東京大空襲 体験談 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


焼け跡 



 昭和20310日は東京大空襲があった日でした。そこで2chにあったものですが、太平洋戦争の際の空襲体験談をご紹介します。

 

 

●命拾い

 

528 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2009/03/20 13:21:21ID:8E066v250 [1/1(PC)]

 

東京大空襲にあった、祖父(当時、二十歳くらい)の話。

 

空襲が始まって祖父は、ひいばあちゃん(当時四十歳くらい)と一緒に防空壕に入った。普段ならやれやれと思うところだが、なんか落ち着かなかったという。

 

「なんかここではダメな気がする。隅田川まで逃げよう」

 

と提案したが、壕にいた近所の人たちは誰も聞かなかった。 祖父は嫌がるひいばあちゃんをおんぶして、防空壕を出た。

 

直後、落ちてきた爆弾(焼夷弾?)が防空壕を直撃。 壕に残っていた近所の人たちは、遺体の欠片さえなかったらしい。

 

 

●行方不明

 

667 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2009/04/13 05:04:54ID:s2298uygO [1/1(携帯)]

 

近所のばあちゃん……。 東京大空襲の時まだ5歳で、さらに幼い妹がいたそうだ。 空襲の中、親から「絶対に妹の手を離すな」と言われて、言いつけどおりに妹の手を握りしめ、逃げまわった。

 

ようやく火のない所にたどり着き、「もう大丈夫だよ」って振り返ったら、握っていたのは妹の手の肘から先だけだったそうだ。

 

両親や他の兄弟の姿も いつの間にかなく、ひとりぼっちで、妹の手だけ持って、そこからしばらくはどうやって生きていたのか記憶がないらしい。



空襲後 



●ゲーム感覚

 

473 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2008/09/07 23:27:41ID:I8L65o4t0 [1/1(PC)]

 

うちのばあさんも女学校の生徒の時、 アメリカの艦載機に機銃掃射されて逃げ惑ったそうな。

 

静岡県浜松市ではアメリカの艦載機が小学校を攻撃して、 下校中の小学生を射殺した。その現場には慰霊碑が建ってます。

 

アメリカは小学生だろうがなんだろうが低空飛行してしっかり確認してから 大笑いしながら機銃掃射して逃げ惑う小学生達を射殺した。注1)

 

注1)これは薬の影響もあるのかもしれません。当時の飛行兵は米軍・日本軍ともに覚せい剤を投与されることがあり、米軍ではその服用を拒否すると任務を外されました。戦前・戦時中の世界では覚せい剤の副作用のひどさが認識されておらず、当時は合法薬でした。

 

 

●無 言

 

669 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/04/13 15:57:37ID:gwXNwvTb0 [1/1(PC)]

 

以前近所のおばあちゃんから聞いた話なんだが… 地元の女学校を卒業するとそのまま東京の軍需工場に同級生達と駆り出された。

 

そんな中で空襲にあって右往左往して逃げ惑っていると、 何かに足をぶつけてすっ転んだ。 痛いんだが生死掛かってるし、とりあえずそんな事も言ってられないので さっさと起き上がった。

 

その際何にぶつかって倒れたんだろうと思ってちらりと後ろを見てみると それは焼死した幼い子供の死体だった。 片手にお人形を大事そうに持ったまま亡くなっていたそうだ。

 

おばあちゃんは「ああ!ゴメンねゴメンね!」って言って泣きながらそのまま逃げた。 どうにか走って駅までたどり着くと、 女学校の時の同級生が駅の入り口の壁に突っ立ってるのが見えた。

 

「○○ちゃん!無事だったのね!」と言いながら同級生に走りよって抱きつこうと 両腕を伸ばしたら、同級生はおばあちゃんの腕の中にバッターンと倒れてきた。

 

えぇ!?って思って同級生の背中を見ると血塗れになっていて、 同級生は既に事切れていた。

 

おばあちゃんの姿を見届けるまで倒れずに待っていてくれたのかなぁって思う。 おばあちゃんはまた泣いた。