2006-05-02 22:46:26

おじさんの見分け方

テーマ:ブログ

 会社で仕事をしているときに、頭がおじさんになってる人を見分けるよい質問があった。

 「◎◎さん、日産のセレナのCM好き?」

 おじさん化してる人はこういう。

 「あれ、いいよなー。・・・・『モノより思い出』。ほんと子どもに夢を与えてあげる時間なんて数年間で少ないんだよなー。泣けるよなー。子ども遊びに連れていこうって思うよー。日本もまだまだいいところあるんだなあって。」

 「ははは、◎◎さんいい人ですねー(半分本心だが、心の声。仕事上は要注意、もしくはちょろい)。」

 「姑息だよね、ただ受けるのはわかるよ。」という人のほうが仕事上は気が合った(黒いなーかわいくないなー私も)。

 セレナのCMのキャッチコピーをちょっと年代順に遡ってみる。

 

1994 しあわせまだかい

1997 マルチボックス セレナ 新発売。

1997 これがスポーツボックスだ

1998 ぼくらはセレナを待っていた


 このあたりまでは、まだあんまり何も考えてない。安っぽい中古自動車屋さんのチラシにでも書かれてそうなださい文句だ。CMにも大して金をかけてない。

 

 ガラッと変わるのが99年である。撮影にホンマタカシ(写真家)さん 演出を是枝裕和(映画監督)さんが起用される。ちなみに偶然でしょうが少年犯罪「報道」ブームの大渦中である。キャッチコピーも変わる。そう、合言葉は「子ども」なのです。子どものために思い出残してやらにゃーいかんみたいですよ、親は。セレナの競争相手は『子どもと一緒にどこ行こう!』のホンダ『ステップワゴン』です。

1999年

『私たちは子供に何が残せるだろう。モノより思い出 始めよう、新セレナで。』

 子どもへの介入スタート。

2000年

『モノより思い出 新セレナで走り出そう。』

 ふむ。思い出のほうがが大事になる。「子ども」の言葉いったんなくなる。たしかACC賞この年にもらったはず。社内でもかなりおじさんを中心に受けてました。「そうだよ、エクスペリエンスなんだ!ライフスタイルなんだ!」とかいってましたね(日本語使おう。)。偶然でしょうが少年法改正の年です。

2002年

『子供たちは、何を感じて帰るだろう? モノより思い出。 新しいセレナ、始まる』 

 あら。子どもたちがわからなくなったらしい。

2003年 

『モノより思い出。』
そして子どもが消える。思い出マル!日本語変。まあそれはいいが、キッパリ言い切ります。いいのかー思い出でー。きっとこのあたりで日本人は「思い出」にすがってる生き物になっているような。「昔のほうがよかったー」。

 偶然でしょうが、東京の「生活安全条例」ができたのはこの年(前田さんと小宮さんが立役者です)。有識者会議の議事録などでは「地域共同体復活」を高らかに唱えていらっしゃいます。この年から生活安全条例と防犯ボランティアの組織化がいっきに全国にひろがってます。偶然でしょうか?

 ちなみに、セレナのこのときのCMのロケ地がすべて沖縄です。世の中はリストラの猛威が吹き荒れていたときです。癒されるなあってかんじなんでしょうね。おじさん魂はここでぐぐっと心をつかまれたわけです。『村』好き、『島』好きになる日本人である。


 ●尻もちボッチャン篇 沖縄県 東村(ひがしそん)の大根畑

 沖縄県 恩納村安富祖(おんなそん・あふそ)の田んぼ

 沖縄県 名護市(なごし)の源河川(げかがわ)

 沖縄県 読谷村(よみたんそん)ビーチ

 ●泥んこビショビショ篇 沖縄県 恩納村(おんなそん) 安富祖(あふそ)県民の森

 沖縄県 東村(ひがしそん)の大根畑

 沖縄県 読谷村(よみたんそん)ビーチ

 ●草そり篇 沖縄県 恩納村(おんなそん) 安富祖(あふそ)県民の森

 ●大根洗い篇 沖縄県 東村(ひがしそん)の大根畑

 ●川のブランコ篇 沖縄県 名護市(なごし)の源河川(げんかがわ)

 

 2005年にコピーはこうなる。

 「あなたなら、だれ、誘う? Big 3列. Fun 8人.」

 リストラも一段落したようだし。遊びにいける人が残ったいうことですかね(しかし、意味わからん系コピーだな)。ちなみにこの年からロケ地も日本ではなく海外(アメリカ)になっております。


 今新聞とか知識人の話とか見てても、なーんだかあまりに多くの人が、「地域共同体復活」とかいってます。例としてものすごくわかりやすい記事です。民俗学っぽいかほりもします。


