もはや理由はわからないけどただただ泣けました。
 
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小学生、中学生の頃から宇野選手と共に戦ったり、共に歩んできた身としては、どれほどの覚悟で頑張ってきたのかを知っていますが、少し環境が変わるだけで、これからも頑張っていくのだろうから、僕からの「お疲れさま」は言わないでおこうと思います。

 どうかこれから先に、幸せをたくさん思い描けて、たくさん叶(かな)いますように。

 『宇野昌磨』の理想のスケートを、ずっと楽しんでいきます。

 普通の、年齢が3つ違いなだけの男性同士で、たわいもない会話をしましょう。そしてまたスケーターとして、リンクで、笑いながら本気出せる、熱くなれる、2人にしかできない時間を過ごせる機会がくることも、どちらも本当に楽しみに待ってます。

 「ゆづくん」として「昌磨」と世界で競技してこれたことが、本当に幸運なことで、楽しかったです。本当にありがとうございます。

 これからも“また”楽しみがたくさんありますように。

羽生結弦

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ほんとにほんとになんというか、この言葉が聞けて嬉しかった。

羽生氏の価値観と視点から2年前の昌磨のコメントを読み返し、再確認したような感覚。それぞれ価値観が違うことは理解した上で認めあう切れない絆というか、心からの抱擁がそこにあるのが見えるよな。

これは「礼儀」だとか「挨拶」だとかの言葉で軽く扱えるコメントじゃないよな。


昌磨の引退については、そうか、もうそんな時になったか、と、親戚の子の成長にびっくりするような感覚だった。思ったより早かったけども、たぶん彼の中の潮流みたいなものがそうさせたんだろうな、っていうのが伝わってきて清々しい。

これは昔から言ってることだけど、私は弓道をやっている上での感覚的なところで、昌磨の演技に共感することがけっこう多い。

彼の演技は、手先から出る糸で図形が描かれているような、禅僧の描く水墨画のようなイメージがあって、音楽をやや抽象化して骨組みを明確に、枝葉は描ききらないでおくようなところに趣味の良さを感じるんですよね。

私は自分とは違う驚異的な感性を持つ羽生氏の演技にいつも驚かされるし、最新の演目を常に見たいと思ってるけども、昌磨の演技にはいつもその感性に共感する。特に近年のショートやショーナンバーはますます趣味の良さが際立ってるし、ジャンルは違えど、羽生氏と高橋大輔さんを合わせた三人、間違いなく日本男子の三大スケーターだよね。

いつか三大テノール的な公演があったら素晴らしいなと思ってるんだけど、まあそれはその先の夢だとしても、こうして皆が競技を去った今、いがみあうそれぞれのファンのお気持ちに関わらず、また心置きなく彼らの芸術を語れたらいいなあと思います。

感動をどう書いていいかわからなくて時間が経ちましたが・・

ノッテステラータ最終日生配信と、初日のディレイ配信(仕事中だったのでカルミナのみ)を見ました。

なんか、羽生結弦の神髄見ちゃった気がする・・

なんて安っぽい感想しか出てこないけど、やっぱり凄い。クラッシックで滑る羽生結弦。

 

羽生氏自身は、クラッシックはあまり近しい存在じゃないと以前語ってたと思うけども、もしかしたら、近くないからこその良さ、なのかなあ。

彼の技能の生かされ方や、作品との距離感が絶妙だなっておもう。

 

ところで、羽生氏にぜひカルミナをやってほしい、っていうファンの意見は昔からあったけど、こういうのを想像した人はいたんだろうか?

私は漠然と運命の女神側を演じるとばかり思ってました。

人間の男の方だったとは。

(言ってることがちょっとバグってるw)

 

好きなのは、女神こと大地真央に誘惑される場面。

どのアクションも二人の動きがピッタリ合っているし、まさに紐で引っ張られて操られているみたいで何度も見ちゃう秀逸さ。

「進みたいのに進めない」という滑りの表現も面白い。こんなの初めて見た。

 

それにしても、鳥の声に「春」のフルートを繋いでからの「森は花咲き繁る」「この上なく美しい女」「終曲」ってのが神編曲ですよね!

春=震災のあった時期に、鳥のように跳ね回る10代の羽生氏のイメージを重ねつつ、原曲で描かれてる人間の生命力や猥雑さもちゃんとふまえてて最高。

 

あとね、冒頭の振り付けがいつもの「ルーティン」をちょっと崩したものだったのも面白かった!

