そもそもいちばん出来の悪いのがいるってのは、共同体では大切なことなんですよ。どうせみんな、厳密に言えばボチボチなんだから、その中で最悪というのは、みんなのためになっているんです。その人がいなかったら、だれか別の人が最悪になるんですからね。それならいまと同じことじゃないですか。学校の成績と同じです。ビリがいなくなれば、ビリから2番目がビリになる。ビリの人は、全体に恩恵を与えているんですよ。全員に優越感を与えてくれる存在です。
(「養老孟司の<逆さメガネ>」p184より抜粋)
スタジオジブリの鈴木敏夫氏も「プロフェッショナル 仕事の流儀」にて同じようなことを言っていた記憶があります。
このブログにて検索をかけてみたら「コチラ 」(07年6月2日記事)にてとりあげていました。さらにもっと前には「コチラ 」(06年4月9日記事)でも取り上げていました。
ずいぶん昔の話なので、記憶もあいまいだったのですが、頭が良くない(記憶力が良くない)私 としてはこういう時にブログが備忘録として便利です(笑
06年4月9日の記事で次のように書いています。
その問題児がいるからこそ周りが幸せである。問題児を排除したらまた別の問題児を探すだけ
鈴木氏はジブリ内で「あの人が使えない」といった趣旨の相談を受けた時の話を「プロフェッショナル 仕事の流儀」内でしていたと記憶しています。
鈴木氏に言わせれば「その問題児を追いだした所でまた同じ問題児が出てくる」という訳です。
確かにその人はその組織(または部署)の中で一番仕事ができないので問題になっているかもしれないけれど、実はその事実は「その人が問題児になっている理由」の50%に過ぎないのではないか?
あとの50%は「その人を問題児にしていることでビリから2番以降の人が救われる」からではないのかと。
だからその問題児を追いだした所でまた別の問題児が出てくる訳です。
誰かを問題児にしないとその人以外の人たちが救われないからです。
「その人以外が救われない」というのは養老氏の言い回しでは「優越感」となります。
ビリ以外の人が優越感を持てるのです。
これはかなりやっかいな問題です。
本人たちはあくまで仕事のことを考えて特定の人を問題児扱いしているつもりです。
完全なるjusticeです。
しかし実際は自分の優越感を保つために誰かを問題児扱いにしている面がある。
これは人間の心の暗部なのかもしれません。
「あいつ使えねー」とみんなで共有意識を持つことを自尊心を保つ手段の1つにしている訳です。
学校のクラスである1人の子をいじめのターゲットにすることで他のクラスメイトたちの自尊心が保たれ、他のクラスメイトたちが優越感を持っている事と本質的には同じように見えます。
子供の場合は「うざい」「くさい」「キモイ」「どんくさい」など理由に合理性のかけれらも見えません。
大人はそこまでエグくないだけです。
一見合理的な理由である「仕事ができないので困る」という美味しいふりかけをカサカサのご飯にまぶして立派な食事に見せかけているだけなのです。
あり1979くん(私のこと)は物覚えが悪いのでひたすらメモをとって訳のわからないものをコピーして必死にいろんなことを覚えようとしているが、頭脳の性能が悪いらしく全然使いものにならない。
そうなると「あり1979くんは使えねー、来年違う部署に行ってくれないかな」となる。
しかしもし同じ部署にもっとひどい人Aさんが入ってくると「Aさんマジ使えねー、来年違う部署行ってくれないかな」となる。
Aさんがいるとあり1979くんはビリから繰り上がる。
繰り上がるとあり1979くんは「でもあり1979くんは一生懸命勉強しているからいいんですよ」と訳のわからない理由で無罪放免・恩赦となります。
「独裁国家が自分たちだけの都合により行われる恩赦」並に理由は訳が分かりません。
そもそも理由はどうでもいいのです。
誰かビリがいればいいのですから。
人間というのは怖いものなんですね。
私と違いビリにならないような人でもこのように考えてみたらどうでしょうか。
「もしここが外資系のバリバリ実力主義の職場なら自分がビリになることだってありえるのだ」と。
そうすればあなたの職場にいるあり1979クンやAさんに対するまなざしも変わってくるのではないでしょうか?
<参考>
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