『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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長唄全集(8)石橋/外記猿/楠公/芳村伊十郎(七代目)
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一張の弓の勢いは、月心に中り、三尺の剣の光りは、霜腰に在り

頃は皐月の末つ方、楠判官正成は、君の仰を蒙りて、一族郎党五百余騎、

今日を最後と九重の、都を後に手束弓、駒をば暫し桜井の、宿に止めて

青葉蔭、嫡子帯刀正行を、近く召して申けるは、

如何に正行聞き候へ、獅子は我児を千仭の谷へ、落して気合を見るとかや、

況して汝は十一歳、父が教を忘れなよ、抑今度の合戦は、天下分目の曠軍、父は兵庫に討死と、

心決して候ふぞ、汝は是より故郷へ、疾々帰れと促せば

正行涙せきあへず、争で是より帰るべき、抂げても伴ひ候へや、

正成心を励まして、聞分けの無き我子かな、我亡き後は将軍の、天下となりて日月は、

光を失ひ申すべし、汝一旦の身命を助からんとて、敵に降り候ひそ、生残りたる郎党を

扶持して再び旗を挙げ、叡慮を安じたてまつれ、是第一の孝行と、形見に与ふ恩賜の刀

正行これを押戴き、泣く泣く帰る後影、

見送る父は鎧の袖に、伝ふ涙や郭公、声を残して西東、別れてこそは下りけれ

去る程に、淡路の瀬戸や鳴門の澳、霞の晴間を見渡せば、数万の兵船漕ぎつらね、

帆影に見ゆる山も無し、陸は播磨路須磨の浦、鵯越の方よりも、二つ引両四つ目結、輪違の旗翻飜と、

磯山風に吹き靡かし、雲霞の如く寄せかけたる、敵を前に正成は、湊川にぞ陣を取る。

敵と味方の閧の声、箙の音におどろきて、沖の鷗のちりちりぱっと、

海陸一度に震動し、射出す征矢は秋の木の葉、打合ふ太刀は電光石火、群松原の樹がくれに、

菊水の旗ひるがえし、楠判官正成と、名乗って戦ふ決死の勇将、五十万騎の真中へ、

駈け入り駈け入り、三時に亘る合戦に、人馬の息を休めけり。

斯かる所へ左馬頭、新手を代へて立ち向ふ。

正成兄弟物ともせず、或は引組み或は蹴散らし、一歩も退かず戦ひしは、

実に忠臣の鑑ぞと、美名を末世に残しけり


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年代 作曲 作詞
1813年
文化10年
4代目
杵屋六三郎
二代目
桜田治助



『花のほかには』-fuyusun'sワールド-
文化十年六月の森田座の公演は『尾上松緑洗濯噺』という四代目鶴屋南北の作品が上演された。その興業の大切りに『閏茲姿 八景』という八変化舞踊を七代目市川団十郎が演じた。『晒女』はその七番目のプログラムだ。

この作品は団十郎が奉納した絵馬から、近江八景になぞられた人物が飛び出てきて、悪者を翻弄しながら踊るという作品。

初代市川団十郎は「江戸の氏神」と呼ばれ、以来、江戸の歌舞伎ファンたちは歴代の市川団十郎に正義の味方のヒーローという姿を求めた。

七代目市川団十郎。五代目の孫。六歳の時に河原崎座で初舞台。演目は『暫』。勝川春英がこの『暫』の団十郎(当時は新之助)を錦絵にしているが、とてもとても六歳の男の子という感じがしない。まあ、絵ですから、色々と演出あっての作品だと思いますが。

六代目団十郎(五代目の養子。七代目とは親子関係ではない)が急逝して、まだ幼い十歳で市川団十郎という大きな名前を襲名する。早替わりを得意としたそうだ。また、この七代目が市川宗家の『歌舞伎十八番』を制定した。


『閏茲姿八景』の構成は、

・長唄『姫垣の晩鐘』(乙姫)

・長唄『浦島の帰帆』(浦島)

