どうする家康、面白かったです。

最初の3話くらいはマジで

 

どうすんのコレw

 

って感じで先行き不安しかなく、岡田信長の強烈さと松山ケンイチ頼みで見てたんですけど、築山殿事件のあたりから、がぜん面白くなってきました。

「このまま鎌倉殿の義時みたいに真っ黒になるのか?」

と思ったら、それを巧みに回避して・・まあ血みどろの戦いは全然回避できてないんだけどもw、有能な陣営が徒党を組んで、あくまでも平和のためと言ってしまう力技がすごい。(褒めてる)

 

信長の死後に彼を体現していく茶々が素晴らしかったなあ。最後はどの武将より壮絶だったw

そして松山ケンイチが最後まで良かった。

「平清盛」、最初の2話で挫折してすまんかったな・・

 

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さて来年は平清盛以来久々の平安時代、しかもガチ平安中期ということで期待と不安でいっぱい。

とりあえず私の注目ポイントは

 

◯女性の座り方

◯うさんくさい安倍晴明

◯柄本佑のイケメンすぎない絶妙なセクシーさ

◯橋爪淳が時代劇にカムバック

 

でございますね。

特に語りたいのは橋爪淳。

若かりし頃、私の最推しでしたのよ。

「期待の新人」というざっくりしたキャッチコピーがよく合う鷹揚な美形で「若大将天下御免」やってたり、TBSの「源氏物語」で頭中将(若い頃)やってたり・・

超久しぶりの時代劇、かつ、えらいイケおじっぷりにちょっと興奮しております。

 

 

 

 

そして毎回気になってる女性の座り方。

鎌倉殿の時も書いた気がするし、ネット上にいくらでも情報が落ちてると思うので詳細は控えますけど、江戸時代中期くらいまでは女性もあぐら(もしくは立膝)だったわけですよね。

まして平安時代、貴族は袴、庶民はしびら、ひらみ、と言われるスカートを装着していて、当時はおそらく全日本人があぐらをかいても安全な状況だったはず。しらんけど。

 

でも70年代、平安初期を題材とした「風と雲と虹と」が放送された時、時代考証に則って女性が立膝で座ったら「みっともない」ってお茶の間からクレームがきたという笑い話(笑い話なのか?)がありました。

30年前にそれを知って

「昭和40年代の人ヤバくないですか」

ってなったけど、聞けば数年前の「麒麟が来る」でさえも荒れたというから令和の人も大概だわね。

一体誰がそんなクレームを・・?

アナタにどんな利害があるっていうのよ・・

 

板の間に正座するのは痛い。(実感)

人体の理屈にあわない(実感)

膝壊さないように時々整体行かなきゃいけない(現実)

だから板の間に正座するの、いいかげんやめませんか弓道連盟様、と思ってるダメ弓道人の私が言いますけど、趣味でやってる弓道はともかく、ぜったいあぐらかいてた戦国時代の女性役にわざわざ正座させるの、ほんとやめたげて欲しい。

来年は女性が主人公なので、そろそろ正座しない風習を浸透させていただきたいところです。

 

そして

ユースケサンタマリアによる、微塵も爽やかさの感じられない(褒めてる)安倍晴明も楽しみですw

もちろん、萬斎様はもちろん、我らが羽生晴明様の透明感と美しさが脳裏に焼き付いているからこそのあの不透明感(だから褒めてる)が生きるのだと思いますけどね。

羽生結弦さん29歳の誕生日おめでとうございます㊗️

29歳!

いよいよ30歳間近の29歳!!!

我々にまた一歩近づいた29歳!

(全然近づいてない)


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夜中に武部氏のおめでとうツイートがあったと知って感動してまして・・

だってFNSの直後ですよ?


