酒について、音楽について、まだこの地球上に生息可能な人類について partⅡ (後編)  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10016263557.html   ☚ ここのつづき
   
   
さてと、前回のページ
の誤字と脱字もある程度修正して
補足が必要な箇所にも別のページをリンクさせたので
ちっとはマトモに読めるようになったとは思うけど
最近の俺は自分で書いたモノの骨組みに
コカコーラの瓶を逆さまにしたような形で肉付けをするようにしてる。 ??? 
いくぶん判りにくい部分や意味不明なところもあるかも知れないけど
そのうち一つ一つのフレーズの意味も
今後の世の中の変貌と共に判ってくる…と思う。
幾つか、話のニュアンスに二つ以上の問題点が交差してる箇所の原液は薄めないまま
本題はこっからだ。
 

   sub title: 長生きの秘訣
 
己の精神力に伴わない体力の限界や肉体の余裕を超えてまで
武芸や武道、何かの競技種目を極めようとしてみたり
どんな分野のどのような職種であっても無理をして働きつづけることも  
いずれ肉体を破壊することにもなりかねない。
普通ならな。 (…どうも、ストーンズに限っては例外のようだけど…。とくにKeith Richards の場合は)
何のために回ってるエンジンなのか判らないような社会構造の、
その一部分の部品のような扱いになっていても 
オーヴァーヒート目前の馬鹿デカイ機械の歯車は
うまく噛み合うことも噛み合わないこともある。
ネジやワッシャやボルトやナットも
ひん曲がったり錆びたり、ひずんでいると
そういう不良部品ちゅうもんは捨てられて
新しいモノと交換しなきゃならない。
今の時代は、その交換さえも間に合わないほど
少子化と高齢化が進んでいる。
 
世間の三大成人病に次ぐ薬品薬剤販促用の糖尿病をはじめ、
医者でも何でもない輩が資格だけで生き凌ぐ施設(?)の健康診断に騙されて
「ちょっと病院へ行って再検査…」の
大勢の人達がお約束のように病気にされちまうような世の中で
理由あって最近の日本人男性(大東亜戦争体験者外)に多い過労死や自殺。
今後の日本人だけが社会的な面でも悩むことになるアトピー性皮膚炎にしても 
肉体の問題に悩み苦しむ人の心が爆発したり暴走してしまうとき 
誰が何を支えて、どこの部分をどのように制御して補い 
それを円滑な流れに替える段取りを何によって実現できるのか? 
今の日本に多い不妊症や少子化が
ブレーキの利かない貨物車や高速列車ではないにしても、
量産車のリコールのようにはいかない奇形児出産の増加も 
いつの時代にやむのか? 
50ccのバイクで無理やりダンプカーを引っ張りつづけるような格好の人間が抱える問題は
社会秩序の乱れや環境破壊による災害惨事の復興だけにとどまらない。
喘息もリウマチも、白血病や血友病、
HIVウィルスやMRSA、新型インフルエンザやヤコブ病にしても
医原病としての癌という問題も・・・・
対症療法的にはワクチンとか抗生物質の開発や
抗癌剤やレーザー治療の国際化とかが進められる中、
「愛は細く長く」の謂われが「薬物常用は細く長く」にすりかえられ 
わずか数百円単位で水あげされる鮫の肝臓のエキス
を加工した健康食品も飛ぶように売れる。
ところがぎっちょん、巷の健康産業の体質改善のあらましが追いつくことなく
激増する奇病難病が人間の世界にだけ軒を連ね 
あらゆる科に別れる病院の科は、今や 
お祭りのテキヤ屋台のようになっている始末。
生と死の本来の在り方を見失った現代人がぶつかる壁には
最早、死と病気の区別もつかないほど
それらの根本的な原因の究明と解決には至らず
どのような先進国家であっても、現今の学問学識上では
人間は人間について解らない未知なことばかりだし 
その辺りを素直に研究するにも今の医学は発展が途上した部分も多い。
仕方ない、神に似せて創られた人間も完璧ではない。
そしてこれまで、手探りで数多くの命が実験台にされたことにも
20世紀までは無駄に遠回りしてきたことが多かった。
かといって、俺の能書きや理屈が
明日の人類の財産になるというわけでもない。 あたりきしゃりきよの~
 
