平安京の節分の謎に挑む-1 | 西陣に住んでます

平安京の節分の謎に挑む-1

吉田神社節分祭



2月3日は節分で~す!


京都でも多くの寺社で節分祭が行われますが、

実はこの節分祭、

[平安京の王城鎮護システム] に関連するめちゃくちゃ重要なイベントでした。

そこで、今週と来週の2回に分けて、

京都の節分について深く考えてみたいと思います。


まず、今週記事では、

もともと節分と言うのは一体何なのか?についてまとめてみたいと思います。




右矢印節分とは・・・


「節分」と言うのは、陰陽道の重要なコンセプトの一つで、
読んで意味のごとし、季節の分かれ目のことです。


春夏秋冬の始まりの日は、立春立夏立秋立冬と呼ばれていますが、

このそれぞれの日の前日が節分となります。


なぜ、陰陽道で節分が重要なのかと言うと
季節の変わり目に邪気が入りやすいと考えられていたからです。


↓こちらの図を見てください。


西陣に住んでます-陰陽道の時間


陰陽道の時間のコンセプトは、基本的にこの図で表すことができます。


「年」を地球の公転に合わせて12の「月」に分け
「月」を月の公転に合わせて29または30の「日」に分け、
「日」を地球の自転に合わせて12の「時」に分けます。


このうち、地球の公転自転に関係する12の「月」と12の「時」については、
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支があてられています。

この十二支はいわゆる干支(えと)として
12年周期で一周することもよく知られてますね。例えば今年は寅年です。


また、月については、子(ね)の月を11月とすることによって
春が始まる月である寅(とら)の月を正月と定義しています。


このことによって
日の動きから作ったカレンダー(太陽暦)の立春
月の動きから作ったカレンダー(太陰暦)の元旦
大体同じころに設定したわけです。
ただし、立春と旧暦の元旦とは厳密には一致しません。
それは太陽暦と太陰暦が基本的に異なるものであるからです。

(日本の旧暦は厳密には太陰太陽暦というものです。)


さて、陰陽道では、気がからに変わる丑(うし)寅(とら)の間が
最も不安定で邪気邪鬼)が入りやすいと考えられています。

これがいわゆる鬼門です。

季節でいえば、冬の12月(陰)と春の1月(陽)の間、
つまり立春の前日の節分ということになります。

なお、牛の角をもっていて虎のパンツをはいている鬼がやってくるのは
丑と寅に関連したものという説があります。


このように立春の前日の節分は最も危ない季節であるために最も注目され、
次第に「立春の前日の節分」=「節分」という図式で

同一視されるようになったものと思われます。


ちなみに、今年の節分は丑年と寅年の間の節分でもあり、
12年に1度のカンペキな鬼門といえます(汗)。


なお、夏の6月(陽)と秋の7月(陰)の間の節分も
気が陽から陰に変わるので不安定と言われますが、

これがいわゆる裏鬼門です。


一方、こちらの図を見てください。


西陣に住んでます-陰陽道の空間


陰陽道の方位のコンセプトは、基本的にこの図で表すことができます。


陰陽道では、方位を8方位、12方位、24方位などに分割して示しますが、

時間の場合と同じように、北(陰)と東(陽)の間を不安定と考えます。
つまり、北東の方位が鬼門となります。

そして、北東を指す丑と寅の間の方位は8方位と24方位では
艮(うしとら)と呼ばれます。

また、同様に南西の方位が裏鬼門となります。


この鬼門の概念については、
これまでに[平安京の王城鎮護システム] の記事で、
かなりしつこく(笑)書いてきました。


陰陽道をベースにして

平安京の王城鎮護システムを構築していった平安京の朝廷は、
「節分は一年のうち最も平安京が危険にさらされる日」
という認識が絶対にあったと思われます!




右矢印大儺之儀


平安神宮は、平安京大内裏の入口にあった朝堂院を再現したものです。

この平安神宮では、毎年節分祭の後に大儺之儀(だいなのぎ)と呼ばれる
神事が行われます。


平安神宮の[Website] によれば、

大儺之儀について次のように書かれています。


平安神宮節分行事「大儺之儀(だいなのぎ)」は、古くは「追儺(ついな)」あるいは「鬼やらい」といわれ、遠く平安朝のころより朝廷の祓の行事として、旧暦正月の前日、つまり現在の立春の前日、節分の日に行われていたものです。この行事は、昭和49年、故猪熊兼繁(いのくまかねしげ)京都大学名誉教授の時代考証によって復元されたもので、平安朝当時の「追儺式」が式次第、作法、祭具、衣裳にいたるまで綿密に再現されており、平安京の正庁朝堂院を模した平安神宮の社殿にて行われることには、たいへん大きな意義があります。
斎場は、四隅に忌竹(いみだけ)を立てて注連縄(しめなわ)を張り巡らし、陰陽五行の思想にちなんで、北東に青、南東に赤、南西に白、北西に黒(紫)の四垂が掛けられます。これは四方を守る神獣「四神(ししん)」蒼龍(そうりゅう)、朱雀(すざく)、白虎(びゃっこ)、玄武(げんぶ)に因むものです。


