大河ドラマ、光る君へを楽しく楽しく見ていてどうしても書きたくなったこと。
◯緌(オイカケ)について
道長はじめ、武官が耳元につけてるモシャモシャしたやつw
お雛様の家来にもついてるけど、存在意義がずっとわからなくてですね・・
あれは「つけモミアゲ」または「つけ耳毛」だろうとずっと思ってました。なんか強そうに見えるじゃん。
でも今回ドラマ中で道長が弓を引くシーンを見て確信。
あれは弦で顔を打たないためのプロテクターだわ。(断言)
弓を引くとき、たまに顔に弦が当たるんですよ。
めちゃくちゃ痛いしメガネ飛ぶんですよ。
でも、あのモシャモシャがあれば安全。
痛くないし、メガネも飛ばない、はず。
顔を打つ弓道人は今日からオイカケをつけるべき。(嫌)
ちなみに知らなくていい補足をすると、現代の弓道で顔を打つのはミスでしかないので、あんなプロテクターつけてたらまあまあみっともないです。(いやそういうみっともなさじゃない)
でも昔の射法は、実戦で連射するために顔を打ちやすい方法を採用してたと聞くし、プロテクターは必須だったのかも。
どうでもいい情報でした。
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さて、光る君へ、けっこう楽しく見てます。
ストーリーは遅々として進まないけどw、その隙間隙間に古典文学小ネタと人間模様への考察がみっちり詰まってて、かつ、高校の教科書や受験問題集あたりに載ってたなくらいの知識でけっこう(あれかな)と見当がついたりするのがいい。(でなければ、私などにはわからないw)
しかし今回の道長の和歌!
あまりにド直球すぎてずるくないか。
技巧を凝らした、何言ってんだかわかんないような捻りまくった和歌がイケてた平安中期に、なんなんですかあの実も蓋もないレトリックはw
よくわからんけども、凝りまくった和歌よりこういうのが好き!って女子は実はけっこういたんじゃないかと思うぞ。
一方で彼の漢詩。
よくわからないけど、菊ってさ・・
「男同士で会うときに使うモチーフやんけ(いろんな意味で)」って思った私は中世文学に毒されてますかねw
そしてまひろ
かつて何でも正直に言葉にしていた彼女が社会に出て何度も炎上しながら、だんだんと言葉を失っていく感じ、なんかわかる。
一方で倫子はあらゆる状況において、息をするように洗練された言語化と振る舞いを見せられる。
まひろもそういう倫子をお手本にしようと頑張ってるんだけど、どうしてもそこに虚くささを感じとってしまう感性が邪魔をして、成りきれないんですよね。
なんかわかる。
しょせん人生とは虚構を生きることである、という理不尽な真実を、彼女は既にいくつも経験してるけども、なまじ経験してるが故に納得できない。
だからのちに、物語という虚構の中にのみ「真実」を見出せるという逆説に思い至るんだろうな。
すっげーわかる。
さいごに。
ドラマには散楽(猿楽)一座が登場しますよね。
源氏物語とほぼ同時期に、「新猿楽記」という作品がありまして、このドラマでは登場人物の私的な行動や庶民の様子を描くにあたって参考にしてるフシがあります。
「能」以前の「猿楽」を描いたものとして学生の時に読んだけど、あんまり面白かった記憶がないw
資料としては評価されても、文学としては・・どうなんだろ。今頃は再評価されてたりする?
猿楽や、そこに集うあらゆる職業や境遇の人間を皮肉っぽく類型化してこき下ろすあたり、アメリカンブラックジョークに近い味わい。
かつ、それを真面目ぶってわざわざ漢文で論評するの、インテリおやじの拗らせ臭が漂うんだよねw
書いたのは藤原明衡。当時の「役に立つ漢詩名作ベスト500」的なベストセラー実用書、「本朝文粋」の編者として真っ当に知られてるインテリ。
なぜ拗らせたかな・・w