ライフ@さいはら -94ページ目

自分の考え方のくせを知る。

お友達の一人に、今のお勤め先の仕事環境に納得がいかなくて、転職を考えているコがいます。ずっと前から考えてたんだけど、ここにきて、ぐっと真剣に考えさせられているみたい。


それで、次はどんな職場がいいか? なんていう話題で会話をしていたんですが…



私が何を言っても、


「でもさ…」

「だって…」

「いや分かってるんだよ!けど…」

という調子なのです。たまたま私がお気に入りで持っていたあるものをつくっている会社のイメージが彼女に合っているような気がしたから、「ここみたいな会社とか合いそう」なんて見せてみたら、


「あ、そこ知ってる。やってることもいいなぁと思ってたんだ。しかもこないだどっかで募集してたの見たなぁ」


「いいじゃん!」


「でも、中堅じゃん!」


「…………」


というふうに会話がつづくんです。


で、「中堅だからムリにきまってる、なの? まだ分かんないのに、もったいなくない? 私だったらそこで、『中堅なのにラッキー!』ってなって面接しちゃうよ。笑」なんて話して、


「考え方のくせだけで、自分の可能性閉じ込めて小さいところに自分をおしこめるの、もったいないよ!」

と言うんだけど、「うん、分かってるんだけど…」なのです。小さいころからの考え方のくせなんだよね。


私は、彼女のことがだーいすきだから、もっと自信持ってよー! もっと自分のこと認めてあげてよー! と思うんだけど、どうしても自分のことを最小評価しちゃうみたい。


で、私は10代のころの好きな雑誌は日経ウーマンで、自己啓発本も手当たり次第読んでいたから、「キライかもしれないけど、自己啓発の本もあなどれないよー」と言って、たまたま持っていたブックオフで100円だった浅見帆帆子さんの本を出して、ちょっと読んでもらったり、私が「言霊ってあると思ってるんだよね」なんて言うと、


「うわ、あやしい。」という顔をするので、押し付けちゃだめなんだなーと反省しました。


はっきり言って私、「分かってるけど、でもさー。だってさー」っていうことって、つまり「分からない」ことなんだと思うんです。頭で分かってても、本当に身に染みてなくちゃ「分からない」んじゃないかな。つまり、言ってる意味は分かるけど分かんないんだよ!という状態だと思うんです。


で、例えばまわりが何かプラスになればと思って助言しても、本人がそれを求めなければ全く意味がないんだな、と気付きました。私の悪いとこは自分の考え方を押し付けちゃうトコね。直さないと。


私もね、なんか今のスピリチュアルブームとか、二番煎じで安っぽい自己啓発本とか、「あれまー」と思うけど、でも気になる本があれば手にとるし、自己啓発本も昔に比べたら全く読まなくなっちゃったけど、でも二番煎じでも安っぽくても怪しくても、核になるものってだいたい同じようなことだし、「理解はできないけど、なんとなく受け入れる」だけでも違うんじゃないかなぁと思うんです。

実は、今浅見さんの本を読んでいて、うん、そうだよなーうんうん、てなかんじでも、『宇宙の流れに乗っていれば大丈夫』とか急に書いてあると、「えーここでそうきちゃうわけー?」と私も思うんだけど、「あ、つまり自然になるようになるから大丈夫って意味ねきっと」と自分なりに咀嚼して読んでいます。まぁ、その本より節約のエッセイ本が今はお気に入りなんだけど…^_^;


考え方のくせって誰でもあるものだし、「いい考え方はこれ!」なんて言われても…と思うけど、でも、「今のままじゃだめだ」とか「変わりたい」と思ったら、うまくいっている人のいいところを学んだり、アドバイスしてくれる人の話しを素直に受け入れたり、先人たちの教えにすがってもいいと思うんです。


