『大富豪 父の教え ~荒川祐二の物語~ 第3話』☆
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2話目. 『大丈夫。必ず出来るから』
…末っ子泣き虫甘えん坊ながらも、
『大丈夫。祐二は必ず出来るから』という、
母の言葉に支えられ、
何とか小学校生活を送っていた、
少年あらかわゆうじ君。
運動もいつも、
上中下で言う、
『下』。
良くても、
『中の下』というありさまだった。
『大丈夫。祐二は出来るから』と、
言われ続けたところで、
出来ないものは、出来ないのだ。
現実というものは、
いつだって残酷である。
その母の言葉、
『大丈夫、祐二は出来るから』という言葉が、
花を開かせるのは、
もう少し後のこととなる。
そのような母のもとに、
小学校生活を送っていた、
少年あらかわゆうじ君だったが、
では、
母親に対して、
荒川祐二の父親はどうだったのか?
どういった教育方針のもとに、
荒川祐二を育ててきたのか?
それは、
一言で言おう。
『めちゃくちゃ』であった。
もうすでにお伝えした通り、
僕の父親は会社の経営者である。
困っている人を何人も救っているような、
生き神や生き仏のような、
父親であるが、
めちゃくちゃだった。
父親の教育方針というのは、
昭和の時代の父親にありがちな、
典型的な、
『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』方式。
子どもの僕にとっては、
とにかく怖かった。
まず家族で海に遊びに行けば、
絶対に海に向かって、
思いきり天高く、
放り投げられる。
お風呂に一緒に入れば、
絶対に一回は、
頭から沈められる。
意味もないのに、
拳骨で何度も頭を殴られる。
こういったことが、
日常茶飯事である。
もちろん優しい母親は、
何度も必死に抗議をしたが、
そんなもの聞く耳を、
持つはずがない。
父親の言い分は、
こうだった。
父「ええか?
世の中生きていたら、
『理不尽』に立ち向かわなあかん時が、
絶対に来んねん。
今からその理不尽を経験して、
強くなれ」と。
…。
……。
………。
…………。
今書いていても思うが、
めちゃくちゃである…。
もちろん優しい時は、
優しかった。
まず僕を叱る時は、
叱った後に、
必ず最後にこう一言、
加えてくれていた。
『お前は出来る奴やねんから』と。
そして、
父の教育で一番、
今でも覚えていることは、
とにかくよく、
『子どもとコミュニケーションを取ってくれた』こと。
それは、
どういうことか?
家でテレビを見ている時、
家族で食卓を囲んでいる時、
父はテレビから流れてくる、
ニュース番組の政治や経済、事件の話を見て、
常々僕らに問いかけてきた。
父「なぁ、祐二?
この事件どう思う?」
どう思うと聞かれても、
子どもの僕(ましてや『中の下』の僕)に、
そんな大人の事件の背景なんか、
わかるわけがない。
ただそれでも父親は、
そんな問いかけを続けることを、
欠かさなかった。
そして僕ら(兄含む)が、
例え答えられなくても、
父親は必ず、
『俺はこう思う』といった、
父親なりの考えを、
聞かせてくれた。
その結果として、
僕に身についたのが、
『考える』という力だった。
事件や物事の背景、
それが起きた原因、
その時の人の気持ち、
時代の流れ、
そして、
どうすればいいのか?
自分はどうするべきなのか?
そういったことを、
繰り返し、繰り返し、
父親から問いかけ続けられ、
父親の考えを聞いていくうちに、
僕はそういったことを自然と、
『考えて、自分なりの意見を持つという力』を、
徐々に身に付けていった。
それと同時に父は、
家族で食卓を囲む時、
仕事での苦労話や人間関係のトラブル、
そしてそれをどう乗り越えて来たか。
目の前に問題があれば、
それをどう乗り越えていくか。
そういった話も欠かさず、
僕らに話し続けてくれた。
子どもというのは、
誰もが必ず、
『まっさら』な状態で産まれる。
もちろん経験といったものはなく、
一番身近な『親』を見本として、
言葉遣いを学び、
所作を学び、
生き方を学んでいく。
今の日本の子どもは、
自分のお父さんやお母さんが、
どんな仕事をしているかを、
知らない子が多いという。
そしてまた、
親御さんもまた、
子どもに自分の仕事の話や、
苦労してきた話、
それを乗り越えてきた時の話をしない。
しかし、
子どもにとって、
親の経験というものは、
『財産』である。
僕の中では今でも、
この小さい時に父が教えてくれた、
物事の判断基準や、
トラブルの対処法、
善悪とは何か、
やっていいこと、悪いこと。
そういった父親が教えてくれた、
世の中の摂理や法則が、
脈々と流れ続け、
その結果として、
大人になった今でも、
人間関係や仕事も順調にこなし、
また諸々の対処法を知っているおかげで、
大きなトラブルにも、
巻き込まれることもなく、
幸せな人生を、
送り続けることが出来ている。
「あの時こう言っていたな」、
そういった一番身近な、
『生き方の教科書』である、
父という存在と、
どれだけダメでも、
僕を信じ続けてくれた、
母の愛という、
『両親のバランス』が、
ダメ男だった僕の人生に、
ここから大きな変化を、
起こしていくことになる。
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