ちょっと前まで、私が可愛いのは
私が愛されるのは
私が恵まれているのは

自分の努力のおかげだと
そうじゃない人たちも頑張れば
そうなっていけるのだから
だから文句をいう前に
動いたら良いのに。

そう思ってた。


頑張れば簡単に可愛くも
愛されることも
幸せになることもできる。
そんな風な考え方に
変えていくことはできる。
そこにいるのは、あなたのせいなんだと。


キツイ言い方かもしれないけど
そう思っていたのね。


でもほんとは、たまたまだったんよね。


私がカワイイのもたまたまで
愛されるのもたまたまで
なんでも幸せに捉えれるのもたまたま。
親の育て方がよかったのもたまたま。
大阪に産まれたのもたまたまで
今この環境にいることも
そもそもこの土地にいることがたまたまなのだから
やっぱりたまたま。


私が美容を追求できるのは
私が美しいことが好きだったから。
私が自分を大事にできるのは
私が自分を好きだったから。
私が愛されるのは
愛されることが好きだったから。

私が自分に自信を持っていたのは
たまたま両親に恵まれていたからなだけ。






あなたが家事が上手なのは
あなたが家事が好きだったから。
あなたが絵を描くのが上手なのは
あなたが絵を書くのが好きだったから。
あなたが美容師さんなのは
誰かを美しくすることが好きだったから。
あなたがピアノが得意なのは
あなたがピアノを好きだったから。


もともと、なにかの才能を持って
私たちは産まれてきたのだと思う。

そしてそれを生かせる環境に
生まれたときにいれるか?は
やっぱりただの運だよね。たまたまだよね。


反対に、親がだめだったのも
そだった環境がよくなかったのも
それによって考え方がひねくれてしまったこと
過去に事故にあってネガティブになってしまったことも
ついつい尽くしすぎてしまうことも

残念ながら、全部たまたま。
あなたの性格がそうなのも、たまたま。
あなたのせいでも、誰のせいでもない。


私にできないことがあって
私に継続できないことがあって

それは努力が足りないからなんだと
そうやって言われてしまうと
確かに努力が足りない事実があるからだけど


その分野で努力できること


がそもそもの才能なわけだよね。

そしてその才能は
後付けが難しい才能なのだ。

だから、努力不足を責めるのは
とてもお門違いなんだなあと気付く。


誰かの得意は誰かの不得意で
その部分を補うために助け合う。

努力出来ないところ
足りないところがある人を
責めたり、下に見たり
そんなのは違うんだなって。


得意な人がすることは
上から見ることじゃなくて
不得意な人が頑張りたいときに
導いてあげること。

そんな風に最近思います。


はい。大人になりました。(笑)


んじゃまた。