクの典型だった彼だが、西村修平の嘘だろうと事実だろうとお構いなしに罵詈雑言を並べ立てる「声が大きければそれでいい」という街宣スタイルに影響を受けたらしく、それを継承する形で在特会としての街宣活動をするようになる。

この桜井の「独立」はある意味エポックメイキングで、これ以前の主だったネトウヨのリーダーは大体が『右翼団体・総会屋・政治ゴロ・暴力団……』といった「プロの世界」を知っていたのに対し、桜井は純然たる素人だったのだ。この桜井の台頭によって、ネットウヨク系団体はプロと素人とが入り交じる世界になってしまったと言える。

2007年12月 瀬戸弘幸 新風副代表に就任
新風連での活動が認められたのか、瀬戸弘幸が維新政党・新風の副代表に就任する。しかし新風内部には瀬戸らの言動を疑問視する声や、もう少し強く「あれを入れるな」と非難する声も挙がっていた。というのも、この当時の瀬戸は常に西村修平と行動を共にしていたが、実は西村は過去に事件を起こして新風を除名されているのだ。そのような人物と頻繁に街宣活動をやるような人間を、団体の副代表に据えていいのかという当然の声が挙がったのである。しかし右翼業界特有の内ゲバを嫌うが故になあなあになり過ぎる風潮が作用したのか、瀬戸弘幸はヌケヌケと新風副代表という肩書きを手に入れてしまう。

2007年12月 日本を護る市民の会(代表:黒田大輔)結成
桜井誠よりもさらに素人臭い、というか学生サークルのノリで暴走するのが日護会である。黒田は行政書士・社会保険労務士といった肩書きを持ってはいるものの、嫌いな人間の写真にいたずら書きをしてネットにアップして訴えられたり、女の取り合いで組織内の人間関係が壊れ、さらにその時の喧嘩相手をネット上で盛んに罵るなど、およそ正気とは思えない幼稚さが目立つ。だが黒田の危うさは、現在危険視されている一部ネットユーザーの幼稚さに最も近く、桜井以上に「今を体現している存在」だと言える。

2008年7月 瀬戸弘幸らが東村山問題に参戦
瀬戸らネットウヨク一派の信用が地の底まで失墜するキッカケになったのが、「通称:東村山問題」である。これに瀬戸弘幸らが自信満々に参戦したのだが、彼らと正反対の立場として、ベテランライター(論客)である松沢呉一を筆頭に、フリーライターや新聞記者といった様々な専門知識やスキルを持つ有志達が、自分の本職を隠して追求チームを組んで活動していたのだ。瀬戸らにとっては、この「情報精度が明らかに違う相手」に喧嘩を吹っ掛ける形になってしまった事が1つ目の不幸だった。

瀬戸らにとっての2つ目の不幸は、彼らが常套手段として使っていた「愛国者である自分達に反対意見を言う者は売国奴・朝鮮工作員・創価学会員……」というレッテル貼りが封じられた事である。というのも、東村山問題にはネトウヨ第一世代と看做されていた荒井も参加しており、瀬戸らの主張と逆の説を唱えていた。また瀬戸らの支持者やブログ読者は、荒井の持っていたそれと被っており、さらに言うなら抱えている読者数は荒井の方が瀬戸・桜井らより倍も多かったのである。この荒井に対して瀬戸が迂闊に「創価学会から金を貰って記事を書いている」等と妄言を吐いた事から、新風連内部からも「瀬戸の言い分はおかしい」という疑問の声が挙がってしまった。

また、荒井と関係のある二階堂.comやネットゲリラといったネットウヨク系にカテゴライズされていた最大手サイトまでが援護射撃をするようになり、瀬戸らはそれまでのような安易なレッテル貼りや右と左の二元論では誤魔化せない状況になり、同時にネット上での声の大きさ(=数の力)でも到底太刀打ちできなくなってしまう。これにより、彼らは最も苦手とする「真っ当な議論」で勝たなくてはならない状況に追い込まれたのである。

このような状況の中で、瀬戸らの嘘に気付き、新風連から離れて行く者や、反旗を翻す者が続出したのだが、これによって新風連一派に残留した者達が先鋭化し、カルト宗教のような「狂信者のみで構成される組織」になってしまったというマイナス面もあった。それが引き起こした事件が2008年9月の瀬戸らによる一般市民襲撃事件である。

2008年9月 瀬戸・桜井・西村・槇・黒田らが東村山街宣で一般市民を襲う
東村山問題に足を踏み入れたが故に劣勢に立たされたネットウヨク一派は、お得意の街宣活動によって目立つ作戦に出た。だがこの街宣の最中に瀬戸弘幸が「駅前のあの店は創価工作員だ」といったデマを発してしまい、それに感化された参加者が徒党を組んでその商店に殺到し、店内に侵入しようとするといった事件を起こした。また彼らはこの時の動画を「創価工作員退治をする我々」といった論調で自信満々に動画サイトに投稿し、当たり前の事だが「無実の一市民に大勢で襲いかかるとは何事か!」と、保守派からも強烈な批判を受ける事となる。これが決定打となり、瀬戸を中心とした新風連一派は致命的なまでに信用を失う事となった。
※参考リンク