なるほどその手があったか。

 

 なお、カルミナ・ブラーナの解釈については手っ取り早く解説動画をどうぞ。

白鳥の話も出てきて、なかなか良いです。

 

 

全曲聴くならはやはりこれかな。

小澤征爾 日本語字幕付き。

 

 

ダニー・ボーイ

カルミナの衝撃も凄かったけども、より心から震えたのはこちらかも。

 白鳥や春よこい、ハク様、それからレクイエムも、彼のこのようなプログラムは「人ならぬ何か」を表現していたことが多い気がするんですが、この曲は生身の人間・羽生結弦として逃げも守りもしない真心という感じで没入感がすごい。

きっと勇気のいることだと思うけど、叶うことならずっとずっと、ショーを続ける限りレパートリーにしてくださいお願いします。

 

この曲は、私の中では「ブラス」っていうイギリス映画の中で、入院した指揮者のためにバンドが病院の庭で演奏するシーンがとても印象的だった。

(最近日本のドラマでも似たようなのがあったな。)

 

そしてフィギュアではなんといってもハビちゃんのイメージ。

いかにもハビらしい北米ぽいヴォーカル入りで、あの高い音のところでイナバウアーを見せてくれるのが素敵だった。

当時羽生氏は21歳くらいだったかな?あの時は彼がこういうのを滑るなんて全然イメージできなかったけど、昨年の「サブスク堂」でこの曲が話題に上がった時は、

「今ならイケる!ダニー・ボーイ来い!来い!」

って思った。

月日の流れが感慨深い・・。

振り付けはデイヴィットですかね?

 

ジャンプのあとに足をちょちょいっとしてすぐにスピンに入るのが好き。(語彙力)

衣装も好き。真っ白で、キラキラしてて、でもボロボロなの。そして潔いオールバック。

これまで力強さ男っぽさを演じる時にやってたオールバック、この曲だとシンプルさの極みというか、もはや演じるためではなくて、羽生結弦の真心を見せるためのミニマムな姿って感じがする。

 

ステップのひとつひとつ、回転のひとつひとつが、音に合ってるとかそんな次元ではない音楽そのものと感情の重なりに見える。

この曲はいろんなバージョンがあるけども、このピアノの演奏の「間」が素晴らしく良いし、ほんとにこの曲と出会ってくれてありがとう。サブスク堂もありがとう。

 

もう火曜日だというのにまだ「光る君へ」の衝撃から立ち直れず。

昨日、職場で大河ドラマを見ていそうな人に話かけてみたけど、今年はあんまりいない・・(小声)

やっと見つけた一人も公任推しで、いまひとつ心が通い合わなかった。

 

しょうがないので今日になって、仕事もそこそこに「夕顔の巻」を改めて読みました。

第9回を見て夕顔の巻、特に後半を思い出したので。

 

学校や教材で扱う「夕顔の花」の歌のところが有名だけども、高校のときにたまたまこの巻を読んで、むしろその後の人間描写になんともいえないリアリティーとおぞましさを感じて印象に残ってます。

 

頓死した夕顔が次第に冷えて物質と化していくのをただ見ているしかできない無力感や焦りだとか。

なんでこんなところに連れてきてしまったんだろうという激しい後悔や自責の念だとか。

怖がって泣き伏す女房の右近を抱えて、大丈夫だよ、と一人で強がるものの、乳母子の惟光がやってきたとたんに力が抜けて激しく泣き出すだとか。

 

二人で協力しながらたどたどしく遺体を敷物でくるんで車にのせて、でも、もしかしたら、ワンチャン生き返るのでは、と思うとその場を去れないだとか。

心ここにあらずで仕事を休み、食事もできず、そのまま20日も休暇をとってしまっただとか。

 

もちろんシチュエーションは違うのだけども、まさにこのドラマの道長でありまひろであり、私たち視聴者の思いそのものだよな、と思いました。

 

本当に凄いもの見せていただいたな、って思いました。競技時代の感覚に近いものを感じる。


個人的には、特に椎名林檎プロが良かったんだけども、どの新プロも完全に音楽と一体化してて、彼自身のものになりきってたし、何より気迫がすごかった。

そして破滅への使者の冒頭4Sやばかった。


キュっとものすごい勢いで回りはじめ、緩めるように降りてきて、3回転かと見紛えた。

跳び方変わった?