簡単な云い方になって申し訳ないけど、結論を云うと
最近の現代医学が扱うところの“人間の病”、
改善解消不能の症状というモノは
結果的に、他力本願な大衆の意識の中に根強く蔓延する、
“自分自身の健康管理の怠り”に過ぎない。心身ともにな。
(…どうすりゃいいのか判らない分、怠っている意識はないと思うけど…今はな。)
人類は、たかだか数千年のその歴史の中で
おざなり、なおざりにした人間の基本的な創られ方に対する認識の驕りを
あと何十年、何百年かの間に清算し 
ある一定の義務の遂行から外れた怠慢さに代償を払わなければならない。
 
んなキツイ(?)こと云っても
既に「過労死」と呼ばれる、
肉体を休めることに気づけなかったことによる精神異常死や
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10006173415.html

なんらかの決まりを破ったことで生じた癌細胞の増殖と繁殖により
   http://ameblo.jp/badlife/day-20060712.html

結果的に死んでしまった大勢の人は
もうこの世には肉体を持って存在することはできないので
今まで通りの常識判断では
人間が人間を判ることにも無理があるし 
それを気づかせるための教育も
物質に執着する文明の偏りの中では
ゼロの部分から物事の基礎を紐解いて丁寧に教えようにも 
その誤算や打算、驕りたかぶりの愚かさを気づかせようもない…かも知れない。
(「お前が何様なんだという問題とは別の話だよ
日本ではお金持ちが多い静岡県を拠点に
新興宗教ビジネスで名をあげた般若転業のオジサンは
「頭をとれ!」などという言い方で喜んで騙される人を一ヶ所に召集させたり 
北の朝が鮮やかな国を作った米ソ侵略ゲームによる
38度線で分断された半島から追い出されたブンちゃんが
エイリアンのフェイスハガーとチェストバスターを増殖させるかの如く信者を拡張してみたり 
「ええっ! あのお笑いバラエティ高視聴率マーク番組にひっぱり蛸の、
あの大女優さんも、そうだったのぉーっ?!」という、「ソウカ、がっか」の、
某政党組織票確保団体の小山の大将も 
日蓮さんの魂が、今どこにあるのかも解らないまま 
人間についてテキトーなことを言っている。
これほどまでにマガイモノ的な学問体系に汚染された人類社会で 
どこをどう訪ねまわったとしても、おそらく、当たり前で当然のことを
相手側が自分のために受け入れる理解の余裕もないし 
「はいそうですか」と、医学知識を正しく改め軌道修正することを
素直に受けとめる柔軟性は、人の心そのものにない…に等しい。今はな。
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10015435185.html
物が溢れかえり、“言葉や情報の嘘”が多様化した複雑さの中では
何が真実か、どれが捏造なのかを見極めることも難しいかも知れないけど
極めて単調な動きを繰り返す今の人間社会の外側では
今まだ地球の動きのすべてが、人間中心によるものではない。
 
ここに目を向ければ、様々な災害や災難、
数々の自然破壊により巻き起こる天災らしき人災
人間が地球上にいて、その地球の正しい使い方から、これ以上は外れないように
人間を生かしているらしき何者かが警告、ないしは警鐘を発している…
ということも、宗教の愚説とは別に、いくらか感じ取れる人もいると思うけど
目に見えない世界の存在が喫茶店ロイズの鐘を鳴らしているわけではない。
神の存在は宗教の中にはなく、一人一人の人間の心の中に宿されている。
それに従って気づくには ちょっくら遅かった。
1985年までの話だな。
あの昭和60年を境に、人間の創られ方の基本と自然界のつながりの筋道は
根本的に人類意識の中にある散漫な教育常識と教育文化に捻じ曲げられ 
医学も教育も経済も政治も宗教もメチャクチャになっちまった。
但し、目に見えない部分と目に見える部分の関係は
それほどまだ大きくは変化していない様子もあるので 俺の感も鈍いけど
自然界(地球)よりも先に人間の頭(人類)が壊れても
壊した事実の一つ一つを繋ぎ合わせると
失われたモノが何かが、
「このままではおかしい」と気づいている人には
自分の身のまわりにも明確に視えてくる・かも知れない。
…これについても、ここ数週間で、俺はいろいろと確認、軌道修正を試みて
人類の行く末の本質を見極める方向にある。 読者のみなさんのおかげでもある
そういう僅かな少しずつの進歩ではあるけど
「自分さえよければいい」ということではなく 
神に似せて創られたはずの人間の中には神の魂が存在していて 
日々を送り過ごすその一日一日の中で確実に魂を成長させて 
そういう人間の格好をして、この地球上に生息しているはずなので 
…この三行には、かなり重要なことが含まれているんだけど誰にも通じてない?
もしも今、「自分は今のままではダメだ」と思ってしまう気持ちは 
捨てなくてもいいけど、新橋のガード下のオヤジ
のように酒で人生をごまかしたり 
お通しに柿の種
をありきたりに出すようなスナックで 
互いに何の思いやりもなく、ただ惰性に任せての“その日暮らし”や
投げやりにも他人任せに今まで通りの常識に嵌められているだけでは
この地球上(自然界)に生かされていることへの感謝や
自分に与えられた役目・役割、本来の義務の遂行を怠って 
なんの張り合いもない、つまんない人生になっちまう。
そういうことも、20世紀の幻影でしかないわけ。
右や左を見回して、ビクビクしながら自分の意見も持たずに 
いつまでも「みんなと同じにやってりゃぁいい」とか 
誰か何者かを悪者にしたてて小さくまとまることしかできねぇような
そういう感覚でフヌケなまま生きてきた多くの年寄り連中の真似をしてても仕方ない。
 