2009年6月 瀬戸弘幸副代表を辞任
内外から強烈な批判を浴び続けた瀬戸弘幸のお陰で、維新政党・新風にも同じだけの批判の声が集まっていた。そんな最中に、突然新風の公式ページで「瀬戸弘幸・副代表辞任」というアナウンスが発表される。しかし発表されたのは辞任という事実だけであり、瀬戸らが新風副代表の肩書きを使って方々で迷惑行為を働いていた事などに対しては何の反省も詫びもなく、結果として維新政党・新風の名前もまた地に堕ちた格好となってしまった。

2009年9月 新風連解散
瀬戸の副代表辞任後、今度は新風連も解散を発表した。表面的には「新風の名前をネットで広めるという目標を達成したから」という言い訳がされていたが、実際は内ゲバと表現するしかない【瀬戸一派vsその他】といった構図の泥沼の内乱状態にあり、解散の理由は明らかにそれである。

2009年11月My日本 設立
新風連解散後すぐに立ち上がった保守系SNSの運営会社。設立当初はそれなりに注目されたが、すぐに「募金詐欺ではないか?」と思われる騒動を巻き起こすなど問題の多い組織である。またSNS内で盛んに「無関係な2ちゃんスレに憂国の思いを書き込んで回ろう!」といった、他人の迷惑やネットのマナーを一切無視した呼びかけが行われ、またそれを実行し、その方法論の幼稚さから「新風連と何も変わらないネトウヨ」という印象が広まる事となった。

2010年7月 排害社(代表:金友隆幸)結成
新風内での瀬戸を中心とした騒動の中で、金友は「新風執行部はサヨクだ!」と意味のわからない捨て台詞を吐いて離脱し、「日本からの外国人排除」を掲げる「排害社」という組織を立ち上げる。この排外社はただでさえ危ういネットウヨク系団体をさらに過激にしたような組織で、「在日外国人は殺してもいい」といった不穏な発言を真顔で言ってのけるような連中である。この排害社の誕生により、ネトウヨの先鋭化が極まった感がある。

2011年10月(現在) 逮捕・敗訴・終わらない内ゲバ
現在では、ネットウヨク系団体は乱立と内ゲバと分裂を繰り返しており、2009年頃までは一致団結して街宣活動に勤しんでいた連中が、今ではツバを飛ばして罵り合っている。東村山問題に参加していたメンバーだけでも、黒田大輔と槇泰智は民事裁判の賠償金支払いに際して無様な責任のなすりつけ合いをした挙句に絶縁し、間接的に師弟関係にあった桜井誠と西村修平も、朝鮮学校襲撃事件で参加者が逮捕(有罪判決)されるといった騒動の中で決別を宣言した。

「売国奴から日本を護れ!」と一枚岩を装っていた彼らだが、賠償金の支払いや逮捕といった逃げ場のない現実の前に、いとも容易く瓦解したのである。街角でのヘイトスピーチで「カルト宗教から日本を護れ!」だの「売国サヨク勢力に屈するな!」等と息巻いていたが、今では彼らの目に映る敵対勢力とは、自分達以外のネットウヨク系団体になってしまっている。いわば彼ら自身がカルト宗教の分裂劇や、連合赤軍の内ゲバを、猛スピードで後追いしてしまっているのだ。こうした「現実社会での脆弱さ」こそ、ネットウヨク系団体と、それに属する人間達の共通項であり、「ネットウヨク問題」の根幹である。


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■一次ソース(主要判決文まとめ)
主要裁判の経緯・論点・判決結果
主要判決文とその論点と各裁判所の判断 その1
主要判決文とその論点と各裁判所の判断 その2
※協力者が時系列ごとに個別URLを作ってくださいました(外部ブログ)

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黒田大輔
以上自称右派とエセ人権派市議と盗作作家の強烈チーム。

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議席譲渡事件の当時から矢野穂積らを追い続けているジャーナリスト。矢野穂積らが何をして来たかについては、この人が日本で一番詳しい。
松沢呉一氏ブログ
豊富なキャリアと知識から多角的に矢野穂積らの問題点を指摘している。
三羽の雀氏ブログ
情報処理能力が高いのか、矢野穂積の膨大な裁判量とその判決文を的確に引っ張り出してくる人。

■主な矢野穂積の被害者
薄井政美市議のブログ
矢野穂積や朝木直子に散々いやがらせを受けている東村山市議。(矢野と係争中)佐藤まさたか市議のブログ
薄井市議と同様に矢野穂積に散々嫌がらせをされ続けて来た東村山市議。(矢野と係争中)

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