平安京鬼門の鬼撃退猿ライン
[平安京の王城鎮護バリアシステム] で最も重要なポイントとなるのが、
怨霊(鬼)が出入りする艮(うしとら)の方向の東北の守りです。
上の地図に示した[磐座バリアシステム] でもわかるように、
東北については2列の防御ラインを設定しているものと考えます。
ところで、この記事のトピックスでもあるのですが、
桓武天皇とその後の天皇は、この鬼門方位に対して
他の方位とは違う特別なものをレイアウトしました。
それはなんと「猿」です。こちら↓を見てください。
方位を十二に分ける干支のうち、丑(うし)と寅(とら)の間の
艮(うしとら:ごん)の方位である東北が鬼門(表鬼門)です。
また、未(ひつじ)と申(さる)の間の
坤(ひつじさる:こん)の方位である西南が裏鬼門となります。
五行説において、東&南は陽の方位で西&北は陰の方位なのですが、
陽と陰の変わり目となる東北と南西は不安定な方位であると
日本の陰陽道で独自に解釈され、これが表鬼門と裏鬼門となったわけです。
猿は鬼門を守護する神の使いとして考えられています。
これは、艮に近い寅の反対方向が申(さる)であることに起源があるようで、
桃太郎が猿を鬼退治に連れて行ったのも関係があるといわれています。
魔が「去る」というダジャレ的な意味合いもあるようです(汗)。
それなら、未(ひつじ)はどうなの?と思ってしまいますが、
あまり注目されていないようです。
理由は、もともと日本にあまり生息していないのと、
なんとなく戦闘向きでなさそうな雰囲気(笑)によるものではないでしょうか。
さて、平安時代前期の寺社の分布を見てみると、
東北方向には猿や怨霊(鬼)に関係する神社がいくつかあります。
猿に関係するものとしては、日吉大社、赤山禅院、幸神社などがあり、
怨霊(鬼)に関係するものとして、元三大師堂、祟道神社、御霊神社などが
あります。
地図上にこれらの寺社を実際にプロットしてみると、次の通りです。
ピンク色:平安時代前からある猿と磐座に関連する寺社
黄色:平安時代前期に創建された猿に関連する寺社
オレンジ色:平安時代前期に創建された怨霊(鬼)に関連する寺社
一般にこれらの寺社は鬼門の方向にあるということで片づけられていますが、
上の地図を見ると、明らかに次のような2つのラインがあることがわかります。
(1) 寅の方位(申の反対の方位)にある猿ライン
(2) 艮の方位にある怨霊ライン
この2つのラインに対する解釈として、
あくまで艮の方位には、怨霊を鎮魂する施設を作り、
ひとたび怨霊が暴れ出した時のセキュリティーとして、
隣接する寅の方位に怨霊を撃退する猿ラインを形成した
のではないかと私は思っています。
この記事ではまず、
(1)の猿ラインに関連する寺社について見ていきたいと思います。
日吉大社
[平安京の磐座バリアシステム] で紹介したように、
日吉大社は、比叡山の山神の大山咋神(オオヤマクイ)を主祭神とする
全国にある日吉・日枝・山王神社系の本社です。
山王権現とも呼ばれ、比叡山(日枝)の延暦寺の守護神でもあります。
平安京の鬼門の最前線に位置することから、
桓武天皇は鬼門除け神社としてかなり期待していたと考えられます。
この神社には、猿と磐座or影向石がいろいろなところに存在しています。
順を追って見ていきたいと思います。
日吉大社には、東本宮と西本宮があります。こちらは東本宮です。
東本宮の前には巨石が二つあります。
こちらは猿の霊石と呼ばれている岩です。
こちらはその背後にある巨石です。
両方とも、神が鎮座するための磐座(影向石)か、神が宿った石なのか、
いつの時代から崇拝されているものか、よくわかりませんが、
日吉大社が岩を信仰に関連付けていることは確かです。
こちらは、西本宮です
西本宮の前には楼門がありますが、この屋根は一見の価値があります。
実はこの楼門の屋根は
神猿(まさる)と呼ばれる4匹の猿によって支えられているんです。
(左上:東北、右上:西北、左下:西南、右下:東南)
建築自体は安土桃山時代のものですが、
そのころには猿への信仰が定着していたことがわかります。
楼門のすぐ前には、山王霊石祇園石と呼ばれている岩があります。
神社の説明では、「牛頭天王が宿る磐座」となっていますが、
「宿る」となると、磐座ではなく、霊石なのでしょう。
そのすぐ横には、山王霊石大威徳石と呼ばれている岩があります。
これら2つの岩は根がない石ではなく、露頭の一部である感じがします。