たとえば、衆参両議院の国会議員なら誰もが持っているはずの、
黒いビニール皮の手帖”の中に
人間の寿命 百二十才の生命論について』ってのがあった。
 
 還暦数え年で六十一才を迎える年 (満六十才、働く職場も定年制度) 還暦祝いをする。
世の中の人々の言い伝えにて、赤い『チョッキ』に赤い『帽子』を被ってお祝いをし、そうして
子供に返って余生を過ごし、人生の終わりということになりますが、現在は違います。
これからの二十一世紀は不思議な世界に進んで参ります。すべてに、冷静に良く考え
研究をして見て下さい。人間の寿命はそんな単純で簡単なものではありません。そこで
私の生命論を申し上げます。人間は必ず百二十才迄(百二十年)長生きすることができます。
但しここが大事なところで、その半分は夜で有り、又眠って居ります。眠っている時は、
自分自身の感情も意志もすべて『無』であり極微無限想の世界でございます。つまり
人生の半分は夜であり、眠っている無限想の世界でありますので (睡眠時間等省けば
一年は半分の計算に成ります。)満六十才の還暦になっても満三十才しか年を取っていない
計算になります。したがって還暦までまだ三十年生きなければ満六十才になりません。
すなわち六十才と六十年を加算致しますと、百二十才に成ります。必ず満百二十才迄
長生きすることができます。以上私の生命論を簡略に申し上げました。
その長生きの『秘訣』を改めて後日申し上げますが、今後必ずその秘訣を実行、実践
することが、長生きをする絶対大切な必要条件でございます。しかも心身ともに健康で、
現在の年齢の六十才から八十歳迄の状態を保って、百二十才迄生きるよう努力する
ことでございます。それでなければ長生きする意味がありません。     以 上 
                                     創星会代表幹事 
                        平成13(西暦2001)年版 国会手帖7頁目より引用。

 
ん~、オメデタイ。
各種特殊法人や天下りゴメンナサイ問題も、
終身雇用の常識がなくなった平成の日本社会で 
各種大手企業との癒着や汚職疑惑が次々に暴露された20世紀末から今日にかけて 
日本の国会議員は、どうしてこうもご高齢の方々ばかりが 
巡業ドサ廻りを辞めてからは、マイクを握る時間より
Golfクラブを握る時間の方が長くなった芸能演歌歌手のように頂点に君臨しているのか? とか、
この超高齢化社会の中で、なんでこのようなことが
我々から徴収された税金をもとに印刷、生産されているらしき、この、 
国会議員の携帯してる黒ビニール皮の手帖の中に書かれているのか? 
いろいろに興味を持たれる方もいるかも知れないけど 
その長生きの『秘訣』”というのは、他のどの頁を捲ってみても書いてないようなので 
これだけを読む限りで、一概にこの内容の批評批判はできない。
けどなぁ…
…そもそも、人間が「眠り」「目覚める」ということについても
   参照  http://ameblo.jp/badlife/entry-10002850915.html

