自分の考え方のくせを知る。
お友達の一人に、今のお勤め先の仕事環境に納得がいかなくて、転職を考えているコがいます。ずっと前から考えてたんだけど、ここにきて、ぐっと真剣に考えさせられているみたい。
それで、次はどんな職場がいいか? なんていう話題で会話をしていたんですが…
私が何を言っても、
「でもさ…」
「だって…」
「いや分かってるんだよ!けど…」
という調子なのです。たまたま私がお気に入りで持っていたあるものをつくっている会社のイメージが彼女に合っているような気がしたから、「ここみたいな会社とか合いそう」なんて見せてみたら、
「あ、そこ知ってる。やってることもいいなぁと思ってたんだ。しかもこないだどっかで募集してたの見たなぁ」
「いいじゃん!」
「でも、中堅じゃん!」
「…………」
というふうに会話がつづくんです。
で、「中堅だからムリにきまってる、なの? まだ分かんないのに、もったいなくない? 私だったらそこで、『中堅なのにラッキー!』ってなって面接しちゃうよ。笑」なんて話して、
「考え方のくせだけで、自分の可能性閉じ込めて小さいところに自分をおしこめるの、もったいないよ!」
と言うんだけど、「うん、分かってるんだけど…」なのです。小さいころからの考え方のくせなんだよね。
私は、彼女のことがだーいすきだから、もっと自信持ってよー! もっと自分のこと認めてあげてよー! と思うんだけど、どうしても自分のことを最小評価しちゃうみたい。
で、私は10代のころの好きな雑誌は日経ウーマンで、自己啓発本も手当たり次第読んでいたから、「キライかもしれないけど、自己啓発の本もあなどれないよー」と言って、たまたま持っていたブックオフで100円だった浅見帆帆子さんの本を出して、ちょっと読んでもらったり、私が「言霊ってあると思ってるんだよね」なんて言うと、
「うわ、あやしい。」という顔をするので、押し付けちゃだめなんだなーと反省しました。
はっきり言って私、「分かってるけど、でもさー。だってさー」っていうことって、つまり「分からない」ことなんだと思うんです。頭で分かってても、本当に身に染みてなくちゃ「分からない」んじゃないかな。つまり、言ってる意味は分かるけど分かんないんだよ!という状態だと思うんです。
で、例えばまわりが何かプラスになればと思って助言しても、本人がそれを求めなければ全く意味がないんだな、と気付きました。私の悪いとこは自分の考え方を押し付けちゃうトコね。直さないと。
私もね、なんか今のスピリチュアルブームとか、二番煎じで安っぽい自己啓発本とか、「あれまー」と思うけど、でも気になる本があれば手にとるし、自己啓発本も昔に比べたら全く読まなくなっちゃったけど、でも二番煎じでも安っぽくても怪しくても、核になるものってだいたい同じようなことだし、「理解はできないけど、なんとなく受け入れる」だけでも違うんじゃないかなぁと思うんです。
実は、今浅見さんの本を読んでいて、うん、そうだよなーうんうん、てなかんじでも、『宇宙の流れに乗っていれば大丈夫』とか急に書いてあると、「えーここでそうきちゃうわけー?」と私も思うんだけど、「あ、つまり自然になるようになるから大丈夫って意味ねきっと」と自分なりに咀嚼して読んでいます。まぁ、その本より節約のエッセイ本が今はお気に入りなんだけど…^_^;
考え方のくせって誰でもあるものだし、「いい考え方はこれ!」なんて言われても…と思うけど、でも、「今のままじゃだめだ」とか「変わりたい」と思ったら、うまくいっている人のいいところを学んだり、アドバイスしてくれる人の話しを素直に受け入れたり、先人たちの教えにすがってもいいと思うんです。
10代のころの私の口癖は、「なんかいいことないかなぁ~」でした。何かいやなことがあるとすぐまわりのせいにしてたし、苛々してた。「さいあく~」とかよく言ってたし。笑。その考え方のくせはいまだって残っているかもだけど、まず自分が変わらないと意味がないなーと気付いて意識する努力をしたから、今は「ありがたいなぁ」というくらい、いいことが向こうからやってきてくれています。うまくいかなくてへこむことやあせることもあるけど、そのうちなんとかなるーと思ってるし…。
なんか、長くなっちゃったけど、つまり、たぶん、私、直ってないけど、彼女に考え方を押し付けたいのかもしれません。
でも、「本人の問題だしー」とかいって思ってることを遠慮するような間柄にはなりたくないから、やっぱりとなりで念仏のように「もっとしあわせになれるよー!信じてあげてー!」と言う、怪しい親友で居続けようと思います。