それに対して白山姫神社の横には霊石と思われる岩が積まれています。
こちらは有名な山王神輿です。
今は亡きオリジナルの神輿は、日本の神輿のルーツで、
バリアシステムを構築した桓武天皇からプレゼントされたようです。
なお、日吉大社には本物の猿も飼われています。
猿に対する神社のスタンスは次の通りです。
猿に対する信仰は、平安時代までさかのぼるものと考えられます。
八王子山
境内に由緒ある岩が置かれている日吉大社の信仰の起源は、
↑神奈備山の牛尾山(八王子山)の山頂にある磐座です。
日吉大社の境内から約20分の登山で山頂に到着します。
山頂には、大山咋神の荒魂を祀る牛尾神社と
鴨玉依姫神の荒魂を祀る三宮神社という二つの拝殿があって、
その間に立派な巨岩があります。
この巨岩、かなりの迫力です。
岩の表面はツルツルになっています。
きっと「鏡肌」という地質現象と思われます。
岩のブロックの下部には破砕帯があります。
活動性が豊かな地質は、畏れの対象となっていたのではないでしょうか。
よく観察すると、鉱物の斑晶が連続的にサイズを変化させているので、
この岩は岩脈の一部かもしれません。
後ろを振り返ると素晴らしい景色を見ることができます。
比叡山延暦寺
比叡山は、京都市内のあらゆる場所から見ることができます。
古くから神奈備山として崇拝されている山です。
猿がたくさん出没する場所でもあります。
山頂には、将門岩と呼ばれる平将門にちなんだ巨岩がありますが、
この岩も古代から崇められていた可能性があります。
そして比叡山といえば、平安京に遷都する直前の788年に最澄が創建した
天台宗の寺院である延暦寺が有名です。
猿ラインから少し離れていますが、横川中堂の前には影向石があります。
↓こちらの岩がそうなのですけど、これについても
どこからか持ってきた岩ではなく、もともとそこにある岩盤の露頭のようです。
この岩には、鹿島明神と赤山明神が降臨するようです。
このうち、赤山明神は次に紹介する赤山禅院の本尊です。
赤山禅院
比叡山の西麓にある赤山禅院(せきざんぜんいん)は、
延暦寺と同じ天台宗の寺院で、宇多天皇の888年に創建されました。
本尊は、赤山明神という神様で、
中国の赤山という山から泰山府君(たいさんふくん)という神様の分霊を
わざわざ運んできたものです。
この泰山府君は、道教の聖地である泰山の神ですが、
陰陽師の安倍晴明が陰陽道の最高神霊と位置づけた神です。
つまり、
この赤山禅院は、神道・仏教・道教・陰陽道の複合体のような寺院なんです。
さて、この赤山禅院の拝殿の屋根の上には檻があり、
その中に御幣と鈴を持った木造の猿がいます。
一般に鬼門守護の猿は檻に入っています。
檻に入れとかないと、
イタズラしちゃうとか、夜に逃げちゃうとかいわれてます(笑)。
本堂の前には、「皇城表鬼門」と書かれています。
鬼門方除けの神ですが、祠の下には五芒星が描かれていました。
今でも陰陽師がいるのでしょうか・・・
幸神社
幸神社(さいのかみのやしろ)は、平安遷都の年に創建された神社です。
明らかに鬼門にレイアウトされたのでしょう。
ただし、当時は現在地よりも東北の賀茂川の畔にあったようです。
主祭神は、猿田彦大神(サルタヒコ)です
こちらが本殿です。
そして、本殿の東北(鬼門)には
烏帽子をかぶって御幣を担ぐ木造の猿がいます。
江戸初期の左甚五郎の作といわれています。
平安期に猿の像があったかどうかは不明です。
ただし、「猿」田彦が祀られた神社であったことは確かです。
なお、境内には御石さんと呼ばれる神が宿るという石が置かれています。
これは磐座や影向石ではなく、神石のようです。
なお、幸神社の南、京都御所の鬼門にも猿がいます。→[関連記事]
猿ヶ辻と呼ばれるこの場所でも猿は烏帽子をかぶって御幣を担いでいます。
もちろん、この猿については、後年に作られたもので、
桓武天皇が構築した王城鎮護のバリアシステムとは違うものです。
・・・ということで、日吉大社から幸神社まで見てきましたが、
桓武天皇と陰陽師は寅の方位に
鬼撃退の猿ラインを作ったものと思われます。
さて、怨霊(鬼)ラインの方もまた別記事で紹介したいと思いますが、
その前に次の地図を見てください。
なんと、猿ラインと怨霊ラインは裏鬼門方向まで続いているようなんです!
裏鬼門のラインについても別記事で紹介したいと思います。
なお、平安中期に鬼門に創建された晴明神社などについても
別記事で紹介したいと思います。