そこから先のジャンプも凄まじくて、特に連続ジャンプ凄かったですねえ。単独ジャンプみたいに完璧で。

会場のボルテージがどんどん上がっていく感じも伝わったし、仕事を終わらせてリアタイして良かったなあ。


どっちかと言えば、彼は具体的なストーリーよりも音楽的感情を表現するタイプかなと私は思ってるんですけど、でもここまでいくと音楽だとかストーリーだとかいう次元ではなくて、その空間に現れた異世界を見る祭祀のような感覚があって、それはそれで羽生結弦にしかできないよなと言う納得感がある。

こうしていろんな人の好みにフィット・・というよりは好みも価値観も薙ぎ倒して圧倒させてしまうのが彼の凄さなんだろうな・・


さて、次のノッテ公演はどんな感じになるのかな。

スターズオンアイスには出るのかな?

今年もぜひ出て欲しいなと個人的には思ってます。


そうそう、個人的なことなんですが、某SNSがあまりにめんどくさいので、けっこうミュートしたらめっちゃ情報少なくなって、週一くらいしかチェックしないようになった・・らチケット情報とか逃しまくりましてw

どうしたら必要な情報を逃さないでいられるんだろうw


大河ドラマ、光る君へを楽しく楽しく見ていてどうしても書きたくなったこと。



◯緌(オイカケ)について

道長はじめ、武官が耳元につけてるモシャモシャしたやつw

お雛様の家来にもついてるけど、存在意義がずっとわからなくてですね・・

あれは「つけモミアゲ」または「つけ耳毛」だろうとずっと思ってました。なんか強そうに見えるじゃん。


でも今回ドラマ中で道長が弓を引くシーンを見て確信。

あれは弦で顔を打たないためのプロテクターだわ。(断言)


弓を引くとき、たまに顔に弦が当たるんですよ。

めちゃくちゃ痛いしメガネ飛ぶんですよ。

でも、あのモシャモシャがあれば安全。

痛くないし、メガネも飛ばない、はず。

顔を打つ弓道人は今日からオイカケをつけるべき。(嫌)


ちなみに知らなくていい補足をすると、現代の弓道で顔を打つのはミスでしかないので、あんなプロテクターつけてたらまあまあみっともないです。(いやそういうみっともなさじゃない)


でも昔の射法は、実戦で連射するために顔を打ちやすい方法を採用してたと聞くし、プロテクターは必須だったのかも。


どうでもいい情報でした。


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さて、光る君へ、けっこう楽しく見てます。

ストーリーは遅々として進まないけどw、その隙間隙間に古典文学小ネタと人間模様への考察がみっちり詰まってて、かつ、高校の教科書や受験問題集あたりに載ってたなくらいの知識でけっこう(あれかな)と見当がついたりするのがいい。(でなければ、私などにはわからないw)


しかし今回の道長の和歌!

あまりにド直球すぎてずるくないか。

技巧を凝らした、何言ってんだかわかんないような捻りまくった和歌がイケてた平安中期に、なんなんですかあの実も蓋もないレトリックはw

よくわからんけども、凝りまくった和歌よりこういうのが好き!って女子は実はけっこういたんじゃないかと思うぞ。


一方で彼の漢詩。

よくわからないけど、菊ってさ・・

「男同士で会うときに使うモチーフやんけ(いろんな意味で)」って思った私は中世文学に毒されてますかねw



そしてまひろ

かつて何でも正直に言葉にしていた彼女が社会に出て何度も炎上しながら、だんだんと言葉を失っていく感じ、なんかわかる。


一方で倫子はあらゆる状況において、息をするように洗練された言語化と振る舞いを見せられる。

まひろもそういう倫子をお手本にしようと頑張ってるんだけど、どうしてもそこに虚くささを感じとってしまう感性が邪魔をして、成りきれないんですよね。

なんかわかる。


しょせん人生とは虚構を生きることである、という理不尽な真実を、彼女は既にいくつも経験してるけども、なまじ経験してるが故に納得できない。

だからのちに、物語という虚構の中にのみ「真実」を見出せるという逆説に思い至るんだろうな。

すっげーわかる。



さいごに。

ドラマには散楽(猿楽)一座が登場しますよね。

源氏物語とほぼ同時期に、「新猿楽記」という作品がありまして、このドラマでは登場人物の私的な行動や庶民の様子を描くにあたって参考にしてるフシがあります。

「能」以前の「猿楽」を描いたものとして学生の時に読んだけど、あんまり面白かった記憶がないw

資料としては評価されても、文学としては・・どうなんだろ。今頃は再評価されてたりする?

