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さて、11年前、すなわち、平成16年(2004年)10月23日(土)~24日(日)に、沖縄で、アジア心身医学会があり、参加致しました。参加証明書の写しを、下に掲載させて頂きます。
参加証明書の写し
この際、アジア心身医学会開催の前日から、某・航空機で、沖縄に入っていました。沖縄に初めて行きました。
去る1月24日(土)の「アテネ(ギリシャ)へ」のブログ
の中段に、
「(前略)日本を発つときに、隣の座席の日本人男性の方に、長時間の飛行の間 隣同志になるので、挨拶致しました。すると、この挨拶をたいへん喜んで頂き、海外に出たら、外交官のつもりで外国人に接するべきであるとのことを伺いました。
そこで、日本の先人の方々が苦労して築いて来た、海外の方々との友好関係を大切にさせて頂きますように、外国人に接するように心掛けました。旅の間、この思いは常にありましたが、ここ土では、上記の歴史がありますので、特に御座いました。(後略)」と記させて頂きました。沖縄に向かうときの機内でも、上記のように、隣の座席の方に挨拶しました。すると、その方は度々沖縄に行っているとのことであり、沖縄往きの航空機は離陸時間がよく遅れるとのことでした。このときも、離陸時間が遅れました。
そして、前述致しましたように、アジア心身医学会開催の前日に沖縄に到着致しましたので、何を置いても南部の沖縄平和祈念堂に参ろうと思いました。姪によりますと、沖縄ではレンタカー(米語:rental car)を用いるとのことでしたが、ローカル(英語:local)路線バス(英語:bus)を利用しました。但し、インターネット(英語:internet)環境ではありませんでしたので、事前にバスの時刻表がわかりませんでした。そこで、取り敢えず、那覇市内から糸満迄のバスが出ているので、それに乗りました。テレビ番組の、ローカル路線バス乗り継ぎの旅のような行き当たりばったりのバス利用になりました。但し、糸満から直接沖縄平和祈念堂に行くバスと途中にひめゆりの塔の前を経由するバスの2系統のバスがあることは、事前に調べてありました。兎も角、先ず沖縄平和祈念堂に行くべきであると思い、糸満から直接沖縄平和祈念堂に行くバスに乗ろうと思いました。ところが、途中にひめゆりの塔の前を経由して、糸満に戻るバスが先に来ました。糸満から直接沖縄平和祈念堂に向かうバスが来る時刻迄は、かなりの時間がありました。そこで、引っ張られるように、先ずひめゆりの塔にバスで行きました。途中の道端に、さとうきび畑がありました。ひめゆりの塔に隣接するひめゆり平和祈念資料館の入場券の写しを、下に添付させて頂きます。画像をクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、拡大致します。
ひめゆり平和祈念資料館の入場券の写し
このひめゆり平和祈念資料館では、感じることが多々あり、時間を掛けて感想文を書いて残して来ました。同・10月22日のことです。
それから、ここに着いて下車するときに予め調べておきました、沖縄平和祈念堂に向かうバスの発車時刻の数分前から、このひめゆりの塔前のバス停で待っていました。しかし、20分過ぎてもバスが来ませんでした。後でわかったことですが、沖縄ではバスの発車時刻の前でもバスが来て、そして、行ってしまうことがあるとのことでした。これ迄、国内ではバスの到着が遅れることはありましたが、発車時刻の前にバスが出発してしまうということは経験したことがありませんでした。バス停で待っていた人は、もう一人いました。去る5月25日(月)の「L.E.D.電球(エレクトロニクス)」のブログ
の上段に、
「(前略)去る10月29日(水)の『身体の効率』のブログ
の冒頭に、『(前略)エコロジー(ecology)(元来は生物学の用語で生態学と訳されますが、今日ではもっと広い意味で、環境保護運動をも指します。)的であります。(後略)』と記させて頂きましたように、エコロジー的な観点は大切ですね。(後略)」と記させて頂きました。それゆえ、普段、環境のことを考えてタクシー(英語:taxi)は利用致しません。ですから、一人でタクシーを用いるということは絶対に考えません。このときは、バス停にもう一人いましたので、二人で相乗りすることになりました。海外では、日本人とよく相乗りしました。国内でも相乗りを認めているタクシー会社がありました。タクシーを利用する者同士で乗車前に話が付いていれば、相乗りでも構わないと聞いたことがありました。ところが、このタクシー運転手によりますと、相乗りは認めないとのことでした。それで、バス停にいたもう一人のみがタクシーに乗りました。そこで、ひめゆりの塔前のバス停から沖縄平和祈念堂に向かい、沖縄平和祈念堂のかなり手前で糸満に戻るバスに乗って、途中のバス停迄行こうと思いました。そして、その途中のバス停から、沖縄平和祈念堂に向かって歩きました。
沖縄平和祈念堂のパンフレット(英語:pamphlet)と拝観券の写しを、下に掲載させて頂きます。沖縄平和祈念堂に隣接して、沖縄県平和祈念資料館があります。この入場券の写しも添付させて頂きます。
沖縄平和祈念堂のパンフレット
沖縄平和祈念堂の拝観券の写し
沖縄県平和祈念資料館
去る7月21日、沖縄の読者の方への返信(メッセージ)でも、この沖縄平和祈念堂に参ったことを伝えました。沖縄に行くことが出来るのは、これが最初で最後であると思いました。そこで、前述致しましたように、何よりも沖縄平和祈念堂に参ろうと思いました。去る12月17日(水)の「万年筆」のブログ
