新聞小説「ドリトル先生 ガラパゴスを救う」(7) 作:福岡伸一 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「ドリトル先生 ガラパゴスを救う」(7)
12/6(188) ~ 1/29(220)
作:福岡伸一 絵:岩渕真理

超あらすじ 初回からはコチラ       

ガラパゴス諸島の領有を宣言したフロリアン大統領。
そして有志を募り入植が行われた。
のちに海賊が訪れるがその半数以上を改心させ仲間に入れる。
そして三年後、とうとうビーグル号が訪れる。船長は既に入植が進んでいる事でイギリスによる領有を断念。乗船していた調査担当のダーウィンがドリトル先生と意気投合。島の生態について議論を重ねる二人。
その後ビーグル号は諸島を離れて一年後イギリスに帰国。
ダーウィンは20年後に「種の起源」を上梓。
ビーグル号を見送った後、先生とスタンピンズたちにも転機が訪れる。

感想
延々と続いた「アタワルバの涙」入れ替え作戦のあとは入植、ビーグル号来訪と話がサクサク進む。邂逅したドリトルとダーウィンは島の生態に神の創造以外の力を感じる。
過剰なまでの美と、自身の維持以上の繁殖能力。この辺りは作者が強調したい部分でもあり、やや学問くさいが有益。
ただダーウィンが独身主義のドリトル先生に「あっちの方は淋しくない?」と言うのはいかがなものか。対象年齢から言ってやや微妙。
そもそもこの読み物の対象年齢自体が微妙なのだが・・・・

次はガラパゴスからイギリスに戻る帰路についての話か。
何か仕掛けを考えている様だぞ・・・・

あらすじ
ガラパゴス領有宣言(188~194)
ほんとうにごくろう様、と言ってルビイから風呂敷包みを受け取るドリトル先生。包みをほどくとまばゆい光がこぼれ出ます。

ホンモノのアタワルパの涙です。
先生はコオイムシに、あと少しだけ協力してと頼みます。
これが、アタワルパの涙がここにある真相です。でもフロリアン大統領とロドリゲスは知りません。彼らの頭の中は真珠色であふれています。
エクアドル国民の財産としてガラパゴスを保全すると宣言する大統領。

フロリアン大統領は宣誓文書を完成させて先生に握手しました。
大統領の大英断で貴重な自然が守られると感謝する先生は、真珠はゾウガメ、ジョージのものだからと言って机の上の真珠を掴むとジョージに飲み込ませました。
呆然とする大統領とロドリゲス。そして先生は、もしジョージやガラパゴス諸島の未来に万一のことがあれば、真珠は溶かされて永遠に失われると警告。クイド・プロ・クオ(quid pro quo)です。
そして宣言文書一通を受け取る先生。
私たちは宿屋に戻ってほっと一息。これで任務完了です。

もう一つ、現状復帰が必要だと言う先生。ジョージに真珠を吐き戻してもらいルビイ、オパアル、コウモリのチームとコオイムシで本物とニセモノの入れ替え。それが最後の宿題です。
翌日の1832年2月12日、フロリアン大統領はガラパゴス諸島の領有を宣言。幸いビーグル号もまだガラパゴスに達していません。

エクアドルが領有を宣言した以上、その国の人が住み着いているという既成事実が必要。

動物たちには無人島である事が一番だが島を守るため、と先生。
かくして移民第一団が出発します。ロドリゲス以下希望者数十名。

先生や私たちも同行出来ることに。すっかり愛想良くなったロドリゲス。
私たちは領有宣言記念式典に「来賓」として出席することに。出発前夜ネズミのルビイが来て小道具一式を返却。ミッション完了です。
先生は模造品の真珠をポケットに入れ、コオイムシを解放しました。

ルビイがガラパゴス行きに両親と共に同行させて欲しいと言います。
本当は外来生物持ち込みは避けたい先生。しかし入植団が行く以上家畜も必要。ただ野生のネズミが少しはいるらしい。

行くにしても、ガラパゴスの固有種に影響を与えない様にと言う先生。
それを約束したルビイですが、もう一人連れて行きたいと言います。

その時に飛び出してきたオパアル。

宝物室での極限の体験を経て恋仲になった様です。祝福する先生ですが先の約束を繰り返し、ガラパゴスを守ってと頼みました。

いざ、ガラパゴスへ(195~206)
見送る私に「言い出せなかったことがあります」と言うルビイ。オパアルとの急接近で宿題がのびのびになり・・・今日になってしまいました。
とり急ぎ出来るだけの事はして ・・・つまり ・・・

「つまり?」 あの真珠は糸を外しただけで ・・・
「ええっ!」私は気絶しそうになりました(宝物室はニセモノのまま)


