富士山信仰のルーツを解き明かす(1) 木花開耶姫 | 西陣に住んでます

富士山信仰のルーツを解き明かす(1) 木花開耶姫

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今年、富士山「富士山-信仰の対象と芸術の源泉(Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration)」ということでユネスコ世界遺産に認定されました。富士山の世界遺産認定に伴って、富士山の文化的価値がよりクローズアップされるものと楽しみにしていましたが、その後マスメディアが話題にしたことと言えば、(1)富士山登山道の大渋滞、(2)軽装備の登山者のモラル、(3)富士山周辺のゴミ問題などの安易な批判報道に終始していて、まったく本末転倒な状況にあるといえます。


そんな状況の中、この記事と次とその次の記事の3回にわたって、富士山信仰成立プロセスについて私なりに考えてみたいと思います。


まずこの記事では、世界文化遺産登録されながらもほとんど紹介されることもない信仰の対象について簡単に紹介し、その内容を踏まえた上で次と次の次の記事でその信仰が成立するプロセスを考察してみたいと思います。


さて、富士山信仰の基本的な対象は何かと言えば、日本神話に登場する女神のコノハナサクヤビメ(古事記:木花之佐久夜毘売=日本書紀:木花開耶姫)です。富士山信仰の中心である富士山本宮浅間神社の社伝によれば、垂仁天皇の時代に山の麓でコノハナサクヤビメが祀られたとされています。古事記には、次のような話が紹介されています(日本書紀もほぼ同様の内容です)。


古事記 天孫降臨

天孫降臨によって天界から地上に降りたったニニギ(瓊瓊杵尊)は笠沙の岬でコノハナサクヤビメという美しい少女を見つけます。そこでニニギが求婚すると、コノハナサクヤビメは「父のオオヤマツミ(大山祇神)に聞いて下さい」と答えました。ニニギの申し入れを聞いたオオヤマツミは喜んで、コノハナサクヤビメに姉のイワナガヒメ(磐長姫)を添えてニニギに嫁がせました。ところがニニギは、イワナガヒメの容姿が醜くかったためイワナガヒメオをオヤマツミのもとに返してしまいます。オオヤマツミは「イワナガヒメをお使いになれば天孫の命は岩のように永遠になり、コノハナサクヤビメをお使いになれば天孫は木の花のように繁栄すると祈誓して二人を送りましたが、イワナガヒメを返したことで天孫の寿命は木の花のようにはかなくなるでしょう」と言いました。この時以来、天皇の寿命は長久でなくなりました。一方、コノハナサクヤビメはニニギとの一夜の契りで子を身ごもります。ニニギは、コノハナサクヤビメが身ごもった子が自分の子であるか疑念を持ちます。すると、コノハナサクヤビメは怒って「もし私がはらんだ子が他の神の子ならば無事に生まれず、天孫の子だったら無事に生まれるでしょう」と言うと、室の中に入り火を放ちました。そのような中でホデリ(火照命:海幸彦)・ホスセリ(火須勢理命)・ホヲリ(火遠理命:山幸彦)を次々と産み、ニニギの疑念を払いました。


ニニギは、アマテラスオオミカミ(天照大神)の孫で天皇の祖先です。つまりコノハナサクヤビメは、実質的に日本最初のファーストレイディーということになります。コノハナサクヤビメの父のオオヤマツミはイザナギとイザナミが産んだ山の神です。コノハナサクヤビメには本名があって、カムアタツヒメまたはカムアタカシツヒメ(古事記:神阿多都比売=日本書紀:神吾田鹿葦津姫)と言います。この名前は、隼人の本拠地とされる阿多地方(現在の鹿児島県南さつま市)の神であることを示唆しています。笠沙の岬の場所には諸説ありますが、南薩摩の野間半島であるという説が有力です。隼人は、古くから奈良時代初期まで朝廷に反抗していた異民族で、インドネシア東部から来た種族とも考えられています。イワナガヒメのエピソードは、インドネシア東部にあるバナナ型神話と話の本質部分が非常によく一致します。