10代のころの私の口癖は、「なんかいいことないかなぁ~」でした。何かいやなことがあるとすぐまわりのせいにしてたし、苛々してた。「さいあく~」とかよく言ってたし。笑。その考え方のくせはいまだって残っているかもだけど、まず自分が変わらないと意味がないなーと気付いて意識する努力をしたから、今は「ありがたいなぁ」というくらい、いいことが向こうからやってきてくれています。うまくいかなくてへこむことやあせることもあるけど、そのうちなんとかなるーと思ってるし…。


なんか、長くなっちゃったけど、つまり、たぶん、私、直ってないけど、彼女に考え方を押し付けたいのかもしれません。

でも、「本人の問題だしー」とかいって思ってることを遠慮するような間柄にはなりたくないから、やっぱりとなりで念仏のように「もっとしあわせになれるよー!信じてあげてー!」と言う、怪しい親友で居続けようと思います。

変わらない日常の先に未来はある

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あわてず、せかさず、あせらずに。


でも、意識は高いところを保って。



お金はないけど、時間と希望だけは、いーっぱいいーっぱいあるからね。


まわりの歩調に、まどわされない!


一方的な情報に、流されない!


おおきなものに、よっかかりすぎない!


アモニモマケズを聖書のようにモチ、ゆっくりと形にしていこう!

一番お気に入りの写真。


いつも、だれかの「帰る場所」でありたい。


まだ、出会ってない人でも、

「なんだかなつかしい」と思ってもらえるような、

写真や文章を書いていたい。


やりたいことが、多すぎる。


いいたいことが、多すぎる。


行きたいとこが、多すぎる。


会いたい人が、多すぎる。


伝えたいことが、多すぎる。


だから、私は今日も、生きる。




親友と行った、わがふるさと。

大好きな人がいっぱいいる、大好きな、北海道。


形にするということ。



去年の3月に、お仕事でつくった、新聞の裏側(4面)。

都内のインカレ女子大生サークルの代表の子と、

ひょんなことから出会って、

毎日会社で寝泊りして、つくりあげた新聞。


今思うと、ほんと、よくここまで、遊びと仕事のあいのこをさせてもらっていたなーと思う。


むだに語って、むだに迷走して、暴走もして、

でも、たのしかったな。


苦しかったけど。


まだ、1年も経ってないなんて、


シンジランナーイ!



で、もっと無責任なこと、今だから言えるけど、


想いは一緒でも、やっぱり、私、表現の形は違うやーー。


毎日いろいろあって、楽しかったけど。



もう一度やれ、といわれても、できないな。



私は私のペースで、いつか、形にすることができるだろうか?


だれにも文句を言われずに、

これだ! と思えるものを、

形にできる日がくるのだろうか?


死ぬまでには、したい10のこと。


きっと、私の中で、そのひとつになるなー。


リーダーのくるしみ。


なんかさ、いろいろ考えだすと、

何にも言えなくなってくるよね。


責任とか持ち始めると、

ちょっとやそっとじゃ、簡単に自分の気持ち、言えなくなる。


そういうのを、ずいぶん今まで経験してきた。


サークルの代表をやっていた一年間は、

日記も止めていた。


いろんな人に責められる日々が続いたけど、

なるべく攻撃的にならずに、

私に対する不平・不満・愚痴を受け入れるように努力したつもりだ。


みんな責めることばっか得意で、

私は、「誰かのできてないこと」に気づいたら、

そっと自分ができることで力になれることを探せる人になりたい、と強く思った。

「なんてあなたはそうなのー!?」

じゃなく、

「なら、私がこうしてあげるー!」

と明るく言える人のほうが絶対、いい。


今、学生サークルに参加させてもらっている。

何回も活動に参加させてもらっている中で、

あーあー、このかんじ、なつかしい。

という場面も、あったり。


リーダーの、やりきれない気持ちも、

下の学年のやきもきする気持ちも、

痛いほどわかる。


それは、今、私が外にいるから。


サークルって、むずかしい。


遊び、と割り切れるほど、自由じゃない。

かといって、仕事、と言えるほど、責任もない。


プライベートの時間をどの程度サークル活動に割り当てるかだって、

「正しい基準」はない。


わかっているんだけど、それは理解できるんだけど、

みんながそんなんじゃ、形にならない。

リーダーは、何かあるたびに責められるし、

無責任なやつほど、しれっとした態度で他人のせいにしてくる。

(はだかの王様ですよ、と思う)


