アテネ(ギリシャ)へ | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 丁度一週間前、すなわち、去る1月17日(土)の「トルコ・2」のブログ の最後で、「機会がありまして、宜敷よろしければ、この旅の続きを記させて頂きます。」とぉ伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きまして、更に、本日は土曜日なので、今回、そのトルコの続きを記させて頂きます。(^O^)


 去る12月13日(土)の「トルコ・1」のブログ の最後でぉ伝え申し上げましたように、イスタンブルには二泊致しまして、昭和62年(1987年)(菜食を始める前のことです)8月17日【月】、トルコのイスタンブル(イスタンブル[トルコ語: İstanbul 【isˈtanbul】])(日本では、一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多いですね。)を()つために、空港に行きました。

 出国手続きを済ませまして、空港内の免税店の前の写真を添付致します。 一緒に写っているのは、免税店の人達です。



土(トルコ)
空港内の免税店の前


土(トルコ)
免税店の人達


土(トルコ)
免税店の人達




 去る11月01日(土)の「東ベルリン(旧・東ドイツ)」のブログ の上段やや下に、「マールボロ (Marlboro) 」のことを記させて頂きました。そのMarlboroの袋を持っていますが、中身は煙草ではありません。そのとき記させて頂きましたが、煙草はいません。


 ときに、明治23年(1890年)9月16日夜半、台風の荒れた和歌山県串本沖で、オスマン帝国(オスマン・トルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertuğrul Fırkateyni)が遭難しました。600名余の乗組員のうち、司令官オスマン・パシャ(特使)を初め500名以上が犠牲者という大惨事になりました。

 彼らは、明治20年(1886年)に日本の小松宮彰仁親王がトルコのイスタンブルを訪問したことへの答礼使節でした。東京で明治天皇に拝謁はいえつし、オスマン帝国の最高勲章を奉呈した帰路に悲劇に見舞われたのです。

 これに対し、事故現場の串本・紀伊大島の人々は、遭難者の救助に全力であたり、危険を冒しながら69名を救出しました。当初、トルコ人を収容した樫野地区は60戸程の小さな集落で、しかも裕福な暮らしではありませんでしたから、トルコ人の介抱は決して容易なことではありませんでした。しかし、なけなしの食料や衣類を惜しげもなく提供し、普段は正月にしか食べない白米を炊き出して食べさせ、更にときを知らせるにわとりもつぶして振る舞ったのだそうです。

 明治天皇も知らせを受けるや、政府を挙げての救援を命じ、トルコ人の生存者たちは手厚い看護を受けた後、日本海軍の軍艦で翌年1月2日にイスタンブルに帰還しました。また、この事件が報道されると、日本全国でトルコへの義捐金を募る動きがき起こり、現在の貨幣価値で1億円ともいわれる金額がトルコへ届けられたのだそうです。

 この日本人の真摯しんしな気持ちはトルコに伝わり、トルコで親日感情が大きく高まったそうです。この事件は、日本とトルコとの友好関係の始まりと考えられているとのことです。


 ところで、日本を()つときに、隣の座席の日本人男性のかたに、長時間の飛行の間 隣同志になるので、挨拶致しました。すると、この挨拶をたいへん喜んで頂き、海外に出たら、外交官のつもりで外国人に接するべきであるとのことを伺いました。

 そこで、日本の先人の方々(かたがた)が苦労して築いて来た、海外の方々(かたがた)との友好関係を大切にさせて頂きますように、外国人に接するように心掛こころがけました。旅の間、この思いは常にありましたが、ここトルコでは、上記の歴史がありますので、特に御座ございました。


 さて、イスタンブルからアテネ(現代ギリシア語: Αθήνα; Athína,古代ギリシア語: Ἀθῆναι, Athēnai)(ギリシャ共和国の首都)迄、格安航空券であるオリンピック航空(当時、英語名:Olympic Airlines、現在、Olympic Air)(ギリシャの航空会社)の旅客機に愈々いよいよ搭乗しました。

 ちなみに、前述の去る11月1日(土)の「東ベルリン(旧・東ドイツ)」のブログ の中段やや下に、大英博物館のことを記させて頂きました。このとき、古代ギリシアの遺跡の説明が、古代ギリシア語で書かれてありました。この説明を、ギリシア人の旅行者がスラスラ読んでいました。日本人の場合、自国の古文を読むためには、学習が必要です。そこで、きましたら、現代ギリシア語と古代ギリシア語は、上記のアテネの言葉のように、ほとんど変わっていないのだそうでした。このことを、歴史専攻の男子大学四回生に話しましたら、その通りとのことでした。


 話を搭乗機のことに戻します。すなわち、去る10月28日(火)の「スイス」のブログ の冒頭に記させて頂きましたユーレイル・パス(当時、欧州おうしゅう[ヨーロッパ]以外の地域で購入出来る、欧州の鉄道のパスのこと。日本にも、日本以外の地域で購入するパスがあると聞きました。)は、当時、トルコでは使用出来ませんでした。ちなみに、トルコは2013年1月1日からユーレイル・パス(ユーレイル グローバル・パス)の24ヶ国目に追加されましたので、現在ではユーレイル・パスを使用出来ます。

 また、イスタンブルからアテネ(まで)陸路で行くことは、間にエーゲ海(英語: Aegean Sea)があり、迂回うかいしなければならず、タイムテーブル(英語: timetable)(時刻表)を見ますと、時間がかりました。

 以上の主に2つの理由で、日本出国前に、国内でオリンピック航空の搭乗券を購入していました。


 タイムテーブル(timetable)(時刻表)では、飛行時間は一時間数十分でした。現在、サマータイム(英語: summer time)(夏時間)で、トルコとギリシャ共和国との間に時差はありません。

 長旅をして来ましたためか、うとうとしていましたが、スチュワーデス(当時の名称・現在のキャビン・アテンダント[和製英語])が着陸を知らせて、気が付きました。下に着陸後の写真を掲載致します。



土(トルコ)
着陸後


土(トルコ)
アテネの空港




 上の写真のように、アテネの空港ですので、オリンピック航空の旅客機が多数見られました。


 ギリシャのアテネに滞在致しましたことにつきましては機会がありまして、宜敷よろしければ、続きを記させて頂きます。


 本日も、最後(まで)ぉ読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)