『大富豪父の教え 第10話』。
0話目. 『大富豪 父の教え』
1話目. 『荒川祐二の物語』
2話目. 『大丈夫。必ず出来るから』
3話目. 『父から受け継いだ財産』
4話目. 『人生の得意技を見つける』
5話目. 『母の言葉が起こした奇跡』
6話目. 『頑張る前に、頑張り方を知る』
7話目. 『人生に無駄はない』
8話目. 『群れない強さを持つ』
9話目. 『新宿駅東口のゴミ拾い』
僕の人生を激変させることになった、
『新宿駅東口のゴミ拾い』。
全国全世界に広がっていったこともあり、
また多くのメディアに取り上げられたことで、
講演や本の他にも、
様々な、
副産物が与えられた。
その一つが、
『就職の内定』だった。
ゴミ拾いを始めた時の僕は、
大学3年生。
そう、もう少しすると、
これからの人生を左右させることになる、
『就職活動』が始まるのだ。
有り難いことにその時の僕には、
本当に数多くの企業から、
逆にオファーをもらうことが出来ていた。
その中には、
誰もが知るような大企業の名前もあり、
ここでも改めて、
かつて父が言ってくれていた、
『努力は絶対に裏切らない』。
その言葉の意味を、
強く噛み締めることとなった。
しかし…。
そう、しかし。
その時の僕は、
それだけ有り難いオファーを頂いてはいたが、
『就職』という選択をしなかった。
これは正直、
父に直接何かを言われたといった、
ことはなかったのだが、
恐らく父の生きてきた人生を見て、
勝手に自分で、
判断をしたからなのだと思う。
『自由に生きる』。
この4年間の大学生活の中で、
僕はそんな人生を、
歩きたくなっていた。
父はいつだって、
自由だった。
決して自分自身の気持ちや願いを、
押し殺すことなく、
思うままに、
感じるままに、
自らの人生を、
自らの足で生きていた。
当然そんな人生の中にある、
リスクというものすらも、
自分自身の責任の中で負い、
誰に迷惑を掛けるでもなく、
誰かの力を借りるでもなく、
己の心で、
己の足で、
己の人生を生きていた。
『僕もそんな人生を歩きたい』。
そう思った21歳の僕だったが、
しかし、
同時に問題があった。
そう、
生きていくためには、
『お金』を稼がなければならない。
願いを持ったと同時に、
誰もが一度は必ず直面する、
『お金』という問題に、
22歳の僕もまた、
直面した。
さて、どうしたものか…?
それに正直言うと、
ゴミ拾いというものを、
ずっと続けてきた自分からすると、
『お金を稼ぐ』ということに対して、
反射的に若干の嫌悪感を、
覚えてしまうこともあった。
そう考えた時にふと、
ある日父が僕に言ってくれた、
言葉が頭をよぎった。
父「祐二な、
社会に出たらしっかり稼がなあかんで」
あ「そうなんですか?」
父「当たり前やんけ。
ハッキリ言ったらな、
『私は稼げなくてもいいです』なんて、
言ってるやつは、
『お金』から逃げてるだけや。
自分に稼ぐ力が無いからな、
『お金を汚いもの』として、
『お金を稼ぐ人を悪い人』として、
認識することで、
無理やり自分自身を、
納得させているだけの話や」
あ「でもどうして、
稼いだ方が良いんですか?」
父「お金を稼ぐという行為はな、
本当にたくさんの人を、
幸せにすることが出来るんや。
それを稼ぐために、
生み出す会社や事業。
それがあれば、
多くの人の雇用を生むことが出来るし、
会社を成長させて、
従業員にたくさん給料を払ってやれたら、
その家族の幸せな未来を、
作っていくことも出来る。
その結果として、
従業員の子どもを習い事に通わせたり、
行きたい学校にも行かせてあげられて、
やりたいことも、
やらせてあげられる。
まずはそういう風に、
お金に対する認識を変えることや」
あ「…確かに…」
父「そうしてまたみんなで力を合わせて、
たくさん利益も出せば、
社会に税金として還元することで、
見えない多くの人の力になることも出来る。
自分自身がお金を稼ぐことで、
そんなにも素晴らしい、
未来が待っているのに、
もし従業員を持つ経営者が、
『別に私は稼がなくてもいいです』とか、
言ってみ?