眠っている間に感じている世の中の時間経過のスピードが
起きている時間に感じるスピードより速いという事実
についても 
また、子供が感じる一年の月日が流れる速度より 
大人が感じる一年の経過、そのスピードの方が速いという事実
も 
これまでの人間の勝手な学問的な常識判断では、
その人間の創られ方の基礎の部分 は解明されてはいなかった。
そのために
人間が創られ、産まれ、育ち、死に逝く…という何者も逃れられない事実における、
肉体に魂が入る瞬間の道理と、一人一人の人間に完全に決められた寿命の問題も 
本来の人間の死と生の取り決め、掟、そして 
権利が先立つことのない義務を遂行することへの感謝についても 
正しく認知、認識できぬまま、
まったくもってして不透明な教育常識や人間の造作による思想の数々が
本来の人間の魂に薄汚れたフィルターを被せた状態で
今までの日本社会に生きる人間を雁字搦めしてきた。
これはどんな宗教思想や何の聖人君子の教えや教義、教則にしてもそうだ。
人間が人間を判るほど、人間は利口に創られてはいない。
 
んまぁ、『平成十13年版の国会手帖』に書かれている内容は、ソレだけではないし 
これは何かの自叙伝(?)からの抜粋なのか 
そうしたおめでたいパーティ(?)の公演内容の一部なのかは判らないけど
戦後の日本社会はこういう人たちが立派に作りあげてくれた常識の中にあって 
「うんうん!」 「なるほど」と思わせる
ような言い回しで
常日頃からクサイモノにはフタをされてきた、そういう明治・大正・昭和の常識がある。
 
ともあれ、
いずれ大きな意識変革が必要とされる時代に
まず自分自身が、その変化に取り残されないためにも 
今のうちから肉体と心のバランスの管理をしっかりしておいた方がいいよな。
誰かの“長生きの『秘訣』”とは別に
今後は、そういうことの実践の一つ一つを自分の体験を基に、具体的に 
このウェブログで公開してゆく所存でいる。 もうちょっと待っててね
 
さしあたり、いま現時点で重要なのは (べつに重要としない人もいるけど
最近の情勢を見ても判る通り、今日このような災害惨事や
今までは誰にも想像のつかなかったような事件や事故が多発して 
そういう嘆かわしい人間の失敗談が頻繁に繰り広げられるようになっても
この地球上に今はまだ生息が許されている人類は 
こんな神も仏も人を救わないような常日頃の状況下で
(反復するけど)
「自分さえよければいい」ということではなく 
神に似せて創られたはずの人間の中には神の魂が存在していて 
日々を送り過ごすその一日一日の中で確実に魂を成長させて 
そういう人間の格好をして、この地球上に生息しているはずなので 
自分自分の最初に決められた役割に気づいて、目醒めて、獲り戻す必要もある。
必要ない人もいるけど、中途半端はありえない今後これからはな
 
2千年程度に渡る人類の歴史の中で、小さく小さく教育された頭で言われるところの、
世界の三大宗教や、そうした者に付随する数々の思想、哲学の中では
神という存在も、なにやら特定の名前を付けられ
特定の土地に存在し、そこの辺りで蘇るようにも言われてはいても 
それが本当に、そうした教義や経典、経文やバイブルの中に記された通りなのかどうかも
今日これほどまでに神や仏の存在を疑わせるような災害惨事が
地球上の各地で頻繁に繰り広げられると
今まで騙され続けてきた人間も馬鹿ではなく 
その魂も幾分は成長しているので
一つ一つの既存の宗教の嘘を見破っている者も少なくはない。
 
こんな時代をどうして生きてゆけばいいのか? 
 
