イザナギノミコトのレイラインを考える(1)
昨年は古事記編纂1300年を迎え、
今年は出雲大社の本殿遷座と伊勢神宮の式年遷宮が行われたこともあり
日本神話のメインキャストの神々が鎮座する神社が
パワースポットとして注目を浴びています。
これらの神社のレイアウトは、太陽の運行のトレースと言えるレイラインと
深くかかわっていると考えられますが、
レイラインの中には、その必然性と偶然性の論理的な区別も考えずに
無理やり引かれているものも少なくありません。
今回は、日本神話のメインストリームであるアマテラスとスサノオの
父であるイザナギノミコトに着目して、
その関係するレイラインを数回にわたって考えてみたいと思います。
過去のレイライン関連記事:
「もう一つの神宮レイライン」 [記事]
「平安京鬼門の鬼撃退猿ライン」 [記事]
「平安京猿ラインと日光東照宮」 [記事]
「五山の送り火の起源の謎に挑む」 [記事]
まず、この記事では、イザナギに関係する神話の概要をまとめた上で
イザナギが鎮座するメインの神社について紹介したいと思います。
イザナギに関する記紀のコンテンツは、「天地開闢と神々」「国生み」「黄泉の国」の3本です。ここでは、日本の正史としての史料的価値が高い日本書紀に基づいて、もう少しブレイクダウンしてみたいと思います。
まず、国の創世記を記述する「天地開闢と神々」では、宇宙の誕生である天地開闢(かいびゃく)と神の誕生を記述しています。天地開闢のエピソードは、ビッグバン→相転移→ヒッグス粒子の誕生を示唆する内容で(笑)なかなか哲学的です。神の誕生のエピソードにおいては、クニノトコタチ(国常立尊)が生まれ、神代七代の最後にイザナギ(伊弉諾尊)とイザナミ(伊弉冉尊)という男神と女神が生まれたところで話を終えます。
次に「国生み」では、日本列島の誕生を記述しています。まず、イザナギとイザナミが天の浮橋から矛で下方を探ったところ、海が見つかり、矛先から滴った海水が固まってオノコロジマ(磤馭慮島)が生まれました。オノコロジマでは、イザナギとイザナミが試行錯誤の末に性交渉を行い、日本の島々を生んでいきます。まず最初に生んだのが淡路島(淡路洲)です。イザナギとイザナミはこの島を不満足な出来と考え、「吾恥島」と呼びました。その後順に、本州(大日本豐秋津洲)、四国(伊豫二名洲)、九州(筑紫洲)、隠岐(億岐洲)、佐渡島(佐度洲)、北陸(越洲)、周防の大島(大洲)、児島半島(吉備子洲)という大八島国(おおやしまのくに)を生みました。また、対馬、壱岐などのその他の小島は泡が固まってできたものです。島を生んだ後、イザナギとイザナミは山川草木を生んでから神生み始めました。次々に神を生んだイザナミですが、火の神のカグツチ(軻遇突智)を生むときに身体を火傷して死んでしまいます。
「黄泉の国」では、イザナミの死後におけるイザナギのいくつかのエピソードを記述しています。イザナミが死ぬと、イザナギは黄泉の国までイザナミを追いかけていきます。黄泉の国で変わりはてた醜い姿のイザナミを見ると恐くなって逃げ帰ります。イザナギは黄泉の国の穢れ(けがれ)を払うために禊(みそぎ)をしました。この際に左目を洗うとアマテラス(天照大神)が、右目を洗うとツクヨミ(月読尊)が、鼻を洗うとスサノオ(素戔嗚尊)が生まれました。イザナミは、アマテラスは高天原を、ツクヨミは青海原を、スサノオは天下を、それぞれ治めるよう言いました。スサノオは、その言葉に反し、母について根の国に行きたいと泣きました。イザナミが「望みどおりにしなさい」と言い放つと、スサノオは「これから姉にお別れをしてきてから根の国に行きます」と言いました。イザナミは「よかろう」と言って天に昇りました。その後、神の仕事をすべて終え、幽宮を淡路島(淡路之洲)に造って隠居しました。また、日の少宮(わかみや)に住んだという別の話もあります。
このようなエピソードを持つイザナギが鎮座する主要な神社は、
淡路島にある伊弉諾神宮と滋賀にある多賀大社です。
以下に、この二社と、オノゴロ島に関わる神社である淡路島の自凝島神社を
紹介したいと思います。
伊弉諾神宮
イザナギとイザナミの国産み神話で最初に産まれた島が淡路島です。
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は淡路島中部に位置しています。
伊弉諾神宮の[website] によれば、由緒として次のような記述があります。
伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記し、神代の昔に伊弉諾大神 が、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過された神宅の旧跡と伝えられてゐます。ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に神陵を築いて祭られました。これを創祀の起源とする最古の神社が伊弉諾神宮です。
ここで、「淡路の多賀」と言うのは、
古事記に記載されている「淡海之多賀」を指しているものと思われます。
ただ、この言葉は「淡路島の多賀」を意味してなく、
「淡海」つまり琵琶湖などの「淡水の海の多賀」を意味します。
ただし、日本書紀に記載されている「淡路之州」という言葉は
「淡路島の多賀」を意味します。
このことから、伊弉諾神宮は、「淡海」は「淡路」の誤字であると考えて
幽宮が淡路島の多賀にあると解釈しています。
↓こちらが拝殿で、
↓こちらが神明造の本殿です。
神明造の千木が縦に切られているため、祭神は男神と考えられます。
現在の祭神はイザナギとイザナミですが、
もともとはイザナギのみを祀っていたとされています。
神社の東には、真東を向いている伊勢神宮の遥拝所があります。
伊弉諾神宮の緯度は、伊勢神宮の緯度とほぼ一致します。
自凝島神社
自凝島(おのころじま)神社は淡路島の南部にある小丘にある神社です。
[website] には由緒として次のような記述があります。
当神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきました。古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となる、これが自凝島である。二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て 先ず淡路島を造り次々と大八洲(おおやしま)を拓かれたと記されています。
この神社では、淡路島の中にある社地の小丘をオノコロ島と考えて
イザナギとイザナミを祀っています。
↓こちらは素晴らしく立派な鳥居です。
↓こちらは、拝殿です。
神明造の本殿の千木が見られますが、千木が横に切られていることから
つまり、この神社のメインの祭神はイザナミであると推察されます。
本殿前には鶺鴒石という石組があります。
つがいの鶺鴒がこの石の上で夫婦の契りを交わしている姿を見て
国生みを始めたそうです。
国や神を生む前に鳥がいたというのは、
どう解釈すればよいのかわかりませんが・・・(笑)
なお、オノコロ島がどこにあるかについては、いくつかの説があります。
このことについては、次回記事で議論できればと思います。
多賀大社
多賀大社は滋賀の彦根の東に位置しています。
[website] には、由緒として次のような記述があります。
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。日本最古の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
多賀大社は、古事記に記載されている「淡海之多賀」、
つまり、琵琶湖という「淡水の海の多賀」と解釈しているものと考えられます。
ただし、日本書紀に記載されている「淡路之州」という言葉とは矛盾します。
神明造の本殿の千木は縦に切られています。
祭神は、イザナギとイザナミですが、
そのメインはイザナギであると考えられます。
神社の南には神体山があります。
普通神体山があるのは神社の北なので珍しいパターンと言えます。
さて、伊弉諾神宮には次のような石碑が設置されています。
つまり、伊弉諾神宮を中心として次のような方位に
日本の主要な神社が位置しているとしています。
北:出石神社(天日槍命:アメノヒボコ )
東北東:諏訪大社(建御名方神:タケミナカタ)
東:伊勢神宮(天照大神:アマテラス)
東南東:熊野那智大社(熊野権現)
南:諭鶴羽神社(伊弉諾神:イザナギ)
西南西:高千穂神社(高千穂皇神:タカチホスメガミ)
西:海神神社(豊玉姫命:トヨタマヒメ)
西北西:出雲大社(大国主命:オオクニヌシ)
この石碑を見る限り、
日本の神社の中心は伊弉諾神宮であるかのようですが、
実際にプロットしてみると次のようになります。
この図を見ると、伊勢神宮、海神神社、出石神社以外は、
レイラインの位置とぼちぼち乖離していることがわかります。
次回記事では、上記の神話も交えて、
これらのレイラインの解釈について詳しく議論したいと考えます。