                             **

【現象へ】子供を狙った犯罪 赤塚行雄氏に聞く 希薄な近隣“守る目”弱体

2006年1月18日(水) 産経新聞


 子供が狙われている。昨年十一月から十二月にかけ、広島市や栃木県の女児が相次いで下校中に殺害され、栃木県の事件では犯人はつかまっていない。昔から子供が被害者となる事件はあった。しかし、なぜこんなに頻発するのか。社会評論家の赤塚行雄氏は、近隣関係が崩壊し、地域で子供の安全を守るかつてのシステムが失われているからだと指摘する。(聞き手・堀晃和)

 --なぜ、このように子供が狙われる時代になっているのでしょうか

 「戦前、私が小学生のころ、赤マント事件というのがありました。本当にあったわけではなく、通学の際、学校の手前の松林の辺りで猛烈に足が早い赤マントの怪人が現れて、追いかけてくるといううわさです。みんな怖がって足が進まない。そんなとき、近くのたばこ屋のおばちゃんが『大丈夫、大丈夫』と言って松林を通り抜ける際に付き添ってくれました。

 そういううわさは日本のいたるところであったのではないでしょうか。それらは、実は子供たちに注意を喚起する現象だったのではないかと思うのです。今の時代はそういううわさを聞きません。つまり、この辺りは危ないというような警戒心が醸成しにくくなっているのではないでしょうか」

 --「人通りのない寂しい道では注意しなさい」という警鐘の役目を、うわさが果たしていた、と

 「自然発生的な警報のようなものだったと思うのです。そして、子供たちの不安を近所の人がとりのぞいてくれたのです。昔はどこでも、地域で子供たちの安全を守っていたのです」

 --昔より地域の安全システムは弱まっているのですね

 「近隣関係の崩壊が原因です。今では道ですれ違ってもあいさつもしない。そういう地域が地方でも増えています。しかし、昔は地域に世話好きのおばさんやご隠居さんがいて、声をかけたり面倒をみてくれた。人口の過密化が人心の過疎化を生んでいるのです。人が増えれば、知らぬ顔をしていても許されますよね。子供を守る地域の目が弱体化してきているのです。

 近隣関係の希薄化に加え、テレビやインターネットなど情報化が進む中で、先のようなうわさが以前ほど生まれにくくなり、力をもたなくなってきたのではないでしょうか。また、幼女を対象とした映像や本がかつてないほど氾濫(はんらん)しています。一般論ですが、それらを見たり読んだりして刺激された一部の人が、虚構の中で(小児性愛などの行為が)許されていることを見て、虚構と現実との境界線がぼやけてしまっているのでしょう」

 --子供を狙う犯罪者の実数も増えているということですか

 「地域社会の安全システムの弱体化が、妄想を実現したいと願う者を増やしているのでは。近隣関係の強固な以前なら、歯止めが利き、実際に行動に移すことはなかったと思うのです」

 〈平成十八年度予算の財務省原案では、下校途中の児童を狙った凶悪事件が相次いだことを受け、「子供の安全」対策として、文部科学省と警察庁を合わせて約三十億円が計上された。通学路の巡回などを行う「スクールガード」を指導する警察官OBの増員、携帯電話を使った不審者情報システムの調査研究なども進めるという〉

 --国は子供の安全を守るために大幅に予算を増やそうとしています

 「安全対策は必要ですが、社会全体の成り立ちを変えないと、新しいビジネスを作るだけで終わってしまう。子供の安全を守るために警備会社がもうかるような時代はやはり不自然です。地域の結束が強くなるように、社会の再構成をやりなおさなければいけない時期にきているのではないでしょうか」

                            **

 統計的な上の質問は全部思い込みなんですが、「地方共同体の崩壊」の虜である。

 だいたい昔の濃いコミュニティのほうが犯罪めちゃめちゃ多いでしょうが。


 シャッター商店街にやけに感情移入している人もいる。店閉めてジャスコとかイオンに遊びにいってるんだから滅びるの当然だろう。表参道ヒルズも同潤会アパートの外観を安藤忠雄は「残す」ことにこだわったらしい。あんなものが歴史なのだろうか。ただの汚いアパートだろう。

 よくわからないが、人間って「共同体」があるから楽しく生きていけるわけじゃないと思う。逆にその共同体によって苦しんでいたりしてませんでしたっけ?その共同体がもってるいわれのない差別や排他性に。そしてそれがうざかったんじゃない?