・常磐津『滝詣の夜雨』(景清)

・常磐津『水売の夕照』(冷水売)

・長唄『せきぞろの暮雪』(節季候)

・長唄『心猿の秋の月』(心猿)

・長唄と常磐津の掛け合い『晒女の落雁』(晒女)

・長唄『石橋の晴嵐』(石橋)


現在残っている曲は『晒女』と『心猿』の二曲だけだそうです。

浦島も石橋も今ある曲とは違うのですね。


鎌倉時代の初めに、近江の国海津の遊郭に大力無双で有名なお金という遊女がいたと『古今著聞集』によって伝えられる女性がモデルだと言われている。

彼女は、物に驚き狂い走る馬の差縄を高下駄で踏み、これを留めたところ、その足駄は足首まで砂に埋まった。また、手をさし出し五本の指一本ずつで弓を張り、一度に五張を張ってみせたほどの怪力。大の男が5、6人かかってもその怪力にはかなわなかったと伝えられている。

この舞踊の舞台は近江八景のひとつの堅田となっている。暴れ馬を制そうとお兼が登場。伝説同様、高下駄で手綱を踏んで馬を制する。近江の荒くれ漁師と立ち回りかと思うと、近江の美しさを語り、女心を語る一面もあり。最後に晒を軽々と豪快に振るという見せ場あり。なかなか見応えのある演目です。


さて、豪傑で有名な女性はお金(お兼)ばかりではありません。

「日本の女傑」で色々検索して必ず出て来るのが、

神功皇后・巴御前・日野富子・北條政子。まあ、力持ちと豪傑は違うでしょうが大昔から男性顔負けの豪快な女性がいるという事ですね。


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邦楽舞踊シリーズ 長唄 晒女(近江のお兼)/浅妻船/オムニバス
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歌舞伎舞踊小曲 近江の晒女/小つる
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留めて見よなら菜種に胡蝶、梅に鶯松の雪、

偖はせがぢよが袖袂、しよんがいな

色気白歯の団十郎娘、強い強いと名にふれし、お兼が噂高足駄

まだ男には近江路や、晒し盥の誰がなぶらうと、

恋ぢゃいやいや、角力でならば、相手選ばず渡り合い、

ありゃりゃ、ありゃりゃ、よいやさ

四つに抱かれて手事とやらで、ふたりしっぽり汗かいて、

投げの情の取組が、面白からではないかいな

力だめしの曲持は、石でもごんせ

俵でも、御座れ御座れにさし切って

五十五貫は何のその、中の字きめし若衆も、女子にゃ出さぬ力瘤

ほんにほうやれ、逢ふ夜はをかし

折を三上の文さへ人目、関の清水に心は濡れて

今宵堅田に老蘇の森と、返事信楽待たせておいて、

まだな事ぢゃと心で笑い、嘘を筑摩の仇憎らしい

更けて今頃三井寺は、何処の田上と寝くさって、夢醒ヶ井の鳥籠の山

こちは矢橋の一と筋に、ほんに粟津のかこち言、

思い大津は初秋に、鏡の宿の盆踊

天の川星の契りも岩橋の、明くるわびしき葛城の、

神ならぬ身は末かけて、よいやなよいやな

誓紙の上も鵲の、橋占に立つ笛竹も、一筋とは聞くつらさ

八声の鳥にせかれては、よいやなよいやな

たきもの姫の移り香を、寝衣ながらの、起き別れ、よいやなよいやな

笹の一と夜を縁結び、野路の玉川萩越えて、色ある水に晒し野や

晒して振りを見せまいらしょう、まいらしょ

立つ浪が立つ浪が膳所の網代にさえられて、

流るる水を堰き止めよ堰き止めよ

さっさ車の輪が切れて輪が切れて、何れ思いは、どなたにもどなたにも

晒す細布手にくるくると、晒す細布手にくるくると、いざや帰らん賤が庵へ


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年代 作曲 作詞
1820年
文政3年
三代目
杵屋佐吉
二代目
桜田治助