の冒頭で言及致しました友人にも話したことで御座います。すなわち、この沖縄県平和祈念資料館の「むすびのことば」で見た、「沖縄戦の実相にふれるたびに戦争というものは・・・」との言葉に心を打たれました。
ときに、去る2月14日(土)の「絵本の影響」のブログ
の中段、そして、去る4月5日(日)の「歴史の業」のブログ
で、昭和天皇陛下のことを言及させて頂きました。昭和天皇陛下は沖縄に行幸なさるぉ気持ちがぉありになられたにもかかわらず、結局行幸なさることが適いませんでした。沖縄に来られたことは、誠に有り難いことであると思われました。
ところで、話しを戻しますが、付近一帯は摩文仁の丘とも呼ばれる沖縄平和祈念公園(沖縄戦跡国定公園)内を歩きました。国立沖縄戦没者墓苑、日本各県出身地別の慰霊・平和祈念施設、そして、平和の礎が御座いました。摩文仁の丘から見る海の景色は、誠に素晴らしいものでした。この誠に素晴らしい景色に対比して思い出されますことは、終戦間近、この摩文仁の丘、そして、喜屋武岬などから、米軍に追い詰められた沖縄県民が皆「おかあさん」と言い乍ら、これらの断崖絶壁から飛び込まれたことで御座います。景色があまりにも美しいので、明暗のコントラスト(英語:contrast)(対比)を感じるとき、涙が零れます。沖縄戦における集団自決のことで御座います。御承知のように、沖縄戦での死者は20万人を数え、沖縄の一般住民約9万4千人が生命を失い、10万人に近い兵士が戦死したと云われています。
去る1月30日(金)の「永代神楽祭」のブログ
の上段に、
「(前略)これ迄、偶然も含めて西側が海になっている海岸線に立ったときには、台湾方向に向かって、黙禱しております。(後略)」と記させて頂きました。この摩文仁の丘に立ったときも南西側が海でしたので、台湾方向に向かって、黙禱致しました。
なお、去る8月9日(日)の「長崎原爆の日」のブログ
の中段に、
「(前略)去る3月10日(火)の『煮物』のブログ
の冒頭にも、
『(前略)本日は昭和20年3月10日の東京大空襲の日で御座いますので、黙禱させて頂きました。御承知のように、丁度70年目の年になります。因みに、当時、母親は14歳で、東京・市ヶ谷の大本営の近くに住んでいました。記憶を風化させないように、と思っております。(後略)』と記させて頂きました。日本の重大なこと、および、一大事で、知っていること、そして、知ってしまったことはぉ伝えさせて頂きますことが使命であると思わせて頂いております。それで、語り継がせて頂かなければならないと感じております。(後略)」と記させて頂きました。御承知のように、本日は丁度70年目の終戦の日で御座います。
話しを戻しますと、前述のように人気の少ない、付近一帯は摩文仁の丘とも呼ばれる沖縄平和祈念公園内を歩いて、黎明之塔に達しました。某・ガイドブック(英語:guide book)によりますと、ここから健児の塔に行けるのですが、道がわかりませんでした。復路のバスの、一時間に一本の発車時刻が迫っていましたので、少し焦りました。そして、漸く黎明之塔の脇の道から健児の塔に下る階段があることを見付けました。この階段は全く清掃されておらず、落ち葉が一杯でした。人気が少ないとぉ伝え申し上げましたが、この道は全く人が通った気配がありませんでした。参拝者は黎明之塔迄行くと、来た道を戻るのであると思われました。その階段を降り切ると、健児の塔がありました。前述の手持ちの某・ガイドブックの地図では、黎明之塔と健児の塔の間の高低差がこれ程あることはわかりませんでした。
ひめゆりの塔には大勢の人達がいましたが、この健児の塔の周辺はひっそりしていました。姪には、ひめゆりの塔には一人で行っても大丈夫であるが、ここは一人で来ない方がいい旨を伝えました。
去る10月9日(木)の「笑いと菜食療法ー菜食に導かれた過程ー小乗から大乗へ」のブログ
の下段に記させて頂きましたように、昨年の10月9日(木)の時点で、二十三年間、菜食致しております。菜食ですので、身体が敏感になっております。去る11月25日(火)の「第六感(スピリチュアリティ[spirituality])」のブログ
にスピリチュアリティ(英語:spirituality)のことを記させて頂きましたが、スピリチュアリティのことにつきまして、敏感になっております。戦後約60年(当時)経っていますが、ここには、未だにスピリチュアリティのエネルギー(英語:energy)が満ちて残されていると感じられました。
健児の塔を後にして、民家のある道を通ってバス停に着きました。バスの発車時刻にギリギリだったのですが、往路に反して復路では、誠に有り難いことに、バスの到着時刻が数分遅れました。そして、このバスで糸満迄行き、そこからバスを乗り継いで、那覇市内に着きました。到着した頃は、日没を過ぎていました。
さて、去る8月11日(火)の「接ぎ木のたとえ」のブログ
の中段やや上、去る11月23日(日)の「アロマ・テラピー」のブログ
の冒頭、そして、去る10月18日(土)の「心身医学会」のブログ
で記させて頂きましたように、約23年前に、編者から依頼されて、「心身医学を学ぶ人のために」の一部、すなわち、用語解説を執筆させて頂きました。
その翌日、すなわち、同・10月23日(土)、アジア心身医学会で、この編者に、南部の沖縄平和祈念堂に参ったことを伝えました。
本日も、最後迄ぉ読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)