【最近、小学生の頃を思い出して、アドラー心理学的に感じたこと】
京都、四条烏丸にある御射山公園では、
秋が深まってきました。
私自身、公園が好きなことに
京都に来てから改めて気づきました。
小さな公園なんだけど、
わいわい賑わっていて、
癒されるのです。
なんというのだろう?
私が小学生の頃は、
公園で子どもがはしゃいでいるのは
当たり前の光景でした。
が、、、
最近は、めっきり公園に人がいない。
ガランとした公園が本当に多い。
子どもも大人も外に出ないのかもしれない。
それでね、
最近、
私は小学生の頃を
思い出すことがあります。
私は三重県出身ですが、
実家の近くには、
小さな川が流れていました。
幅が1メートルもなく、
深さも30センチくらいの小さな川。
いま思うと、
すごく透き通ったキレイな水でした。
タニシが川底の一面にいて、
小さな魚やザリガニもいました。
小学生だった頃、
その川によく入って、
友達と遊んでいました。
また、
その川から少し歩くと小さな神社がありました。
敷地は、オープンなスペースで、
近所の子どもたちがよく遊びにきていました。
地元の人は、大人も子どもも、
その神社のことを「みやさん」と呼んでいました。
私も、
「みやさんに行ってくるわ」
みたいに、気さくな感じで言って、
みやさんに行って友達と遊んでいました。
町内の盆踊り大会、
小さなお祭りなども、
近所の神社やお寺で、
年中行事として開催されていて、
地域の人々は普通に参加していました。
当時は、
神社やお寺が、今以上に、
地域に溶け込んでいたように思います。
公民館のような役割というのでしょうか。
日本が総中流社会といわれていた時代です。
いま思うと、
私は小学生の頃、
川に入ったり、
みやさんの敷地で遊んだり、
頻繁に外でわいわいしていました。
それに、、
特に何か大きな目的もなく、
自由気ままに過ごしていました。
時が流れ、、、
私は大人になりました。
転勤などで関西をいくつも引越しました。
奈良、大阪、滋賀など。
その後、
京都に来て、
久しぶりに公園をよく訪れるようになりました。
私のお気に入りのパン屋さんの近くに
公園があるということもあって、
パン屋さんで食べてから、
公園に寄って、ゆったりしたり、
四条烏丸の公園に
しばしば行くようになりました。
そして、
思い出したのです。
小学生の頃、
よく川で遊んでいたことを。
その公園の近くには、
六角堂があります。
歩いてすぐなので、
公園に行ったあと、
私は六角形にもよくお参りに行きます。
お参りだけでなく、
境内のハト🕊️や白鳥🦢を眺めたりするのが
楽しみになりました。
六角堂は、街中にある
敷地が小さなお寺。
そういえば、
私の実家の近くのみやさんと、
同じくらいの大きさの敷地。
しかも、、
六角堂にも
しょっちゅう訪れるので、
ふと、小学生の頃、
しょっちゅうみやさんに行っていたことを
思い出したのです。
そんなこと大人になってから
まったく思い出すことがなかったのに。
京都に住み始めたら
約40年ぶりにそんな昔の感覚を思い出したのです!
不思議。
アドラー心理学では、
その人の内面のことをライフスタイルといいます。
この用語を使うなら、
私は小学生の頃のライフスタイルを思い出した
ということになります。
と同時に、
先ほど書いたように、
小学生の頃は特に何か大きな目的もなく、
自由気ままに過ごしていた
ことも思い出しました。
思い返すと、、
中学生になって、
突然、中間テストや期末テストというように
ガッチリ勉強で追われるようになったように思います。
高校受験や大学受験というように
日々の生活に大きな目的ができたわけです。
部活動も目的の1つです。
これは、私自身というより、
日本の教育制度の特徴でしょう。
中学生から勉強や部活動がガッチリとして、
目的意識が芽生える。
目的意識を持って努力することは、
素晴らしいことだと思います。
ただ、、
目的に設定されたこと以外には、
意識がいかなくなってしまう。
思い返せば、、
小学生の頃は、
地域の盆踊りやお祭りが、
毎年、楽しみでした。
だけれども、
中学生になったころから、
興味が移り変わってきて、
それに、勉強や部活動が忙しかったこともあり、
それどころではなくなってしまいました。
人間というのは、
目的に向かって努力をしていると、
目的の外にあるものに対して、
意識が薄れてしまうのかもしれません。
そんなこともあって、、
アドラー心理学では、
時には「目的」を忘れて、
自然体で過ごすことも大切にしています。
それによって、
目的にばかり意識が行きすぎてしまい、
忘れてしまっている大切なことを
思い出せるかもしれないからです。
ときには、
心のゆとりもほしいですよね。
そういえば、、
私自身、
目的にとらわれていて、
大人になってからも
数学ばかりやっていることに気づきました。
(もちろん、それが仕事なんだけどね)
最近は、
心理学やスピリチュアルへの興味も深くなり、
出版もするようになって、
目的が増えました。
小学生の頃は、、
もっと自由に、もっと多方面に
アンテナが働いていたように思います。
そんなわけで、
私自身、大人になってから
四条烏丸の公園やお寺に
しばしば訪れるようになり、
忘れていた小学生の頃の
ライフスタイルを思い出しました。
さらに、
いい意味で目的を持たずに、
自由に過ごしていた子ども時代のことを
思い出しました。
記憶のかなたに置かれていた、
そして、完全に忘れていたことを
思い出したのです。
(偶然、似た環境にいるので、思い出したけれど、
もしかしたら、四条烏丸に来てなかったら、一生思い出さないままだったかもしれません)
補足をすると、、
このように、
「目的」という視点で物事を考えるのは、
アドラー心理学の大きな特徴です。
私はアドラー心理学を学んでから、
そのような視点で考えられるようになりました。
それで、
「目的」という観点で考えると、
「小学校」と「中学・高校」は、
心理的に生徒が受ける影響という意味において、
教育制度が大きく異なることに気づきました。
すなわち、
日本の教育制度は中学校あたりから、
生徒に目的意識を芽生えさせるように
設計されている。
そんなふうに、
アドラー心理学の観点から解釈できます。
「勉強」「受験」「部活動」などが
大きな目的となり、
意識がそちらに集中しがちになります。
ちなみに、私は、
「良い、悪い」
という価値判断をしていません。
あくまで事実に基づいて、教育制度を
アドラー心理学的に解釈しているだけです。
この教育制度が「良い」または「好ましくない」
という判断は人によって違うでしょう。
というわけで、
最近、私が感じていることを
そこはかとなく書きました。
まずは私自身、個人的に、
大きな「目的」の影に隠れて、
見落としていることがなかったか?
そんなことを人生という大きなスケールで、
振り返ってみたいと思うようになりました。
そんなことに気づけたのも、
アドラー心理学をやっているおかげです。
それでは、
今回はここまでとなります。
最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
〈 補足 その1〉
次の記事にも、
四条烏丸に住むようになってから、
「小学生の頃、お金を握りしめて、
よく駄菓子屋にお菓子を買いに行っていたこと」
を思い出したと書かれています。
雨の土曜日、読書をしたり、力強さについて考えたり、水道橋博士のブログを読んだりしていました
〈 補足 その2〉
次の記事は、以前、
内面を振り返ったとき、
心に浮かんだ小学生の頃の思い出を書きました。
サロン・オーナーの方が
私のことを気にかけてくださり、
「寂しさと向き合ってみたら?」
と、言葉をかけてくれたおかげで、
忘れていた思い出を
思い出すことができたのです😭
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