ライフ@さいはら -96ページ目

ほんとうの贅沢って?

まだ、ぜんぜん古民家暮らしが具体的になってなくて

(今だって別に状況がガラリと違うわけじゃないけど)、

そんなころに書いた文章が出てきました。

初心を忘れないためにはっておきます。


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好きなことをやってる大人ってかっこいい。
けど、ただ好きなことをやってるだけじゃなくて、
きちんとそれで暮らしていける大人はもっとかっこいい。

今までの概念にとらわれないで、
自分が熱くなれるものに、
ひたむきにまっすぐに打ち込めるモノがある人って、
強くてものすごいパワーがあると思う。

最近私が考えること。
ほんとうの贅沢ってなんだろ?

私が考える『贅沢』は、
高いレストランでごちそうを食べることより、
ブランドの新作を買ってもらうことより、
畑でとった野菜をそのまま塩をつけて食べることとか、
お家の壁や自分の部屋に自由に絵を描けたり、
庭にベッドを出して、星を見ながら寝ること。

お金で買えない価値。
それを感じれることが本当の贅沢。

素材を贅沢に味わう。
自然と贅沢に触れる。
時間を贅沢に使う。
好きな人と贅沢に語る。

そんな贅沢がしたくて、
来年の春に、ちょっと田舎に引っ越したいなぁと思ってる。

そこで、新しいビジネスができたらいいなぁと計画中。
古民家でゲストハウス。
古民家でベビーシッター。
古民家で編集プロダクション。
古民家でアトリエ。
古民家でギャラリー。
古民家でカフェ。
それが私の夢なんです。
古い木のぬくもりや自然の偉大さを身近に感じながら、
新しい価値を伝えていける人になりたい。

私が今考える贅沢を形にするためには、
お金も必要。
勉強も必要。
経験も必要。
人脈も必要。
度胸も愛嬌も必要。
覚悟も必要。

まだ、どれも全然足りない。

でも、何かを形にするためには、一番【意欲】が必要だと思ってる。

意欲だけは負けたくない。
いろんなものを捨ててでも、きっといつか叶えるだろう私の夢。

ほんとうの贅沢を手に入れたいな。

みんなの贅沢は何ですか?

一緒に本当の贅沢について考えてみませんか?