話はちょっと逸れるけど、FNSの、浜崎あゆみさんのパフォーマンスが素晴らしくて。(20年遅れの認知)

 そんな風に周りが言えば言う程に 笑うことさえ苦痛になってた」って歌詞をアドリブで「あなたが言えば」にかえて、カメラ目線でこっちに指さしたんですよね。

私はその歌知らなかったんですけど、字幕で見て「歌詞違うじゃん?」ってなりつつ、その刺すような目に度肝抜かれました。

そしてちょうど「リプレイ」の「応援していたんだろう?」ってシーン思い出しました。


他にも、羽生氏関連で歌を聴いた人たちがたくさん出てましたね。

「NANA」のカバーもあったし、堂本さんもいて、番組を見ながらちょうど羽生氏のことをちょいちょい思い出してたところからのツイートだったので、感慨ひとしおだった。


っていうかね。ポップス全然わかんない私がFNSを見て楽しんでるのは完全に羽生氏のおかげな訳ですよ。

これはもはや羽生氏=「音楽業界の人」で良いのでは?とテレビを見ながら思った。

そこにFNSの音楽監督である武部さんからの、あんな忙しい日の夜中のメッセージが送られたのを見て、きっと彼を「音楽仲間」って思ってるんだろうな、きっとずっと気にかけていたんだろうな、と感じられてすごくグッときました。

勝手な思いだけども。


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話は変わって、にゃちだーやさん、というエストポリス伝記のファンの方が、自身のYouTubeでエストポリスや羽生氏について語っている動画を昨日見まして、それもまた良かった。



エストポリス伝記の音楽のコンサートに羽生氏のフラワースタンドが飾られていたという話題がありましたが、そのツイートがきっかけで、にゃちだーや氏は作曲者の塩生さんに直接質問をすることができたらしいんですよね。

そして作曲者と直接話ができたことについての彼の感想、まさにそれ!って思いました。


「人の感情とか気持ちがそのカセットの中には入っていて、それが20年越しに出てくるっていう、そういうふうな感覚に陥りました。」


私はこのゲームのファンというわけじゃないけど、すごく共感する。

私が羽生氏の演技を見る理由もそれですよ。

彼はいつも、音楽っていう箱の中に入っている感情を、まるで作曲者自身であるかのように開封して、氷上に展開してくれる。


っていうか、音楽を聞く、演奏するって、まさにそういうことですよね。

楽譜の中にある人の感情、クラッシックなら20年どころか、200年越し、300年越しなわけだけど、そこにあるのはおそらく時代の変遷では失われないような。人間にとって普遍的な感情であり真実だろうと思うんですよね。


楽譜の中でそういう感情に出会う時、あるいは素晴らしいアーティストの演奏でその感情を知った時は、まさに作曲者が裏話を語ってくれているような感覚に陥る。


羽生氏のバラ1やノッテステラータ、天と地とではまさに今は亡き作曲者と出会う体験をしたし、時代は新しいけど花は咲く、春よこい、あの夏へ、いつか終わる夢、そして阿修羅ちゃんにもその感覚がありました。


もちろんにゃちだーや氏はあくまでも塩生さんご本人に話を聞けた喜びを語ってるのであって、そこは羽生氏の演技とは直接関係ないんだけども、でも音楽を通して作曲者自身の感情と繋がる強烈な感動体験があって、そのきっかけが羽生氏だったという意味で、私はすごく共感するものがありました。


どんな形であれ、彼は音楽のその向こうにある世界と我々を繋いでくれる人なんだな、って思います。

そしてまたいずれ、羽生氏が数百年前の感情を語ってくれる機会があったらいいなと密かに期待しています。



メンシプで公開されたゴリアテとアクアの旅路。

特にゴリアテは当初、氷上でやる予定はない、って話だったと思うんですけど・・

リプレイで披露してくれることになったってことでよろしいの?


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ゴリアテの好きなとこ

貞子みたいに画面に迫ってくるところ

ハンヤンが栗拾いしてるみたいな斬新な体勢のスピン

足持ちハイドロ

再び貞子が画面に突進してくるところ

突進された我々が転がりながら宙を見つめるところ。


アクアの旅路と、全く曲調の違う2曲を表裏のように並べて、でもどちらにもそれぞれにジャンプがありスピンがありステップがあり謎体勢があって、いろんなパッセージで飽きさせない。



特にゴリアテのラストの映像が好き。

貞子(違)に蹴散らされ、首を刎ねられ、それでも我々は彼の演技を見続ける。


なんかもう、「成敗!」って感じがしませんか。

ゴリアテの伝説に寄せつつ、我々に対する愛憎の入り混じった、でもどこかに親しみというか、ユーモアというか、どこか茶目っ気も感じさせるじゃないですか??

