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勝負の時が来た。

なぜ僕はここにいるのか・・・・・・・・・・・・。

ここに来るまでにどれだけのものを失ったか・・・・・・・・・。

今の自分を見つめなおすためにも、過去を振り返り、

今、自分が置かれている状況を再認識するために、

素顔の自分を、ありのままの自分をさらけ出すことにしました。

ここに書かれていることは紛れもない真実。

いや、どこかで自分で美化したものかも知れないけれど

自分の心の中の真実を告白します。

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目次

①はじめに                 

②就職活動編・当時の就職事情     

③就職活動編・就職試験 面接      

④就職活動編・JTBを選んだ理由     

⑤就職活動編・筆記試験その1                 

⑥就職活動編・筆記試験その2

⑦就職活動編・筆記試験その3

⑧アルバイト編・那須博之監督との出会い

⑨アルバイト編・僕の仕事とは

⑩アルバイト編・撮影所にてその1

⑪アルバイト編・撮影所にてその2

⑫アルバイト編・撮影所にてその3

⑬アルバイト編・チーマー達との出会い

⑭アルバイト編・僕の役割

⑮アルバイト編・事件その1

⑯アルバイト編・事件その2

⑰アルバイト編・撮影の終わり


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戻ってきた監督官の女性社員はまず、こう言った。


「それでは後ろから答案用紙を前に回してくださーい。」


そして、すべての答案用紙を集め終わったと同時に


今では考えられないような発言をした。


「それでは皆さんお疲れ様でした。


今日、集まっていただいた方は全員、内定です・・・・・・・。」


え!採点しないの?????????全員唖然。


続けて監督官は、


「今日の試験は内定には関係ありません。


今日は皆様の意思確認のために集まってもらいました。」


え!俺たちの華麗なるチームプレーはいったい何のために・・・。


そして最後に監督官は満面の笑みを浮かべてこう言った。


「ま、採点しても皆さんそんなに点数は変わらないでしょ・・・」


そして僕たち全員は、苦笑いをしたのだった。


つまり、JTBの人事部は最初から脳みそ筋肉系の僕たちが


英語や一般常識の勉強などしてないことも、


どうせカンニングすることもお見通しだったのだ。


相手は一枚も二枚も上手だったということだ。


後から知ったことだが、この日と同日に 日本航空と全日空、


近畿日本ツーリストが最終面接を実施していたらしい。


つまり、他社との掛け持ちをさせないために拘束することが


目的だったのだ。


ここで読者の皆様にJTBという会社を間違って認識されると


困るので、また現在JTBで働いている職員の方々の名誉の


ためにも書いておきますが、この体育会採用は僕らが入社した


1993年の採用が最後であり、ここで採用された人数は約30人。


同期入社1,100人の中のわずか一握りの社員の話です。


間違ってもJTBはみんなこうやって入社した人ばかりの会社では


ないことをお伝えしておきます。


しかしながら、内定をもらえばこっちのもの。


かくして僕の就職活動は終わった。


1992年大学4年の7月頃だった。


このときに起業への思いはどれだけあったのだろうか・・・・・。


今、こうやってブログを書き、この頃の自分を振り返ってみると


そう言えば、この頃に僕はなりたいと思っていたものが別にも


あったことを思い出した。


それは映画監督だった。


何故?映画監督?


話は就職活動する少し前に戻るが、大学3年の6月頃のこと、


僕は当時人気絶頂の俳優、吉田栄作さんと


天才たけしのダンス甲子園で活躍していた山本太郎くんに


ラグビーを教えていた。


何で?と皆さんお思いでしょうが、


長くなるので今日はここまで、次回に続く・・・。



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