ルーツめぐり。

私は、転勤族のおうちに生まれました。


小学校に上がるとき、4年生になるとき、6年生になるとき、中学2年生になるとき、

それぞれ、まったく違う環境へ引っ越しました。


3年、2年周期で引越しが決まっていたのです。


なぜか最近、いろいろなことを思い出すんだけど、

ハッとしたのが、

いつもそばに山があったということ。


札幌では遠くに手稲の山があって、見守っていてくれた。


茨城の取手では、ほんとは帰ってはいけない別ルートの「山道」を選び、

畑や真っ暗な竹やぶを通って、好きな男の子たちと帰るのがドキドキして楽しかった。


静岡県の下田では、四方八方に山があって、

ほんとうにのどかな環境だった。あの緑が大好きだった。


秋田では、山を拓いた住宅地に住んでいて、

ちょっと行けば、林。というか、森。

毎日坂道を下って学校に行き、帰りは上って帰ってきたなぁ。

冬はツルンツルンで大変だったっけ。


そして、今。関東平野の、工業地帯の中に住んでる。


そりゃ、いやになるわ。


電車にも慣れないはずだわ。



我が家はいつも、「人生そのものが旅」みたいな家族だったので、

毎週のように、どっかへみんなで行き、観光地も、ただのピクニックも、ほんとうによくしていたと思います。

当たり前だと思っていたけど、そんなことなかったんだね。

ありがとうですね。


あのころに帰りたい、なんてしんみりすることはほとんどないけれど、

でも、あのころのように、やっぱり私は自然と一緒にいるのが、落ち着くんだと思います。


ところで、母の学生時代の友達が、

北海道で、食べる分だけの畑をやりながら、機織をしていることが判明。

いや、知っていたはずなんだけど、頭の中にインプットされていなかった。

しかもだんなさんは陶芸をやっているんだって。


あー、そういうの、いい。

母の身近にそういう人がいるのって、いい。笑


案外まわりを見渡せば、畑をやっている人、農家なんて人もいるんですよね。


おじいちゃんのお父さんの代まではずーっと百姓だったみたいだし。


母も昔は、家ににわとりがいたりしたんだって。

おかげでおばは鶏肉が未だにトラウマで食べられないけれど…笑。


今は、いろんなスタイルの可能性をさぐりつつ、

あせることをやめてる。


いいことも、わるいことも、とんとん。はんぶんこずつの人生だから、

あまり間違ったことをせずに、でも楽しみながらいきたいな。


今日は2007年度の手帳を買いました。

この一年も、宝のような日々を送ることができますように。




カフェの広がり

料理を作ってみれば、新しい味や新しい食感になってしまうというミラクルな私が小さなカフェを開くことを夢見ています。


だってカフェは古民家暮らしによく似合うんだもの。


古民家カフェ。
いままでにないくつろぎ空間になりそうでしょ。横にだってなれるカフェ。





囲炉裏カフェ。
来てくれた人同士が仲良くなりそうだ。




縁側カフェ。
ご近所さんが集まりそうじゃないか。ネコもお客さまだな、こりゃ。





あおぞらカフェ。もしくはお庭カフェ。
ただ外で食べるだけでもカフェにするだけでまるで海外にきた気分。庭中の木にロープをつるして、そこに写真を洗濯物みたいに並べれば、オーブンギャラリーにもなってしまう。あぁこれは絶対する。私がしたい。





畑カフェ。
畑で採ってそのまま野菜丸かじりandお茶をすれば、日本一新鮮なカフェだゼ。ぶっといきゅうりと味噌。それだけで思い出の味になる。




ハンモックカフェ。
お家の中にも庭にもカフェをあちこちにしかければ、たくさんの特等席の出来上がり。カフェなのにグッスリープができる。最高だ。

http://www.hammock2000.com/events/  より頂きました)



ネコカフェ。
ただネコがいるだけで成り立つ。人なつこくて甘え上手でたまにあっちに行っちゃうような、人間心をくすぐるやつが店長になってくれれば、店も安泰だ。


絵本カフェ。
子供のためにあるようで実は大人がハマってしまうような入りやすいカフェ。絶対一度は読んでもらったあの絵本を、まだ親になってない人も、今度は誰かのために読むことだってできる。ここでベビーシッターしたら、きっといい時間が過ごせるに違いない。

クッキングカフェ。
料理をつくるのが好きな者同士が集まって、自分たちのメニューを考え、つくり、食べるところまでがセットなカフェ。あるようでなかった、新しいコンセプト。

朝だけカフェ。
AM5時~AM9時限定のカフェ。人間は歳をとると早く起きてしまうものなのである。主婦だってたまには朝ご飯をつくりたくない日もあっていい。朝の娯楽は連続テレビ小説だけじゃないはずだ。おじいやおばあだらけのカフェなんて、知恵袋がいっぱい転がっていそうじゃないか。


独身カフェ。
せっかくカフェに入ったのに、子ども連れの家族がいて「うるっさいな~」と思ったこと、一度はあるはず。子どもが好きとか嫌いとかじゃなく、「くつろぎ時間」を買いに来てるってのに、まったく~という場合のことだ。時間に追われて責任やプレッシャーを感じているときに多い。そんな人には「独身カフェ」にきていただこう。あ、でも表向きはちがう名前にした方がいいかな?笑 でも現場での「え!そんなにおモテになりそうなのにお一人で? 実は僕もまだこの歳で独り身なのです」みたいな出会いもさりげない。笑 ま、表向きは「日頃疲れていて極上のくつろぎを買いにきたオトナのカフェ」にしておこう。


家族カフェ。
逆に子連れウェルカムなカフェ。カフェなのにかくれんぼできるとかカフェの中にブランコがあるとか。パパと子どもは庭で遊び、ママたちは日頃のストレス発散するべく、くっちゃべる!というのはどうだろう。土日の子育てこそ、パパに輝いてもらいたい。キャッチボールや補助なし自転車の練習だってご自由に! 人が集まればドロケイ? 氷鬼? テレビゲームよりエキサイトする遊びをお約束。