ものすごく勝手な感想だけど。


何にせよ、私は成敗されて嬉しかった。

救われた気分になりました。

彼の覚悟を素直に受け止めよう。


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余談ですが

婦人画報12月号、みんなの憧れ佐竹範士の弓道特集がありました。



いわく

「自分を躾けることができるのは自分だけ」

「一瞬一瞬に顕れる自己の本心をどう扱っていくかが弓道における鍛錬。心の揺らぎや不安を自分自身でコントロールする力が鍛えられますから、何か起こった時に、自分で解決できる力が身につくわけです。自分自身が強くなれば、相手を傷つけることもなくなります。」


一瞬一瞬にあらわれる自己の本心、っていう言葉について、ここ数日考えていました。


範士は、本心を「抑える」とも「消す」とも仰っていないんですよ。

つまり「本心」は、それが心に顕れるその時点では、良いも悪いもない、ただ正直な人間のありさまだと思うんです。

それは消えないし、抗えないものだと思うけど、だからといって自分にとって楽で快適な方向に解釈して言葉にしたり行動したりしていては人を傷つける。

または逆に人を傷つけまいと、本心を無視してストイックに振り切りすぎては形だけになって、いずれモチベーションを失ってしまう。


本来良くも悪くもない自分の本心をどんな規律で解釈し、なだめ、体現していくのかは、時により人によりで、決まった正解はないですよね。

自分はどうするのが良いのか、日々問いかけながら、試行錯誤しながらアップデートしていくのが鍛錬であり「自分を躾ける」ということなのかなと思いました。

全然できてないけど。


その点羽生氏は若いながらも、もちろん道は半ばかもしれないけども、日々それを鍛錬し続けているのが伝わるし、本当に尊敬しています。


仕事にかまけてなんとか自分の感情をやり過ごしつつ、何も言えずに今日までいました。

もう今更なのかもしれないけども、今頃ファンダムは新しいテーマを見つけてるかもしれないけども、とにかく今回のことが残念で悔しくて申し訳なくて、書いてます。


私はネットの隅っこながらSNSというメディアで発信をしている身として、自分も決して潔白じゃないなと思うんです。


言葉遣いが雑だし、時に批判的になってしまうし、その場限りで主張が一貫していない。

それが直接彼に伝わったとは思わないし、影響したとも思わないけども、胸に手を当てて考えるに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


しなかったことを後悔していることもありますよ。


それは、彼が結婚したのを「ショック」だと表明するのは、特に奥さんの心への攻撃なんじゃないか、と思っていたけど書かなかったこと。

一般論として、結婚したのをショックと言われたら、その相手は自分を否定されたように思うよね、心を引き裂かれるよね。それをそばで見る夫も。


もちろん、彼女に対してもっと酷いことを言う人がいたのも知ってるし、週刊誌のストーキングは問題外。

でも、ごく普通の善良で悪意のないファンの間で、無自覚に普通にナチュラルに大っぴらに当然のように「ショック」「立ち直れてない」などの言葉がいつまでも大量に溢れていたことは、「仕方のないこと」なのかな。

興味ゆえに悪意なく週刊誌を読む人がいなくならないのも、「仕方のないこと」なのかな。

いつまでも、「推し活」なる消費を免罪符に彼に甘えるのは「応援」なのかな。


悪意ある人を止めるのは難しくても、せめて良心あるファンは、その知性と自制心とプライドをもってすれば、悪意のない衝動を抑えられるんじゃないかな。


でもね、私は勇気がなくてそれを書けなかった。

「リプレイ」の中に、週刊誌などを読み漁る人、依存症的なファンへの批判があったことも気づいていたし、自分の心には止めたけども、あえて書こうとはしなかった。

怖かったし、突き詰めると私自身への批判でもあったから、避けてしまった。

私はそういう弱さを本当に恥ずかしく思うし、どんなに謝っても謝りきれない。


ずいぶん感想遅くなっちゃいましたが・・

4日は、中学の同窓会でして・・

すぐに帰ってCS録画見ようと思ってたんですけど、元ヤンキーの皆さまと35年越しで意気投合してついつい飲み歩いちゃいましてw


幸か不幸かなんの情報もないまま、5日の夕方に娘と一緒に見ました。

いやいや、今回もいいショーでしたね・・

(何その簡単な感想)