それで、次はどんな職場がいいか? なんていう話題で会話をしていたんですが…
私が何を言っても、
「でもさ…」
「だって…」
「いや分かってるんだよ!けど…」
という調子なのです。たまたま私がお気に入りで持っていたあるものをつくっている会社のイメージが彼女に合っているような気がしたから、「ここみたいな会社とか合いそう」なんて見せてみたら、
「あ、そこ知ってる。やってることもいいなぁと思ってたんだ。しかもこないだどっかで募集してたの見たなぁ」
「いいじゃん!」
「でも、中堅じゃん!」
「…………」
というふうに会話がつづくんです。
で、「中堅だからムリにきまってる、なの? まだ分かんないのに、もったいなくない? 私だったらそこで、『中堅なのにラッキー!』ってなって面接しちゃうよ。笑」なんて話して、
「考え方のくせだけで、自分の可能性閉じ込めて小さいところに自分をおしこめるの、もったいないよ!」
と言うんだけど、「うん、分かってるんだけど…」なのです。小さいころからの考え方のくせなんだよね。
私は、彼女のことがだーいすきだから、もっと自信持ってよー! もっと自分のこと認めてあげてよー! と思うんだけど、どうしても自分のことを最小評価しちゃうみたい。
で、私は10代のころの好きな雑誌は日経ウーマンで、自己啓発本も手当たり次第読んでいたから、「キライかもしれないけど、自己啓発の本もあなどれないよー」と言って、たまたま持っていたブックオフで100円だった浅見帆帆子さんの本を出して、ちょっと読んでもらったり、私が「言霊ってあると思ってるんだよね」なんて言うと、
「うわ、あやしい。」という顔をするので、押し付けちゃだめなんだなーと反省しました。
はっきり言って私、「分かってるけど、でもさー。だってさー」っていうことって、つまり「分からない」ことなんだと思うんです。頭で分かってても、本当に身に染みてなくちゃ「分からない」んじゃないかな。つまり、言ってる意味は分かるけど分かんないんだよ!という状態だと思うんです。
で、例えばまわりが何かプラスになればと思って助言しても、本人がそれを求めなければ全く意味がないんだな、と気付きました。私の悪いとこは自分の考え方を押し付けちゃうトコね。直さないと。
私もね、なんか今のスピリチュアルブームとか、二番煎じで安っぽい自己啓発本とか、「あれまー」と思うけど、でも気になる本があれば手にとるし、自己啓発本も昔に比べたら全く読まなくなっちゃったけど、でも二番煎じでも安っぽくても怪しくても、核になるものってだいたい同じようなことだし、「理解はできないけど、なんとなく受け入れる」だけでも違うんじゃないかなぁと思うんです。
実は、今浅見さんの本を読んでいて、うん、そうだよなーうんうん、てなかんじでも、『宇宙の流れに乗っていれば大丈夫』とか急に書いてあると、「えーここでそうきちゃうわけー?」と私も思うんだけど、「あ、つまり自然になるようになるから大丈夫って意味ねきっと」と自分なりに咀嚼して読んでいます。まぁ、その本より節約のエッセイ本が今はお気に入りなんだけど…^_^;
考え方のくせって誰でもあるものだし、「いい考え方はこれ!」なんて言われても…と思うけど、でも、「今のままじゃだめだ」とか「変わりたい」と思ったら、うまくいっている人のいいところを学んだり、アドバイスしてくれる人の話しを素直に受け入れたり、先人たちの教えにすがってもいいと思うんです。
10代のころの私の口癖は、「なんかいいことないかなぁ~」でした。何かいやなことがあるとすぐまわりのせいにしてたし、苛々してた。「さいあく~」とかよく言ってたし。笑。その考え方のくせはいまだって残っているかもだけど、まず自分が変わらないと意味がないなーと気付いて意識する努力をしたから、今は「ありがたいなぁ」というくらい、いいことが向こうからやってきてくれています。うまくいかなくてへこむことやあせることもあるけど、そのうちなんとかなるーと思ってるし…。
なんか、長くなっちゃったけど、つまり、たぶん、私、直ってないけど、彼女に考え方を押し付けたいのかもしれません。
でも、「本人の問題だしー」とかいって思ってることを遠慮するような間柄にはなりたくないから、やっぱりとなりで念仏のように「もっとしあわせになれるよー!信じてあげてー!」と言う、怪しい親友で居続けようと思います。