翌日、大型帆船が港からガラパゴスに向けて出航しました。

最初の上陸地点はチャールス島。
真水が取れるとのジョージの情報によるもの。

帆船の中、夜中に甲板に出た私。南半球なので知らない星座ばかり。
気がつくとジョージがそばに。自身の運命に思いを馳せるジョージ。
お礼を言い合い、ジョージが南十字星を指しました。南半球の船乗りの目印。ドリトル先生が言った「今見えている光はずっと昔のもの」

1千光年離れている星が放つ光は1千年前のものだと言う先生。
その時ゾウガメのジョージが首を上げ、海賊船が来ると言いました。
この船には武器も用心棒も乗せていません。船内は大騒ぎ。
たちまち海賊船が近づきぶつかりました。乗り込もうとする十名ほど。

ただ、こちらの人数の多さを見て海賊たちも怯みます。
金目のものはないと叫ぶロドリゲス。そこで先生は海賊たちにガラパゴス移民団に参加しないかと提案。

何もないだろうという反論に、自然との共生を説く先生。


先生は島に宝がある事を伝え、仲間に加われば教えると言いました。
海賊たちは船に戻って協議した結果6名が合流、残りの4名は今の稼業を続けるとの結論を伝えて来ました。
そして海賊船から6名の海賊と4頭のゾウガメが移民船に移りました。
残りの者を乗せて海賊船は去り、仲間になった者の歓迎会が開かれました。
翌朝、移民船はチャールス島の入り江に入りました。直接接岸出来ないのでボートで往復して上陸です。ウミイグアナが岩の上で日光浴。

イグアナは見た目恐竜そっくりですが性質はおとなしいとの事。海岸にはアシカがたくさんいます。いずれも人間を恐れる様子はありません。
エクアドルの国旗が掲げられ式典が開催されました。ロドリゲスが大統領から預かった領有宣言書を読み上げます。

島の名もチャールズ島からスペイン風のフロレアナ島へ改名。

ロドリゲスの発案です。

移民団は拠点整備の準備を始め、先生と私、ポリネシア、ジョージは島の奥地へ探検に出掛けました。森はどこも閑散としています。
ニッチがあいている、と言う先生。ニッチとは生物が住む場所のこと。
だからこそ、これから何が起こるかが大事。ここは進化の最前線。
鳥たちの情報網でジョージや先生の事は皆に知れ渡っている様です。

ゾウガメは普段高地で暮らし、時々平地に降りてエサを食べるとの事。
こうしてドリトル先生と私は島を巡りたくさんの観察をしました。
ロドリゲスはその後定期的に移民団開拓村に送る事業を進めました。拠点はフロレアナ島。北にインディファティガブル島、西にアルベマール島、ナルボロー島。それぞれの島に適合した動物がいます。
私たちは一番東のチャタム島にも足を伸ばしました。

ガラパゴス諸島は海底プレートに沿って噴火して出来たので、東にあるチャタム島が一番古い事になります。だからこの島は緑に覆われていました。チャタム島の沖にそびえる大きな岩が「レオン・ドルミード」スペイン語で「まどろむ獅子」
周囲はほぼ垂直で高さ50mほどもあり、鳥以外行けません。

先生はこの岩の下が海の奈落の底に切れ込んでいると言い、泳いでみようと言います。怖気づ
く私をよそに先生は服を脱ぎます。
やむなく私も続いて脱ぎ、飛び込みました。
先生と私はレオン・ドルミードの岩と岩の間に向かって泳ぎます。


その、幅10メートルほどの海峡の水は真っ青、急に冷たくなりました。
先生は大きく息を吸って潜ると、しばらくして浮き上がり「すばらしいものが見えるよ」私も潜水してみました。色とりどりの魚が群游。
生物が皆自由自在に振る舞っています。
先生が引き上げてくれました。これこそがほんとうの自然。
もう怖くありません。

ビーグル号きたる(207~220)
その朝、フロレアナ島の開拓村のひとりが、近づく船を見つけました。
みんなが港に集まります。立派な帆船。しかも大砲を積んだ軍艦。

イギリス国旗を掲げており、地方管理の役人はドリトル先生と私を迎えによこしました。
そうです。それはイギリスを出航したビーグル号でした。エクアドル国がガラパゴス領有宣言をしてから三年が経っていました。

既に村はかなりの規模となっており、先生と私は小屋を建ててもらって研究と健康管理を担当していました。

軍艦は湾内に停泊し、はしけ船で数名の者がやって来ました。ビーグル号の艦長 ロバート・フィッツロイの挨拶にドリトル先生が応えます。

目的は海路測量と自然調査。
数日の休息と物資補給を依頼され、快く受ける先生と村役場の官吏。
フィッツロイ艦長は島の様子を知り、入植が進んでいてどうする事も出来ないと認識。
先生と私はその様子を見て万事うまく行ったことを目で合図し合い、安堵しました。

水兵の中で服装の違う若者がおり、ドリトル先生と私に挨拶しました。チャールズ・ダーウィンといい、ビーグル号で地質・生物調査の担当だと言いました。意気投合する先生。
これまでの航海を話すダーウィン。なかなか予定通りに旅が進まなかったそうです。また英領になったフォークランド諸島では、原住民に対し船の大砲が威圧に役立ったとの事。