何が正しくて、何が間違っているのか。


そういうのが、すごく難しい、それが、サークル活動。


でも、貴重な時間なんだよね。


ほんと、今になってわかるけど、

生まれた場所も、時間も、育った環境も、胸に描いている未来も違う、

若い可能性のある若人が、

同じ場所で出会い、同じ時間を共有し、同じことを想い、同じ活動をする中でひとつになる。


それって、ほんとうにすばらしいこと。

大きな力がある。


ただ、遊んでいるだけの、サークルじゃないほうが多い中で、

もがき、苦しんでいる幹部の人たちも多いんじゃないかな。

「なんでおれだけ…」

「なんで私だけ…」

が、当たり前の世界だから。


今、私は、外からそっと風を送ることしかできないけれど。


でも、苦しんだ分だけ、いつか、

「やってよかった!」と心から思える日が来ることを伝えたい。


みんなから「選ばれた」ということを忘れずに、

自分を見失わないで、がんばってほしいなぁ。






感覚のバランス

今私ができることは、今考えていることを忘れないこと。


まだ何にも染まってないから、客観的にいろんな角度から見ることができる。どこか一点に馴染んじゃうと、すっかり外からの目線がわからなくなるからね。きけんです。


虚しい気持ちによくなるけど、やっぱり強気かつスピーディーでどんどん新しいことをうみだす東京もおもしろい。やっぱりビジネスは、東京が基本だし、あんまりにもかけはなれた世界で、桃源郷のように生きるのもね、なんかちょっと違うなぁと思う。


今、思うのはあまり田舎の都合になれたくないということ。もちろん地元の方と同じ呼吸をしたいんだけど、田舎ならではの弱気ないいわけをしたくない。「遠いから」だの「人がいないから」だの「仕事からないから」だの、そういうのね。みんなに「どうせねー」と言われることや、今までのやり方と違うこともどんどんしかけられるような、こわいもの知らずの感覚はどっかで持ち続けたい。


今までがダメだったからって、これからはわからないじゃん。まだやってないやり方を手探りできる「軽い人」でありたい。「柔らかい人」でもありたい。


都会脳と田舎脳というのがあるなら、どちらも使える頭脳でありたいな。


そういう意味でも、「染まらない」という選択も考えてる。


自分ありきでいるために。だれかに依存しないために。

都会にも田舎にもなじまない。精神的に自分の場所を固定しない。


一人ぼっちは、誰とでも繋がれるんだ。わるくない。


みんなが眩しくみえるときもあるけれど、一人で立てれば、どこへでも自由にいけるもんな。くだらない人間関係のもつれや、組織のしがらみで体が動かなくなるなんて、ばかみたい!あっちに、こっちに出向きつつ、意見を求められたら答えつつ、基本的には自分がベースでどかん!としてたいな。


精神的に一人、を楽しむぞー!

光りとやや陰り

今、古民家に泊まりにきています。それにしても、すっかり寒いですわー。水道も凍らないように流しっぱなしです。


昨日は初午という通称あんどん祭に参加させてもらったんだけど、この地区のシンボルとなっているような神社で火を囲みながら、地元の方と飲んだり食べたり語ったり歌ったり踊ったりしました。


もともとはこの地区に住む小中学生が自分たちの力だけで火を起こし守るという行事だったらしい。食が今年も実りますように、という願いをこめて。


それが今じゃ、中学生がこの地区には一人もいなくなってしまったので(笑いごとじゃないけど思わず笑ってしまった)、今はこうして大人の社交の場みたいになってきたというお話しを教えていただきました。