文政三年九月。江戸中村座では三代目坂東三津五郎大阪上りお名残公演が開催されていた。演目は『一谷嫩軍記』。その二番目大切は『月雪花残文台』という三津五郎お得意の七変化舞踊。その中の一つが『まかしょ』である。『まかしょ』は俗称で正式名称は『寒行雪姿見』という題名である。

七変化全盛期。当時、この坂東三津五郎と中村歌右衛門はライバル関係にあって、この二人は多くの七変化舞踊を発表した。いやいや、贅沢な舞台ですよ。綺麗なお姫様が急に厳つい男性に変身したりして。

この『月雪花残文台』は月と雪と花の構成。脚本は桜田治助。長唄は杵屋佐吉で、清元は清澤満吉が作曲した。

振り付けは藤間勘兵衛・市山七十郎。
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①長唄『浪枕月浅妻』→現在は『浅妻船』という題名で親しまれている。

 上段、一番左の絵がこの演目の絵のようです。

②清元『玉兎月影勝』→現在、『玉兎』として親しまれている。

 上段右の絵。美しい遊女が粋な兄さんに変身。吃驚仰天です。

③長唄と清元の掛け合い『狂乱雪空解』

 中段左の絵。いなせな兄さんから物思いの病の若侍に変身。男性から男性なので吃驚度はちょっと♪

④長唄『猩々雪酔覚』
 残念ながら絵が見つからなかったけれど、、、前の演目の絵に小さく描かれている。

 狂乱の若侍から、赤毛の猩々に変身。これは吃驚ですね。

⑤長唄『寒行雪姿見』→現在、俗称の『まかしょ』で親しまれています。

 赤の装束から、真白に変身。これが好評だったらしいです。中段の右の絵。

⑥富本節『女扇花文箱』
 願人坊主から綺麗な御殿女中に変身。これも吃驚でしょうね。下段左の絵。

⑦長唄『恋奴花供待』

 またまた、綺麗なお女中から男臭い奴さんに変身。俗称『うかれ奴』といわれているらしいです。下段右の絵。


さて、『まかしょ』の主人公は願人坊主。願人坊主とは市中を徘徊し、門付などをしてセールス。他人に代わって祈願したり水垢離をしたりする乞食坊主の事です。

江戸末期という時代背景が反映され、大変、退廃的な作品である。ふざけていて、ちょっとエッチで。

しかし、曲調が軽妙でケレン物の面白さが優れている作品という事から、今もオーソドックスな長唄として親しまれている。

投げ節とか、そそり節とか、阿呆陀羅経などが曲に用いられている。

投げ節とかそそり節というのは、江戸後期の流行歌、いわゆる俗謡というやつである。七七七五調で詞が構成されている。

投げ節は島原の柏屋又十郎が抱えた引舟女郎の河内が唄いはじめたものらしい。弄斎節から発展したものらしい。弄斎節というのは、僧の弄斎という人が隆達節に創作を加えて三味線伴奏付きの歌謡にしたものだという。江戸時代初期のもので最も古い詞章なのだそうだ。京都の島原で流行して、江戸に入ってくる。江戸弄斎から投げ節が生まれたとも言われている。

そそり節というのは、遊里をひやかし歩きながら客が口ずさみながら歌ったとされる流行歌だそうです。どういうものかはちょっと不明。

阿呆陀羅経というのは、願人坊主が銭や米を乞うために,門付けして歩いた話芸である。本来は小さい木魚を手に合いの手を入れながら語るものらしいが、のちのち寄席芸に発展。寄席では三味線で合いの手が入って語るという形になったようだ。


三代目坂東三津五郎は、この作品以前にも

文化八年(1811年)に常磐津『願人坊主』を踊っている。『願人坊主』は『七枚続花姿絵』という作品の中の一つで長唄の『汐汲』など入った七変化舞踊です。作者は二代目桜田治助。きっと、この作品が好評だったので、またまた願人坊主が主人公の『まかしょ』を書いたのではないでしょうか。なんて、これは私の想像で根拠はありません。

