(゚・゚* ホレボレ な会話 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

(゚・゚* ホレボレ な会話

こんな記事がありました。嘘だったのね。このガキども(メッ!)

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「ごみ集積所に監禁された」小3男児2人の話はウソ


堺市北区の団地で11日、「ごみ集積所に監禁された」と証言した小学3年男児2人が、大阪府警堺東署などに対し「(集積所の)中に入って扉を勢いよく閉めたら、誤ってかんぬきがかかってしまい、ウソをついた」と話していることがわかった。同署は事件性はないと判断、2人を厳重に注意する。

男児たちは、母親に発見された当初、「男に押し込められた」と説明したが、現場の状況と食い違いがあり、同署が改めて聴いたところ、「本当のことを言うと親に怒られると思った」と虚偽だったことを認めたという。2006年6月17日(土)  読売新聞

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 この事件、わりと大きく扱ってましたよね。

 子供を「かよわきもの」と「過剰に保護」な世論は何が何でも不審者を犯人にしたいかんじの扱いでしたわね。


 ちょっと話がずれますが、芹沢さんが出てた「わしズム」に子供の替え歌を取り上げていました。その替え歌は「まんが日本昔はなし」のエンディングテーマ。「人間っていいな」をアレンジしたものです。

 

 それはこういう歌です。


「いいな、いいな、人間っていいな 冷たいお風呂に腐ったご飯、骨を折ろうよ、病院で豪華の食事が待っている♪」


 わしズムの中では

 『わたしは「リアルな貧乏」を笑い飛ばすことができなくなった「上流の子」たちが、ギャグというオブラートに包み「あらたな差別」をはじめているような気がしてならないのだ。』

ってことで、子供の質の変化的な話にしています。


 いやあのね、子供の替え歌はずーっと昔からひどい(つまりブラックに笑える)もんです。貧乏、下ネタ、オンパレードです。


 ちなみに私が教育実習先でその昔流行っていた替え歌はこれ。今でも覚えてます。いやーある種天才かと思いましたが?(笑)


●ポリンキーのCMの替え歌

「ポリンキー ポリンキー 三角形の秘密はね!

ポリンキー ポリンキー 美味しさ の秘密はね!

教えてあげないよ! ジャン♪」

  ↓こうなります

「初任給 初任給 初任給は16万! 

初任給 初任給 初任給は16万!

暮らしていけないよ!ジャン♪」


●サザエさんの替え歌

「お魚くわえたドラ猫 追っかけて

はだしでかけてく、陽気なサザエさん

みんなが笑ってる お日様が笑ってる

ルルルルル 今日もいい天気」

 ↓こうなります

「戦争しようとイラクへ出かけたが

戦車を忘れて 三輪車で突撃

むこうはライフル銃 こちらは水鉄砲

ルルルルル あしたはお葬式」


 大阪の子供らは、なにかで鍛えられてるのかと思いました。


 で、今の親父たちが子供のころに歌っていたとされる替え歌です。

 あのう、この私が書くのはばかるようなもの多いんで、まだマシなのを書きます。


●「日の丸の旗」の替え歌

 「白地に赤く日の丸染めて

 ああ美しい

 女のパンツの展覧会」


 ・・・・。日の丸を洗ってピンクに染めた私なんてかわいいものかも・・・。


●「証城寺の狸囃子」の替え歌

「処、処、処女でない

 処女でない証拠には

 ツ、ツ、月のものが

 三月も出ない

 おまけにおなかが

 ぽんぽこぽんのぽん」


 ・・・・。フェミニストの皆様がんばっていただいてありがとうございました。


 エロ系は卑猥語ありですし、貧乏系は差別語ガンガンなんでブログでは書けません・・・。今の若い人が聞いたら眉をひそめそうです。自主規制させていただきます。本読んでください。


 ちょっと話を品よく戻します。

 このようなエントリーを書いていただいているブログ を発見しました。中央公論の芹沢さんと重松さんの記事を読まれてお書きになったそうです。許可いただいたので一部転載させていただきます。

 

 ちなみに私が「おじさん見分け方」 だの書いたりしているので、すっかり親父嫌いだと思われてるかもしれないけど、別に親父だから嫌いなわけじゃないくて、当然ですが、あまりの非論理的な人が嫌いなのです。

ステキな方は年齢にかかわらずステキなのよねー。まず文章がきっちりされていらっしゃいますもん。


「か弱い子供を狙った凶悪犯罪が後を絶たない。近頃の犯罪者は車を使うから神出鬼没の上に逃げ足も速い。そのせいでいつどこに現れるか知れないという不安と恐怖を掻き立てる。しかもマスコミが待ってましたとばかりに恐怖を煽る。茶の間のテレビに大きく事件が写し出されると、遠いところの事件も身近に感じてしまう。たとえどんな辺鄙な場所で発生した事件でも、マスコミの取り上げ方が大きければ、全国の児童関係者が臨戦態勢に入る。この異常な情報化社会“もしも”と想像するなという方が無理だ。事件の度に神経は過敏になる。事件の記憶が積み上げられるほどに恐怖心も警戒心も積み上げられていく。かくして、今や児童を取り巻く雰囲気は険悪そのもの。見知らぬ子供に、うかつに声などかけられる状況ではない。よそ者が児童に近づけば、そく不審者と見なされる世の中だ。大人の感化を受けて、子供たちもよそ者を見る目つきは警戒心むき出しで、可愛い気というものがない。これでは大人もしらける。よその子のことなんか知るもんか、という気分にもなろうというもんだ。


