子どもの可能性は無限だ!
親が教師が、「このくらいしかできないだろう」と思ったとしたら、育つものも育たない。
<子どもの可能性 その①>
好きなら、覚えられる。もしくは覚え方自体が楽しいなら、覚えられる。
ある先生が、国名を「もしもしかめよ」の歌にのせて教えておられた。生徒たちは楽しんでチャレンジしたことだろう。興味はあるけど、そのままでは覚えられないものに、ちょっとした工夫を凝らすと、生徒は驚くほどの力を発揮する。僕も学生時代、形容詞や形容動詞の活用「かろかつくいいけれ○」「だろだつでにだななら」を一生懸命覚えた記憶があるし、理科の原子番号「水平リーベ僕の船~」やイオン化傾向の「貸そうかな~」も未だに言える。
また、子どもは好きだとびっくりするほど長いものも覚えられる。うちの子は3才で、ゴレンジャーからボウケンジャーまでヒーロー30戦隊を順番に言って、なおかつそのスーツの微妙な模様で区別をつけることができた(なんて賢い!・・・親バカ?)。4才の姪は、ポケモンの歌を歌いながら100種類以上のポケモンを言っていた。
僕は暗記が大嫌いだ。だからこそ工夫をしてそれをさせられる先生はすごい先生だと思う。
<子どもの可能性 その②>
若かりし頃、ある国語のベテラン先生が、中学校に入学したての1年生に、ゴールデンウィークで、原稿用紙10枚の「生い立ちの記」を書いてくるよう宿題で出した。僕は内心、「中1に10枚? 鬼!」と思いつつ「ゴールデンウィークだけでできるわけないじゃん」とも思っていた。
ところが、間に合わなかった者はうちのクラスは2名のみ。その2名も、ベテラン先生は最後まで面倒を見てくださり、最終的に7クラス全員の立派な「生い立ちの記」ができあがった。
その後の家庭訪問では、最初僕と同じことを思った親御さんもおられたみたいだが、その記録を作る過程で、「いろいろな想い出を子どもと一緒に思い出すことができてうれしかったです」という感想が聞かれた。
ベテラン先生の、全ての子どもたちへの”温かい朱書き”も見事だったし、子どもって「やるのが当たり前」と思わせれば、なんでもできるのかも、と思えた瞬間だった。
そういえば、僕自身の中学時代に、英語の宿題で、大学ノート1枚を毎日英語で埋めるってのがあった。行間が狭いBノートで行を空けずに365日毎日行うというものだ。でも、そのときは「当たり前」って思ってた。
教師自身が、子どもの可能性を小さく見積もってしまった瞬間、子どもの伸びる力は成長を弱めてしまうんだろうな。
信じて、信じさせて、やりきらせられるか・・・教師の愛と力量にかかっているってことか。