猿楽や、そこに集うあらゆる職業や境遇の人間を皮肉っぽく類型化してこき下ろすあたり、アメリカンブラックジョークに近い味わい。

かつ、それを真面目ぶってわざわざ漢文で論評するの、インテリおやじの拗らせ臭が漂うんだよねw


書いたのは藤原明衡。当時の「役に立つ漢詩名作ベスト500」的なベストセラー実用書、「本朝文粋」の編者として真っ当に知られてるインテリ。

なぜ拗らせたかな・・w

光る君へ

初回、面白かったです。


かの有名な若紫の

「すずめの子を犬君が逃しつる!」

のオマージュもあったし、まひろが語る作り話が「桐壺」の話だったりとか、家の貧乏っぷりが「末摘花」だったりとか、いろいろありました。


でも個人的に面白いな、と思ったのは、まひろが三郎に「馬鹿」の故事を語ったくだりからの流れ。


まひろは、間違いを知っているのにへつらって指摘しない人を「馬鹿」というのだと言って三郎をなじるわけですが。

その一件のあと、彼は自分の兄が従者に暴力を振るったことを母に言っちゃうんですよね。

たぶん、彼は親に告げ口するタイプじゃないと思うんですけど、黙っていたらまひろの言う「馬鹿」になってしまうと思ったから、あえて言ったんだと思うわけです。


でも、それがきっかけで彼の兄は母への屈折した思いを拗らせまくって、結果としてまひろの母を殺しちゃう。


その因果応報っていうか言霊というか。

まひろが「馬鹿」となじった言葉がまわりまわって返ってくる。

兼家が晴明に呪いを発注するシーンもありましたが、これが「呪い」や「言霊」の本質ってことですよね、たぶん。


そもそもが平安時代という馴染みの薄い時代を扱っているわけなので、見る方も知らないことだらけなのをわかってるし、いっそ「呪いとはなんぞや」ってことをセリフで直接説明しちゃえば早いと思うんですけども、軽々しく言葉で説明しないで、あくまでもドラマ的表現で見せていこうというのが、なかなか腹筋の効いた仕様で面白いなと思いました。

こういうの、私は好きです。



葬送のフリーレン


アニメですけど、これがえらく面白くて最近ハマっております。

娘が金ローで初回を見ていたとき、「音楽 エバン・コール」ってのを見かけて、「えーー!鎌倉殿の13人の音楽を担当した作曲家じゃん!」と食いついたのがきっかけ。(そこ?)


一見、わりとのんびりしたアニメで、ゼルダの伝説とかドラクエとかに出てくるような、わりとありがちな、わかりやすいファンタジー設定。

でもストーリーはRPGにあるような冒険譚とか自己犠牲とか技を磨いて強くなるとかの少年ジャンプ的な内容じゃなくて・・っていうかそういう要素もないわけじゃないけど、人生における一つのエピソードとしてさらっと描かれるだけでことさらフォーカスしないんですよね。


このアニメ、10年かけて魔王を倒した勇者が故郷に戻ってきて、「さあ仕事を探さなきゃ」とボヤいてるところから始まるわけなんですけど、もはや魔王もヒーローもいない、栄光と後悔と恥に満ちた人生のその先をいかに生きるか、っていうことがおそらくメインテーマで、いろんな人間模様が角度を変えながら描かれている。


脇目もふらず何かのために生きてきたつもりなのに、人生折り返す頃になって、気づけば若い人や子供に教えられ助けられて生きていることに気づくのも、いつしか新しい視点を獲得し、内面が変わり、行動が変わっていくのも、何かをきっかけに過去の記憶が鮮明に塗り替えられるのも、自分は死んだ人々の記憶を抱えて今生きているという感覚も、数十年前が「最近のこと」みたいに思えるのも、歳をとるほど「あるある」と共感する話じゃないかと思うんです。

ストーリーよりも、些細な言葉のやり取りの中にリアルな人生を垣間見るというかなり渋い仕様で、50代が見ても普通に等身大に共感できる。

この先どうなるかは知らんけど。


もちろん恋愛要素もあったりするので若い人も面白いのだろうけど、どちらかというとその親世代、40代以上が見た方が色々感じるところがあるんじゃないかなあ。

とにかくどーでもいいところで不意に泣かされる。


素直じゃないひとつひとつの言葉に人生の実感がこもっていて、良い。

戦闘シーンで「あ、あの技は!」みたいに延々説明する的な、くっそ退屈な(くそ退屈いうな)シーンが、無いわけじゃないけど少ないのも大変よい。

そして音楽が良い!

