『荒川祐二の物語』。
大阪の地に、
荒川祐二は4人きょうだいの末っ子として、
生を受けた。
何でしょう?」
ス「このシリーズ、
俺、俺、俺は、
どこ、どこ、どこで、
登場するんや?」
あ「(ちょっとぐらい控えろや…笑)
あなたは私の、
産土神(うぶすながみ ※産まれた土地の神さま)でしょうが」
あ「産まれてから今日まで、
ずっと僕を見てきてくれたわけですから。
ちょいちょい登場して、
その時の状況や、
人生の変化や出来事を、
神さま視点で解説して下さいな」
それでは実況の荒川さん、
続きをよろしくお願い致します」
あ「誰が実況の荒川さんや。
それでは…」
?「あの、ちなみに僕、僕、僕の出番は…?」
?「ガハハハハ!我が、我が、我がの出番は!?」
?「いよぉぉぉぉぉお!拙者、拙者、拙者は!?」
あ「あー!もう!
休養明けの新シリーズで、
入って来たい気持ちは分かるけど、
早く先に進ませてくれや!!」
それでは続きをどうぞ」
あ「ったく…もう…」
大阪で食肉卸の会社と、
ラーメンチェーンを経営している、
両親のもとに生まれた荒川祐二。
家族仲も良く、
大好きで、大好きで、
いつも兄の後ろについてまわっていたような、
そんな子どもだった。
この時点で後々の、
荒川祐二の人生にハードルとして、
立ちはだかることになる、
2つの種を、
荒川祐二は抱えていた。
…まず、1つ目。
荒川祐二のきょうだい構成は、
先程伝えた通り4人なのだが、
詳しい内訳は、
姉、姉、5年空いて、兄、僕、
という構成だった。
何を意味しているのか?
そう。
男女両方の子どもを持つ、
親御さんなら、
もしかしたら少し、
気持ちが分かってくれるかもしれないが、
どうやら母にとっては、
先に産まれた上に、
同性として、
きちんと育てなければいけないと、
強い責任感とともに、
育てた2人の娘。
そしてその後に、
5年もの期間が空いて、
産まれた男の兄弟。
特にその一番下の末っ子というものは
まるで『孫』のようなものだったという。
何も出来なくてもかわいい。
とにかく母親は、
どんな時でも僕に、
優しかった。
(※その分父親は当時はめちゃくちゃだった。
が、その話はまた後ほど…)
その結果、
どういう現象が起きたか…?
『完全無欠の甘えん坊』。
『産まれた時から、泣き虫のダメ男くん』に、
なってしまったのだ。
もちろん母親に罪があるわけではない。
かわいすぎた僕が悪いのだ…。
ス「バシンッ!!
(頭を叩く)
しばくぞ、こら」
あ「(もうしばいてますやん…)
と、ともかく…!!
続いてもう一つの問題が、
こちらっ!!」
…そして荒川祐二は、
1986年3月25日生まれ。
『3月生まれ』。
これは3月生まれの人にしか、
分からない気持ちかもしれないが、
3月生まれというのは、
実は生まれながらにして、
かなりのハンディを抱えている。
『3月生まれ』というものは、
どうしても先に産まれた、
同学年の子たちに対して、
身体的にも能力的にも、
差がある状態で、
スタートしなければいけないのだ。
今の自分の息子くんを見ていても思うが、
『子どもの数ヵ月、半年』という差は、
成長の過程に於いて、
かなり影響が大きい。
わかりやすい話で言うと、
僕は幼稚園や小学校低学年の時に、
身長順で順番を並ぶとき、
いつも前から2番目や3番目だった。
しかしこれがもし、
3月25日生まれの僕が生まれるのが、
あと10日遅く、
もう一つ下の学年になっていたら?
その身長の順番は、
後ろから2番目や3番目に、
変わっているのだ。
そして皆さんも分かると思うが、
子どもの頃というのは、
(※特に男は)
『スポーツが出来る』、
『身体能力が高い』、
『体が大きい』、
そういった事柄が、
幼稚園や小学校生活を過ごすに於いて、
かなり重要な要素を占めてくる。
しかし、
幼少期の荒川祐二には、
そういったアドバンテージ的要素は、
全くなかった。
そこに『末っ子甘えん坊』、
という要素が重なり、
最早『大丈夫か?』とも、
思えるような状況とともに、
僕の人生はスタートした。
一体この後、
どのような人生を歩み、
今の32年後の荒川祐二に、
至ることになるのか?
僕がこの人生のテーマとして、
今も掲げ続けている、
その物語の根源を知る、
過去への旅は、
ここから始まった。
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