「理解し難い」人々
朝日新聞書評欄に『犯罪不安社会 』がついに(って言い方も変なのですが)掲載されました。
http://book.asahi.com/hondana/TKY200709250301.html
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先日、09年の裁判員制度実施を前に、裁判員を務める市民が理解しやすいように、精神鑑定書の簡略化をはかるという報道があった。しかし、その対象となる被告を理解することには、実はたいへんな困難が横たわっている。従来のタブーを破って出版された本が、その困難の認識と克服を訴えている。
裁判員は重大な刑事事件の裁判にかかわる。しかし、警察・検察から裁判という手続きを経て、裁かれた人々が送り込まれる場所=刑務所の現状を知ると、人を裁くこと自体を見つめ直さざるを得ない。
山本譲司著『累犯障害者』は、昨年9月の出版以来、版を重ねる。浜井浩一・芹沢一也著『犯罪不安社会』と共に、厳罰化の中で、社会に居場所のない人々が刑務所に送り込まれていることをリポート。「理解し難い」人々の存在を当たり前のこととして、社会全体でその居場所を用意することこそが、真の安全につながると訴えている。
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『犯罪不安社会』の紹介部分はこのように書かれています。
「安全神話が崩壊したという、現実とは反する言説の独り歩きを検証。厳罰化と監視強化で、刑務所に社会的弱者がますます送り込まれる状況を認識した、真っ当な議論を訴える」
「独り歩き」って、なんか幽霊みたいに「治安悪化」という「言葉」が知らんうちに宙をまってたような書き方な気がするんですが・・・。「犯罪不安社会」に掲載されてる記事件数の推移って「朝日新聞」のデータベースの推移なんですが、って?と聞いたみたかったりします。
さて、ぶーぶー言っててもしょうがいないので。
>従来のタブーを破って
と「朝日」の眼でみると、余計そう思うんでしょうね。
『累犯障害者
』と並べて、紹介いただいたことについては礼を言います。ありがとっ!(→どこか素直になれない私)
>「理解し難い」人々の存在を当たり前のこととして、
了解です。朝日様がそうおっしゃるなら・・・。
以下、
ある認知症(アルツハイマー 58歳 女性)の方との会話ままです。
--まず、家族構成から教えてもらえますか?
どう言えばいいのかな。普通ですよ。はじめはね。だいたいそのあとに大事なものているのは何かなと思ったんだけど、だから、あんまり子どものほうが少し。
--若い頃から、長年看護婦として働かれていらっしゃったとお聞きします。
いや、定年、こうやって、こうやって寝て、同じ。子どもが来たら、もう、自分の、になってもいいでしょう。だから、そういう人に、いてほしいのね。何を、したら一番いいかなってことを知りたかったんです、私は。
--知りたかったから看護婦さんになられたのですか。
うちの家系はね、何だっけ。何と言えばいいですか。
--人の面倒を見たりすることが好きだったのですか?
それも同じようなことですね。だから私はやっぱり、自分でね、できるものなら、じゃあ、これでもいいなって思う、感じがあって、そういうことで。それから、いろんな人たちがいるでしょう、普通の人はどういうふうにして、調べられるんですか。
--例えば、やかんに火をかけたり、火を扱うことは怖くないですか
ああいうのはちょっと怖いときがありますね。怖いっていうか、大きく、見れば、こうなって出てくるでしょう。その下のほうからこう来るものがちょっと、いやだなって。
--水は平気ですか
水はだいぶ平気で、昔は、そういうふうに言われてなかった、私が、言いますけど、やっぱり、親、兄弟はね、あの人たちはみんな笑って。
--忘れたくない、ずっと大事に憶えておきたいと思っていることはありますか
あんまり違うんだけど、その人は、書いてあったから、こういうようなところで、そういうふうに言いました、私。
こんな会話が福祉の現場や介護の現場は頻繁にされてます。実際は文字だけのコミュニケーションではないので、なんとなく通じ合ってたりする部分もあって逆に驚いたのですが、障害者だらけの刑務所の現場なら、こんな会話がされているんでしょうね。もしくは、取り調べ室でもされているかもしれません。警察の「調書」も「作文」でなければ、こういうかんじのものになるんでしょうか。
“コミュニケーション能力で解決”とか“自己承認が必要だ”とか“知的尊厳を認めよ”とか“品格論”みたいな話が、いか~にどうでもいい話か(っていうかそんなん当たり前じゃん)って思いません?
会話は『若年認知症―本人・家族が紡ぐ7つの物語 』より抜粋しました。こういった素の会話を見てはじめて、認知症の教科書的な判断基準のひとつ--例えば『「あれ」とか「これ」とか指示語が多くなる』のイメージがよくわかりました。判断基準だけみると、「ど忘れ」とどう違うんだろうと思いましたから。「想像力がない」ってよく言う人いいますが(私も言ったりしますが)、やっぱり情報や知識がないと想像するにも限りがあります。
親にパラサイトせざる得なかったフリーターの親がこうなったとき、「もう頼むから目を覚まさないで欲しい」とまで追い詰められるような状況って、医学的な「判断基準」の言葉だけでは想像することはできないと思います。