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 アメーバブログさんにお世話になって、今日でちょうど1周年となる。

 現役時代に学級だよりに書いてきたものや、教務主任になってからは週報の裏面に好き勝手書いてきたものを、定年退職する直前からまとめたり書き足していたら、いつのまにか、1年で140話もいってしまった。

 1周年記念の141話目は、「教育の裏テーマ」について。(※あくまでも僕の持論です。)

 

 音楽教師としての僕自身は、実際、このテーマで38年続けてきた。

 学級づくりをなぜがんばるのか。それはひとえに心地よい集団の一員としての喜び・充足感を味わわせたいからだ。良き仲間ができてこそ、感動の質は高くなる。

 合唱コンで教えたいのは、歌のうまさや音取りは二の次。(⇜と書いてるけど、これが劣ると感動の質も劣る)。一番は、クラスが一致団結する心、和する喜び・充足感なのだ。

  (※合唱コンについてはそのうち特集を組んでお届けします。)

 

 そしてそのために、我々教師はいろいろな手立てを打つ。運動会で、合唱コンで、学級卒業式で、お別れ会で、離任式で、部活の大会で、それこそ授業のちょっとした成功体験でも、学校生活のいろいろな場面で感動を創っていく。そして子どもたち自身が自ら創り出せるようノウハウを教えていくのだ。

 

 塾と学校の大きな違いは、ここではないだろうか。

 よくこういうことを言う人がいる。

「学校は甘い。一般企業だったらこんなことは許されない。」とかなんとか。

  (※僕は事務系仕事を後回しにするのでよく言われてきました)

企業と学校を比べる人は、子どもを商品と間違っている塾型教師だ。

  (※この見解は多分に僕の自己防衛本能が働いていますのであまり真剣に受け取らないでください…。)

学校教師というものは、子どもたちに知識と共に、生きる喜びや感動を与えてこそなんぼの仕事なのだ。

 

 感動させるためには、負荷”をかけたり限界へチャレンジさせることも必要だろう(部活の顧問はこのために日々がんばっている!)。がんばりもせずして、真の感動は生まれてこないからだ。

 

 そして、同時に「人を感動させる体験」も非常に有効だ。人を感動させられた時、その感動は必ず自分にも返ってくるからだ。

 

 この3月、いろいろなところでお別れ会や学級卒業式など行われることだろう。

 友達が転校して去っていくとき、お世話になった先生が離任していくとき、これらは、それを味わわせるための大きなチャンスとなる。

 ぜひこの機会を逃さず、一年間の総決算として、もうひと踏ん張り「感動」の空間をつくりあげてほしい。それが子どもたちの生きる源となるはずだから。

 

<こちらもどうぞ>子どもの自己肯定感・自己有用感について書いています。