篤姫 26~30話 NHK 2008年放送 ※現在NHKBSで再放送中 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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原作 宮尾登美子『天璋院篤姫』
脚本 田渕久美子
楽曲 吉俣 良
キャスト

 

感想
斉彬と家定の板挟みで結局、慶喜も慶福も推さぬという中立を選んだ篤姫。そして流れは慶福派の井伊直弼が大老となり、家定も次期将軍に慶福を選んだ。
だがその真意は幼い慶福の方が、篤姫が補佐する余地があると考えたから。
そして家定、斉彬が相次いで世を去る。
更に井伊の弾圧による安政の大獄が始まった。
家定の死去により「天璋院」となった篤姫。
この数回は大河ドラマの中でもかなりのクライマックス。

斉彬の手足となって働いた西郷にも捕縛の手が及び、月照と共に海に沈んだが、西郷一人が助かった。
そして慶福が正式に十四代将軍 徳川家茂となる。
次には幾島との別れが待っている。
やっぱ15年経っても「面白い!」視聴率20%超もナットク。


あらすじ
第26話「嵐の建白書」
こたつに入って、ポルトガルからの菓子を仲良く食べる家定と篤姫。うつけの真似はやめた方がいいのでは?と言う篤姫に、今は自然の流れに任せると言う家定。
本寿院に呼ばれた井伊直弼。次の公方を慶福に推すことについてのダメ押し。「我が身命を賭して」と確約する井伊。

薩摩の尚五郎が斉彬に呼び出される。「帯刀清康」を授けた斉彬。そして西洋式の軍隊を早急に作る任にあたって欲しいと頼む。その真の狙いは「古い幕府を壊す」
古い幕府である御台はどうなります?と訊く尚五郎に「お篤は何があろうと守る」と言った斉彬。幕府に建白書を出したとも。

斉彬からの密書もあり、篤姫は改めて次の公方に慶喜公を推して欲しいと家定に申し入れる。「そなただけは信ずるに値するおなごじゃと思ってたがな・・・」と呟く家定。

ハリスとの通商条約は切迫し、追加の開港も迫られる。
条約締結のためには京の帝の許しが必要であり、堀田が向かう。
その動きに合わせ西郷、橋本佐内も京に向かった。
京で清水寺の僧・月照に引き合わされ、公家を一橋派に説得する様頼む西郷。将軍の条件として盛り込むのは「年長・英明・人望(これらは慶喜公を指す)」
だが結局孝明天皇の裁定では通商条約は却下、また将軍の条件「年長・英明・人望」も内勅から削除された。

天皇説得の失敗を家定に報告する堀田。回りの幕閣がガヤガヤと騒ぐ中「鎮まらぬか!」と一喝する家定。一同沈黙。

一橋派の惨敗と、家定の言葉に落ち込む篤姫。
そこに家定からの呼び出し。餅を焼いていた。
やはり国は開かねばと言う家定は、先日の言い過ぎを詫びた。
自分の気持ちに嘘をついて言い分を通そうとしたと謝る篤姫。
もうこれからはどちらも推さないと言った。
寝間で、生まれ変わるとしたら何がいいかと訊く家定。彼は人間でないものなら何でもよい、そうだ鳥にしようと言った。


篤姫は、私のままでいたいと返した。
篤姫の方に近付き、手を握る家定だが、また自分の寝床に戻る。


第27話「徳川の妻」
将軍継嗣では中立を守ると言う篤姫に収まらない幾島。
そこへ滝本が来て、大奥の総意として井伊直弼を大老推す嘆願書に署名を戴きたいと申し出る。いきり立つ幾島に、大奥を取り仕切るのはこの私、と言い切る滝本。
その嘆願書を排除せず、しばし待つがよいと答える篤姫。

家定と面会する本寿院は、慶喜が世継ぎになったら自害するとまで言うが、それは自分で決めますと答える家定。
変わられたと言う本寿院に、薩摩から元気な嫁を連れて来てくれた母上のおかげだと返す家定。
薩摩では小松帯刀が、殿に無礼な物言いをした事を悔やんでいたが斉彬は許し、建白書とは別に越前の松平慶永を推すことで井伊直弼の大老就任を阻止すると話した。
西郷が、預かった書を越前に運ぶ。大老の件を承知する慶永。

滝本を呼び、古来よりの習いで嘆願書に名は連ねぬが、この件はおのが心に従ってするがよいと伝える篤姫。
井伊直弼に嘆願書が渡る。
大老の件で考えを訊く篤姫に、双方と会ってみると答える家定は「儂と共に会うてみるか?」と聞く。「補佐をしてくれぬか」
まずは慶永から。有力大名により烈公会議を運用する提案。
一方直弼は外様に口は出させず、強い幕府を目指すと言った。
対面を終えて、彦根に決めたいと篤姫に言う家定。その心は「徳川将軍家を守りたい」そちや家族を残してやりたい。