娘はアンダーテールで爆上がりしてましたが、アンダーテールもFF9もエストポリス伝記Ⅱも未プレイの私にも、別に問題なく伝わったような気がする。


どんな道を辿っても、巡り巡って行くべきところに辿り着くし、無限に分岐しながら繰り返しながら、あなたもわたしも皆同じような因果応報に翻弄され、互いに影響されながら人生をめぐっているというか。


これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬもあふさかの関


みたいなもので、行き交う人、生と死、皆が抱える闇なり光なりが交差する瞬間がこのショーなんだな、というようなことをぼんやり考えました。


そして、そういえば今回のショーには舞台装飾のようなものが何もないな、って思いました。広告も設置されてないし、ステージもなければ、ましてや「手」もない。

プロジェクションマッピングもゲームのデータも実体があるわけではなくて、ショーがおわって客電が点けば、何ひとつ残らない。

能の松風じゃないけど、「氷ばかりや残るらん」っていう無常感をすごく感じたショーでもありました。

でも彼のショーは、その瞬間には確かにそこに命があって、たとえかりそめでも、何かがそこに生きていたという記憶はいつも強烈に残る。


GIFTの「水平線」もそうだったけど、今回も特にラストの「私は最強」のアドリブが素晴らしいなと思っていて。

きっと体力も気力も尽き果ててると思うんですけど、だからこそ意図でも演出でもなく、ただそこにある羽生結弦の魂が具現化しているように見えて、水色のパーカーも含めて本当に美しかった。


それを賞賛するのは残酷なことなのかもしれないけども、でもそういうギリギリのエッジに立つことができる人間が芸術家の宿命を背負ってるのであり、羽生結弦はその一人なんだと私は思ってます。


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さて、感想があらゆる方向にとっ散らかりそうなので、とりとめないけど順不同で思いついた順にいきます。


後半の「いつか終わる夢」

今回一番好きな演技。

羽生結弦の一つの到達点みたいな感じがする素晴らしい作品だなあと思いました。

後半に前半と同じ音楽を繰り返して、かつ最初とは違う感情を表現するってのはクラッシックの伝統的な手法ですけど、時間や構成の縛りのある競技でそういう表現をするのは無理だろうな、でも、羽生氏がいつかそういう曲想をスケートで演じたらどんなに凄いだろうな、見てみたいな、ってずっと思っていました。


アレンジも映像も、その音楽が示すとおりの世界を具現化する羽生氏の演技。含めて素晴らしかったな。


全然関係ないけど、私はこれを見てシューベルトの「ます」を思い出しまして・・

私はこのショーをこんな感じに受け止めたという一例として貼り付けておきますね。



学校でも習うと思うので説明不要かもしれないですけど、これはシューベルトが20歳くらいの時に作曲した歌曲「ます」を、数年後にピアノ五重奏曲の変奏曲として自身がアレンジしたもの。

実は先日生で聴いてむっちゃ泣いたんですよ。


鱒が泳ぐ川に釣り人がきて鱒は捕まり、見ていた詩人が悲劇的な感傷にひたる・・ってのは歌曲版の「ます」のストーリーですけど、ピアノ五重奏バージョンはそこで終わらず、捕まった鱒がゆらゆらと燃える暖炉でこんがり焼かれて、釣り人の家族の楽しい団欒に供されて、そしてまたいつもの川に今日も鱒が泳いでいる、というところまで描かれてる気がしました。(個人の感想です)


特に最終変奏はテーマである「ます」のメロディに戻って、ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノ、チェロが順番に演奏するんですけど、鱒も人間もその他の動物も同等の業を負った存在として、何かに生かされているのだと言ってる気がするんですよね。