バナナ型神話(The stone and the banana myth)
創造主が人間の祖先となる男女に対して天界からロープに結んで石を与えたところ、男女は役に立たないと不平を言いました。そこで創造主はバナナを与えたところ、男女は走り寄ってバナナを取りました。そして、創造主は男女に対して言いました。おまえたちはバナナを選んだので、おまえたちの命は限りあるものとなりました。バナナが子種ができると枯れるように、おまえたちも子供を産んで死んでいく。もし石を選んでいれば、おまえたちの命も石のように不変であったろうに。男女は致命的な間違いを犯しましたが、すでに時遅く、世界に死という概念が生まれました。


まさに人間の祖先となるニニギは、不細工な石であるイワナガヒメを避け、美しい花であるコノハナサクヤビメを選びました。なお、日本書紀は古事記の記述と異なっていて、イワナガヒメがニニギを呪って「コノハナサクヤビメが産む子の命は木の花のようにいずれ散ることになるでしょう」と言ったということになっています。いずれにしても人間の命に限りがあるのはこのためとされています。


なお、隼人がインドネシア系種族である場合、コノハナサクヤビメも基本的にインドネシア系種族である可能性が高いことになります。一般論で考えれば、日本のような単一民族社会では、エキゾティックな異民族は神秘性が高く、コノハナサクヤビメが一般の日本の神々とは異なる特殊な信仰の対象となっていた可能性も考えられます。ちなみに、インドネシアと言えば、日本と同じようなプレート境界に特徴的な島弧-海溝系の地質構造を呈していて火山活動も世界で最も活発な国の一つと言えます。そして素直に考えれば、薩摩に到着するまでには、フィリピンなどの火山活動が活発な島弧-海溝系を移動してきたと考えられ、その点でまさに火山と共生するエクスパートと言えるかと思います。


次に、コノハナサクヤビメは一夜の契りで妊娠したことでニニギから疑念を持たれますが、その疑念を誓約(うけい)によって取り払いました。誓約というのは一種の占いで、アマテラスとスサノオの誓約が有名です。上記のイワナガヒメのエピソードにおけるオオヤマツミの祈誓も誓約の一種であると思われます。論理的に考えてみて、誓約が何を意味しているかと言うと、日本の天孫は万物を支配する神ではないということです。真実の根拠を占いに求めているということは、万物を支配する神はもっと高いレベルにいることを示唆していて、この点が日本神話の正直なところといえます(笑)


この誓約で、コノハナサクヤビメは火中において見事に三柱の神を出産して、自らの身の潔白を証明します。このエピソードによってコノハナサクヤビメは火に打ち勝って出産をした神として評価されることになり、信仰の対象となっていきました。注意して考えてみれば、火に打ち勝って出産するということは、かつてイザナミができなかったこと(もちろん火の神を産んだイザナミの方がハードルは高いと言えますが・・・)でもあります。


ここで、上記のエピソードを基にコノハナサクヤビメの神威についてまとめると、次の通りです。


(1) 日本最初のファーストレイディーである。
(2) 山の神を父とする。
(3) 木の花は美しい繁栄のシンボルである。
(4) 火山と共生する種族の出身である。
(5) 火に打ち勝った。
(6) 見事に出産した。
(7) 三つ子出産と言うことで子宝に恵まれた。


以上の(2)(4)(5)の点を考えると、しばしば噴火による大災害があったとされている日本一の火山である富士山を鎮める神として、コノハナサクヤビメが祀られたということは極めて合理的であると考えられます。なお、天皇家の繁栄の礎を築いたコノハナサクヤビメは、(1)(3)(6)(7)の点を考えると、出産や家族繁栄という点でも強い神威を持っていて、事実出産の神としても祀られています。


さて、次回記事では、具体的に富士山信仰成立のプロセスについて具体的に考えてみたいと思いますが、そのキーとなるのが、日本の日の出日の入の方位を規定する寅-申の方位です。


ニニギとコノハナサクヤビメに関わる南九州の史跡を見てみると、ニニギの天孫降臨の場所を霧島の高千穂峰とすると、コノハナサクヤビメの出身地である阿多、ニニギの宮があった霧島神宮、コノハナサクヤビメの墓とされる女狭穂塚とコノハナサクヤビメを祀る都萬神社はほぼ寅-申方位に史跡の位置が並んでいることがわかります。


西陣に住んでます-コノハナサクヤビメ


この続きは次の記事で紹介しま~す。