今この時代に現実に肉体を持って生きている人間にとっては
今までの経験にはなかったことばかりなので
「異常気象」という言葉も使うし、
「観測史上 記録的な○○○○…」などという言い方もしている。
異常気象という言葉そのものを俺自身も日常生活の中で遣うし、
俺でさえ、今まで通りの常識の中で
今まで通りの言葉を使って生きてゆくにも困難なこともある。
地震も津波も台風も雷も火災も水害も停電も火山噴火も彗星の接近も
グランドクロスや惑星直列も、地球温暖化による数々の砂漠化現象や
今後のオゾン層の破壊も
武器弾薬の性能比べのような殺戮やテロ破壊とか殺人事件や戦争や核実験も 
マスコミ、メディア、報道機関が仕掛けたかのような航空機や列車の事故も 
自殺の名所との共鳴や特定思想による洗脳と精神の迫害も 
癌も脳卒中も心臓病も疫病も伝染病も 
そういったことが身近に感じられないまでも
世の中には実際にあることなので、この時代に生きている限りは
どれもすべて「私には関係ない」ということはない。
日本人ほど何かの精密機械の動作より優れた民族はいないかも知れないけど 
日本人ほど、診ざる着飾る岩ざるの三拍子で西洋文化の猿回しを演じている民族はない。
   注釈…自分達の目先鼻先の贅沢と便利さの追求のために ---- 着飾る
    人間としての先輩である人たちを介護福祉の事業の喰い物の種にして ---- 診ざる
    新聞購読拡張大好き生活を送りながらも頭が岩石のように堅い猿は ---- 岩ざる
    周囲に聳える岩に囲まれていて、その外側の本当の世界を知らない ----
猿回し ) 俺は呑む笊。

 
世界を変えるには自分を変えるしかない ”という意味で
 http://www.song-teksten.com/song_lyrics/the_the/dusk/lonely_planet/
このままゆっくりゆっくり壊れる地球の中にいる今の人類が 
「もう一匹も存在しないよ」
という絶滅危惧種になっちまうかどうかは
今このままではいけない 」と、自分自身の何かに気づいている人の意識、
その気持ち次第でどうにでもなる。
この時代にまだ生きていられる人は
自らの一生命体としての肉体に限らず 
そういうことに対する予防。そして進行の喰い止めに務める必要もある…と思う。
なぜなら、
人間なので。
 
そういう現代に生き凌ぐ人類は
この地球上に今、60億人という数で犇めき合っているとされ 
その人類のすべての生命の維持の保証…はないな。今はもう。
すべての者の生活や生死の営みを賄うための資源や物資、食料の生産も
北半球のひとところには偏るものの、あと何十年、保ちつづけられるモノかどうかは
それを算出させ、計算する者にしか判らないようになってはいる。一応、今のところは。
そしてそのうちの学者、研究者以外の者が戦争やテロ、各国の紛争や内戦を操作し 
今なお、これまでの人類の歴史の貧富の差や“偽りの階級”の均等を保たせようとしている。
実のところは、そういう連中も、一部の、ほんの一握りなわけで
その組織の分派人脈を世界中の都心(等に)に分布させてはいるものの 
奴等にとっても今の時代は“今まで通り”ではない。
諸外国の限られた資源や有限な物資生産のための原材料の独占にしても
奴等なりに必死な部分はある・と思う。
莫大な富を持った財力や各国の特定な権力という者の結束は
それなりに保証やロイヤリティもあるようなので、一見、固そうには見えても
実は内部からの崩壊に弱い。
最近までは、何か特定の思想や宗教宗派によるクーデターやテロがあったとしても
そんな者は屁でもないし、
繰り返すけど、そういう人の命をチェスのコマのように扱う言語道断な悪戯は
根本的に自分本位な野望を目論む連中の操作範囲の一貫でしかなかった。
ただ、大きな天災や見えない世界が大きく移動、変容する結果の自然災害だけは
連中の思い通りにできる範囲が限定されてくる。
そして、外部より内部崩壊を誘発するモノは何か? 
今の時代、偽りの階級の頂点に君臨する権力を揺るがす兆しにもなってきたモノの一つとして
連中を中心として物質執着型文明に偏る意識の落とし穴みてぇなもんがある。
それが、情報の氾濫の中に潜む、人間の正しさと、真実を見極めようとする能力。
あとは…愛。限りなく犠牲のみの愛。
そうしたモノの確かな部分だけが、今までは未完成だったパズルのように組み合わされ 
やがてハッキリとした状態に視えてくる。
そこに左右するするものは、生かされていることへ感謝しているかどうかの違いでしかない。
そのようにつなぎあわされた真実のすべてを見てしまった者がどうなるかは先のことで、
いずれ、全人類が死滅するシナリオとは別の、
60億のうち3割が減少した人類人口の中で 
やむなく頂点を支えてきた底辺に位置する民衆。その過半数が大きく意識を変えるとき 
21世紀を“20世紀までの人類の歴史の幻影”にしようとしてきたすべてが崩れ去る。
大きく音を立てて崩れ去る。
そしてその後の世界がどんな人類の営みになるのか? 
 