幾島が、斉彬からの文を篤姫に渡す。「今は読めぬ」と篤姫。
「私は間違っておった。上様と会う!」

そして意を決して大奥の入り口に立ち「扉を開けよ!」


家定のところへ走り込んだ篤姫は、これまで徳川の人間ではなかったと詫び、全て上様の心に添って行くと言った。


「それがそなたの決意なのか。ならばそうしよう」

安政5(1858)年4月22日。井伊直弼の許へ使者が訪れた。
 

これからは紀州の天下になるが、それだけは抑えて下さりませと頭を下げる幾島。私は上様に従うのみ。許せと答える篤姫。

次の将軍を慶福に決めたことを篤姫に伝える家定。
その訳は慶福が若年だから。今までおなごが表向きに口を出すなど考えた事がなかったが、そちを見て考えが変わった。
慶福の後見役として補佐し、助けてやって欲しい。
慶喜だとそうはいかぬ。「そこまで考えて下さった・・・」
だが次の公方の話に「少しお気が早いのでは?」
そうじゃのう、と言いながら篤姫の顔をまじまじと見る家定。
儂のような体の弱い者の妻となったこと、後悔はないか?と話す家定に「ごさいません」
そして「上様は日本一の男にございます。私にとっての日本一なのです。誇りに思います」と続けた。
以前、生まれ変わるなら鳥がいいと言っていた家定だが、そちに会えたから、儂のままで良かったと言った。
私がそう申しましたのも、同じ理由からにございます・・」


第28話「ふたつの遺言」
安政5年4月25日。正式に大老となった井伊直弼を呼ぶ家定。
後の将軍となる慶福の後見人に御台所を加えるよう頼む。
先例のない事ゆえと説明を求める直弼に対し、男には及ばぬ着想があり、政に新風を送る事になると力説。承る直弼。
堀田にも同様に伝えるが、同様に訊く堀田には「井伊に聞け」
姫にぼたんを渡そうとして枝を切りかけるが、倒れる家定。

幾島は未だ諦めず、篤姫に対し慶喜公の事を頼むよう懇願。
一方薩摩では斉彬が、ペリーから入手した銃を帯刀に見せる。分解した上で3千挺発注したという。更にフランスから軍艦を買い入れたとも。銃が揃ったら演習のとりまとめをせよと命じた。
そこに江戸から西郷が戻る。次なる公方様が慶福公になったことの報告。申し訳ないと言う西郷に「儂はまだ諦めておらぬ」

江戸に、清国を制圧したフランスが日本に来るとの噂が広がる。
帝の勅許を得るまで時間を稼ぐ方針の中「国家存亡の危機」と称して井伊が安政5年6月15日、日米通商条約を結んだ。
各方面からの批判に「恐れ入りたてまつりまする・・」
一橋慶喜の諫言にも「恐れ入りたてまつりまする・・」

家定からのお渡りもなく心配の篤姫
その頃、お付きの医者 伊東玄朴が本寿院に説明を求められ、持病の脚気による発作だと説明。落ち着いたが面会は禁止。
本寿院は、本件を御台所には報せるなと滝本に命じる。嘆願書の件では配慮頂いたと食い下がる滝本だが容れられず。
次いで篤姫に呼ばれた玄朴は、公務に忙殺されていると話す。
渡してもらいたいものがある、と玄朴に頼む篤姫。
家定が、渡された包みを開けると碁石が出て来た。
「なぜいつかの様に会いに来んのじゃ。儂からはもう行けぬ・」

6月25日。慶福が正式な将軍継嗣となった。一橋派は敗れ去る。
完全に脱力の幾島。井伊は一橋派の者たちを次々と要職から外し、反目する者は江戸城から姿を消した。堀田も罷免される。

薩摩では、斉彬が軍事演習の視察中に倒れる。数日で危篤に。
妻子は江戸に居るため、呼ばれたのは異母弟の忠教。


我が息子哲丸はまだ幼いため、嫡男の又次郎を継がせ後見になってくれと頼む。それを引き受けた忠教。
次いで帯刀を呼び「姫をそちから奪ってしまった」と謝る。

 

放心の幾島を見る篤姫。

そこに滝山が訪れる。家定が半月ほど前から病気だとの報せ。

今まで口止めされていたという。
篤姫が行こうとするのを「私が調べます」と必死に止める滝山。
そこに薩摩からの急な報せ。老中 久世広周が斉彬の死を伝える。五十年の生涯だった。

読まずにいた斉彬からの文箱を開く篤姫。
まずは詫びの言葉から。養女にしたばかりに辛い思いをさせた。
加えて世継ぎの件での心痛、胸が痛む・・
そちと薩摩が、いずれ敵味方になる時が来るかも知れぬが、その時は己の信ずる道をゆけ。それでこそ儂の選びし姫である。
その悲しみの最中に久世と滝山が来る。
上様のご様子は?と訊く篤姫に、薨去を伝える滝山。
それは7月6日のこと。「ひと月も前のことではないか!」
「連れて行け!私を上様のところへ連れて行くのじゃ!」
 