エバン・コール最高かよ。

ミレイが歌うエンディングも好き。


第二シーズン、次回も楽しみにしてます。


リプレイ(表記むずいのでカタカナでごめんな)の地上波放送見ました。

いい放送でしたね〜

これは11/5日の演技かな?


インタビューも良かったし、お姿がまた一段と美しくて、ジャガードの青い服がよくお似合い。

羽生氏といえば高そうだけどなんか違う服を着がちなイメージ(どんなイメージ)がちょっとあるんだけど、今回はものすごく品があってとても似合ってました。

やっぱり青は正義。


そして解説やストーリーがない代わりに本人インタビューが入ってるのもよかった。演技ではない、彼自身の人となりが改めて伝わる。


っていうかですね・・

たぶん老化なんですけど、このところ集中力がガックリ落ちて、羽生氏のアイスショーは情報量が多いものだから、私の脳の容量をちょいちょいオーバーして集中力が散漫になっちゃう時がある、その現象とどう向きあったらいいか、模索中だったんですよ。

だから今回、裏舞台的なドキュメンタリーと演技のみが抽出されたものの組み合わせがシンプルに面白かった。

「リプレイ」をよりストレートに受け取ることができて、ああ、こういうふうに見たらいいんだな、っていう気づきがあってありがたかったです。


特にMIKIKOさんが、「ゲームを知らない人代表として、自分が面白いと思えるものを作る」というようなことを仰っていたのが非常に刺さりました。


ゲームの知識に限らず、ストーリーもですけど、理解が追いつかないのを申し訳ないなあと思ったり、羽生氏が伝えたいことを理解してあげなきゃ、色々調べなきゃ、知らなきゃみたいな気持ちが、これまでけっこうあって、その気持ちが素直に楽しむ気持ちを妨げてたなって気づいたんですよ。

よくわからないっていう現実を受け入れて、ストーリーを理解せねばと躍起になったりせずに、ただ演技を楽しんでいいんだな、って思いました。

ちょっと楽になったかも。


そしてゲーム界隈の人たちがまた続々と、彼の演技の真髄に気づいていらっしゃるらしいのが嬉しいし、そのことはきっと羽生氏にも伝わってるんだろうなと思ってます。


佐賀はCSで視聴の予定。楽しみにしてます。

特に男子フリーの神大会っぷりは凄かったなあ。

昌磨の音楽表現の達者さは言うに及ばずだけど、今回特に強い印象を残した演技はなんと言っても友野くんだった。

もともと足し算の演技に優れたところに、音楽をそのまま表現していく引き算の音楽表現が加わって、より洗練されて、びっくりするほど美しさが増し増しで、一段と彼の演技が好きになったな。

たぶん私はこのタイプの演技に目がないのね。


もちろん、競技としてその美意識と競技的な点の取りやすさとをどう塩梅するかは彼自身の目指す方向性や適性はもちろん、振り付け師の感性や陣営の戦略もあるんだろうし選考結果も妥当だとは思う。

でも20代半ばになって、あのようなほんまもんの美が輝き出した時に往々にしてその内容が点数に繋がらなくなるという競技のジレンマはつくづく残念だと思うし、日本男子群雄割拠すぎて友野くんが今季の試合でもう見られないかもしれないのは残念すぎるな・・

あ、もしや、国体がありますか?


