次女はいま、32歳(たぶん)

だんだん子供の歳がわからなくなりますw




高校を出てから

ずっと働いています。

(産休、育休はありましたが)







中学の時に吹奏楽部に入部




それから音楽にハマり


「音楽がしたい」と

高校は 私立の音楽科へ進学しました。






毎月の学費は 5万円(/月)



奨学金を受けて通いました。

(前夫からの援助も少しありました)






養育費は全く!もらっていなかったので、

学費は養育費のかわりだー!と

思って、払ってもらいました。






今振り返ると ほんま

 (金銭的に) よく通わせてやれたな~~

とおもいます。






片道2時間弱の遠い道のりを
「音楽が好き」なだけで通っていました。


3年間一度も遅刻も欠席もなしで 

卒業式では、皆勤賞をもらいました。





音楽科の3年生は15名。

女子高だったので 

そりゃまー、いろんなこともありましたが



くじけず 卒業しました。





ほかの14名がみんな 

音楽大学へ進む中

うちの娘だけが 就職。





この高校は過去にも 

音楽科から就職した例はほとんどありません。




娘も ほんとうは 

音楽大学へ行きたかったみたいでしたが



母子家庭の我が家に 

大学など行かせてやれる余裕はありませんでした。




働き出してからでも 音楽はできるよ




クラスでたったひとり 就職へ。



みなが進学するような学校でしたから

学校から就職するにしても 

なかなか良いところが見つからず





もらってきた就職先リストをみても 

名前だけではどんな会社かもわからず…



どこか ツテでも探してやるしかないのかなーーと思っていた時に



たまたま自分が住む町の職員(地方公務員)を

募集しているのを広報で見つけ、 



娘に「ダメもとで応募してみたら?」と

すすめた無謀な母。



学校で娘が先生に 広報を見せ
「これ(公務員)を受けようと思っています」と
話したら


「○○さん(娘) 何考えてんの!?」



「あんたなんかが

公務員になれるわけないじゃないの!」




「高卒で音楽科で 

公務員なんてムリに決まってるわ」



と 職員室で 

他の先生がいらっしゃる前で

大きな声で 言われたそうです。



その日は帰ってきて 泣いていました。




「悔しい」  って。


無謀な母は言いました。


「じゃあその悔しさをバネにしたらいい!!



「がんばって公務員になって

 先生を見返してやればいい!」




「高卒でも公務員になれるって

 証明してやればいい!」





そう言いました。



その日は ふたりで 

悔しさをパワーに変えるべく(笑)




走り(ジョギング)に行きましたよー。





そこから、娘の猛勉強がはじまりました。


音楽科ってね、 

学校でも勉強はあんまりないんですよ。




だから 入試も 音楽の実技と国語 

それに英語 または数学の 

どちらかの 3教科だけなんです。




どっちかっていうと
はっきり言って 
娘は勉強はできないほうでした。




本屋さんで 
公務員試験のテキストを買ってきて
毎日毎日勉強していました。




私も見せてもらったけど
数学とか 
さっぱり??ちんぷんかんぷん!!!!



英語なんて まったく意味わかんねー。




ひえー

公務員試験って、
こんなに難しいの??




(わー、 こりゃ 娘にはムリかも…って内心は思いました。)



そんなある日、学校側から



「兵庫県からこんな学校事務職の(公務員)
 募集も来てるよ」 と




声をかけていただき
(ボロクソに言われたのにねーー)





自分が住む町の役所と
県の学校事務職と2つの試験を
受けることになりました。




地元の役所のほうが先に試験があり

試験から帰ってきた娘は



「もう 高卒なんて私だけやったーー!!
 みんな 28歳とか30歳とか 
   年いった人ばっかり。
   何回も試験受けてるとか、 
   そんな人ばっかりやった!
 わたしなんて絶対ムリやわーー」



「試験もぜんぜん できひんかった~~」

と言ってました。



そして 1ヶ月ほどして 通知。



見事「不合格」 



なんかでもね、 
わたしは ほっとしたんです。




あまりに職場が近すぎて 
小さな町だし  
ここよりも 
県の職員のほうがいいんじゃないかな??って
私は内心思っていたのです。





それからしばらくして県の職員の試験。



地元の役所の不採用通知のあとも 
娘はずっと勉強していました。



筆記試験と面接と  
論文もあったっけかなーー??  
(ちょっと記憶が曖昧・・)




やはり こちらの試験会場でも 
高卒は娘だけだったようです。




試験が終わって
「むずかしかった~~~!
でも前の時よりはできたかも??」

 
「まわりがみんなオトナやから 
  ついていかれへんー
   緊張したーーー」など 




いろんなこと言ってたような記憶があります。



やるだけのことはやったのだから
ダメだったら他をさがせばいいし。



目標に向かって努力したことは
決してムダではなかったはず。




県の採用条件等を見ていると


筆記試験の結果だけでなく
 「人物(人格・性格)重視」との文言を見つけ



試験でそうとうな失敗しなければ 
もしかして…と思ってました。



そして 通知が家に届いて
娘とドキドキしながら 封をあけると

そこには


合格の文字が !!!





一般企業と違って、
『採用決定』ではないので
文章を読んで理解するのに
少し時間がかかりましたが(笑)





「試験には合格したので
来年の4月に採用予定である」
というような文言で書かれてありました。





もう ふたりして 泣きました。




。・゚・(*ノД`*)・゚・。 ・゚・ウァーン・゚・(ノД`)





嬉しくて嬉しくて涙がぼろぼろ(o;ω;o)ウゥ・・・



娘の努力も見てきたし
先生に言われた言葉もこころに刺さっていたし

 

がんばって、見返したり~~!


と言ったものの、これでダメやったら
娘もそーとー落ち込むやろなぁー


と思っていたので



ほんとに 嬉しかった!おねがい





ただ 娘にボロクソに言った先生は
そのあと大きな病気で学校を休んでおられて
娘の合格を知らせることはできませんでした。



12月に合格通知をいただき
翌年4月から無事に就職でき



そして 就職した先が 特別支援学校でした。




障害を持った子供たちからも
いろんなことを学んだようです。


職場の人たちにも恵まれ 
少しは成長したでしょうか。


産休や育休を経て
今も公務員として働いています。





悔しさや、辛さをバネに
自分が持っているパワー以上のものが
出せるのかもしれません。








人生
諦めるなかれ !




 

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