 人間関係の濃そうな共同体に過度の夢を抱いたり、『プロジェクトX』みて「日本はやはり、ものづくりなんじゃー」とかなってたり、ほんとうにとっとと夢から冷めたほうがよいと思う。もう懐かしむのはやめたほうがいい。良い時代だった裏のことを全部忘却しています。

 犯罪分野については、今や警察の合言葉が全国津々浦々「地域共同体復活」だ。だから、もうざっくりした「共同体論」って燃料投下にしかならないって。ゆるいことはいわないほうがいいと思う。壊れるものは壊れてよい。

 私が何が嫌いって、今この日本に蔓延しているミョーチキリンな昔はよかった『ノスタルジー』である。なんか「ノスタルジックナショナリズム」ってかんじがします。今われわれ。


 いつも思うが、人を生かすのは「共同体」ではない。だいたい、「共同体」とかいってる知識人たちが、何かの「共同体」に入りたいと自分で思っていってるんだろうか。私はさらさら思っていないと思う。別にマンションの隣の人の名前がわかんなくて、「寂しい」なんて本気で思ってるんだろうか。私も知らないけど別になんとも思いませんが。

 それに明らかに昔よりは手軽に共同体的なものにアクセスはしやすくなってる、何の不満があるのかよくわからない。

 私は自分のことをひとりでも大事に思ってくれる人がいれば、生きていけると思う。でも、そのたったひとりの人がいてもいなくても、それにどうあがこうが誰かといっしょに集団自殺して死ぬわけではない、ひとりで死ぬのだ。「個」の単位での幸せを考えたほうがいいと思う。


 子どものころから「友達100人できるかな」という歌が嫌いであった。

 だいたいそんなにできないし、そんなにいてもしょうがないし、メンテナンスできません。


 注)このエントリーはエッセイです。多分に私の思い込みである可能性があります(笑)。

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15 ■Lenazoさんへの補足

 ちょっと急いでて説明足りなかったのでLenazoさんのコメント欄では書かせていただきましたが補足します。おっしゃってることはよくわかります。私のところでもコメントを書きましたが、歴史的建造物や町並みについて、私は表参道ヒルズのような「残し方」そのものに危惧を抱きます。つまり消費文化論の文脈のなかで「ノスタルジー」として消費されているからです。
 私は美観地区のある倉敷の出身ですが、あの街が明治の昔のあの町並みを残してきて、戦争中も空襲から免れてきたか。結果的に今観光資源となっていますが、「建物を残す」という発想ではなく、もともとは「人間を大事にする」という発想から生まれた街であるということです。「福祉」で発展した町だということがただの地方都市ではない所以だと思っています。
 意識的が無意識的かは別にして、建物は人間に従属するもののはずです。そこを「美観」の名前のもとに忘れるべきではないかと思います。
 日本では福祉に定着させるべき発想が、金持ちの贅沢という文脈でとらえられます。そういった意味で表参道のあの「残し方」そのものが象徴的で気持ち悪いですという意味です。

14 ■Lenazoさん

 倉敷の美観地区のもともとは、「建物を大事にする」という話でなく、「人間を大事にする」という発想から生まれてます。 
 

13 ■Lenazoさん

はじめまして。Lenazo さま

>建物などの美観や景観を大切にする思想

が、表参道ヒルズのようなあのバランスの悪い広告代理店の消費文化論のなかで使われているのが気持ち悪いということです。

私自身は「美観地区」のある倉敷出身ですが、どうして、あの地区ができたか、残してこれたかわかりますか?建築学科の学生さんなのであればよくご存知かと思います。

日本では福祉施策に定着させるべき、海外の思想が消費の差異論として定着しがちなことを危惧しますね。

12 ■無題

安原さんはじめまして。
後藤事務所から参りましたLenazoと申します。
犯罪関係についてはさまざまな方がコメントされていらっしゃいますので、このエントリで出てきた視点のひとつに対してコメントしたいと存じます。

シャッター商店街に入れ込んでいる人というのは三浦展のことだと決め付けて書きますと、三浦の近著「脱ファスト風土宣言」では、建築学科の学生なら誰しも初歩を知るであろう「田園都市思想」とレッチワースという街の話が出てきます。住民に何らかの義務を課す点、強力な共同体志向を持っている点、私有財産への制限を加えている点では日本の風潮と似ていなくもありませんが、建物などの美観や景観を大切にする思想の有無で大きな違いがありますし、その思想は個人の趣味嗜好や国家意識の高揚を要求するものでは断じてない点は特筆すべきでしょう。そして、それは犯罪予防に入れ込む老人が目指しているもの(戦前か高度成長期への回帰、老人好みでない思想の統制の道具としての共同体復活)とは明らかに対極にあるものと思われます。
都市型保守主義者の三浦が景観論を騒ぎ立てたことで、本当に大切な建築家の主張が色眼鏡で見られることを私は危惧しております。

