原作 宮尾登美子『天璋院篤姫』
脚本 田渕久美子
楽曲 吉俣 良
レビュー一覧 1~10回 11~20回 21~25回 26~30回
36~40回
キャスト一覧
感想
徳川の人間として生きる覚悟を決めた天璋院。
斉彬もいない今、全ての望みが潰えた幾島は大奥を去る。
そして桜田門外の変」により井伊直弼が暗殺される。
幕府の「公武合体」の思惑に巻き込まれた和宮が、家茂に嫁することとなった。側近 庭田嗣子役の中村メイコの怪演が凄い。
和宮が懐剣を持っているとの疑いからひと騒動が起きるのは、全くの過剰反応だが、揉み合いをやってしまう天璋院が勇ましい。
薩摩はいよいよ、幕政改革に向け不穏な動きを見せ始める。
記憶では、西郷が奄美大島でロマンスがあった筈だが、と思ったが、それはこの件の後また島流しにされてからの話(忘れてる)
あらすじ
第31話「さらば幾島」
井伊の厳しい追及は、近衛忠熙や村岡にも伸びていた。
安政五年の年末。天璋院は御台所時代の内掛けを並べ、大奥女中らに形見分けをすると言った。その中でも一際美しい白無垢のは、婚礼装束であり「ならぬ!」と強調する幾島。
井伊が、大奥への渡り(天璋院との面会)が多い家茂に苦言。
武家の統領は政第一。公方様をお助けするのはこの私、と井伊。
天璋院に、何が正しくて何が間違っているか分からないと話す家茂。以前私も家定様に同じ事を言ったと笑う天璋院。
「共に学びましょう・・・」
安政六年正月。帯刀と話す大久保。忠教様は本当に信じて良いのかという不安。西郷を助けなかった・・・
西郷を奄美大島に匿ったのは忠教様だと言う帯刀。
忠教に大久保のことを推薦する帯刀。
一橋派で詮議を受ける者が増えて行く。村岡も獄に繋がれた。
井伊に面会する天璋院。近衛の二人は父母同然。格別の配慮をせよとの言葉に「一橋の肩を持つ危うさを分かっておられない」
近衛忠熙は官を辞して落飾。
公方様にお願いに行くと言う天璋院を止める滝山。
井伊を大老に推したのを今では悔いているが、近衛の件はいわば私事。それを頼むのは筋が違います・・・堪える天璋院。
江戸預けの身となった村岡。
幾島に声をかける天璋院。「先んじて用意しました」と「あるもの」を用意した幾島。
だが事を大きくしないために自分が持って行くと言う。
村岡が預けられている屋敷に出向く幾島。面会を断られるが、天璋院様からの届け物だと言って承諾させた。
幾島が持参したのは天璋院の婚礼装束。詮議の日に着るもの。
そして詮議の日にそれを来て引き出された村岡。死装束かと笑う役人に「わが一代の晴れの日の装束にございます」
無理に脱がせようとする家来を制して、これは天璋院様から拝領したもの。母代わりの私に下された。葵のご紋と同じであるぞ。
役人はやむなくそれを不問にした。
詮議については、老女は単なる襖の引き手、一切存じませぬと押し通した。三十日の押し籠めののちに放免された村岡。
後日渡って来た家茂が、村岡の事をなぜ打ち明けて下さらなかったと天璋院を咎めた。煩わせたくなかったとの返事に、それでは私が苦しい時に打ち明けられないと言う家茂。
「私は、よい息子に恵まれました」と涙する天璋院。
薩摩では島津斉興が、とうとう亡くなった。
ようやく忠教が実権を握る。
「余は兄の遺志を継ぎ、薩摩を守り、日本国を変革していく」
だが、一橋の一件で断罪された者は百名を超えた。
下級武士たちは脱藩や井伊大老襲撃を口にするが、大久保が西郷の言葉を伝えて抑える。「今は突出するな。機が熟すのを待て」