今日はまだ、あまり先へ進ませるのは やめておこうね。
22世紀
や23世紀の人類があるかないか、どうなるのか? ということよりも
21世紀の人類が、どのようにしてこの地球上に正しく生き残れるか? 
ここが重要だな。
 
そして俺が今後ここで伝えるべきことは
そこに残る…かどうかは今の俺の頭でも未知数だけど 
人間がこの世に生きるための具体的な実践方法の一つ一つ。
 
癌も脳卒中も心筋梗塞も糖尿病も過労死も、
本来の稲作文化や
それに伴う四季の営みを大きく破壊した日本人だけに多いアトピー性皮膚炎も、
不妊症も少子化も、奇形児出産の増加も、
それは結果に過ぎない。
何事にも始まりがあり終わりがあるように
あらゆる生命の産まれる日と寿命を迎える日が決められている通り 
裏があり表があり、この自然界には陽が当る部分と陰になる部分が現存する。
そして、すべてにおいて原因があって結果がある。
それは、いつ、どこで、どうして、何のために、その結果に至ったのか? 
そういう自分は何者なのか? 
 
明かしてみようじゃないか。自分自身の力で。
Open your eyes, open your imagination
大丈夫、俺は殺されはしないし、書類として処分されることはない。
ジョン・レノンやJFK、MLK
、マルコムX、ボブ・マーリィ …とはちがう。
何も指揮はしないし、単なるネットのクズでしかない。
それほど影響力のある地位や名誉や財産も保持していないし 
俺は音楽や人間の歌が好きでも、いつかメジャーデヴューを夢見るミュージシャンでもない。
何の機密組織が、どこの人工衛星を使って 
たとえエシュロンフレンシェロン の情報網のアウトトラックの手前で検知されようとも 

俺が俺の頭の中から配信する情報は自然界に守られている。
今の多くの人類のように、俺自身が自然界を敵に回さない限りは
自然界は俺の味方だ。いまのところはな。 …お子様の味方くんは、大きく自然界を敵に回したな
 
 
さて、こんなふうに正気ではない正気を装っておくなら
相手にする者は少ないだろうから (…いないんじゃない? ここまでの内容そのものが理解不能に近いしな。)
たぶん、相手にする者は少ないだろうから 大丈夫なんだけど
このウェブログはトップの案内ページから丸ごと英訳できるようにもしてあるので
最近は僅かに、俺という変な日本人が何を云っているのかを探ろうとする、
海外からのメール送信(スパム以外)
そういう
相手側のサイト閲覧のポイント  
激減もあったりする。 
今はまだほとんど無視してるけど
面倒な連中以外の者に俺の書いていることが伝わる日も来るかも知れない。 
いや、ないなこのままでは。)
 
 
たとえば、U2
というバンドのファンの中には
実際に武器を手に自分や自分の家族の身を守らなければならない、
そういう生活圏に置かれている人々もいる。
U2というバンドの四人組は、そういう人たちの心を歌う ことも多いので 

一部のエリアでは放送禁止になったりしてるんだけど
彼らは、そういう民衆を指揮して流血の惨事を繰り返させる愚かさを
真っ向から非難・反対する以前に
反戦や飢餓救済の事業を道具に利潤を追求するような不届き者の策略さえも巧みに利用して
ロックのスピリットが繋ぐ一つの輪 を世界中に拡張しつづけている。 

一部の権力にしてみれば、それも脅威かも知れないが
彼らほど慎重に、腐った文明社会の時代を潜り抜け て 

世界的な活動を着実に進めるロックバンドは他にない。
これまでは、赤組の思想連中も、どこの世界の財力にしがみつく連中も 
「音楽に何ができる」
というくらいにしか思っていなかったけど
ショウビジネスでは操れない4人の結束 は 

もしかすると、ローリングストーンズを凌ぐほどの日も訪れるかも知れない…
そういう勢いにもなってきている。
この春の日本公演は延期されたねどね。 
http://reco.jfn.co.jp/u2/
 
先日、7月のFUJI ROCK FESTIVAL'06グリーンステージ にも出演した鼓童 という、   http://www.fujirockfestival.com/
日本の和太鼓集団のメインステージ 。 