11 ■ロマンスさま

こんにちは。そうですね。赤塚行雄さんの著書はすごく参考になりまして、私も確かにこの記事見つけて、あらら~とか思ってしまいました。
 犯罪の『理由』って理解できないと不安になるんでしょうね。だから社会が理解できるまで理由が探索され、いろんなものが提示される。受けるものと受けられないものがある。酒鬼薔薇事件のときはまあすごかったですよね。「心」だの「郊外」だの「教育」だの・・。
 新聞のコメントってとくに「まあそういう人もいるんじゃないですかねー。いろいろ理由はあるでしょう」じゃ許されないし、読者が納得しないです。何が何でも言い切ってくれる人が記者としてはありがたいわけです。
 エントリーはちょっと極端に書いてますが、「モノより思い出」がモノ売って、企業の「将来」のためにリストラすすめてる企業がやってたとしても受け入れられたわけです。私が制作側で内容のGOを出す人間だったら、なんかやってることとメッセージの乖離を気にしてしまうでしょうね。というわけで(何がというわけかわかりませんが)、私は、あのCMはある意味リストラされた人への日産の鎮魂歌だろうと思い込もうとしてましたけどね・・・(笑)。

10 ■無題

つうか赤塚行雄氏って「青少年非行・犯罪史資料」という膨大な戦後少年犯罪史を編集した人物なのに・・・
あの資料集読めば昔のほうが途方もない犯罪が多発していたという実態がわかり、このような暴論には至らないと思っていたのですが・・・
http://d.hatena.ne.jp/psychologist/20060204/p1
芹沢一也氏や広田照幸氏、鮎川潤氏、宮崎哲弥氏、滝川一廣氏などの良質な少年犯罪関連本には必ずといってもいいほど参考文献欄には同書が掲載されてますからね。

9 ■無題

>ほら、もてるおじさんって基本的にはおばさんぽくないですかね(笑)
確かに(深く頷く)、さすが洞察力が鋭いですね。「親父」の考察も面白いですね。
>女子って基本的に子どものころから、ずっと「おばさん」的だと思いますよ。
あはは、そうかもですね。いや~そう言って頂くとほっとします。でも、このモンスター化はホルモンも関係していると思いますね。40の声を聞くと何かが変ると聞いていましたが、“来た”かなという感じです。心身共に変化する時ですかね。この心の微妙な葛藤を記事にしてみたいですね。良いヒントを頂きました。ありがとうございます。

8 ■梅吉さん

>オバサンモンスターが猛威を振るっていて
 いやあ全然いいと思いますよ。女子って基本的に子どものころから、ずっと「おばさん」的だと思いますよ。私女性ばっかりの会社いた年月のほうが長いんですけど、めちゃめちゃラクでした。みんないいたいこといってるんで。社会的にはいい意味も悪い意味もあるんでしょうが、やはり男性よりもその組織にずっといるって感覚があんまりないからなんだろうなあと思います。だから即物的だし、変に気を遣わないっていうんですかね。「社員旅行やめやめ、そのお金で超高級マッサージチェア買おう!」「そだねー。」とか話しは早い。「いややはり社員同士の親睦のために・・」とかいう人いませんから(笑)。
 いわゆる「局」って「こうあるべし」論になってるんであれはある意味「親父」です。だから同性から嫌われるんじゃないですかね。おばさんとの間に断裂ってあまり感じないんですが、「親父」との間には感じますね(まあ親父も人によりますが)。
 ほら、もてるおじさんって基本的にはおばさんぽくないですかね(笑)

7 ■安原さん

そう、そう、言訳ですよ。(笑)
マツケンサンバのほつれ髪そんな意味があったとは…納得です。
でも、安原さん、私も実は先日40歳になったばかりで、私の中で今オバサンモンスターが猛威を振るっていて懸命に戦っている最中。でも乗取られるのは時間の問題かもです。あぁ…ヤバイ変身しそう。(笑)

6 ■梅吉さん

>「家庭的な女なイヤらしい」
 ははは(笑)。ヨン様ブームもあの「プラトニックラブ」がステキとかいうおばさま方の受容のされかたですが、違うでしょうね。言い訳です。きっと。
 本音は「うちのだんなと較べたときの韓流スターの体格のよさ」でしょうね(笑)。
 おばさまがたに基本的にはエロくないもの受けないと思います。それの免罪符が「プラトニック」だと思います。
 マツケンサンバでほつれ髪作って踊ってますが、歌舞伎だとエッチのあとの髪型がそういう「記号」で表されたりもします。