天璋院の装束が戻って来た。やはり天璋院様が持つべきもの。
そこで幾島が今こそお暇したいと言い始める。「その訳は?」
天璋院様は徳川の人として生きて行くが、私は近衛、島津から抜け出せない。徳川と薩摩が対立すれば足手まとい。
もう一つ。私の勤めは終わりました。まことに大きくなられた。
京に戻り、村岡のそばで余生を過ごすと言う幾島。
この内着を受け取って欲しいと言う天璋院。
一生に一度のものだからこそ、持っていてもらいたい。
幾島のたっての望みで、その内着に袖を通す天璋院。
第32話「桜田門外の変」
幾島が大奥を去る日。長い間そちが嫌いだったと言う天璋院。
幾島も負けずに「ほとほと手を焼いた」と返す。
お渡しするものがあると言って掛け軸を広げる幾島。それは桜島を描いたもの。亡き薩摩の殿から、折りを見て渡す様言われていたという。「これを見てそちと薩摩を思い出そう」と天璋院。
今回の処罰に対し井伊に、やり過ぎではないかと咎める家茂。
それを聞いて、信じて頂けぬのなら仕えるわけには行かない、と「お暇願い」を出した井伊。それを家茂から聞いて「頷くしかないではないか。卑怯千万」と憤る天璋院。
幕府の威信のために失った「信義」の大きさ・・・
薩摩では若い者が突出を叫び、大久保もそれに同調し始める。
そんな大久保を必死で止める帯刀。
帯刀は忠教に直訴。このままでは、薩摩は貴重な人材を失う。
皆の力をお家に役立てる手だてを考えて下さい・・・
井伊は新たな策略を計画していた。それは帝の姫を公方の御台所とすること。朝廷と幕府の結束を強く世に示すため(公武合体)
その話を耳にして「まだ早い」と言う篤姫。
家茂は、そんな事より「咸臨丸」のことが気になると目を輝かせる。幕府がオランダに作らせた蒸気軍艦。
来年早々、アメリカに向けて初航海するという。
船に乗る者から話を聞くと知って「私も会いたい!」と天璋院。
軍艦奉行の木村摂津守と軍艦操練所教授の勝麟太郎が呼ばれた。
咸臨丸の模型を献上した勝。航海の事を矢継ぎ早に訊く家茂。
訪米の目的は使節の警護と輸送だが、真の狙いは航海の修練。
強い国を作りたいと言う勝に次いで、国内を堅固にまとめると言う井伊。更にムチをふるうか、と咎める天璋院。
「ムチばかりでなくアメもまた・・・」と言いかける勝。
また勝は大御台様にも土産があると言った。
「嵩張るのでのちほどご覧ください・・」
その後天璋院を訪れたのは、あのジョン万次郎だった。
八年ぶりの再会。渡米の際の通事として同行するとの事。
懐かしく話す中で、尚五郎が天璋院を好いていたが、本家の姫になることを知り身を引いた話をした万次郎。
「知りませんでした」と天璋院。
余計な事を話したと言う万次郎に「あの頃が愛おしい・・・」
もう一つの土産とはソーイングミシン(ミシン)
「粋な計らいに礼を言う」と天璋院。
帯刀の直訴に、薩摩がどう動こうとしているのかを、皆に知らしめて来なかったからと話す忠教。「あとはどう伝えるかです」
夜半、若者が集まり突出の準備をしていた。
そこに殿からの書状を持った大久保か現れ、それを読み上げた。
「今は容易ならざる時節。万一事変が起きた時は亡き斉彬公の御心を貫き、家を挙げて国を守る覚悟。その事を良く心得、当家の柱となり余を助けてくれる様頼みたい。誠忠士の面々へ」
この心には背けぬ。突出の中止を宣言する大久保。
その様子を陰から見守る帯刀。
これから自分たちは「誠忠組」を名乗る、として血判状を起こす事になった。その筆頭は「西郷」
