群馬県にある陸上自衛隊の相馬原(そうまがはら)駐屯地の史料館を見学してきました。相馬原には2つの史料館・記念館があります。
1つは当地の自衛隊活動と旧軍の歴史が展示されている「桜武記念館」、もうひとつは「友魂記念館」です。戦前の相馬原には前橋陸軍予備士官学校がありましたが、友魂記念館はその戦没者を祀る施設です。
1回目は相馬原駐屯地の歴史的経緯と、友魂記念館をご紹介します。史料館の前には61式戦車と74式戦車が展示されています。相馬原駐屯地には1962年(昭和37年)から2001年(平成13年)までの39年間、第12戦車大隊が置かれていました。
61式戦車と74式戦車。ちょっと逆光で見えにくいですね。
61式戦車。現役61式を最後まで保有していた部隊でした。
74式戦車と「榮光 第12戦車大隊」の石碑。相馬原駐屯地は第12師団だったのですが、2001年に第12旅団へと改編されました。
部隊は連隊<旅団<師団の順に大きくなるので、師団から旅団は縮小ですね。それに伴い第12戦車大隊も廃止されました。現在戦車部隊は相馬原にはありません。
第12旅団広報室から画像をお借りしましたが、「第12旅団は、陸上自衛隊で唯一空中機動性を高めた旅団であり、群馬県・栃木県・長野県・新潟県の4県を担任地域としています」と説明されています。
出典:防衛省陸上自衛隊東部方面隊「第12旅団へようこそ!」
http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/12b/
74式砲塔には第12戦車大隊のトラのシンボルマークが見られます。当部隊は1985年(昭和60年)の日航機墜落事故でも災害派遣されています。
「歩道脇になんでカエルが?」と思ったら、「無事帰る(カエル)」というゲンを担いだものでした。
石碑には「前橋陸軍予備士官学校跡」と記されているようです。相馬原駐屯地は戦前、陸軍予備士官学校が設置されていました。
1941年(昭和16年)に陸軍予備士官学校が岩手県盛岡市の「盛岡陸軍予備士官学校」から、現在の群馬県北群馬郡榛東(しんとう)村へ移され、「前橋陸軍予備士官学校」と改称されました。
前橋陸軍予備士官学校(昭和16~20年)
陸軍予備士官学校とは旧制中学など、中等教育以上の学歴を持つ志願者から選抜され、1年などの短期間で予備役将校、または予備役下士官になるよう教育を行う学校です。その教育を受ける生徒は「幹部候補生」、略して「幹候」とも呼ばれました。
「幹候」といえば、俳優の池辺良さんを思い出しますね。予備陸軍少尉となっても短期仕込みの将校のため、最初は古参下士官から馬鹿にされ統率がとれなかった、などの苦労話がエッセイに残されています。
池辺良。映画では海軍軍服を着ていますが元陸軍中尉。
こちら友魂記念館の入り口です。
全景はこのような建物です。(第12師団のホームページより拝借)
内部には前橋陸軍予備士官学校出身者で戦没された方の遺影が飾られています。約8,000名以上のうち、約1,400名が戦死されました。
卒業年度ごとに分けられていますが、11期生が最後の戦没者であると、広報の方が言われていました。
前橋陸軍予備士官学校時代の写真。
出征された方の遺品等の展示。
群馬県を含む北関東では、ニューギニアやペリリューなど激戦地へ派遣された部隊が多かったようです。最後に一礼し、友魂記念館を後にしました。
次回は桜武記念館の見学についてです。(全2回)