「いつか終わる夢」と「いつか終わる夢:RE」の関係近いのではないかな。もしかすると。


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ラスボスプロ

6分間練習で、「俺の決意がやっと出せる」ってセリフのところで浮かんだ表情が2019年世界選手権フリーの時に見せた禍々しい顔にそっくり。

場所も同じさいたまアリーナだし、衣装も似てる。

当時の自分の千々に乱れた感情を自覚した上で意図的に演出してるんだろうなと、その冷徹さに戦慄しましたね・・


RPGのラスボスは、最終形態になると、ちょっと宗教曲っぽい静かな音楽になるのがお約束なので、FF9は知らなかったけど、「これ絶対ラスボス最終戦じゃん!」って、娘と盛り上がりました。


しかしまあ、セーブできずにデータ壊れるとは、いにしえのファミコンあるあるネタw

昔はケーブル引っかけてブチっと切られるのも含めて、パソコンでもワープロでも、ほんっっとに日常茶飯事だったし誰にも同情されず、一人で「あああああああ」って頭抱えながら笑うしかない悲哀w

当時のパソコン雑誌の漫画とかのネタにもなってたよなあ。


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ホプレガ

当時、3Fの美しさに惚れたのがこのプロなんですけど、今回は一段と美しかった。

スケートに特に興味ない母は、この日のどの演技よりも、この3Fに感嘆してました。

彼はエッジエラーもあって、競技では少し不得手なジャンプだったのかもしれないですけど、それを克服する苦労があったからこそ美しいんだろうな。


終盤のスピンは、白い衣装の腕が星の光みたいに輝いてましたね。

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アンダーテールの曲のプロ

スピンだけというのも凄いんですけど、演技自体がうつくしかった。

無音の部分も含めて。


娘曰く「こんなにメジャーなゲームの曲なのに曲がかかっても客席盛り上がってないなんて、羽生かわいそすぎるw」

だそうですけど。

たしかに、この曲知ってるお客さんは少なそうね。

(私も知らないし)


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ロンカプの編曲


競技プロのロンカプの編曲は、とにかく勝つために作り上げられた、棘のついた鎧みたいな曲でしたよね。

マリオカートとかに出てくるクッパみたいな。(もう少し美しいイメージはないのか)


今回はカットされてた長調の部分も戻して、たぶん清塚さんが感じる、人間:羽生結弦を表現したんだろうなって感じで、なんだかすごく安心したし、清塚さんもこの曲を、ひいては羽生氏の演技を冷たいイメージから解放できてホッとできたのではないかなあと想像する。

なんにせよ、今回の演奏のほうが清塚さんらしい良さが出ている気がするし、羽生氏のこれからの人生が、厳しいだけでなく明るさ優しさがあってほしいという願いがこめられているんだろうなと私は感じました。

(武部さんのGIFTにも同じことを感じてる。)


とりとめがないけど、こんな感じで。


さいたま公演は実家で所用あってCS鑑賞です。

道中、たまアリの横を通過しながら、満員をお祝いし、ツアー初日、どなたも怪我なく成功されるようをお祈りしました。


今日のCS放送はどこでもディーガで見る予定。

画面はちっさいけど、そんなこと気にならないくらい凄いもの見せてくれるさ!たぶん!

楽しみだなあ。


そうそう、プロローグのアンケートだったかな?今後作って欲しいグッズを教えて、っていう質問があったから、


肩や首に携帯をかけられる長いストラップかポーチ


って書いたのは私。

(いや私だけじゃないと思うけどw)

だからポーチ売れたら嬉しい。

私は今後の公演で絶対使うよ!

