土(トルコ)・1 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 丁度一週間前、すなわち、去る12月6日(土)の「トルコへ」のブログ で、「機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、続きを記させて頂きます。」とぉ伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。(^O^)

 

 昭和62年(1987年)(菜食を始める前のことです)8月15日【土】(本日と同じ土曜日で、しかも、トルコのことです。)の朝、日本人男性3人で、夜行列車で、トルコのイスタンブル(イスタンブル[トルコ語: İstanbul 【isˈtanbul】])(日本では、一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多いですね。)駅に到着致しました。

 

 イスタンブルと云えば、東洋と西洋の中間地点で御座います。

 

 日本人男性3人で、イスタンブル在住の日本人女性経営の宿に泊まりました。この日本人女性の夫は西洋人でした。某・ガイドブックにも書かれていたので、日本人が集まっていました。下に、集合写真を掲載致します。ちなみに、その日本人女性経営の 西洋人の夫は、ひものような男性でありました。なお、知らない人に呼びかけるときも、“Sir”を使えば失礼には当たらないとされております。それで、最初 その夫に “Sir”を付けましたら、拒絶されました。すなわち、その夫は、自分は “Sir”を使われることに 相応ふさわわしくないと、みずから 認めているのでありますね。

 

 
土(トルコ)

 

 

 

 後ろに絨毯(じゅうたん)が見えますが、この宿では、絨毯も販売しているとのことでした。この日本人女性経営者によりますと、当時、20万円のシルク(英語: silk)(絹)の絨毯が、日本では100万円で売れるとのことで、スチュワーデス(当時の名称・現在のキャビン・アテンダント [和製英語])が購入して行って、日本で捌(さば)いているとのことでした。ウール (英語:wool)(毛)の絨毯に比べて、シルクの絨毯は軽いので、運び易いのですね。下に、シルクの絨毯の写真を掲載致します。因(ちな)みに、御承知のように、イスタンブルは、シルクロード(英語:Silk Road)(絹の道)の交易路上の街で御座います。

 

 

土(トルコ)
シルクの絨毯
 
 

 

 

 この日本人女性経営者は、宿泊している日本人に絨毯の購入を勧めていました。但し、旅の途中でありますので、シルクの絨毯は軽量でありますが、ウールの絨毯は重量があるので、その後の旅で持ち運ぶ訳にはいきません。かといって、シルクの絨毯は高価で御座います。宿泊している日本人は皆、考えている様子でした。当時、10万円のウールの絨毯が、日本では40万円の価値があるとのことでした。

 因(ちな)みに、この後、北アフリカ北西部のマグリブ(Maghreb:アラビア語で、「日が没すること、没する所」を原義とする語)に位置する モロッコのタンジェ(ベルベル語: Tanja)に行くのですが、ここでもシルクの絨毯を勧められました。当初、日本円に換算して10万円と言われますが、持ち帰るなら、1万数千円にするとのことでした。そのとき、タンジェはシルクロードの交易路上の街では無いので、疑問が湧きましたが、もう旅が終わりに近づいていたので、お土産にしようと思って、購入致しました。お土産と思いましたので、差し上げて、手許(てもと)には御座いません。

 帰国して、27年経過(た)って、最近調べましたら、モロッコでシルクだ、と言って見せられる光沢のある絨毯(じゅうたん)や平織りの絨毯は、大概コットン(英語:cotton)(木綿)である場合が多いとのことでした。

 因(ちな)みに、蚕(かいこ)の繭(まゆ)からとった生糸(きいと)である絹糸のような動物性繊維のことは、去る11月05日(水)の「くもの糸(シンクロニシティ)」のブログ でも記させて頂きました。ウールも動物性繊維ですね。

 

 兎も角(ともかく)、イスタンブルでの目的は絨毯では無く、別のところにあるので、現地の男性トルコ人とイスタンブルの街に出ました。まず、アヤソフィア(トルコ語:Ayasofya)に行きました。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派基督キリスト教の大聖堂として建設されました。下に、アヤソフィアの写真を掲載致します。建築に詳しい方(かた)でしたら、アヤソフィアを、構造上興味が惹(ひ)かれる建造物として御覧になられることでしょう。

 以前、親戚のクリスチャンの方(かた)に確認致しましたら、キリスト(ギリシャ語)(メシア[ヘブライ語]・ヘブライ語では、キリストに対応する言葉としてメシアと呼ばれる、という意味です。)という称号が尊称となっているとのことで同意されましたので、イエス・キリストと記させて頂きます。


 

 

土(トルコ)
アヤソフィア
 

 

土(トルコ)
アヤソフィア
 

 

土(トルコ)
アヤソフィア

 

 

 
土(トルコ)
アヤソフィアの内部

 


 

土(トルコ)
イエス・キリストの磔刑(たっけい)
 

 

 

土(トルコ)


 

土(トルコ)