篤姫の許に大獄の処刑者を記した巻物が届く。対象百名以上。
今度こそ井伊と二人で話そうと思い立つ天璋院。
茶室での対面となった。茶を立てる井伊。
それを飲んだ天璋院は少し驚く。
「悔しいが、これほどおいしい茶は初めて」
茶の道を究めたい、という願いを持っていたという。
また、忌み嫌う相手の立てた茶を褒めた事に驚く井伊。
茶の味は非道な行いとは別じゃ・・・
攘夷を騒ぐ者たちにこの国は任せられない、と言う井伊。
国を守るために恨みを買うのもやむを得ない。己の役割り。
これからも時々茶を立ててくれぬかと言う天璋院は、茶の礼にとミシンで縫った服紗を井伊に贈った。
「亡き公方様のお気持ちが、少しだけ分かった気がします」
安政七(1860)年三月三日。
江戸に季節外れの大雪が降る。
登城のため、桜田門の前を通る井伊の駕籠の行列。
十数名の者に襲われる行列。井伊の駕籠に突き刺さる刃。
滝山が天璋院に、井伊大老の落命を伝える。
襲ったのは水戸浪士。処分に対する報復だとの見立て。
更に、井伊の首を挙げたのは薩摩の者だったとの言葉に絶句する天璋院。
第33話「皇女和宮」
薩摩の者が井伊暗殺に関わった事で心を痛める天璋院。井伊のやった事を認められぬが、信念を持ってやったこと・・・
家茂との婚儀の相手が帝の妹君と知って驚く天璋院は、老中安藤信正に子細を訊く。孝明天皇の妹 和宮を、有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄させての婚儀だとの事。
真意を訊く天璋院だが、家茂自身は嫁には早すぎるとの考え。だが帝が納得していないとの話もあり「沙汰やみかも」と天璋院。
薩摩では、井伊の首級を取り自害した有村次左衛門の弟 雄助が戻っていた。英雄の様にもてはやす皆。そこに帯刀が来て、雄助に切腹が命じられたと告げる。薩摩藩の命でではない事を幕府に証明するため。雄助の兄 有村俊斉は「覚悟していた」と言う。
憤る皆の様子に、その事を忠教に伝える帯刀。
「誠忠組」総代としての大久保に面会する忠教は「未だ時至らず」と諭す。暗殺は戦ではない。今兵を出せば新たな難題を生む。だが大事にあたってはその方らが必ず役に立つ。命を無駄にせぬ様血気を抑えるのがその方の役目だと大久保に言った。
朝廷では岩倉具視が帝に、幕府に恩を施すのだと具申する。
今後の政には朝廷の許可を得るようにさせる。幕府に攘夷を約束させる事も叶う。日本国のためと和宮に降嫁を申し渡した帝。
母の観行院も江戸へ同行することになった。
安藤を呼んだ天璋院は、降嫁ののち七~十年での攘夷を約束させられたと聞き憤る。方便だと言い逃れる安藤。
家茂は、この婚儀を朝廷と幕府の架け橋にしたいと言った。攘夷が困難だと和宮から伝える事も出来る。成長を感じる天璋院。
和宮降嫁の話は斉昭の耳にも届く。急死した斉昭。
薩摩から、国元へ戻るようにとの書状を受ける天璋院。一生帰れぬものと思っていた天璋院に、望郷の念が募る。
今泉家では長兄が急死し、忠敬が家督を継いでいた。
私の務めは終わったと感じる天璋院。お供したい、と重野。
そこに駆け付けた滝山。あの書状は老中たちが薩摩の者に命じて書かせたものだったという。
今回の縁組で天璋院は和宮の姑となるが、身分が低すぎる。
本家、分家の別ではなく、そもそも武家が公家より低い。
安藤に、薩摩へは帰らぬと宣言する天璋院。身分の違いで自分を薩摩に帰そうとした者らへ「何と愚かで情けない」と一喝。
ただ、亡き上様との「徳川将軍家を守り抜く」との言葉を思い出させてくれた事には礼を言った。