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今季は一段と、ビジュアルを生かしたお仕事もたくさんこなして、いろんなところに露出してくださって、アイスショーで姿が見えるまでの期間、存在を知らせ続けてくれて嬉しかった。


キャンペーンなどが盛り上がるのも、自分は参加できないけど嬉しい。

写真とかダンスとかも私の趣味の範疇じゃないからあんまり感想ないし、全然褒めてなくてごめんなんだけどw、でもそんな世界がこの世にあって、そこに羽生結弦がガチンコ勝負している、戦う結弦を見せてくれたのが嬉しい。


そして新しいものに触れるたびに確実に何かを得ていく羽生氏の姿を美しいと思うし敬愛してるし励まされてる。


そして今日のRE_PRAY開幕は手放しで楽しみにしてます。


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実は今日、途中で立ち寄った東京某所で、リプレイのために遠方から来たという、お名前も知らないファン数名とお話ししました。


最近、特にTwitter界隈、誹謗中傷は問題外だけど、そうじゃなくてもめんどくさい輩が幅利かせてる中、実際にファンの方と会って話してほんとに安心したというか・・ネットは別世界なんだな、と改めて思って栄養を得た次第です。


まあ、遠方から飛行機で遠征するほどのエネルギーと財力には圧倒されますけどw


これからも惑わされず素直に羽生結弦の活動を楽しみたいです。

そして羽生氏本人も、今日の公演を経て、現実のファンはネットのファンとは違う!って事を改めて実感して安心してくれたら嬉しいなあ。

GPアメリカ、録画見たのでさらっと感想。


男子解説は町田氏なのね!

ジャンプ前、あるいはスピンの入りや出についてや、ステップのレベル、特に体幹に影響を与える上半身の動きについての指摘がけっこうある。


リトヴィンツェフ

2019さいたまで惚れた、いつも王子なリトヴィンツェフ。

トラ柄に骨アクセサリー衣装にツーブロックで登場し、町田解説が

「どんな曲が流れるか予見できますよね」

っていうので、これはもしやゴリゴリのロックなのでは!と予見したら「ライオンキング」だった・・

(そっちかよw)


マリニン

フリーの4lzからの3連ジャンプの高さやばすぎw


佐藤くん

特にショートのタンゴプロ良かったなあ。

彼の演技、ここ1年くらいでものすごく進化したよなあ。


エイモズ

最高だったのはやっぱり彼。

次々と途切れなく移り変わる身体表現に、カメラも切り替えるタイミングがなかったのか、ショートはほぼワンカメに近いカットで動きを追ってた。

そしてとにかく観客の沸きようがすごいw


そしてジャッジの目の前30センチでプログラムを終えるフリー衝撃のラストwww

演技後に別カメラで正面のジャッジが苦笑してるの映っててまた笑ったw

坂本っちゃんのマトリックスと並ぶジャッジの度胸が試されるプロだわ。

町田さん情報によれば、前回よりも闘牛のポーズの回数が増えているらしいぞ。(誰得)


最後に。

もはや点数で見てないフィギュアスケートではありますが、ちょっと興味を持ったのは、ルッツとかフリップでトウをつくときに膝下で振りあげるのと、腰から伸ばして振り上げるのとで、ルール上、評価に違いはあるんだろうかということ。

そして跳ぶ人にとってやりやすいのはどっちなんだろうということ。


そして今更だけど、今のルールでジャンプのフォルムって評価項目あるのかな。

ということをちょっと思ったので町田氏に解説してほしいです。


堂本光一×羽生結弦 その3


恥ずかしながらこの対談まで堂本光一さんが舞台やってること全然知りませんで・・

この回では練習の映像も含めて色々見られてものすごく面白かった。

1・2も良かったけど、3がダントツ面白かったぞ。

(個人の感想です)


っていうかフライング、一公演に何回も飛ぶの?

よくわかんないけど次から次からいろんな映像出てきてびっくりした。

しかもワイヤーで釣るのもあれば布で飛ぶ方法もあり、しかもただ飛ぶんじゃなくて大道具との絡みとか他の人とのフォーメーションとか、趣向もさまざまあるっぽい。

これはちょっと想像を超えて凄い。


アイスショーのエアリアルとか、空中系の技があるとA席B席でも楽しいんですよね。

もしかしたらそういうサービス精神でフライングしてるのかもしれないなあ。


そうそう、遠心力を自分で作ってるというのも、脱力すると魂抜けた操り人形みたいになるのも初めて知った。


ごめん。あれは笑う(爆)


みんないとも簡単そうにやってるから全然分からなかったけど、確かにね、力抜いたらそうなるよね。

釣られてる人たち、みんなすごいな。

(釣られてる人とは)



そして羽生氏、もしやエアリアル挑戦したくなったりしてない?