ちなみに、この常磐津『願人坊主』はのちのち六代目尾上菊五郎によって常磐津『浮かれ坊主』と題名を変えて再演された。『七枚続花姿絵』では猿回しから願人坊主に変身だったようですが、この再演以降は『羽根の禿』の禿から願人坊主への変身という演出が多いらしいです。


七変化舞踊。一つの人物が思いがけない人物に大変身。これが七役も楽しめるのですから、お得な演目ですね。猩々から願人坊主も驚きますが、可愛い禿からほとんど裸に近い状態の願人坊主の変身は意外性があって吃驚ですね。



そういえば、歌詞を読んで思ったのですが・・・

今も昔も変わらないですね。

時々見かける「セールスお断り」のシール。

この時代にも「無用の札」なるものが入口にぶら下がっていたりしたのですね。

「セールスお断り」のシールも見えないふりをして、色々な営業の人がピンポーンしてきますが、いやいや、当時の営業の皆様も「無用の札もなんのその」。今も昔も変わらない風景だなあと感じました。

二十代の時に外回りの営業のアルバイトをしたことがあるので、ついつい変な事に関心しちゃいました。


【参考】
絵は演劇博物館浮世絵閲覧システム からお借りしました。

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長唄全集(7)老松/浅妻船/寒行雪の姿見(まかしょ)/芳村伊十郎(七代目)
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まかしょ、まかしょ、まいてくりょ

まつか諸方の門々に、無用の札も何のその、構馴染の御祈祷坊主

昔かたぎは天満宮、今の浮世は色で持つ、野暮な地口絵げばこから、

引田してくる酒の酔、妙見さんの七つ梅、不動のお手の剣菱の、ぴんと白菊花筏

差すと聞いたら思う相手に、あほッ切、あふる手元も足元も、雪を凌いで来りける

君を思えば筑紫まで、翅なけれど飛梅の、すいが身を食う此の姿

一寸お門に佇みて、とこまかしてよいとこなり、ちょっとちょぼくる口車

春の眺はナア

上野飛鳥の花も吉原、花の中から

花の道中柳腰、秋は俄にナア、

心も浮々、浮れ烏の、九郎助稲荷の、角の長屋の年増が目に付き、

ずっと上ってむ、門の戸ぴっしゃり

しまりやすぜ

あれあの声を今の身に、思い浅黄の手ぬぐいに

紅の付いたが腹が立つ、そこを流しの神おろし

奇妙頂来敬って白す、夫日本の神々は、伊勢に内外に二柱、夫婦妹背の盃も、済んで初会の床浦明神、

哀愍納受一じゅう礼拝

屏風の外に新造が、祭も知らずねの権現、繻子の隙間洩る風は、遣手に忍ぶ明部屋の、

小隅に誰を松の尾明神、地色は坂本山王の、

廿一二が客取盛り、間夫は人目をせき明神、奇妙頂来懺悔懺悔、六根罪障

拗ねて口説を四国には、中も丸亀名も高き、象頭山、今度来るなら裏茶屋で、愛愍納受と祈りける

其御祈祷に乗せられて、でれれんでれれん口法螺を、吹風寒き夕暮に、酒ある方を尋ね行く行く



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年代 作曲 作詞
1828年
文政十一年
10代目
杵屋六左衛門
二代目
瀬川如皐


『越後獅子』や清元の『女太夫』を組み合わせたような形式になっている。本名題を『后の月酒宴島台』。江戸市村座で初演された演目だそうです。(資料によっては中村座というものもある)

この文政十一年九月の市村座の興業は『絵本合法衢』という狂言。第一番目三立目。つまり一番目狂言(時代物)の序幕にあたる出し物として初演された。初演時はこの演目の前に『舌だし三番叟』が踊られていて、引き抜きでこの曲に移行されたのだそうです。

三番叟→角兵衛:三代目中村歌右衛門(成駒屋)