餃子カフェ。
別に餃子じゃなくてもいいんだけど笑、とにかく目の前で自分で焼いてそのまま食べるカフェ。昼間からビールを飲みつつ、焼きたて餃子をつまみにできるなんていいじゃない。むしろ、餃子のネタをたこ焼きパーティーみたいにたくさん用意して、つくるところから楽しむのもよい。

石窯カフェ。
すっかり忘れてた、石窯さんのこと。本当は彼のこと、ずっと気になっていたのに。笑 庭の石窯で、焼きたてピザやパンをつくる。ピザは自分で食べるのを自分でトッピング。ナスとトマトで顔をつくったり、地球をつくってみたり。これ、昔絵本で読んだんだよなぁ。。なんていう本だっけなぁ。

結婚式カフェ。
これは古民家で結婚式をあげる二人のご縁のあった人たちを呼ぶカフェ。披露宴てなんか恥ずかしいじゃない。「企画・編集・主演:ぼくとわたし。」みたいな感じが。「ルックアットミー!」と堂々と言っているあの感じが。でも、自分と一生を一緒に生きたいと思うその人のお世話になった方やご縁のあった方が大集合して、感謝の気持ちは伝えたい。そんなときのための人生で一回限定カフェ。メニューから席からお土産まで自分たちで考える。でもカフェだから、時間の制限も別にないし、話したいだけ話せるのだ。席移動だって気軽だよ。実現してみたいカフェ。


パジャマカフェ。
夜のカフェ。お泊まりカフェ。女の子限定にしなくちゃだな。枕投げの分の枕も用意しなくちゃだな。夜更けのコーヒーもいれなくちゃだな。女の子のくっちゃべり癒やし効果は絶大なのだ。