第19回のアースセレブレーション という野外LIVEが佐渡という島で開催された。
独特な日本文化として継承された伝統楽器の合奏を凝縮して 
9尺の太鼓を叩く舞台を中心に2時間ほどのパフォーマンスが3夜連続で行われる夏、
それを観るために海外から大勢のファン、民衆が佐渡という島へ訪れていた。
その中には、観て聴いて踊るだけの聴衆のほかに
無名・有名に拘わらず、実際に日頃から演奏活動をしている様々なアーティストもいる。
彼らは会場付近の海水浴場に隣接するキャンプ場で数日を過ごし 
日が暮れて鼓童のステージ を観終わると
何の申し合わせもないまま、その浜に集結し、火を起こし、
自分たちで持ち寄った楽器を使い、夜な夜なセッションを交わしていた。
その楽器も多種多様。言葉も多国籍。
炎を囲む数時間にも及ぶセッションに国境はない。
俺も驚いたよ。
子供が通う空手道場のキャンプに保護者として同行して
夜10時頃にテントの中で横になってたんだけど
最初は、地元の鬼太鼓が近所の納涼祭に出演するための
祭囃子の練習でもしてたのかと思った。
でも、よく耳を澄まして聴いてみると
それは普通の和太鼓のような太鼓の音とはちがうし 
他にあまり聴きなれない管楽器や打楽器の音も聴こえてきた。
彼らは明け方近くまで熱演し 
そういうセッションの合間には何者かが持ち寄ったギターの音色に乗せて 
U2のWith Or Without You                            
や、I Still Haven't Found What I'm Looking For                  
BeatlesのHey Jude ! song by Elvis Presley                         
等を熱唱。みんなで星空の下の海に向かって大合唱してた。
んで、夜が明けて朝になると
キャンプファイヤーの狼煙が昇る砂浜では
静かな波の音しか聴こえないんだけど
あの夜は、一体なんだったのか? 
ある意味、恐ろしい。
権力を揺るがす民衆の炎…に近い。
U2の歌というのはそういうものだ。
そしてそういうことは、佐渡という島の真夏の夜の一夜の
わずかな瞬間だけではなく
この地球上のあちこちの浜辺や川べり、あるいは街角のどこかで繰り返されている。
今の日本人が好んで聴いているテレビドラマの主題歌などは絶対に歌われない。
U2かBeatles、もしくは、Stones。 あるいは、エルヴィス・プレスリーやボブ・マーリィ
のヒット曲という、
この時代に生きる人間なら多くの者が知っている、聴いたことのある、
いつの日にか心を動かされた曲の数々…。
そういうロックのスピリットは確実に世界の民衆の魂に浸透している。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10016069629.html
 
かつてスペイン人がアフリカから多くの黒人を連れ去り
大勢の家系の継承を途絶えさせ (インディアンの迫害と共に)
アメリカ大陸で自分たち白人生活の便利なように彼らを虐げた結果、
のちの解放運動の時代に至るまでに誕生したブラック・ミュージック。
その基礎と基盤が、ニューオーリンズ やシカゴを拠点に 
やがて世界中の若者の心を摑んだことは 
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10014026454.html
白人文化の中で築きあげられたオーケストラや
19世紀から20世紀にかけての人類で
貴族や軍事政治家の傘下で保護されたクラッシック・ミュージックの繁栄とはちがう。
シンフォニーやオペラ、バロックの伝統が新約・旧約聖書との絡みと、どうあろうとも 
ロックンロールのような迅速かつ速攻さをもってして世界に浸透した音楽文化はない。 
 
ということで、
ロックやリズム&ブルースの本質を愛して止まない人達は
現代日本のミュージック・シーンに失われたアメリカン・ポピュラーミュージックの真髄や
民衆の血と汗の結晶による数々のヒット曲の持つ脈動感の素晴らしさを知っている。
そういう情熱的な爆発力、瞬発力を
弛まない信念の基に追究し、磨き上げても
そこには微塵の無駄もないはずなので
どうか、その人達は、これからも末永く演奏しつづけてください。
機械処理による音が量産される産業音楽の流行りは
目先鼻先の欲にとらわれた者の一時的な凌ぎでしかないので
そういう薄っぺらな“聞き流しミュージック”の流行にしがみつく業界や演奏家も
そのうち消えてなくなります。
少なくとも俺には見えるよ。
本物だけが残る未来が。
 