棺と対面する篤姫は涙を流して棺にとりすがる。




第29話「天璋院篤姫」
滝山が、公方様のご薨去を天下に言う8月8日までは口外しないよう篤姫に伝える。本寿院にも知らせていない。放心の篤姫。
上様をハリス会見や、次の公方様の争いに巻き込んだと悔やむ。

京で斉彬の死を知った西郷。月照は、あとを追おうと考えていた西郷を諭して思い止まらせる。そこに近衛家老女の村岡が来て、この手紙を水戸のご老公に届けて欲しいと申し入れた。斉彬は今の幕府を変えたいと思っていた。それを形にするための文。これは帝の考えてあると言う村岡。

斉彬の葬儀も終わり、帯刀をワインでもてなす忠教は、自分のそばで仕えてくれぬかと申し出る。忠教は兄の遺志を継いで兵を引き京に上り、幕府を改革する決意。だが問題が一つある。
父の斉興が薩摩に戻ると意気まく。「儂が薩摩を救う!」

家定の件は、本寿院には政務多忙で会えぬ事になっていると聞き、心を痛める篤姫。そこにお志賀が訪れる。
お聞きしたいことがあるとの申し出。
既にこの世の方ではないと話す篤姫。口外せぬ様言われていた。
なぜ気付いて下さらなかったと言うお志賀は「恐れながら、お恨み申し上げます」と言って去って行った。
「次は本寿院様じゃ」
花を活けている本寿院を訪ねた篤姫が話すが、信じない本寿院。
回りの老女たちが、朱が品薄になっているのは棺に詰めためかと話すのを聞いて信じる本寿院は「そなたが毒殺したのであろう!」と篤姫を花で打ちすえる。じっと耐える篤姫。

朝廷に密かに呼び出されていた水戸藩。そして勅諚が下された。
幕府の頭越しに、朝廷がら大名へ勅諚が下されるのは前代未聞。
その内容大老 井伊直弼が知る(安政の大獄の引き金)
朝廷の幕府批判だとして、関係者の洗い出しを命じる井伊。

家定の死は公となり、葬儀も執り行われ寛永寺に葬られた。

気落ちする篤姫に、他の者を下がらせ、一人で面倒を見る幾島。

幾島の言葉に、少し元気を取り戻す篤姫。

 

髪を下した篤姫は「天璋院」となる。力ない姿にお志賀が言う。
御台様は上様に愛された。愛されずに終わった女から見ればぜいたくだと言って励まし、去った。

気を取り直した篤姫は井伊を呼び出し、今後慶福を補佐して行く事についてを相談するが、初耳だとうそぶかれる。
「そうか、そういう事か・・・」
それでも、亡き上様のご遺志を無碍にはせぬ。
そのつもりでおるように、と言い放つ篤姫。


第30話「将軍の母」
朝廷が幕府を飛び越して水戸藩に勅諚を出した事で、井伊による弾圧が本格化する(安政の大獄)

安政五(1851)年七月二十一日。
慶福が徳川家茂として江戸城入りする。
井伊が家茂に天璋院の事を話す。大奥を統べるお方だが、忘れてならぬのは薩摩の出である事。次の公方様を一橋にと目論んだ。
あの方はその様な方ではないと反論する家茂。
篤姫と面会する家茂に無理やり同席する井伊。家定から後見役を頼まれていると話す篤姫に、もうその必要はないと話す井伊。
だが家茂は、これからも助言して頂くと言い切った。

本格的な追及により、月照の身も危くなる。
薩摩では斉興が由羅と共に帰った。早速政の改革を進める斉興は、斉彬の進めていた西洋式の軍備を全て中止させた。
それに逆らえない忠教。

月照を連れて逃げる西郷だが、京を出ても奈良へは行けず、下関から薩摩に向かった。
そして西郷が斉興に保護を頼むが、捕らえられてしまう。
斉興の指示は「永送り」それは西郷の月照を殺させること。
西郷をお救い下さいと忠教に頼む帯刀だが、父に実権を握られており、身動きが取れない。
西郷と月照が押し込められている所に出向き、着替えを渡す帯刀。「これから騒ぎを起こすから、それに合わせて逃げろ」
手筈に乗って小舟で逃げ出す二人。だが追及の手は躱せない。
海に飛び込んだ二人。結局月照は死に、西郷は助かった。
西郷は奄美大島に送られる事になった。(表向きは死亡)
それを幾島に伝えた小の島も役を解かれるという。

安政五年十二月一日。家茂が正式に十四代将軍となった。
梅を眺めている時、転びそうになる篤姫を支え「母上様!」と声を出した家茂。

「やっとお呼びすることが出来ました」

お守りして行きたい、の言葉に「新しい家族が出来たのですね」と涙ぐむ篤姫。「やはり母上様は娘御ですね・・」

年寄「重野」が天璋院付きとして世話をする事になった。これで井伊の動きも掴み易くなると言う幾島。いろいろ考えるのう、と感心する篤姫に、もう一つ話があると言う幾島。
この辺りで大奥から下がりたい。暇の願い。
お役目を果たせなかった自分が許せないと言った。
そして、ご自分を責めるのはおやめ下さいとも言う。天璋院様としてやるべき事をやった・・・