 本来子供というものは知らない人に殊の外関心が強いものだ。先ず他人に関心を持つことが社会にかかわっていく最初のステップや。他人に無関心で社交性が身につくはずがなかろう。いろんな種類の人とかかわることで成長していくのが子供というもの。危険だからといって子供に過剰な警戒心を植え付ける今の風潮は感心できん。バランスよく成長していくためには、子供のときから赤の他人との接触になれていく必要はあるだろう。


 年取った大工さんの述懐によると、昔は街角などで仕事をしていると、大工仕事を見物する子供が絶えなかったそうだ。学校帰りの小学生が1時間も2時間も見惚れて動かない。見物の子供を追い払うのが一苦労だったという。だから一現場終わる頃には周りの子供たちみんな顔見知りになっていたらしい。「今はもう誰も見てくれんわ」と老大工は淋しがる。そういえば我輩も子供の頃は大工や左官といった職人衆の邪魔をするのが大好きだった。昔の職人衆は大抵気さくで子供好き、危ないことでもせん限り少々のいたずらは大目に見てくれたものだ。たまには道具を触らせてくれたりもした。昔の子供たちには、遊びやいたずらを通じて大人との接触の場がありコミュニケーションもあった。今ではランドセル背負うて道草に夢中の子を見かけることもない。


 事件の度にエスカレートする子供の安全に対する危機感は、少々どころか多分に度が過ぎたレベルに来ている。こんな、知らない人をすべて不審者に仕立て上げるような社会にしては、相互不信は募るばかりやろ。第一子供の正常な感受性が育っていかんのやないか。防犯の腕章をつけてな子供に声もかけられん。いつの間にこんなへんてこな社会になってしまったのやろ。そこで犯罪白書なるものを覗いてみると、これが以外にも、近年治安が特に悪化して来ているという記述は見当たらない。刑法犯に至っては平成に入って以来、かなり急な角度で下降トレンドだ。毎朝新聞を開けば殺した殺されたの記事。年々治安が悪化しているように誰の目にも映る。ところが、統計という冷静な物指しを当てて見ると、現実は逆方向を向いているのだ。事件をセンセーショナルに報道するマスコミも、この刑法犯下降トレンドについては何も言わん。これでは正しい現実の把握は出来っこなしや。


 警察も防犯効果、即ち刑法犯の減少についてキャンペーンを張ろうとはしない。この方面に詳しい芹沢一也氏によると、利権が発生しているからだそうだ。どういうことかと言えば、犯罪による社会不安が高いほどセキュリティビジネスは繁栄するということなのだ。セキュリティビジネスが繁盛すればマスメディアも広告収入が増加する。警察のOBは警備会社などへの天下り先が確保し易い。その外監視カメラから錠前屋と潤う裾野は至って広い。今や住民の治安不安を種にした巨大マーケットが形成されている。乱世をビジネスチャンスと捉える連中は半端な数ではなかろう。したがって、治安の好転が社会的ニーズに必ずしも合致しないという奇妙なことになっている。このねじれ現象に気付いている人は少なくなかろうが、金にならないから誰も動かない。こうして異常現象はエスカレートするばかりだ。



この記事へのコメントです


「いつもながらの慧眼、時代風潮に流されない確かな着眼点に敬服。小生、保育園の園長をリタイアして、現在、理事長としての職責を担っているが、本日の決算理事会で、役所から週二、三回、ファックスされてくる”不審者情報”が話題となった。役所としては、取り敢えず、寄せられる情報を流してくるのだが、役所の責任逃れという感じがなきにしもあらず。何か事が起これば、「情報は流しておいた」といわば責任回避あるいはアリバイつくり(この表現はチトオカシイか?)のために、流してくるような気がしないでもない。

先日も、”不審な老人”に声かけられたという小学生の”証言”により、クルマのナンバーを照会したところ、その人は、全国をスケッチ行脚している画家だということが判明して”疑惑”が晴れたという笑うに笑えないエピソードがあったが、見知らぬ人から声をかけられると、学校で教わったとおりに交番に通告する「模範的な小学生」の存在、お説のように「他人への好奇心が社会への窓口」とすれば、幼いときから警戒心を植え付ける教育からは、「他人への無関心」というさむざむした心象風景しか浮かんでこない。

 主任保育士の義兄が犬の散歩中、悪質ないたずらをしている小学生のふたりづれに注意したところ、「おい、知ってる人か?」 「知らん」 「逃げよう」と言って走り去ったとのこと。これじゃ、いたずらをしているガキに注意するのも、不審者扱いされるのがオチだということになる。」


 いくら子供といえども「絵を書いてる老人」を「不審者で通報」って・・・・。わかっとるだろーおまいらー。ふざけてるだろー。こういう「模範的な小学生」ってやだなー。メッです。


 だから、子供を過剰に無条件に「かよわいもの」ってするのも違ってると思います。こんな「子供を守るぅー」って一致団結してたら、「不審者メールで通報しちゃうでーこの禿げ親父ぃー♪」とか言うアホウなガキがぜったいいると思うけどね。・・・しらけますよね。無実の大人がかわいそうです・・・。



参考資料 「子供の替え歌傑作集」 平凡社 鳥越信

字を大きくしてほしいとのコメントをいただいたので大きくしてみました。こんなもんでいかがでしょうか?