文久元年。和宮を迎える準備を始める天璋院。
「全てを最上のものに」心配りする天璋院。
京では、和宮に同行する女官の総取締役として、庭田嗣子が選ばれていた。婚儀を受けたのは日本国泰平のためだと話す和宮。
「その旨心して私を支えよ」江戸に降っても御所の習いを変えるつもりはないとも言った。
「支度は万事、御所風で整えるように」と観行院。
江戸と京、思いの違いが大きな軋轢を生んで行く・・・
第34話「公家と武家」
天璋院は和宮のために部屋を明け渡し、調度も全て新調。
そんなところへ滝山が、朝廷よりの五カ条の申し書きを持参。
先帝の法要のために京へのぼる事、輿入れ後の身辺は万事御所風を守ること・・・皆を静める天璋院。
一方孝明天皇は和宮との別れに際し、家茂に公武合体が成り、攘夷が叶う事を切に願うと伝えよ、と言った。
家茂と、和宮の輿入れについて話す天璋院。朝廷と交わした攘夷の約束を心配する天璋院に、先を憂うより今出来ることをしましょうぞ、と返す家茂。
和宮一行(観行院、庭田嗣子)は中山道を下り無事に到着する。
早くも悶着があったと言う滝山。衣装も食事も、御所風で行くと宣言した庭田嗣子。
薩摩では、尊王攘夷にはやる誠忠組の者が不満をたぎらせる。
進言により、都行きを決心する忠教に、加えて西郷を呼び戻したいと申し出る帯刀と大久保。京に上るには欠かせない人材。
和宮が江戸城に入る日がやって来る。立派な調度に驚く皆。
公方様との御婚礼は来年二月と決まった。
家茂と和宮の対面を前に、身分の違いを忘れぬ様にと和宮に釘をさす嗣子は、家茂の事を蛇とも鬼とも言われていると吹き込む。
そして対面は行われた。旅の疲れを労う家茂に、やや顔が緩む和宮。「鬼などではなかった・・・」
次は天璋院との対面。滝山はあくまでも天璋院が上座だと言う。
それが武家のしきたり。
和宮は下座で敷物はなし。部屋に入るなり「下座でなおかつ敷物もないとは」と騒ぐ嗣子。天璋院が慌てて自分の敷物を外し、こちらへと言うと、今度は観行院が一度敷いたものなど使えないと言い出す。結局畳へ座った和宮。
あれで良かったのかと訊く天璋院に、嫁姑であれば当然の事、と言う滝山。そこに宮様よりの土産と称して書き物が届けられた。
「天璋院へ」との記載。様もつけないとは、と憤る重野。
今回の意趣返しではなく、三日も前に届けられたもの。
それを境に大奥では江戸方と京方とがいがみ合う事となった。
そして京方は、江戸の調度を全て納戸へ押し込んだ。
家茂が帝に証文を奉ったとの話を聞き、安藤大老を呼び出した天璋院。安藤の言うには、尊王攘夷の約束を真に証明するには公方様の証文が必要だという、岩倉具視の入れ知恵。
そのことを家茂に確認した天璋院に、それを決めたのは自分からだと言った家茂。二心なきことの証し。何ほどの事もない。
次は私がやるべき事をやらねばならぬ、と和宮を訪ねる天璋院。
しきたりとは申せ、身分の違いは明らか、と先の非礼を詫びた。
宮家も武家もなく、嫁した以上はその家のしきたりに従い、姑を母と立てなければ家中が乱れると断じた。
おなごが覚悟を決めたからには、ここからは一本道を歩んで行くのみにございます。
全てを伝え、立ち去る天璋院。
このままにはしない!と言う嗣子に「静かにせよ」と言う和宮。
文久二(1862)年一月十五日。水戸浪士に安藤大老が襲われる。
命は助かったが、幕府の威信は傷付いた。
薩摩では呼び戻された西郷が帯刀と大久保に再会。
そんな彼らを信じない有馬は、誠忠組を抜ける。