さしあたり、「音楽が世界を変える不可能」を唱える旧い考え方の人達は
まだ巷にも多いので (…巡業やめた演歌歌手のあなたのことではない
それまでは、できることなら肉体の管理と保管に務めていてください。
歳を取ってもロックは不滅です。
でも楽器と同様、肉体という道具の手入れも怠ることなく
日々の生活に準備万全、万端であってください。
演奏し、歌い、奏でるための道具としては
肉体の健全さも精神の健全さに伴う基本中の基本です。
肉体の健全さなくしては、奏でる音にも偏りや妥協が目立ってしまいます。
そういう音は、ブースでミキサーの前に何十時間も座る機械処理音楽家とかに
任せておきましょう。本当の作詞作曲家や本物のアーティストというものは
いつの時代も、その肉体も精神も、
自分なりのパーフェクトな状態に近い充実した生活の中に在るべきです。
 
肉体の管理と保管のヒントについては
俺がこのネット回線を通して
ウェブログという流行りのフォーマットに乗せて配信してゆきます。
試すのは自由。
自分の生活に取り入れて何かの糧にするのも自由。
カネを損失する心配もない。
このまま疑いつづけて、
当たり前の生き方と当たり前の死に方から外れるのも自由。
逃げ道があるうちは、まだ自由にも錯覚はある。
 
心と常に同一進行で動いているはずの肉体を自分で管理・保管する。
その方法のいくつかを
これまでもこのウェブログで紹介してきてはいても
誰にとっても、それが万人に共通なモノかどうかの判断は
ホンモノだけが残る時代までは判らない。
ただ、自然と人間の関係から
多岐にわたり説明や解釈の仕方を工夫する俺としては 工夫しすぎ?
自分で自分の肉体を管理・保管する方法を
自然界の移り変わりになるべく歯向かうことのない現代人
に合わせて紹介してゆく姿勢ではあるので
それが一つの学問体系を利用するモノであったとしても
覆すべきものは今までの常識だ。
 
だから、今後も常々丁寧に説明してゆくけど
正しい人類が正しく生き残るためには
利用できるモノは何でも利用する。
中国数千年の歴史の中で育まれ、継承されてきた導引術、導引法や
医食同源、食養法、上医・中医・下医の漢方医学や
鍼灸にある経絡の基礎知識…そういうモノも具体的に 
人間が生きるために必要な生活の知恵として
基にあった状態の、基本的な筋道や道理からは枝別れしないように
誰にでも判りやすく丁寧に伝えてゆく親切さが必要とされる。
果たしてそれが、愛のない欲望の街角パクってます!で通用するかどうか? 
役に立つかどうか? 
この“Mind Resolve”に必要かどうか? 
今後の俺の課題でもある。 
…ご参考まで。
   
   
   もう既にはじまっちまったものを
   途中で上映中断はできない。
   誰も解らない結末を
   何人の残された者が
   いつ、どこで、どんなふうに観るのか? 
   少なくとも、第二次大戦の世に生きた世代は
   それを観ることはない。
   この時代はもう決して、模索や試行錯誤ではなく
   覚悟を決めて、腹をくくって
   自分たちで用意した次なる過酷な…
   ああ、暗れぇな。やんなっちまう。
   ただ、今後この地球上を完全に不毛の地にしちまうのか? 
   あるいは天国と地獄の狭間を
   いつまでも幻想のまま存続させられるのか? 
   そういう中で、気づいた者だけは
   本来の人間の生きるべき道筋や道理を
   次の世に残こしてゆく必要もある。
   政治も宗教も秘密結社も大本営の残骸も
   今まで通りにはやってらんなくなる。
   最初に封切られたEpisode1とかの続編。
   そのディレクターズ・カットは
   途中で心ある者によるプロデュースで変えちまえばいい。
   特殊効果やSFX、サンプリングは一切なし。
   人間が産まれたままの姿で営む実像の記録。
   その中で、フレームから切れる有象無象のエキストラ に終わるか? 
   もしくは主演の隣で脇役として光り輝くか? 
   俺は音響効果の手伝いに徹するけどね。たぶん。
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10015745806.html#cbox  (2006-08-22 19:34:28) より