つまり、平安時代の朝廷は、もちろん平安京の最もオフィシャルな場所であった
大内裏の朝堂院で、節分の日にこのような儀式を行っていたのだと思います。
ただし、「旧暦正月の前日」が必ずしも「立春の前日」ではないことは
先に説明した通りです(笑)。


もう少し、引用させていただきます。


大儺之儀 次第
時刻、東の方から上卿(しょうけい)・殿上人(でじょうびと)がそれぞれ童(わらわ)をしたがえて入場し、五位・七位の儺人(なびと)が続きます。西の方からは、陰陽師(おんみょうじ)が6人の斎郎(さいろう)をひきいて入場します。まず、斎郎(所役)が食薦(けこも)を敷き、案に神饌を供えます。中央の案には五色の絹・飯(いい 餅米を蒸して高盛にしたもの)、右の案には鰹節・昆布・若布・酒、左には延鮑(のしあわび)・酒・塩が供えられます。次に、斎郎が版(ばん 斎場の正確な位置を示す印)を舗設します。次に、儀式をつかさどる陰陽師が独特の歩き方で版の前に進み、祭文(さいもん)を奏上します。祭文のなかばに、黄金4つ目の面をつけた大舎人(おおとねり 大男)、方相氏がシンシ(子どもの所役)8人をひきいて入場して参ります。祭文が終わると方相氏が中央に進み、3度手に持つ矛で盾を打ち「鬼やらう」と大声で発声します。次に、上卿が中央に進み、北東と北西に向かい桃の弓で葦の矢を射ます。次に、殿上人が同様に桃の杖で、北東・南東・南西・北西と四方を撃ちます。次に、方相氏が先程と同様に矛と盾を打ち鳴らし「鬼やらう」と発声しながら、斎場の周囲を3度廻ります。後にはシンシと儺人(なびと)が「鬼やらう」と発声しながら続きます。次に、応天門南側まで移動し、方相氏、上卿、殿上人が門外に向かって同様に大儺の儀式を行います。方相氏は常人の倍もある眼力で睨むことと大声を発声すること。上卿は祓いの力があるとされる桃の木製の弓で浄化作用のある葦の矢を射ること。殿上人は同様に桃の杖で四方を撃つこと。このように災いをしりぞける儀式を幾度も行い、周囲の邪気や罪穢れを祓いやります。


このプログラムを見ると、いくつかのことを推察できます。


まず、「北東・南東・南西・北西と四方を撃ちます。」とあるのは、
まさに節分の4つの方位に向かってを矢を射っていることになります。


「鬼やらう」というのは「鬼を追い払う」という意味のようです。
「鬼のヤロ~」という意味ではないようです(笑)。


「祓いの力があるとされる桃の木製の弓で浄化作用のある葦の矢を射ること」
ということからは、朝廷は、あくまで鬼を撃破するのではなく、
鬼を鬼でなくすことをターゲットにしたためではと私は思います。

これは「怨霊」「御霊」にかえる」という

いわゆる御霊信仰に基づくものと思います。

朝廷が恐れている鬼は、基本的に非業の死を遂げた怨霊ですから、
ロジカルに考えると、もう死ぬことはありません。
なので「祟る霊(怨霊)」を「普通の霊(御霊)」にかえることが
最もエッセンシャルな方策であったものと思われます。



右矢印初詣


私は、朝廷は大儺之儀に引き続いて、
大内裏の外にある特定の神社に初詣にいったのではと思っています。


下の地図は、節分祭やその関連行事が有名な京都の神社のうち、
平安時代から存在したものを私がピックアップしたものです。
大将軍神社系の神社もワケあってオレンジ色で示しています)


西陣に住んでます-京都の神社の節分祭

(クリック拡大)


京都には平安時代から多くの神社が存在していました。
来週の記事では、この地図をベースとして、


 平安時代の朝廷がどの神社に初詣したのか?
 吉田神社と壬生寺の節分祭がなぜ大規模なのか?


などのトピックスについてロジカルに考察してみたいと思います。


もちろん、「恵方」というコンセプトがキーになります。


西陣に住んでます-恵方


ちなみに、↑上の図でピンクで示した方位が恵方です。


恵方とは、歳徳神(としとくじん)と呼ばれる方位神がいる方位で

次に示すような法則で、年によって違う方位に変わります。


 西暦の1の位が4または9の年→の方位

 西暦の1の位が1または3または6または8の年→の方位

 西暦の1の位が0または5の年→の方位

 西暦の1の位が2または7の年→の方位


古くはこの方位にある神社に初詣をする習慣があったようです。

これを恵方参りと言います。

ちなみに、今年は2010年なのでの方位です。


また江戸時代くらいに大阪では、

この方位を向いて太巻きをかじる習慣があったようです。

この習慣は最近再ブレイクしてますね(笑)


いずれにしても、来週はしっかりと考察したいと思います。


関連記事→[恵方] [歳徳神] [恵方巻]