とか想像したらむっちゃ怖くなってきたwww

(とりあえず次のファンタジーで引っ張り隊に加わってる可能性はあるかもしれない)


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「今の時代、この画角だけで踊るのが流行ってるけど、点ではなくてその動線を意識する。」


光一さん、それめっちゃわかるぞ!

私自身は動線を疎かにしまくりの人生だけど、でもわかるぞ!


「今の時代」に限らんですよ。

映像全般、特にいくつものカメラを細かく切り替えるテレビ映像は常に動線や流れをぶった切ってる。

フィギュアの中継だって、映像では軌道もスピードもわかんないし、「足切るなアアア」「ステップは休憩じゃねエエエ」「ジャンプの途中で切り替えんなアアア」「天上カメラアアア」って悪態つきながら見るのはもはや風物詩。


弓道でも、まさに先日「点だけじゃなくて動線を合わせよう。」って、新人さんに言ったばかりでしたよ。

でも、動線を生かすには、点で動くより筋力や体力や集中力がいるから、めんどくさい、もっと当たりに集中したい、って思う人も当然いる。(良し悪しじゃなくて。)


楽器だってそう。

ピアノって、普通に弾くと音が点で切れちゃうので、「ある指は音を繋げながらある指は切る」、みたいな訓練にものすごい労力をかけるわけですけど、中学生くらいになって合唱伴奏とかポップスとか弾いたりしてみると、そんな技術どこにも使われてないし、エレクトーン勢がアイドル雑誌のコード見て伴奏再現しちゃうのとかに圧倒されてモチベーションダダ下がるの、あるあるよねw


むちゃくちゃ話が逸れてるけど、フィギュアもそういう感じなのかも。

羽生氏も実のとこ、昔は点の演技になっちゃう感があったと思うんですけども、今の彼はなめらかなフレージングも持ってるし、逆に点を生かして驚異的な解像度の無数の点で動線を表現する、みたいなことをしたりもしますよね。


バッハのチェンバロ曲みたいにみたいにものすごいスピードの音の連続と華麗な装飾で音を繋ぎ空間を埋めていくイメージもあるし、ペダルをけっこう使ってリストの超絶技巧曲みたいに壮大な空間を作ってるイメージもある。


あれはもしかすると光一さんのいう「動線」とは少し違うのかもしれないと思ったりもするんですけど、本当に唯一無二の個性だなと思うし、それによって立体感というか多面的なものを見せていくこと自体がとにかく異次元。

リプレイのロゴにもなってる「ドット絵」のイメージにも似てるし、恐ろしいまでの精密さと労力とオタク心と変態性に、畏怖みたいな何かを感じるんですよね。

(褒めてるんだぞ。)


話が飛んじゃったけど。


流れ、動線というのを本当に堪能するにはやっぱり舞台、スケートなら現地ですよね。

だから光一さんは舞台をやってるのかもしれない。

光一さんの舞台面白そうだなあ。



話があっちゃこっちゃになったけど・・

とにかく光一さんも羽生氏も、そしてバッハもすんごいド変態だという話です。

そして変態が作るものはきっと面白い。


インタビュー、というよりは「質問攻め」する羽生結弦を久しぶりに見られて嬉しい。

そういうところ、ほんとに変わっとらんなあ。


ーーーー

面白かったのは、堂本さんが

「ミュージカルの感覚でポップスを歌うと、なんか恥ずかしいって言われる」

と言っていた件。


それそれ。

羽生氏の陸上ダンスを見てつい「ぐふふ」となっちゃうアレに近い現象よね。


羽生氏は、氷上ではスケートの物理現象の制限の中で演技をしてると思うんですけど、陸上では氷から解放されたそのままに、って訳ではないでしょうけども、ダンスにおける既成概念をすっ飛ばしたスケール感と自由さで表現しちゃいますからね。


