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 以前勤務した中学校の先生方はとっても親切だった。

 例えば、合唱コンに先生方ものめり込み、合唱練習のためにクラスのパートCDを全員分、担任がダビングして準備をしてあげていた。

 生徒は“与えられたもの”を使って、練習に専念すればよいわけだ。

 僕は、根が意地悪だからかもしれないが、生徒にまず“負荷”をかける

 やりたい者が、そのやりたい気持ちをもとに、自ら動くのをよしとする。

 例えば、各クラスから選抜したチェンバーコーラス(注;「チェンバーとは」参照)の練習CDもそうだ。全員分を学校のCDメディアでダビングして渡してしまえばてっとり早いのだが、そうはしない。生徒自身に自分の練習しやすいメディア(CD・MD・カセット・USB・SDカード)を持ってこさせる形にする(こちらのが面倒だが)。すると、チェンバーに選ばれてうれしいはずなのに、忘れて持ってこない輩も出てくる。こんな子は2日以内に持ってくることもできないようなら、今後のチェンバーというプラスアルファの活動は期待できないと判断し、本来の自分のクラスの曲だけ(合唱コン)にかけるよう言い渡す。

 昼休みの練習の出席率でも同様な扱いをする。これについて来れない者は、容赦なく“クビ”にする。


 負荷をかけると、それを乗り越えたとき、生徒自身が自分のやるべきことを再認識する。

 自分の準備したメディアに入れてもらった者は、必ず聞くだろう。

 ところが、全てを与えられた場合、果たしてどうであろうか?


 子どもって、負荷をかけることによって、すごく成長するもんだよ。

 

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 今回の趣旨とは少しずれるが、家で練習CDを使うよさって何だろう?

 音を取るため? いやそうじゃない!

 生徒は学校の練習だけで音はなんとか取れる。もしそこで取れない子がいたとしたら、その子は家で一人で練習しても取れない。そういう子は学校での練習こそ唯一音を取る場なのだ。

 得意な子は、さらに練習をしたいと思う。だから練習CDはたいへん有効だ。家でさらに定着させたその子は、学校で自信をもって友だちに教えてあげられるようになるだろう。

 練習CDとはそういう意味で有効なのだ。