寂しさと向き合う | 数学を通して優しさや愛を伝える松岡学のブログ

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アドラー心理学的な世界観のコラムやエッセイを書いています

今回は、私と 「寂しさ」 の関係について書きます。

 


私は小学生のとき三重県に住んでいましたが、
毎年、四日市の いとこの家族と泊まりで海水浴に行っていました。

行き先は日本海の若狭湾でした。

 

三重からだと長旅になるのですが、電車の中では いとこたちと

しゃべったりお菓子を食べたりしていました。

四日市の海と違い、若狭湾の海は綺麗で水が透き通っていました。

小学生の私はあまり泳げないので、
砂浜で山を作ったり、海に少し入ったり、
ちゃぷちゃぷしながら いとこたちと楽しい時間を過ごしました。

この海水浴はいつも2泊3日でした。
1日目は到着まで半日かかるので、慌ただしい感じがしました。

 

一方、
3日目には 「帰る寂しさ」 を子どもながらに感じていました。

なので、

 

私はいつも2日目が好きでした。


2日目は、朝起きてから夜寝るまでずっと若狭湾にいれるのです。

 

毎年、2日目が1番楽しめました。

 

2日目がこのままずっと続けばいいな

と心の中で願っていたのかもしれません。

これは大人になった今でも変わっていません。

2泊3日で旅行にいくときは、
いつも2日目が1番好きで、
3日目が寂しさを感じます。

私は寂しさに敏感なのかもしれません。

 


 

 

次に、はっきり寂しさを意識するようになったのは、
恋を経験するようになってからです。

 

私は学生時代、何度かつらい恋愛を経験したあと彼女ができました。

当時の私は一人暮らしをしていたので、
彼女がよく遊びに来てくれました。

会っているときは、部屋で音楽を聴いたり、
テレビを見たり、ご飯を食べに行ったり、
楽しいひと時を過ごしていました。


でも、夜になって彼女が家に帰るとき、
「寂しい気持ち」 が込み上げてきます。

彼女が帰ったシーンとした静寂の部屋にいると
寂しさに押しつぶされそうになりました。

待ち合わせをした6時間前はあんなに楽しい気持ちだったのに、
別れ際の今は、どうしてこんなに寂しいんだろう。


そんなことをいつも感じていました。

 

 


これは大人になった今でも、変わってないのかもしれません。

 

部屋で1人でいると寂しさを感じるときがあります。

ただ今は、


「寂しさと向き合う」 ことが少しずつ分かってきたように感じます。

寂しいから、誰かに電話したり、メールしたりするのではなく、
そこはグッと我慢をして、寂しさを受け入れるようにしています。

夜があれば昼もあり、
冬があれば夏もあります。

寂しさを経験しているからこそ、
何気ない日常を当たり前と思わずに

幸せを心から感じることができるのだと思えるようになりました。

 

 

 

 

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