 アヤソフィアの対面に、スルタンアフメト・モスク(Sultanahmet Camii)があります。オスマン帝国の時代に、こちらの建物は、イスラーム教の礼拝堂として建設されました。白地に青の色調が美しいとされて、ブルー・モスクとも呼ばれています。下に、スルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)の写真を掲載致します。

 

 

土(トルコ)
スルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)
 
 
 
 
 イスラーム教の開祖であるムハンマド(Muḥammad)(マホメット)の足跡の写真を、下に掲載致します。
 
 
土(トルコ)
ムハンマドの足跡

 

 

 ここにいましたら、旅行者と思われる西洋人から、アヤソフィアは正教で、ブルー・モスクは邪教と言われました。おそらく基督キリスト教徒なのでしょう。

 

 さて、金角湾(トルコ語: Altın Boynuz)に架かるガラタ橋 (Galata Köprüsü)の上で撮影(と)った写真を、下に掲載致します。

 一方、ボスポラス海峡(ラテン語: Bosporus)に架かる第一ボスポラス橋は、吊り橋です。因(ちな)みに、この翌年、すなわち、1988年に、日本の政府開発援助の基(もと)、第二ボスポラス橋(ファーティフ・スルタン・メフメト橋)が完成します。御承知のように、昨年、このボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネルが開業し、開通式典には日本の首相も出席したとのことです。

 両岸の全域はイスタンブル市の行政区内です。

 


 

土(トルコ)
ガラタ橋の上


 

 

 

 この橋の近くで、シシカバブ(ケバブ[トルコ]の一種)が売られていました。このことにつきまして、去る10月11日(土)の「海外のこと」のブログ で、パキスタンのイスラマバードでも、シシカバブーに相当するようなものが売られていたことを言及させて頂きました。地域によって名称は様々ですが、中東地域とその周辺地域で提供される料理とのことです。
 下の写真は、イスタンブルの新市街(東側)です。新市街の中心地と言えば、行きませんでしたが、タキシム・ベイオール地区とのことです。手前がガラタ橋です。

 

 

 

土(トルコ)
イスタンブルの新市街(東側)



 

 下の写真は、ボスポラス海峡を、上流から見た光景です。第一ボスポラス橋(吊り橋)が架かっています。左が亜細亜(アジア)側で、右が欧州(ヨーロッパ)側です。

 

 

土(トルコ)
ボスポラス海峡


 


 

 ときに、他の日本人の方(かた)は、アナトリア高原にあるカッパドキア(ラテン語: Cappadocia)に行(い)ったとのことでした。御承知のように、ローマ帝国とイスラームの迫害を逃(のが)れた 基督キリスト教徒の、かつての居住地です。石器時代、そして、青銅器時代から、この凝灰岩は柔らかく削りやすいため、岩盤を掘り抜いて人が住んでいたと云われています。御承知のように、日本では、後期旧石器時代頃から造られたと考えられている竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)がありますが、こちらのカッパドキアは、横穴式住居です。帰国後、写真交換によって、旅行者から入手したカッパドキアの写真を、下に掲載します。一番下の写真は、この写真から推測することですが、カッパドキア地方の、陶器作りの街であるアヴァノス ( Avanos )での写真と思われます。街の中心を流れている赤い川の底土から良質な粘土が採れることから、陶器作りの盛んになった場所とのことです。足で蹴(け)って回す ろくろで、粘土から小さな壺(つぼ)状のものを作っています。

 

 

 

土(トルコ)
カッパドキア
 


 

土(トルコ)
カッパドキア
 
 
土(トルコ)
カッパドキア
 
土(トルコ)
横穴式住居
 
 
土(トルコ)
壺(つぼ)作り



 この日本人の方(かた)が、トルコに来たら、トルコ風呂に行くべきとのことで、行(い)って来たとのことであり、某・ガイドブックにも書かれてありましたので、行(い)ってみました。トルコトルコ風呂は、2人の男性が身体を洗ってくれる所です。下に、写真を掲載します。

 

 

土(トルコ)
トルコ風呂



 

土(トルコ)
トルコ風呂

 

 

土(トルコ)
トルコ風呂



 

 2人掛(がか)りで、痛くなる位、ゴシゴシと身体を擦(こす)られます。あかすりには行(い)ったことが無いのですが、同様であるかもしれません。2人の大男に圧倒されました。

 

 ところで、夕方、宿に帰って来ますと、外で、もめている音が聞こえて来ました。宿の日本人女性経営者によりますと、宿泊していた日本人女性に対して、男性トルコ人が一日案内して奢(おご)ったにも関わらず、これでお終(しま)いと女性が宿に帰ってしまうことを、この男性トルコ人は認めないと言っているとのことで御座いました。この日本人女性経営者によりますと、男性トルコ人の方(ほう)に下心があったとのことで御座いました。

 

 こうして、トルコのイスタンブルでの一日目が終わりました。イスタンブルには二泊致しましたので、機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、滞在の続きを記させて頂きます。

 

 本日も、最後(まで)ぉ読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)