もはやカフェじゃない案もあるけど、ここはやっぱりあくまでもカフェと言い張り、いろんなシリーズをしていきたいな。

カフェ人生、ばんざい。

あせらないということ つづき

書いた日記があまりにもタイトルと中身が違うことに気づいた。笑


もう一度書きかたっかことをつづけて書きます。


これ書いたら、図書館にいきます。



もう、あせるのやめようと思うのです。


4月までに~やらなきゃ!とか、

古民家ではこうする、ああする、とか、

もう一回全部忘れる。


4月に古民家住めないときのことも考える。

農家民泊できないことも考える。


なんていうか、一歩一歩前に進めばいいんじゃないか、

その中で私が自分で決めた選択をしていれば、

やろうと思っていたことがいつの間にかできるんじゃないか

と思うようになったのです。


とりあえず、はじめの一歩。

そうやって、また一歩。


そんなかんじで、誰かに何と思われようと、

自分らしくいることが一番大事なんじゃないかと思いました。


まず、古民家の暮らしをメインに考えるのはやめる。

私のお仕事は「○○○です」と言えるものにつこう。

たぶんベビーシッターかな。

それか幼稚園でアルバイト。


それを週に3日や4日できればうれしいな。


カフェも、時期を勝手に決めるんじゃなくて、

半年でも1年でも、時間をかけてやればいいじゃないか。


私には、時間が味方だもの。


農家民泊も、まだ私が百姓じゃないんだから、

人からお金とって商売なんてできないな。

ふつうにお友達んちにお泊まりするみたく、

そういう話しになった人とすればいいんだ。


そしたら、毎週お客さんを入れなくちゃならない、なんて考えもなくなるし。

しだいに泊まりに来てくれる人ができたら、

「農家民泊のおうち」をちゃんと借りてオープンすればいいじゃん、

と思うようになりました。


まずは1年くらいゆっくり百姓見習いをやろう。

私がその土地の人間になろう。


1年、あきちゃんにお世話になろう。

そのあとのプロジェクトのことは、それから考えよう。


今自分が確実にできることを

一歩一歩やっていこう。


そう思うようになりました。


だから、無理してお金貯めなくてもよくなる。笑


今の暮らしも、もっと味あおう。

もしかしたら、最後の実家暮らしかもしれないし。

東京だって毎日いるわけじゃなくなるし。


少しずつ、まわりになじみながら、自分らしさをつづけよう。

そんなふうに、大橋歩さんを見て思いました。


本気でおかっぱにするかもしんない。笑




あせらないということ

いま、一番やらなければならない本業の大学生活をおろそかにしていて、昨日はいろんなものが自分の手からこぼれ落ちる感覚になりました。

なので依存していたmixiをお休みしています。mixiは、人のるつぼでナマの情報や普段知ることのできない暮らしの匂いが分かるから楽しいけど、なければ生きていけないわけじゃないもんね。復活しても依存しないように気をつけよう。

で、昨日はアルネ を出している大橋歩さんとコピーライター糸井重里さんのトークショー があって、「レポート6個かきあげられたらいこう」と決めていたので、あんまり反省してないけど、行ってきました。予約制で、もうすでに席はなかったんだけど、開始1時間前くらいに一応電話したら立ち見になるけど聞けることを知り、夜大学ないの水曜日だけだし何かのきっかけになると思って行ってきました。


会場は、本当に人・人・人…というかんじで、イラストレーターとしての作品やアルネの紹介などが並べられたギャラリーは動けないくらい満杯でした。

結局立ち見するスペースもなくて外の広場でモニターを見ることになったんだけど、でもスッゴく行ってよかった。


印象的だったお話しは、「自分が面白いと思わないとできないんです」という言葉と、糸井さんのつりの話しかなぁ。魚つりはみんな平等だという話し。社長もコピーライターも中学生も同じラインで真剣勝負。そういう中で本来自分一人の力がなくならないようにしたいって言ってたな~。運転手つきの車に乗ってたら車の運転忘れるように何かを置いてくる感覚に危険を感じてるんだって。釣りの大会で8位になって、奥さんに報告するとき泣いちゃった話しとかとにかく糸井さんはワクワクする感覚を忘れない人なんだな~と関心しました。

いつか大橋さんや糸井さんとお茶をすすりながら、ぴーちくぱーちくしてみたくなりました。笑 きっといいお友達になれると思うんだ(^o^;)

大橋さんはとにかくかわいかったし居心地のいい人でした。目をくるくるさせて穏やかにお話しされる姿は、こんなおばちゃまになりたいと思わせる何かがありました。

いつかゆっくりお話しできたらいいな! 私も髪を大橋さんみたくさせたくなりました。ほんとかわいいおかっぱでした!

日本の小さな農山村に住むということ。

週末、古民家に行ってきました。

具体的に、私が「この村に住みたいと思っていること」を

地元のおじさんたちに話しました。


今回、いろいろお話しさせてもらう中で思ったのは、

「ここに住みたいということは、終身雇用のための就職活動をするようなもんだ」ということ。


「ちょっとやそっと嫌なことがあったら、すぐやめるって言うんだろ?」

「自分のキャリアアップのため、とか言って、おいしいとこ吸ったら次にいくんだろ? その程度なんだろ?」

「別にほかでもいいんじゃないの?」

ということなんだと思います。


「やってみないと分からない。だから、まずやってみる」

というのはとても都会の考え方。

それは「次がある」ということの表れだから。


この村では、いちいち男性とお付き合いするのでも、

「うまくいかなくなったときの、めんどくさいこと」をいっぱい想定しなくてはならない。

都会だったら、

「まだ相手のこと、よく分からないし、どうしよう。でも、気になるし、やさしいから、お付き合いしてみよっかな?