さて競技者として最強だったのは鍵山くんかな。

考え抜かれ、ひとつの無駄もない仕上がり。自我も主義主張も欲も昇華して冷徹なほど競技に徹することができる、ネイサンイズムの継承者だわね・・という思いを強くした。

勝敗にこそ敗れたけど、事実上は日本男子最強なのでは。(つたわれ)


三浦くんの世界選手権は胸アツだなあ。

鍵山くん同様理知的な面もありつつの、そこに徹しきらずに最後は理屈で説明できない情熱で自分を燃やし尽くすところは羽生氏のマインドを受け継いだような感があり、少々荒さはあっても観客の心を動かすんだよね。


女子は坂本っちゃんが最強すぎて何も言えねえ。

キャラクターも含めて、真に歴代最強って感じがするなあ。


そして千葉百音ちゃん。

ちゃん付けしちゃ申し訳ないような美しさ神々しさ。神々しいといっても近寄り難くは無くて、氷上に立つとすっと観音様か何かが降りてきて後光がさすような、そんな感じ。

10代の選手にこういう美しさを見たのは宮原さん以来ですよ・・

衣装の輝きと演技の動きと音楽の動きがぴったりあっていて、そのコラボも作品としてとことん美しくてゾクゾクしました。


世界選手権デビューがつくづく嬉しい。

頑張っていい成績を残してほしい、というのとはちょっと違って、「世界じゅうのフィギュアファンに演技を見てほしいから、そのためにいい成績を残せたらいいよね」って思うような選手。


全日本王者二人はまあ別格としても、友野くんと百音ちゃんは今一番見応えある現役選手だと思ってる。

スターズに出てくれたらいいなあ。羽生氏もね。


どうする家康、面白かったです。

最初の3話くらいはマジで

 

どうすんのコレw

 

って感じで先行き不安しかなく、岡田信長の強烈さと松山ケンイチ頼みで見てたんですけど、築山殿事件のあたりから、がぜん面白くなってきました。

「このまま鎌倉殿の義時みたいに真っ黒になるのか?」

と思ったら、それを巧みに回避して・・まあ血みどろの戦いは全然回避できてないんだけどもw、有能な陣営が徒党を組んで、あくまでも平和のためと言ってしまう力技がすごい。(褒めてる)

 

信長の死後に彼を体現していく茶々が素晴らしかったなあ。最後はどの武将より壮絶だったw

そして松山ケンイチが最後まで良かった。

「平清盛」、最初の2話で挫折してすまんかったな・・

 

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さて来年は平清盛以来久々の平安時代、しかもガチ平安中期ということで期待と不安でいっぱい。

とりあえず私の注目ポイントは

 

◯女性の座り方

◯うさんくさい安倍晴明

◯柄本佑のイケメンすぎない絶妙なセクシーさ

◯橋爪淳が時代劇にカムバック

 

でございますね。

特に語りたいのは橋爪淳。

若かりし頃、私の最推しでしたのよ。

「期待の新人」というざっくりしたキャッチコピーがよく合う鷹揚な美形で「若大将天下御免」やってたり、TBSの「源氏物語」で頭中将(若い頃)やってたり・・

超久しぶりの時代劇、かつ、えらいイケおじっぷりにちょっと興奮しております。

 

 

 

 

そして毎回気になってる女性の座り方。

鎌倉殿の時も書いた気がするし、ネット上にいくらでも情報が落ちてると思うので詳細は控えますけど、江戸時代中期くらいまでは女性もあぐら(もしくは立膝)だったわけですよね。

まして平安時代、貴族は袴、庶民はしびら、ひらみ、と言われるスカートを装着していて、当時はおそらく全日本人があぐらをかいても安全な状況だったはず。しらんけど。

 

でも70年代、平安初期を題材とした「風と雲と虹と」が放送された時、時代考証に則って女性が立膝で座ったら「みっともない」ってお茶の間からクレームがきたという笑い話(笑い話なのか?)がありました。

30年前にそれを知って

「昭和40年代の人ヤバくないですか」

ってなったけど、聞けば数年前の「麒麟が来る」でさえも荒れたというから令和の人も大概だわね。

一体誰がそんなクレームを・・?

アナタにどんな利害があるっていうのよ・・

 

板の間に正座するのは痛い。(実感)

人体の理屈にあわない(実感)

膝壊さないように時々整体行かなきゃいけない(現実)

だから板の間に正座するの、いいかげんやめませんか弓道連盟様、と思ってるダメ弓道人の私が言いますけど、趣味でやってる弓道はともかく、ぜったいあぐらかいてた戦国時代の女性役にわざわざ正座させるの、ほんとやめたげて欲しい。

来年は女性が主人公なので、そろそろ正座しない風習を浸透させていただきたいところです。

 

そして

ユースケサンタマリアによる、微塵も爽やかさの感じられない(褒めてる)安倍晴明も楽しみですw

もちろん、萬斎様はもちろん、我らが羽生晴明様の透明感と美しさが脳裏に焼き付いているからこそのあの不透明感(だから褒めてる)が生きるのだと思いますけどね。

羽生結弦さん29歳の誕生日おめでとうございます㊗️

29歳!