圧倒的なパフォーマンスなんだけども、見る人が想定するよりもスケール感が数倍デカいから、つい「ぐふふ」ってなる。



と言ってもまあ、彼のパフォーマンスの真骨頂は、能動的な動きそのものというよ以上に、そこに意図などないかのように音楽の感情やシチュエーションと同化させて表現できることなのかなと、私個人は思ってるので、ダンスがもはやダンスでなくなるまで消化された時にどうアウトプットされるようになるのかが楽しみだなあと思ってます。


ーーーーー

・・と、そんなことを書いていたところに、メンシプ動画で陸上練習が公開されましたねえ。


ミニマルっぽい楽曲に、身体で緩急をつけながらメロディを描いていく、ある意味作曲するような感覚がこのパフォーマンスなのかな、と思ったんですが違ったらごめんなさいです。


羽生氏は、メロディラインや歌詞やリズム音や和声などなど、「実際に今聞こえている音そのもの」の再現度にかけて他の追随をゆるさないわけですが、音はないけど裏に流れている拍感やメロディをつけていくような表現は、あんまりなかった気がするんですよね。

そういう表現をする場合は編曲の段階で音を実際に足しちゃってたということかもしれないけど。

だから今回の映像に自由なアンサンブルを感じて勝手に期待が高まってます。


そしてダンスらしい動きの中に「ここは滑るんだろうなあ」と思われる足捌きがたくさん入っているし、「足持ちハイドロ」も凄い。っていうかあれ何なんです?(爆)


氷の上で見なければ何とも言えないんですけど、今後の展開、とりあえず直近のリプレイでの公開が楽しみです。


そして何となく、ラモーの「インドのみやびな国々」をスケートで見たいという新たな妄想が浮かびました。(理由はよくわかんない)

この曲じゃなくても、クラッシックのダンス系の曲をいずれやってくれたらいいなあと思います。

何度も言うけどバロックは著作権フリーですからね!


↓以前クラッシック界隈でちょいと話題になったヒップホップ版ラモー。

音楽とリズムとダンスが互いに「間」をとりあうアンサンブルが素晴らしいと思うんです。

っていうかラモー最高なのでいつかほんとにお願い。



そうそう、エストポリス伝記Ⅱは予習しなきゃね。


羽生氏が堂本光一氏と対談するスイッチインタビュー第1回


「羽生結弦によるSEIMEI(2015NHK杯)徹底解説!」が解説というよりセルフツッコミというかむしろディスってて、さすが羽生結弦、と大笑いしましたw


確かにね、雑なところもあったよね・・w

でも、それを差し引いてもあの演技は素晴らしかった。

かつ、3年後、5年後の羽生結弦は絶対にもっと素晴らしいだろうと確信するような演技だったし、実際、そうなったことも含めて感慨深いなあ。


「この頃は勢いで跳んでる」とも評してたけど、競技ではああいうエネルギーを使ったジャンプの方が、静かに跳ぶジャンプよりジャッジ受けがいい気がする。当時も今も。

それはそれで競技としての一つの価値観であって、逆にそこがあまりにブレてもダメだよな。


そして今の羽生氏はといえば、柔らかいジャンプから鋭いジャンプまで鮮やかに跳びわけ、回転も多回転だけじゃなく1回転でもいろんなバージョンがあったり、3回転でも4回転跳んでるかのような強さを出したりできて、かつ丁寧な動きと音楽表現で、魅力の幅はますます広がってる。
それは逆に、彼が器用に点数の出る演技ができる人であったら到達しえなかった領域かもしれないし・・
どちらにせよ過去あっての今。
今の羽生氏が最高ってことで。



そうそう、一つだけいわせてほしいとおもった。

私は羽生氏を見て沼るまでは、ルールもジャンプもわからないままオリンピックでフィギュアをチラ見するだけの超超一般人として長く生きてきたけれど、6点時代からずっと、「点数が高い=一番良い演技である証明」などとは一度も思ったことがないですよ。


点数の高い演技を見たら、こういう演技が評価されるんだな、とは思うし、こういう良さ、こういう難しさがあるんだな、と徐々に理解していくこともあったし、いろいろ知ったことで好きになった選手もいるけども、自分の価値観が点数に引っ張られることはなかった気がするなあ。

逆に自分の価値観が絶対とも思わないですしね。


さて、秋はいろいろ忙しいのでこのへんで。