イヤなら別れればいいんだし」

ってなるでしょ。

それが、

「ここでこの人とお付き合いするということは、結婚するということだ。

いや、もし別れることになったら、この村をでるということだ」

など、いろいろ先のストーリーを考えて、慎重に動かなくてはならない。

同じ車に村の男女二人が乗ってただけでさぐりを入れられる環境なんだって。

私はぬいぐるみみたいなので、兄弟みたいな関係の子とは、ふつうにスキンシップもする。

それが、できない環境なんだ。

当たり前なのかもしれないけれど、この感覚に慣れてる私としては危険だわさ。


こないだも、お祭りに参加させてもらったとき、

「~の会」という数の多さにびっくりしたばっかりだ。

きっと、みんなで力を合わせて「この村を守っている」という連帯感があって、

その輪を乱すヤツは、めちゃくちゃイヤやヤツなんだろう。


そして、今まで、外からきた芸術家や外国人の若い人たちは、時期がきたら、いなくなっているという無責任さ。


でも、その先にあるのは、

「ほんとうの自分の居場所」。


その社会の一員になるということ。

責任もや使命もあるということ。


この先のことをとことん考えなくちゃと思う。

私、結局、何がしたいんだっけ?

自分の欲のためなんだっけ?

それとも、何かかきたてられるような使命感があるんだっけ?


「住まわせてもらっている」という感覚で成り立っている

農山村の人々を絶対に傷つけてはならない。

私がしたいことは、そんなんじゃない。


だから、慎重に、ゆっくり、じりじりと近づいていく必要がある。


いかに自分が、自分だけの都合で生きているかを痛感した1日になりました。

自分とにらめっこ。

最近、同年代の子と「自分のこれから」について語る機会が増えました。

自分がどんなことをしてどんなふうに歳をとっていきたいのか。それぞれ立場こそ違えど、それを考える節目にいる気がします。

高校生のときからずっと一緒にいる女の子4人の仲間でこないだ会ったとき、涙をセットにして、普段は言わないような、心の中の葛藤の話しをしました。

多分、世界各国過去も未来も関係なく、おおきなくくりでみると、私たちに課せられていることは、「生きること」と「死ぬこと」だけのような気がします。その中で人間としていかに子孫を残していくかだけが、求められているんだと思います。勝手に遺伝子を組み替えてみたり、より便利にと研究を進めることじゃなくて、「2006年」まで守られてきたものを、私たちが骨になったり私たちのお墓すらなくなる時代まで残すことの方が必要なんじゃないかと思うんです。

なんで「自分探しをしよう」とか「好きなことを仕事に」「キャリアアップ!」とうたって、会社に引きこもりになったりすることとが正しいと言えるんだろう。それより大事な何かを置き去りにしてないか?

頭で理解していることとそれを実行に移すことはかなりかけ離れたことだと思います。

たまたま「生かされている」人生の中で、どんなふうに時間を過ごすか。自分のことばかりを考えるんじゃなくて、いかにまわりのために動けるかが問われていると思います。

ひしひしと「人間力」が必要だ! と思います。

原点

私の18歳のころの夢、それは「本を書く人になりたい」。

大学に入って出会った女の子のリアルがつまった本「ほんとう」との出会いで、「私もやってみればいいんだ!」と雫のように思い、複合機を買って、友だちに取材し、自分で超手作りの雑誌(と言えないようなもの)を作って、誘ってもらった写真展で発表したのでした。はずかし。

んで、その「ぐりた」という冊子は、少しずつだけど形になり、3号までつくったのでした。今思うとはずかしすぎて笑いが出てくるけれど。

で、私、はずかしながら、またやろうかと思うの。今日ね初めて「Arne」という本を読んで思ったのです。そうそう、こういうかんじ、と。

なんだか、いかにも!というかんじで食わず嫌いだったこの本だけど、とてもよかった。この本は大橋歩さんという方が、企画から編集からイラストから撮影から執筆までなんでもやられていて、飾らない強さみたいなものがこもっている本でした。

私の古民家ノートには、「季節ごとに一冊つくる」というのがあって、いつかはやりたいと思っていたことだったけれど、あぁもうやっちゃおう! と思ったのでした。

来年の春には創刊したいな! 中身についてもいろいろイメージしていることがあるけど、それは形になってからのお楽しみに!