千歳→鳥追えくぼのおとみ:五代目瀬川菊之丞(浜村屋)

翁→いさみ橋場の松五郎:五代目松本幸四郎(高麗屋)

という感じで三人で演じられた。

もともとは常磐津との掛け合い。常磐津の部分の作曲は岸沢式佐(後の“古式部”)が担当した。

現在、『角兵衛』が舞踊で出される時は、常磐津の演目として踊られる事がほとんどである。また、出演者は角兵衛と女太夫(鳥追い)の二人である。


歌詞を読むと、きちっと初演の三人の屋号が組み込まれているのに気が付いた。

長唄の歌詞を読むと、時々こういうのに出会う。歌詞を読むと「誰のために作った」とかそういうのが分かっちゃう。昔の人は抜かりないというか、言葉遊びが巧みだったのですね。



『花のほかには』-fuyusun'sワールド- 角兵衛獅子は新潟県新潟市南区(西蒲原郡月潟村)を発祥とする郷土芸能。

太鼓打ち一人、笛吹き一人、獅子舞四人というチームでアクロバット的芸を街頭にて披露する大道芸の一つである。

だいたい、太鼓打ちあるいは笛吹きが「親方」と言われる成人。親方=角兵衛。子供たちが獅子で、チームを指して「角兵衛獅子」なのだそうだ。

獅子舞を演ずる子供たちは、口減らし等々で売買された子供たちだ。屈託のない笑顔に哀愁ありという感じがする。


さて、

「獅子の洞入り洞がえり」という歌詞があるが、これは写真の子供たちがブリッジをして表現しているけれど、これが獅子の洞入りだそうです。


もともと、獅子舞はインドから由来したもの。十六世紀初めに伊勢にて飢饉や疫病を追い払うために始まった芸能。十七世紀に入って江戸に下り、悪魔祓い・世を祝う縁起物として定着した。

「獅子が洞の中で休んでいる、おびき出して悪を払おう」。つまり、神に仕える獅子を利用して悪魔を払おうという事です。

だてに牡丹に興奮して、胡蝶と戯れ遊んでいるわけではないのだそうです。


この歌詞を読んでいると、『越後七不思議』が組み込まれているのだそうです。

一、鳥屋野のさかさ竹(西方寺)

親鸞が竹杖を逆さに土にさしたところ根が生えたと伝えられている。竹の枝垂れは珍しく国の指定天然記念物  だそうだ。

二、焼鮒(山王神社)

体に黒い焦げ目模様のついているフナ。1211年(建暦元年)11月、親鸞が赦免され当地を去る際に催された酒宴の肴に、焼いたフナが用意されたが、親鸞が傍らの榎に纏っていた袈裟を掛け「わが真宗の御法、仏意にかない、念仏往生間違いなくんば、この鮒必ず生き返るべし」と唱えてから池に放したところ、生き返り泳ぎだしたと伝える。

三、小島の八房の梅(梅護寺)

ひとつの花に八つの実がなる八重咲きの 梅。親鸞が植えた梅干しの種が育った。

四、数珠掛桜(梅護寺)

花が長く房のようにつながって咲く 桜。親鸞が数珠を掛けたからと言われている。

五、保田の三度栗(孝順寺)

一年に3度実がなるという栗の木。親鸞が植えた焼き栗が育った。

六、田上の繋ぎ榧(了玄寺)

実に糸でつながれていたような穴のあるカヤ。

七、片葉の芦(居多神社)

