メンシプで公開されたゴリアテとアクアの旅路。

特にゴリアテは当初、氷上でやる予定はない、って話だったと思うんですけど・・

リプレイで披露してくれることになったってことでよろしいの?


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ゴリアテの好きなとこ

貞子みたいに画面に迫ってくるところ

ハンヤンが栗拾いしてるみたいな斬新な体勢のスピン

足持ちハイドロ

再び貞子が画面に突進してくるところ

突進された我々が転がりながら宙を見つめるところ。


アクアの旅路と、全く曲調の違う2曲を表裏のように並べて、でもどちらにもそれぞれにジャンプがありスピンがありステップがあり謎体勢があって、いろんなパッセージで飽きさせない。



特にゴリアテのラストの映像が好き。

貞子(違)に蹴散らされ、首を刎ねられ、それでも我々は彼の演技を見続ける。


なんかもう、「成敗!」って感じがしませんか。

ゴリアテの伝説に寄せつつ、我々に対する愛憎の入り混じった、でもどこかに親しみというか、ユーモアというか、どこか茶目っ気も感じさせるじゃないですか??

ものすごく勝手な感想だけど。


何にせよ、私は成敗されて嬉しかった。

救われた気分になりました。

彼の覚悟を素直に受け止めよう。


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余談ですが

婦人画報12月号、みんなの憧れ佐竹範士の弓道特集がありました。



いわく

「自分を躾けることができるのは自分だけ」

「一瞬一瞬に顕れる自己の本心をどう扱っていくかが弓道における鍛錬。心の揺らぎや不安を自分自身でコントロールする力が鍛えられますから、何か起こった時に、自分で解決できる力が身につくわけです。自分自身が強くなれば、相手を傷つけることもなくなります。」


一瞬一瞬にあらわれる自己の本心、っていう言葉について、ここ数日考えていました。


範士は、本心を「抑える」とも「消す」とも仰っていないんですよ。

つまり「本心」は、それが心に顕れるその時点では、良いも悪いもない、ただ正直な人間のありさまだと思うんです。

それは消えないし、抗えないものだと思うけど、だからといって自分にとって楽で快適な方向に解釈して言葉にしたり行動したりしていては人を傷つける。

または逆に人を傷つけまいと、本心を無視してストイックに振り切りすぎては形だけになって、いずれモチベーションを失ってしまう。


本来良くも悪くもない自分の本心をどんな規律で解釈し、なだめ、体現していくのかは、時により人によりで、決まった正解はないですよね。

自分はどうするのが良いのか、日々問いかけながら、試行錯誤しながらアップデートしていくのが鍛錬であり「自分を躾ける」ということなのかなと思いました。

全然できてないけど。


その点羽生氏は若いながらも、もちろん道は半ばかもしれないけども、日々それを鍛錬し続けているのが伝わるし、本当に尊敬しています。