いよいよ30歳間近の29歳!!!

我々にまた一歩近づいた29歳!

(全然近づいてない)


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夜中に武部氏のおめでとうツイートがあったと知って感動してまして・・

だってFNSの直後ですよ?


話はちょっと逸れるけど、FNSの、浜崎あゆみさんのパフォーマンスが素晴らしくて。(20年遅れの認知)

 そんな風に周りが言えば言う程に 笑うことさえ苦痛になってた」って歌詞をアドリブで「あなたが言えば」にかえて、カメラ目線でこっちに指さしたんですよね。

私はその歌知らなかったんですけど、字幕で見て「歌詞違うじゃん?」ってなりつつ、その刺すような目に度肝抜かれました。

そしてちょうど「リプレイ」の「応援していたんだろう?」ってシーン思い出しました。


他にも、羽生氏関連で歌を聴いた人たちがたくさん出てましたね。

「NANA」のカバーもあったし、堂本さんもいて、番組を見ながらちょうど羽生氏のことをちょいちょい思い出してたところからのツイートだったので、感慨ひとしおだった。


っていうかね。ポップス全然わかんない私がFNSを見て楽しんでるのは完全に羽生氏のおかげな訳ですよ。

これはもはや羽生氏=「音楽業界の人」で良いのでは?とテレビを見ながら思った。

そこにFNSの音楽監督である武部さんからの、あんな忙しい日の夜中のメッセージが送られたのを見て、きっと彼を「音楽仲間」って思ってるんだろうな、きっとずっと気にかけていたんだろうな、と感じられてすごくグッときました。

勝手な思いだけども。


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話は変わって、にゃちだーやさん、というエストポリス伝記のファンの方が、自身のYouTubeでエストポリスや羽生氏について語っている動画を昨日見まして、それもまた良かった。



エストポリス伝記の音楽のコンサートに羽生氏のフラワースタンドが飾られていたという話題がありましたが、そのツイートがきっかけで、にゃちだーや氏は作曲者の塩生さんに直接質問をすることができたらしいんですよね。

そして作曲者と直接話ができたことについての彼の感想、まさにそれ!って思いました。


「人の感情とか気持ちがそのカセットの中には入っていて、それが20年越しに出てくるっていう、そういうふうな感覚に陥りました。」


私はこのゲームのファンというわけじゃないけど、すごく共感する。

私が羽生氏の演技を見る理由もそれですよ。

彼はいつも、音楽っていう箱の中に入っている感情を、まるで作曲者自身であるかのように開封して、氷上に展開してくれる。


っていうか、音楽を聞く、演奏するって、まさにそういうことですよね。

楽譜の中にある人の感情、クラッシックなら20年どころか、200年越し、300年越しなわけだけど、そこにあるのはおそらく時代の変遷では失われないような。人間にとって普遍的な感情であり真実だろうと思うんですよね。


楽譜の中でそういう感情に出会う時、あるいは素晴らしいアーティストの演奏でその感情を知った時は、まさに作曲者が裏話を語ってくれているような感覚に陥る。


羽生氏のバラ1やノッテステラータ、天と地とではまさに今は亡き作曲者と出会う体験をしたし、時代は新しいけど花は咲く、春よこい、あの夏へ、いつか終わる夢、そして阿修羅ちゃんにもその感覚がありました。


もちろんにゃちだーや氏はあくまでも塩生さんご本人に話を聞けた喜びを語ってるのであって、そこは羽生氏の演技とは直接関係ないんだけども、でも音楽を通して作曲者自身の感情と繋がる強烈な感動体験があって、そのきっかけが羽生氏だったという意味で、私はすごく共感するものがありました。


どんな形であれ、彼は音楽のその向こうにある世界と我々を繋いでくれる人なんだな、って思います。

そしてまたいずれ、羽生氏が数百年前の感情を語ってくれる機会があったらいいなと密かに期待しています。