それはただの責任放棄であり、
『自分自身に稼ぐ力がない』、
というのを、
認めたくないだけやで」
あ「………」
父「だから特に男は、
しっかり稼がなあかん。
稼いで、稼いで、
自分の周りのたくさんの人を、
幸せにせなあかん。
その輪を少しでも、
大きく広げていくんや」
やはり『お金』と向き合うことから、
逃げてはいけないと思い、
僕は考え直した。
しかし、
どうするか…?
周りのみんなが続々と、
就職先を決めていく中、
一人ボーっと考えながら、
街を歩いていた。
その時だった。
俗に言う『路上詩人』という存在を見た瞬間に、
頭に急に閃いた。
あ「これ俺でも出来るやん!!」
笑ってしまうかもしれないが、
何を思ったのか、
その時の僕は、
そう思ってしまった。
しかも書道なんて、
今まで一切やったこともない。
思ってしまった。
ゴミ拾いでの、
『出来た』という経験も、
あったのだろうか。
またこれまでに、
ゴミ拾いをしている時の、
完全集中して、
ゴミと向き合っている時に、
何度もフッと言葉が降りてくる、
感覚を体験してきた
ことがあったからだろうか。
『出来ない』、
『出来なかったらどうしよう』、
そんな考えが、
頭をよぎることは無かった。
そうして僕は早速、
書道道具屋さんに足を運んで、
敷物や筆、墨汁、色紙などの、
道具一式を揃えて、
街に出た。
その人の目を見て、
感じるままに、
頭に降りてくるままに、
その人に向けた言葉を、
色紙や和紙に書き続けた。
すると、
涙を流してくれる人がいた。
『明日死のうと思っていたけど、
もう少し頑張ってみます』と、
言ってくれる人がいた。
今は直接色紙や和紙に、
書くことは、
ほとんど無くなったが、
それが今も僕が継続している、
朝の『神さま言葉』の原型である。
字のクオリティも、
やはり逃げ場のない、
多くの人の目に触れるところで、
しかも人様からお金を頂くという、
プレッシャーの中で、
やり続けてきたこともあってか、
みるみるうちに上達し、
3か月ほどで、
人様からお金を頂いても、
恥ずかしくないレベルにまで変わっていた。
人目の届かない所で、
いつやめても誰にもわからない所で、
物事を続けていても、
中々上達することはない。
『人目に曝される』ことが、
物事を上達させる、
最も手っ取り早い方法であり、
人生を変えていく方法となる。
それは僕が日本一人の往来が多い、
毎朝の新宿駅でのゴミ拾いで、
学んだことでもある。
だから僕は今でも、
何か物事を始める時は、
極力先に皆さんに、
宣言をするようにしている。
そうすることで、
『逃げない』自分の作り方を、
知っているからだ。
…こうして『この道で行く』と、
覚悟を決めて、
歩み始めた結果、
人だかりが出来るほどに、
多くの方々に喜んで頂ける結果となり、
全国のショッピングモールなど、
多くの場所で『個展』として、
開催も出来るようになっていった。
偏見と呪縛から解放されて、
自由に人生を歩むことが、
出来るようになっていた。
そんな僕を、
父は喜んでくれていた。
僕が22~23歳に、
かけての時のことだった。
『大富豪 父の教え』が、
僕の人生に確かな影響を与え続け、
そして僕は、
次なる人生の転機を、
迎えることとなる。
『嫁画伯との結婚』である。
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