う、産まなきゃー! と思っちゃった。ここで子供を育てられたらどんなにいいか! と思っているんだけど、こればっかりはね…。

それにしても、出会う方出会う方、みんな素敵。ほんとうにいいところだなー、としみじみ思うんだけど、今回は嫌な思いも初めてしました。。


まぁ、酔っ払ってたんだろうけどさ、発言がストレートセクハラのおじさんに絡まれました。セクハラなんて、慣れているし、いつもはハイハイって聞き流したり突っ込んだりしてたけど、今回は思わず閉口しちゃった。なんていうか、自分が失言していることに気付いてないんだな、これが。悪意すらないから、本気で引いた。


はっきり言って、あんた東京じゃ職ないよ!古すぎ! と心の中で馬鹿にしてしまう自分もいて、それにも嫌気がさした。


「女は産む機械」のおじさんも、自分でも悪意がないことに閉口だったけど、まだまだいるもんなのね。誰にも何も言われずにその価値観引きづってるのー? と怒るというより呆れた。そして哀れんだ。


セクハラならまだ年齢的な価値観で仕方がないとして、私が我慢すればいいだけのことなんだけど、他の人を高校や大学で勝手に判断している様にも、閉口。なんか最後には「確かにあの方は素晴らしい方だけど、学校名はその一面しかわからないと思いますよ。同じ大学の学生が全員同じじゃなくてそれぞれ違う素敵なことろがあるんだし」と無駄に抵抗してみた。


なんつーか、私こういう人を枠でしか判断できない人だったり、一つの固定概念が正しいと信じ切っている人をみると、イラッとしてしまいます。


思わず出てきた言葉は、「まだこんな人いるんだ…」でした。。。


まぁでもこんな体験がかすむくらい、素敵な方たちだらけだからね。やっぱり気持ちは変わらないんだけど。


でも、だんだんここに来る回数が増えて、違う角度からも見えるようになってきている自分がいます。


もっと本質を知りたい、と思いました。

変わらず変わり続けるということ

自分の核となるものを変えないで、そのときの環境や新しい情報を受け入れる力がほしいです。「今」ともちゃんと向き合えないと、ただ自分の殻に閉じこもってるだけになっちゃう。


昨日から、朝7時に家を出る派遣OLのお仕事をしています。これ、なんと時給が1600円。お仕事は、病院の中になる組織の庶務です。イメージとしては、ひと昔前の短大出たての女の子が嫁に行くまでの腰掛け事務員、みたいなかんじです。ドラマの見すぎかもだけど。まぁはっきり言って、実力以上のお金をいただいてます。まぁこれが派遣の落とし穴なわけですが。まぁでも、2、3月だけなので、あんまりどっぷりは浸からないけれど。

8時半からなので、正直起きれるか不安で、夜寝られません。最近ニートもびっくりのひきこもりだったからなおさらです。


でも、みんないい人たちだし、うまくやっていけそうです。私が楽しまないと意味ないよね。


2月は40万を稼ぐことが目標。お金に執着する気持ちはないけど、お金もやっぱり大切で、ここぞ、というときに少しくらいは無理しないと。


元々は稼ぐことが好きで、お金をもらえばもらえるほど、誰かから認められたような、必要とされたような気持ちになっていた。でも、自分が生きてる実感がだんだん薄くなってきて、時間に追われて、このままの明日やあさってや、10年後の自分にワクワクするものを感じれなくて、無気力になった。


働いたお金がそのままのお小遣い。大学1年のころから、毎月15万以上も好きなように使ってんだから、そこらの働くお父さんより大盤振る舞いです。でも、全然豊かじゃなかった。


インスタントの楽しさをいっぱい買った。時間に追われてたから、外出だし、タクシーだし、お金は足りないくらいだった。あぁあもったいないねえ!