楽しみだなー。

広告しない。

mixiで、私がやりたいことのコミュニティを作ってみました。

「容@古民家」です。あーほんとに名前どうしよう。


肩書きとかが嫌いな私は、屋号に困ります。

いままで、「ゆめは、古民家」とか言っていたけど、

夢が古民家なわけではないし。←当たり前。


そういう、暮らし。


難しいね。想いを人に伝えたり、カタチにしていくのって。

まず、はじめの一歩を踏み出していくしかないんだけど。


そういえば、前の会社の社長から電話がありました。

「卒業できそうなの?」って。


「がんばってますよ」としか言えなかったけど、

こんなの書いてるなら、卒論やれよな!みたいなね・・

まぁ、なんとかするけど。


社長は、ほんとうに個性がつよくて、

愛のある人なんだけど、自我も強いから、

「あー、もういや」となることも多かった。

嫌いなところ、ほんとたくさんある。

いっぱい泣かされたし。


でも、こういう一言とかがさりげない気配りができる人だから、

本当に嫌いになれない。


前の会社と今後一緒に何かをやるのは

やっぱり躊躇するけど(まぁ望まれてもないけど^^:)、

でも、個人的には人として仲良くしていたいなぁと思いました。

ある程度の距離をもって、ね。


融資もいらない。。

だから、たまにみんなで遊びにきてほしいなぁ。

ふつうにお客さんとして。


ここから、いろんなことが広がっていきますように。



そうそう、タイトルにあるように(すっかり話がそれていたわけですが)、

私はこの先自分がやることを大きな広告を打つつもりはありません。

たぶん、DMとかの紙にもしないと思う。

名刺は仕事だからつくるけど、

宣伝ってなるべくならしない。


まえに、Sさんに言われた言葉、

「本当にいいものは宣伝なしでも人が集まる。むしろ、宣伝したらだめになる」

という言葉を座右の銘にし、

時間をかけて、あせらずにいきたいと思います。


だから、私の身の回りの人から、ちょっとずつ広がっていけたらいいなぁ。


私個人からは、日記やふだんの発言から、

「古民家古民家!」というと思うけど、

でもそれは「おしつけ」にはなりたくないと思ってる。

あくまでも、出てきちゃうわけで・言葉が勝手に。


だから、無理やり広げようとはしたくありません。

いろんな葛藤がこの先あると思うけど、

ほんと、この初心だけは大切にしていきたいな。


10年、20年かけて、この気持ちをカタチにしていきたいです。

自分が見えない私たち。

人は、他人のことならよく分かる。


これは、地球は回っているとか一週間は7日だとかそんなレベルの鉄則なんじゃないかと思う。


前にいた会社は、仕事の内容からか、人を批判して分析して上からものを発言していた。私は自分だけじゃなく、来てくれたお客さんやふつうの女の子たちまでそんな態度で接せられることに嫌気がさしてうんざりしていた。

今ならはっきり分かる。みんな同じなんだ。批判や分析してえらそうな口叩いている人だって、己一人の力は、人のことあーだこーだ言えることはないんだ。

だから、人のことをあーだこーだ上から言う人は裸の王様。

前の会社で、心がカラカラになったことを思い出した。


それで、分かったこと。この先、甘い言葉をかけられても私距離を置いたままでいようと思う。


一人一人は好きだけど、会社のやり方やまわりの話しを聞き入れないかんじがやっぱり私とは合わない。


前の会社にいるとき、私は何が正しくて何が間違っているのか分からなくなった。私たちは、この混沌とした21世紀を生きていかねばならないんだから、どの道大変なんだと思う。楽チンな道なんてない。ただその中で、私はほんとうに自分がいいと思うものだけを選んでいきたいし、ゆっくりコツコツ進んでいきたいと思う。


会社にいたとき、ここしかないと思ったこともあった。みんなに愛されている自信もあった。私も自分のできることで何かを返していきたいと思ってた。

好きだから一緒にいる、なんていうのは恋愛ごっこだ。私は、どんなに立場が弱くても、自分の足で立っていたいし、意味があることをしていきたい。

責められるのも陰口言われるのも私の仕事。でも10年20年先に答えがあるって信じている。それは30年、40年経ったらもっと分かりやすい成果になると思ってる。

私ができること。自分といつまでも闘っていたい。