一歩遅ければガラパゴス諸島も同じ運命、と顔を見合わせる先生と私。ダーウィンは少年の頃から虫や石集めに夢中で勉強に身が入らなかったとのこと。似たようなものだと返す先生は、ナチュラリストの原点はそういう美しさに心から驚く事、と言います。
島をもっと調査観察したいと言うダーウィン。

ダーウィンは船の生活のひどさを話します。

私たちも気球の旅を話して盛り上りました。
寄って来たカレハガの翅の金色の点を指してダーウィンが言います。
この金色の点は何のため?まるで画家のきまぐれ。先生も同感。

アポロ蝶を例に取り、その翅の赤い丸について説明する先生。
その先の中央アジアでは赤い丸の下に青い丸。自然は常に少しだけ過剰。だがこれが何のためにあるのかは説明出来ない。

全ては神さまの創造である、というのは一つの説明。
でもこの、過剰なまでの美しさ、過剰さは何のためにあるのか・・・

神が人のためにこの世界を創造したのなら、人に知られることなく現れ、消えて行く生物をどう説明するのか。

こんな小さな島でも生き物の全ての生態を知る事は不可能。
先生は続けます。神は天地創造の七日間でこれだけのデザインを考えたのでしょうか。その視点をダーウィンは支持。

多様性の入れ物として方舟は小さすぎる。

多様性については環境の多様性が関係していると言うダーウィン。
先生も、その点ではここの自然はもってこいの研究材料だと続けます。ゾウガメの甲羅や鳥の嘴が島ごとに違うのもそれぞれに適した形態になった。理由は不明。
できるだけ神様の話を持ち出さずにこの世界の精妙さを説明したい、と話すダーウィン。

ダーウィンは生命の美を見るほど、そこに遊び心を感じると言います。
それを継いでドリトル先生は生命の利他的なところを語ります。

もし植物たちが自分らの最低限生きるだけの分しか光合成をしなかったら他の生物が生存出来なかった。吸血コウモリも獲物がなかった者に吸った血を吐き戻すとダーウィンも言います。
利他性は自己犠牲というより冗長性や過剰さの上にある、と言う先生。

その余裕を回すことによって共存が維持される、それが生命の余裕だという先生。それに加えるダーウィン。
経済学者アダム・スミスの言う弱肉強食。

この原理がすみずみまで働けば社会は良い方向に進化。

でも生命の世界にそれを当て嵌めていいものか。
常にクジラに食われるオキアミや、ライオンに食われるカモシカは敗者でしょうか。それに同感する先生。

食われる者がいなければ、食う者も存在出来ない。食う、食われるというのは優劣ではなく同じ環境の中で共存するための棲み分けの知恵。

ダーウィンはこのまま島に留まって動物や植物の生態観察をしたいと言い、そのための標本採集の許しを請いました。

それに快く同意する先生。
もともと人間も食う、食われるの関係の中にあり、生きるために他の動物の命をいただく。それが生命の自然の循環。
そこでダーウィンがドリトル先生に個人的な質問があると言いました。

バトルビーでは動物たちやスタンピンズさん以外はいない、独身という事ですか? それを肯定するドリトル先生。
人は結婚すべきか、すべきでないか考えるダーウィン。
全ての生物が家族。さびしいと思ったことはありません、と先生。
船の長旅で孤独に苦しみ、家族が欲しいと痛感したダーウィン。

妻子を持つことによる喜び、学びなどを言うダーウィンは先生に
「”あちら”の方面でさびしくはなりませんか?」
それにはやんわりかわす先生。話は夜半まで続きました。
ダーウィンとドリトル先生との交流はこの時で終わり、ビーグル号は主要な島を巡って各調査を行い、様々な島を経て一年後イギリスに帰着。ガラパゴス諸島が既にエクアドル領である事が明白であり、それ以上イギリスの干渉はありませんでした。
一方ダーウィンは20年以上研究を続け「種の起源」を出版。
教会からは総攻撃。

その後ダーウィンとドリトル先生は再会し大論争を起こしますが、顛末は別の機会に。
またダーウィンは航海から帰るとすぐにウエッジウッド家のエマと結婚し、一生を好きな研究に打ち込むことができました。

ビーグル号を見送った後、先生と私たちにも転機がやって来ます。
先生が呟きます。ここの滞在も長い。ガラパゴスの領有権や島の生き物たちの不安もない。


福岡伸一のドリトル的平衡(1/6)
ドリトル先生とスタンピンズとの会話。物語もそろそろ終盤。
新年の言志(The New Year Resolution)に対して学びを挙げるスタンピンズ。子供を授かった夫婦の逸話。

扱い難い子供に寄り添い環境を変え幸福に暮らした。
対象は変えられないが、自分自身を変えることは出来る。
「学ぶことは生きること、わかることは、かわること」