文久二(1862)年二月十一日。
家茂と和宮の婚儀が執り行われた。
第35話「疑惑の懐剣」
文久二(1862)年二月。家茂と和宮の婚儀は執り行われ、歴代将軍への朝の勤めも行われたが、和宮始め皆手を合わせず退席。
怒る本寿院は姑の躾けが行き届かないと苦言。
天璋院を訪れる滝山は、昨夜のお渡りでは何もなく、和宮がそれに応じなかったとの報告。それに合わせて和宮が床につく時、懐剣の様な光るものを持っていたのをおつきの坊主が見たと言う。
そのことを直接和宮に質しに行った滝山。それに腹を立て言い返す嗣子は、御台様に呼び名も気持ち悪いと言い「宮さん」と呼ぶ様要求した。二人がうまく行くなら良いではないか、と天璋院。
薩摩では西郷が久光に召し出されていた。上洛について考えを聞かせよとの問いに「無謀のこと。中止すべきかと」
京で勅諚を受け、江戸に乗り込んでも当主でもなく、官位もない。江戸に出ても何も出来ない。江戸行きの許可は理由を付けて日延べを提案。久光様は一介の地ごろ(田舎育ち)とまで言う。
怒りを押し殺し、下がらせた久光。
それを必死でとりなす帯刀と大久保。今突出しようとしている誠忠組を抑えるには必須だと言った。上洛は日延べされた。
大久保は西郷を説得。久光がやろうとしている事は斉彬のやろうとしていた事だと諭す。京に行くのも地獄に落ちるのも同じ。
斉彬様のご遺志なら断れん・・・
殿の次のお渡りがあると聞き、寂しい気持ちになると話す天璋院に、大奥の女の多くは情を交わす相手さえいないと話す滝山。
薩摩では久光が、今泉 島津家に対し自身の五男栄之進を送り、いずれ当主にすると言った。儂は人を信じられぬと言う久光。
今泉と昵懇なのを理由に、その伝達を命じられる帯刀。
今泉 島津家でそれを伝える帯刀。上意なら受けるしかない、と言うお幸。「この歳で隠居か」と言い席を外す忠敬。
武装して上京すると聞いて、おかつの立場を心配するお幸。
絶句する帯刀。
次のお渡りでも、和宮の懐剣を見た者が現れたと報告する滝山。
直接話をする、と和宮の元まで出掛ける天璋院。
最初は当たり障りのない会話だったが、懐剣の話を出すとそわそわし始める。胸にあるものをむりやり取ろうとする天璋院。
転がり出たのは鏡だった。身なりを確認するためのものだった。
一件落着し、滝山と慰労の酒を飲もうと約束する天璋院。
家茂に、攘夷が難しいことを和宮に話すよう進言する天璋院。
夫婦といっても形だけと返す家茂に「だからこそ、です」
宮さまはきっと分かってくださる・・・
次の渡りの時、家茂は控えの者を全て下がらせ、和宮に攘夷の実行は叶いますまいと話した。公武合体の方便だった。
国を開くか、国が亡びるかの選択。
日本国のために来たと言う和宮は、攘夷が戦を招き、国を滅ぼすとしたら、今は諦めるしかないかと・・・
家茂は、公武合体の証しだけでなく、そなたを大切に、幸せにしますと言って和宮の手を取った。手を重ねる和宮。
翌朝の朝の勤めで手を合わせる和宮。京方の皆も倣った。
西郷は久光から、下関までの先発を命じられた。
後に続く帯刀はお近に、これは幕府に改革を迫る戦であり、命を落とすやも知れぬから覚悟せよと言い伝えた。
「いやでございます」とお近。戦うからには必ず勝って、生きて帰って欲しいと言った。這ってでも帰って来る、と帯刀。
文久二(1862)年三月十六日。久光は一千の兵を率いて出発した。久光の上洛に各地の志士たちが色めき立った。
その一人、坂本龍馬。薩摩の動きをなに一つ知り得ない天璋院。