私のまわりには、ビンボーだけど、豊かなコがたくさんいた。なぜか、彼女たちに惹かれるようになった。それまでは、いわゆる仕事がデキる人たちに憧れてたけど、実際に現場に入ってみたら「確かに仕事はがんばってるけど、なんかそれでいいの?」と思ってしまうような方たちに出会っていくし、自分があまり「デキるタイプ」じゃないということ、つまり無能だということにも気付いたから。

人よりお金をたくさん稼ぐことより、お金は必要最低限しかなくても自然の流れに心をおいて、丁寧に暮らしている人たちのことがもっと知りたくなった。


自分が好きなことなら、本当にやりたいことなら、徹夜だって、ごはん抜きだって、頑張ってしまう体質だもの。仕事時間とプライベートを分けることが苦手で、遊びと働くことがチャーハンみたいになっている状態に陥りがちだもの。自分をごまかして、たくさんの人に消費されるだけを待つものをつくるより、ほんの少しの人でもいいから、目の前で喜んでもらえる顔を見てみたい。そんな仕事人になりたい。


正直いうと、今気分は沈んでいて、だらし無い自分や口だけの自分、求めてばかりで与えることをしていない自分が嫌いで、あまり人に会いたくない気持ちにいるんだけど、そんなこと言ってぐたぐたしてんのもばかみたいだから、今からでも少しずつ変わっていこうと思う。

テンションが上がることが多い分、下がることだっていっぱいあって、一人よがりな世界にますます閉じこもりそうになるけど、変わらずに変わり続ける努力をしていけたらと思います。

テンション低めで、元気です。そんなときもしょっちゅうだけど、そんなときも誰かと繋がることを恐れずにありたいです。


あぁあ難しいことだらけ。私の人生は、試練がいっぱいです。だからこそ、生きているのかな。今まで生きてこれたこと、私にとっては当たり前じゃないから、 命を燃やして生きたいです。


さ、生きまくるぞー!人生これ体!

都内でも、おんぼろだった。

またまた昔の書いた文章出てきた。

なんか、やっぱり、都内でもボロ家だったな、笑 

と思ったので、はっておきます。


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都心にいると、家賃8万なんてザラ。
でも、毎月そんな多くのお金を払うほどの価値、どこにあるのかな?

私はサークルの男友達と、ノリで決めて、
共同生活を始めた。

文京区。地下鉄の某駅から徒歩5分。
JRの某駅まで徒歩15分。

これで、家賃3万。
3人で9万。

共同生活と言っても、
お風呂とトイレが一緒なだけで、
自分の部屋には小さいけどキッチンもあるし、
なんてったって部屋の三面が収納だから、
まるまる4.5畳を広々と使うこともできる。

男の子と住んでいると、
いざっていうときに頼りにできるし、
気軽にみんなでゴハン、なんていうこともしょっちゅう。

もちろん人と住むっていろいろ大変。
家もボロいから、窓枠が木だったりして、冬はめちゃ寒い。

でも、収入もそこそこしかないから、
やっぱり家賃にはなるべくお金をかけたくないのです。
交際費とかもバカにできないし。
だいたい、家は寝に帰るだけだし。

きっと、この先どんなに収入をもらうことができても、
マンションには住まないと思う。

昔はヒルズとか、
窓一面から夜景が見える高層マンションとか、
そういうものにも憧れたけど。
なんか、窓も開けられない生活って、
ロボットみたいで、私は住んでも長続きしない気がする。

それになんだかんだで、やっぱり触れ合いがある
この生活が大好き。

賃貸情報の雑誌とか、
1Rで高いの当たり前ってかんじだけど、
けっこう探し方を変えてみると、
いろんな物件があるもんだよ。

よく友達に言うとびっくりされちゃうけど、
全然ふつーなことだと思うんだけどなぁ。

みんなはどう思いますか?
どんなところに住んでる?