葉が片側一方向にだけ伸びるアシ。

親鸞の伝説に基づいた七不思議。

・柄目木のくそづの油

・三条山の妙法寺の火の出る竹筒

・日蓮が佐渡に流された際に角田岩山沖「南無妙法蓮華経」とお題目が浮かんだという伝説。

などほかの七不思議入りも組み込まれている。

ネットなんてない時代。江戸時代の劇作家たちの幅広い知識。どうやって知識を広げたのか、それこそ七不思議のひとつです。


写真は

http://oldphotosjapan.com/ja/photos/545/kakubeishishi

からお借りしました。




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神楽囃して、町々巡る同じ世渡り、梅咲くや

笠の中さへ覗かれて、人も見送る愛嬌は、てんとおてんと、天から落ちた天人か

わっちゃいややの、なに馬鹿らしいとてもいろいろにはこんな身で、成駒やならそれこそは

こっちも首たけ浜村や、なぶらしやんすな夜は情、旅ぢゃなけれど道連になるとはなしの後や前

ゑっちり越後の山坂越えて、来て見りゃほんに江戸の花、いつも黄金の真っ盛り

花に浮かれりゃ咽頭さへかわく酒がな欲しや、さりとてはまだまだイヤハよいとなよいとな、

獅子の洞入り洞返り、すめぢゃ互の思うこと

岩木ならねば恥しの、森の鳥か鷺ならせめて、一つ塒におううれし

待ちな町々御贔屓の、若者育てるとほりもの、さばくは年の高麗や、宵の仲人の花に酒、持せて奥へ走り行く

こんなぶざまの真実は、お前のお気に入りたさの、蟻の思いも天とやら、どうで女房にゃなられぬけれど、

せめてやさしいお言葉に、甘えた女子ちゃないかいな

云うてもおくれな月がたの、田舎者ぢゃとおなぶりか、思いくらべをしょうならば、

浅間の煙と煙草の煙、やにはに惚れた正直男

また嘘らしい、真顔で人をたまさかも

ほんに添うなら山の奥

千寿の海の離れ島

二人暮らさば都も同じ

嬉しい世帯で有るぞいな

あるはいやなり思うはならの

木賃の銭さへまだとれぬ、遊び過ごして

風ひいた、うっかりのろさのお恥ずかし

ほんに茶化した獅子舞さん、わっちもそんなら(地回りの伝法肌で)ひやかしの

親兄弟にまで見放され、あかの他人の契情に、可愛がらりょうはずはなし

オヤ聞いたようだよ

籬のすががきせっかいで、かき廻したる、てんてつとんだ間夫と客

仇な恋路の色里通い、夜は軒端に立ちつくす、エエ待つわいな、お部屋の目顔が有るわいな

無理な首尾して逢うたが憎いかへ、さりとては恋には粋も愚痴になる、これは五色の色の外

柴田五万石あらそとままよ

新潟通いがやめらりょか

きさく悪性が浮世にゃ徳で、ねまり地蔵へ色の願はだし参りの土踏まず

内の嚊どの癇癪おさえて夜も昼間も三度くり

さのせさのせ、さのせっせのせ、せったら金粉の稗団子、搗いてほし

おきのェ、沖の題目波に浮かんで風に揺られて

朝日に輝く、夕日が靉靆く

南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経

あじよだが当世ひねりがはやる、客と女郎衆の機嫌気づまも逆竹

さい浜三里を乗るとても

米山三里を乗るものか

さまはナアエ八つ目のある鰻の性で

ぬらりくらりと気が多い

国の訛の笑い草

身の生業は八百八町品

八百八町御贔屓のお恵願うお取立て

仰ぐ舞台ぞ千代の寿


テーマ:
年代 作曲 作詞
天保年間 初代
杵屋三五郎
二代目
川上不白

銘茶『花の友』を売り出すためのCMソングだそうです。

今では長くて三分くらいのCM。この時代は一つの商品の宣伝に十五分ですよ。粋なものですね。


作詞は江戸千家二代目家元の川上不白と言われている。

初代川上不白という人は、紀州新宮の水野家の次男として生まれる。水野家は紀伊藩江戸家老の家柄。でも、どんなに家柄がよくても次男は次男。部屋住み。彼は表千家七代目の如心斎に入門し茶の道に進んだ。カテキンパワーのお茶が健康によい証拠なのか・・・。江戸時代だというのに90歳という長寿だったそうです。

