3月10日は、昭和20年に東京大空襲があった日です。こちらは東京大空襲を中心とする戦災関連の資料館です。
交通が少し不便でわかりにくい場所にあります。バス の方がアクセスしやすいのですが、地下鉄 最寄りの住吉駅で降りたら所在地がよくわからなくて、迷いながら到着しました。
東京大空襲・戦災資料センターの入り口。入館料は大人300円です。
展示室は2階と3階になっていて、2階がこの写真パネルと、空襲の体験談を聞くような講演室になっています。
写真の中には炭化した方とかいらっしゃいました。
2階にはビデオコーナーがあります。ビデオは自動的に流れているのではなくて、見たいと希望申告して見ます。内容は、昔テレビで放映された東京大空襲の特集を20分程度に編集したものでした。
上の画像の部屋の反対側は、講演室で椅子が並べられています。 来た時は何もイベントはありませんでした。
こちら3階です。 飛行機は爆撃機のB-29。 小さな資料館なので、見学にはビデオも入れて、普通1時間程度見ておけば大丈夫だと思います。
撮影禁止 と書いてありましたが、尋ねてみたら遠景からならOKとのこと。小さい資料館は融通がきく所が多いので、写真大丈夫か訊いてみるのも手です。
展示物としては、消防団の制服、防空頭巾、防毒マスク、ブーツ、ポスター、焼夷弾の模型、軍票、映画のリーフレットなどありました。映画は「ハワイ・マレー沖海戦」「決戦の大空へ」など戦時中に製作された映画のチラシです。
アメリカの撒いた伝単ビラには「米国人はこんなに親切だ」という宣伝文句がありました。ビラは手前味噌じゃないと戦略にならないですからね。(^_^;)
左は空襲下で逃げ回って火の粉をかぶって破けた子供の着物。
戦争末期は鉄不足に陥ってしまい、手りゅう弾や缶詰、地雷は瀬戸物で作られていました。
遠景から撮った瀬戸物の缶詰。
こういう物を見ると、末期は本当に意地だけで戦争続行させていたのだな~と考えさせられます。面子って、プライドって、一体何なのだろう・・・。
戦前の日本人は神話の世界に生きていたのですね。
当時の子供が描き散らしたマンガの中の言葉です。
・コーヒー ⇒ 「コーヒ」
・お父さん ⇒ 「おやぢ」
・ちょう ⇒ 「テフ」
と書いてありました。「テフ」と書いて「ちょう」と発音したのでしょうか。
そういえば私の祖母も、きゅうりを「きうり」と書いてました。
当時の屋内を再現。窓ガラスには破損防止のためテープが貼られています。ちゃぶ台の足も当時の日本人の身長に合わせたのか、やけに低いです。
東京への空襲 は何回かあったのですが、その中でも昭和20年3月10日の空襲が最悪でした。 下町を中心に死者は8万人以上、隅田川・荒川の川面は死体で埋め尽くされたと言われています。
現在ではこのところ尖閣の雲行きが怪しくなっています。相手が突っかかってくるのはどうにもなりませんが、前例を見るにつけ、一体何のために戦争をするのか、国にとって大切なものは何なのか、つまらないメンツにこだわっていないかどうか、日本側としてもよく見極めてほしいですね。
■東京大空襲・戦災資料センター