共同ぐらししてる子、
けっこういるもんだよね。


汚すぎるけど、そのときのおうち。

上は友達のお部屋。

下はわたしの部屋。




ネットは、押入れデスクで。

写真は、悪友。

安心して絶望できる人生


という名の本を読んでいます。すごいインパクトでしょ。笑


北海道にある浦河べてるの家という、

統合失調症などを抱える人たちが暮らす

共同体のおうちの実態が描かれているんだけど、

読んでいてもこっちまで苦しくなるくらい、

生きにくさのプロたちが集まっています。


で、おもしろいのが、自分で自分の症状に名前をつけるの。

「人間アレルギー症候群」とか「幻聴さん」とか

「慢性涙腺ゆるみっぱなし症候群自分いじめ型」とかね。


そんなふうに、今自分がどういう状態でどんな気持ちでいるかということを、

自分の言葉にして人に伝えたり、

誰かと痛みを共有したりして

少しずつ自分を信じていくことができるみたいです。



この本を読んでいて、すごいなぁと思うのは、この考え方なんだよね。

「今日も順調に問題だらけ!」って言えるすごさ。

だって、ほんと現実に起こっているのは、

笑えない問題だったりするのにね。

それでも順調、なんだもんね。

この器のでっかさ。すばらしい。



『浦河で暮らしていると、他では一般的に使わないような

ユニークな会話が飛び交うことが多いことに気がつきます。

「自分の行き詰まりに手ごたえを感じる」

「この困り方は、いい線をいっているね」

「悩みのセンスがよくなってきた」

「自分の悩みや不安に誇りを感じる」

「最近、落ち方がうまいね」「あきらめ方がうまくなってきた」

「悩みの多さに自信が出てきた」「病気スジがいいね」など不思議なメッセージが、

日常的な会話の中に行きかうのです。』

ね。おもしろい。


ほんで、もっといいなぁと思ったのは、

この人たち自分たちで起業したりビジネスを始めちゃったりするのね。

で、会社のスタンスが、

「●「虚しさ」を絆に ●体と心にやさしい会社づくり 

●いつでも廃業 ●期待されない会社づくり 

●安心してサボれる、潰れる、通える、語れる会社づくり 

●命がけの苦労の体験が資本」 

なんだって。すばらしい。

まさに、私の理想の働きたい会社。笑 

売り上げのために賞味期限の切れた卵を使って

洋菓子をつくらなくてもいいんだよ。

蚊が入ってる!ってクレームがきて、

あら、ごめんなさい!と思ったら、

作るのをすっぱり止められる。

苦しい嘘でごまかして売り上げ伸ばそうとしなくていいんだもんね。


「ありのままに生きるという一見一番楽そうに思えることが、実は一番難しかったりする」

という現実を踏まえながら、

それでも前に進もうとするはじめの一歩に、ぴったりなんじゃないかと思う。

こんな会社がたくさんあればいいのになぁ。つくれたらいいなぁ。


そんなわけで、思っていたような自分じゃないことに気づいてショックを受けたり、

いつまでも自分が何なのかよく分からなかったりすることは、

青春の誰もが通る道だから、

一人で「自分がおかしい」と責める必要はないんだよーーー

と言ってくれているような気がしました

(近頃、私はあきらめのプロなので、すっかり開き直ってるけどさ)。


このごろ同年代の女の子が、

自分の生き方に行き詰っているのをよく見かけます。

昔一緒の時を共有した仲間だったりすると、おせっかい焼きたくなるんだけど、

でも、今はこっそり影ながら

「そんなに苦しまなくていいんだよー。

そんなことじゃ嫌いにならないよーー」

と思ってエールをこっそり送っています(念じているだけだけど)。


早くそんな子に、「うちに来んしゃーーい!」と

言ってあげられるようなおうちに住めたらいいなぁ。


ほんで、過疎の村から豊かなビジネスを始められたらいいなぁ。