5 ■無題

「面白い、変わってるいわれるのは社会人としてはホメ言葉じゃない場合もあるので気をつけて。」と優しく諭されたことがあります。
ほー、そうなんですか。でもそういう社会の一面を素直に受け止められる安原さんは素敵だと思いますよ。
私の場合は最高の褒め言葉ですのでご安心を。
「料理って、火遊び、水遊び、刃物遊びですから、人からしちゃいけないよってことを堂々とやれって誉められるので、好きなんです~!」
(笑)あっ、それ頂きました。今度何かの機会に使わせてもらおう。私も料理が好きですよ。昔、「いいお嫁さんになれますね」とかいわれると、何かまっさらなエプロンを着せられるような気恥ずかしさを感じました。(笑)でも、あのリリーフランキーさんは、「家庭的な女なイヤらしい」と言っていましたね。この人やっぱり良く判っている!と関心しました。この「イヤしい」という一言の中に、沢山の意味を込めることができるのは、彼をおいて他いないなと思いますね。

 私はオジサンって一つの芸術作品であると思っております。長い人生の中で様々な正や負の経験を積んで、心に沢山の襞を持っている訳ですよね。エロさの中に物悲しさも明るさもある。そいうのって“愛しい”なんて感じちゃうんですよね。リリーさんなんて、エロければエロい程、愛おしく感じてしまう。私っておかしいかな。

4 ■梅吉さん

 以前会社の上司に
 「安原さんって面白いですね」っていわれ
 「いやそんな照れます。」って調子にのってたら、あとで
 「面白い、変わってるいわれるのは社会人としてはホメ言葉じゃない場合もあるので気をつけて。」と優しく諭されたことがあります。黒い女子の上司は貴重です。ま一理あります(笑)。
 お料理は好きです。仕事も料理がらみやってますが「いいお嫁さんになれますね」とかいわれると・・。
 「料理って、火遊び、水遊び、刃物遊びですから、人からしちゃいけないよってことを堂々とやれって誉められるので、好きなんです~!」っていうことにしてます(笑)。かわいくない・・・。

3 ■遊鬱さん

 「大人帝国の逆襲」は何を隠そう私も「靴下」で泣き、「しん、まじでかっこいいよー。やるなー。」ってかんじだったので、他人のことはいえません(笑)。そしてまわりのお父さん見たら子供より泣いて、そのほうがもっと驚いた。あれは大衆感情をよくわかって作ってますね。「千と千尋なんかメじゃない。日本を代表する大傑作」って何人もいってました。
 もちろん、「ノスタルジー」だけでダメなわけじゃないんですが、ただの「ノスタルジー消費文化論」を法とかシステムとか作るもしくは語るうえで「まっとうな根拠」がどっかへ消してしまう言説に堂々としてる輩がいるのがいやなのです。「思い出」で法作られたらたまりません。もちろん歴史は残すべきだし、日本人はふり返ってくることをしてなさすぎたと思うのですが、そこに食われてしまわないようにしたいものです。

2 ■「思い出」は燃やしてナンボの世界かも…。

安原さんって面白いですね。
Yasuhara-Worldに嵌まりそうな予感が…。こんな真面目な話を面白おかしく、飽きさせずに味付けされて、最後まで完食させるなんて、やっぱり料理上手(お仕事拝見しましたよ。)と関係しているのかしら?

でも…子供の頃から、オジサマ、スキですよ。

>「姑息だよね、ただ受けるのはわかるよ。」という人のほうが仕事上は気が合った(黒いなーかわいくないなー私も)。
右に同じです。あっ、上に同じです。(笑)
“黒い”の大いに結構ではありませんか。
真実は白いものだけに宿るものじゃなくて、寧ろ黒いものにこそ宿る
くくく…。(by 元小悪魔より)

1 ■日産が黒幕だったなんて!

思い出とかノスタルジーとか共同体とかがいかに受け入れられるかはクレヨンしんちゃん「大人帝国の逆襲」の許容のされ方をみると分かりますね。

思い出は一人で懐かしんでいる分には無害ですし構わないけれど、それをみんなで共有しようとするからおかしなことになるんです。でも多くの人は「個」で生きていけるほどには強くないんでしょう。

だったらせめて人畜無害なものに「思い出」を見出して朽ちてもらいたいです。お遍路とか、農業への回帰とか素敵ですよねー羨ましい(棒読み)。

>注)このエントリーはエッセイです。多分に私の思い込みである可能性があります(笑)。

凄い逃げをみた(大笑い)!

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