旅行記は9月12日(土)になりました。

湯の川温泉の宿を出て向かったのは、日本初の女子修道院である「トラピスチヌ修道院」(函館市上湯川町346)。

9:45頃に到着。中学校の修学旅行でも行ったなぁ。

 

『 厳律シトー会 天使の聖母トラピスチヌ修道院 』

「天子の聖母トラピスチヌ修道院は、明治31(1898)年、フランスのウプシーにある修道院から8名の修道女が来たのが始まりである。キリスト教伝道のためには、修道院の精神的援助必要であると、函館教区長ベルリオーズ司教が要請していたものであった。

草創期の修道女たちの生活は困難を極め、それを見かねたフランスから、引き揚げが伝えられるほどであった。

現在の建物は大部分が大正14(1925)年の火災後、昭和2(1927)年に再建されたものである。 函館市」

 

上の文章は、入口正門の横にあった解説板のものです。

 

 

 

最初に我々を迎えてくれたのは、「大天使聖ミカエル」像でした。

ミカエルは旧約聖書・ダニエル書や新約聖書・黙示録でも登場する最高位の天使の一人で、ジャンヌ・ダルクに神の啓示を与えたのもミカエルだとされています。

また、台座には以下のような事が書かれていました。

・日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、ミカエルを日本の保護者に定めた。

・第二次世界大戦の間、修道女たちは函館の町と津軽海峡を往く船が戦火から守られるよう、ミカエルの保護を願って祈りを捧げた。

 

 

ミカエル像の付近から、修道院前庭を望みます。

 

 

「慈しみの聖母マリア」像。

彫刻家としても知られるフランスのラ・トラップ修道院(トラピスト修道院発祥の地)のマリー・ベルナール神父(1883~1975)の手によるもので、両手をひらいて人々を迎え入れる姿が聖母マリアの慈しみの心を表しており、「慈しみの聖母マリア」と呼ばれているそうです。

 

やさしき み母よ

みあとを したう

か弱き この身を

みちびき たまえ

 

 

こちらは修道院の前庭内に設えられた「ルルドの洞窟」。

”ルルドの奇跡の泉”は梅之助も子供の頃から知っていました。

以下は施設内の解説書きより。

ルルドは南フランス・ピレネー山脈の麓にある洞窟で、1858年にこの近くに住んでいた14歳の少女ベルナデッタ・スビルーの前に18回に渡り、聖母マリアが出現しました。聖母は少女に祈りと犠牲を捧げるようにすすめられ、少女が聖母の言われたとおり地面を手で掘ると、そこから泉が湧き出し、その水で多くの病人が癒されました。

今日、ルルドは世界中から多くの人々が集まるカトリックの巡礼地になっており、写真のルルドの洞窟もそれを模して築かれたものです。

ベルナデッタは後に修道女となり、1879年に35歳で帰天しました。ローマ法王ピオ11世は1933年、ベルナデッタを聖人としています。

 

因みに、これと並ぶ”聖母出現”の奇跡といえば、預言(特に第3の予言)で知られる「ファティマ」ですね。

 

 

綺麗に整えられた、修道院前庭の樹木。

 

 

左手の建物は、1913(大正2)年に建てられた司祭館です。修道女の信仰生活を指導するために、男子のトラピスト修道院(北海道・北斗市)や、司教の任命によって司祭方が派遣されているそうです。

右側の丸みを帯びた建物部分が、この修道院の中心的な場所である聖堂になります。

 

 

塀の向こう側は一般開放はされていません。修道女たちの聖なる祈りと生活の場です。

2階部分に小さな窓が並んでいるのが見えますが、そちらは修道女たちの部屋。

また、塀に一か所だけ白い門が見えますね。

これは「入会者の門」と呼ばれるもので、修道院に入会して神と人々への奉仕に一生を捧げたいと望む人が、入会を認められてから最初にくぐる門だそうです。この奥に修道院の正面玄関があるとの事。

 

一般にカトリックのシスターたちはそれぞれの修道会に所属しています。

修道会も色々とタイプがありますが、多くの場合は聖職の他に系列の幼稚園や学校などの事業体で社会活動をしながら、日常生活を送っているようです。街で時折見かける修道服のシスターはそういう方々。

しかし、こちらの修道女たちは一般社会に出る事は殆どありません。

 

 

左の建物は「受付館」となっており、手前に「ここより先、修道院にご用件のある方以外ご遠慮ください」との注意書きがありました。

HPには「ミサや聖務日課に自由に参加することが出来ます。信者、未信者を問わず、どなたでも、興味のある方はご連絡ください」とあります。一般人でも一部体験参加出来るプログラムはあるようですね。

下の写真は2017年12月24日の夜に行われた一般参加クリスマスミサ。場所は聖堂内です。

 

「函館市公式観光情報 はこぶら」HP より

 

 

建物の壁に施された「聖家族三図」。

「全ての家庭が、神とその民の愛と配慮に包まれていると感じることができますように」

ローマ教皇聖ヨハネ・パウロ2世は1993年を「家庭の年」と定め、全世界に向かって上記のような呼びかけをしました。

この呼びかけに応えて作られた壁画です。

 

第一図(左図)「マリアへのお告げ」

 

第二図(中央)「イエスの誕生」

 

第三図(右図)「エジプトへの避難」

 

さて、以下は資料館兼売店の建物内部です。

先ずは資料館エリア。

 

 

 

 

この祭壇は中国北京にあった「慰めの聖母・トラピスト修道院」から贈られ、1968年までこの修道院聖堂で毎日のミサのため用いられていたものだそうです。

中国・北京・・・当然、中国共産党が政権を取る前、つまり戦前のものなのでしょうね。

 

 

 

下2つは売店エリアの様子。

 

 

 

梅之助は基本、どこの観光地でも自分へのお土産は全く買いません。これらの写真と思い出がお土産です。ただし、400円ほどのホワイトチョコレートはささやかな献金のつもりで買い求めました。

嫁も同様の思いで、自身が経営する会社の社員にお土産を買っていたようです。

そういえば、昔、名物だった「バター飴」はもう売っていないんですね(男子のトラピストの方ではまだ作っているようです)。

 

 

 

「津軽の海に面し、青森の山々をはるかに望む丘に建つトラピスチヌ修道院・天使園は1898年に創立されました。修道女たちは農耕・製菓・及び工芸品の制作に従事しながら、神の栄光とすべての人の幸せを願って「祈れ・働け」の日々を送っております。

修道女手作りのチョコレートが皆様に神の恵みをもたらしますなら、この上もない喜びでございます」

この文章は、チョコレートの裏に書かれていた言葉。

 

キリスト教に対して、そしてカトリック修道女(士)に対して、一般の人はそれぞれの見解をお持ちだと思いますが、特にこちらの修道女たちは一般社会との交流を絶ち、厳しい戒律のもと、容易にまねる事の出来ない祈りと労働を中心とした自給自足の生活を送っています。

世俗に生きる我々から見ると、彼女たちが選択した人生はそうそう理解の範疇にあるものではないかもしれません。

しかし、梅之助も50歳を超えたからなのでしょう、ふと、こう思うのです。

人の世の喜びも悲しみも、一瞬の星の瞬き。

世俗の喜怒哀楽に包まれた一生と、全てにおいて神への敬虔なる祈りを捧げ続けた人生とで、どちらがどうだなどと論ずるのは何の意味もない事なのだと。

 

ここは信仰の有無にかかわらず、敬虔な気持ちにさせてくれる場所でした。

 

 

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