二代目家元は川上宗雪。その子供と言われる人が、この曲の詞を書いた二代目川上不白。江戸千家四代目家元である。

江戸千家というのは寛永三年(1750年)に京都で修業した不白が神田駿河台に黙雷庵を営んだ事から始まる。その後、一度不白は京にもどり四年後に神田明神内に蓮華庵を営み江戸の文化の影響を受けつつ江戸の人々に「江戸千家」の茶の湯を広めたと言われる。

つまり、江戸の「茶道」といえば、この江戸千家といっても過言ではないですね。

ですから、二代目不白がお茶屋さんから依頼を受けて『花の友』というCMソングの歌詞を書いても全くおかしくはありません。


さて、杵屋三五郎という人。

この人は『屋敷娘』・『お通半七』・『おしゅん』などを作曲した人です。『屋敷娘』はけっこうご存知の方がいかもですが、『お通半七』とか『おしゅん』は稀曲ですね。これらの曲の多くは杵家派に伝承の曲として伝えられているらしいです。


『花の友』はとても良い曲なのですが、あまり演奏会では出ませんね。

また、お囃子のない曲というイメージがとても強いのです。

しかし、、、

来月の藤舎流演奏会の『真しほ会』でこの曲が出るんですよ。

えっ!お囃子があったの???

と言う事で、この曲をちょっと勉強してみました。


テーマ:
下総や武蔵のあひの一流れ
心も隅田の川上に 寄するは春の友なれや
尽きぬ眺めの花の香を 茶壷に詰めし初昔 変わらぬ色のいさおしに
飽かぬ遊びのながしだて、立てし誓いのゆくすえは 其の姥口のふとん釜
二人しっぽり嬉しい中を 誰が水さしてかえ帛紗 捌き兼ねたる中々に
思ひの丈の竹台子 其のをりすえの末までも 月と花との戯れに 過ぐるすさびの面白や

見わたせば流れに浮かぶ一葉の中の小唄の顔見たや
桜がものを言ほならば さぞや悋気の種であろ
すいた(粋な)隅田の水鏡焦れ逢ふたる舟のうち

餘所の眺めのもどかしや
君を待つ香の薫りのゆかしさに
恋の関路の色深く染むる柳の瀬に映る
風の姿のいとしさに いつか誠を明してそして
約束堅き女夫石 はたで見る目の楽しさよ
花の数々かぞふれば 松は朧に桜はゆかし
粋な山吹桃椿 藤たをやかに風ものどけし


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長唄全集(十一)吾妻八景/官女/芳村伊十郎(七代目)
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見渡せば柳桜に錦する、都はいつか故郷に、馴れし手業の可愛らし

こちの在所はなぁ、ここなここな此浜越えて、あの浜越えて、ずっとの下の下の関

内裡風俗あだなまめきて、小鯛買はんか鱧買やれ、鰈買はんかや鯛や鱧これ、買うてたもいのう、

あアしよんがいな、いかにみすぎぢやよすぎぢやとても、おまな売る身は蓮葉な物ぢやえ、徒歩はだし

そなた思へば室と八島で塩やく煙、立ちし浮名も厭ひはせいで、朝な夕なに胸くゆらする、楫を絶えてやふつつりと、

たよりなぎさに捨小舟。

心づくしの明暮に、乱れしままの黒髪も、取上げてゆふかね言の、生田の森の幾度か、思ひ過して

恥かしく、顔も赤間が関せかれては、枕に寒き几帳の風も、今は苫洩る月影に、泣いてあかしの海女の袖、

いつひあふぎ松の葉の、磯馴小唄の一ふしに

友のぞめきにそそのかされて、船の帆綱をかけぬが無理か、すまよすまよ、いとど恋には身をす

夜半の水鶏を砧と聞いて、たてしかな戸を開けぬが無理か、すまよすまよ、怨み勝なる床の中、憂やつらや

波のあはれや壇ノ浦、打合ひ刺違ふ船戦の駈引き、浮き沈むとせし程に、春の夜の波より明けて、

敵と見えしは群れ居る鷗、関の声と聞えしは、浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松の、朝風とぞなりにける

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