こんにちは
日本では 今日 9月1日は ”防災の日” と されています。
この意味は 1923年 9月1日に ”関東大震災” が 起こったことを・・・
日本国民が 忘れないための ”記念日” として 定められました。
”関東大震災” は マグニチュード 7.9レベルの 大地震であり・・・
死者数は 10万5千人にも上る 大惨事でした。
日本国民として このような 大惨事を 繰り返しては ならないと・・・
国民全体で 決意しよう! という目的で 防災の日が 設けられました。
しかし 前回の記事でも 書きましたように 今後の 地球上では・・・
さらなる ”巨大地震” に 私たちは 遭遇する 可能性が 高いのです。
では 私たち 人類は 今後 どのように 生きるべきなのか?
それは ”大地震” などの ”天変地異” に 対応するためには・・・
もはや ”人間の能力” では ”どうしようもない” ことを 自覚すべきです。
そして そのために 私たちは 今後 ”人間以上の存在” に・・・
”すべてを 委ねる” ことも 重要になると 考えられます。
それが 今回の 記事における ”神・仏” という 存在なのです。
日本の神社での 代表格には ”伊勢神宮” が 挙げられますが・・・
そこでの ”参拝の作法” というのは どういうものか?
それは 内宮での ”正宮(皇大神宮)” に おいては・・・
そこで 参拝者は ”個人的な願望” を 祈念するのではなく・・・
日常生活にける ”平穏無事” に ”感謝する” ことだと いわれています。
その ”真意” とは 何か?
それは 私たちが この世界で ”平穏無事” で いられることが・・・
決して ”あたりまえ” ではなく むしろ ”特別なこと” という・・・
この世界での ”真理” を 説いているのです。
そして 私たち 人類は 今後の 地球上において・・・
その意味を まさに ”痛感する” ことが 予想されるわけです。
仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” の 教えにおいても・・・
この世界は ”諸行無常(しょぎょうむじょう)” という・・・
”すべてのこと” は ”変化し続ける” という・・・
この世界における ”真理” が 説かれています。
それは 私たち 人類において ”都合のいいこと” も・・・
やがては ”都合の悪いこと” へ ”変化する” ことを 示すものです。
そして そこで 私たちは ”激しく苦しむ” ことにも なるわけです。
それゆえに 私たちは ”自分の願望” を 祈願する 以前に・・・
まず 現在の ”平穏無事な状況” に 感謝すべきであり・・・
そのことにも 感謝できないような ”無知な人間” には・・・
”神の加護” も 与えられない ということが・・・
伊勢神宮での ”参拝の作法” にも 示されているのです。
ゆえに 私たちが 神や仏によって ”加護を受ける” 場合には・・・
私たちが この世界の ”真理” を 理解することが 条件であり・・・
それによって 私たちは この世界で ”救われる資格” が 得られるのです。
では 私たちが 日常生活で なぜ ”平穏” が 重要なのか?
それは 私たちの ”人生の目的” というものが・・・
順調に 実現されるために 必要だからです。
もしも 周囲の状況が ”大混乱” していれば・・・
私たちは 自分自身の ”生命の危機” も 覚悟することになって・・・
”人生の目的” などを 考えている場合では なくなるからです。
また 私たちは なぜ ”天変地異” などの・・・
”自然災害” が 起こることを 恐れるのか?
それは 私たちが これまで 積み上げてきた ”所有物” が・・・
”自然災害” によって ”一瞬” で ”失われる” ことを 恐れるからです。
これは 現代に生きる 私たちの ”最大の苦しみ” と 考えられます。
そのために 私たちは ”天変地異” が 起こらないことを 願い続けます。
しかし 冒頭にも 書きましたが・・・
それは ”人間の能力” を ”超えるもの” であり・・・
私たち 人間には どうしようも ありません。
そこで 今度は まさに ”わらをもつかむ思い” で・・・
日頃 見向きもしなかった ”神・仏” に 祈願するという 行動に出ます。
しかし それも 成就することなく ”厳しい現実” が 起こってきたのです。
私たちは これまでの 人生において・・・
いったい 何を ”人生の目的” に してきたのか?
そこに ”大きな問題点” が 存在していたようです。
つまり 人類は なぜ これまでの 歴史の中で・・・
まさに ”神・仏” に ”見捨てられる” というような・・・
さまざまな ”厳しい経験” を 繰り返してきたのか?
私たちは 現在 その点について 深く 考える必要が あるのです。
では 世界における 宗教家たちは 何を めざしているのか?
それは ”信仰生活” の ”最終的な目的” というのが・・・
”神・仏” と 自分自身が ”一体化する” ことを めざしています。
その意味とは 自分自身が ”人間以上の存在” としての・・・
”神・仏のレベル” にまで ”接近する” ことを 意味します。
そこで 宗教家たちは ”人間のレベル” における・・・
”さまざまな欲望” は ”低次元なもの” として 認識します。
それゆえに ”さまざまな所有物” も 問題には ならないのであり・・・
いかにして 自分自身が ”神・仏のレベル” に 到達できるか? ということが・・・
何よりも ”重要な問題” に なっているわけです。
つまり そこでは 人間が ”神・仏の世界” と ”接近する” のであり・・・
そこでの ”自分の願望” も・・・
”神・仏” によって ”実現されやすくなる” と 考えられます。
ゆえに そこで その人は ”人間としての苦しみ” も ”受けずに済む” のであり・・・
そこに ”本当の意味” における ”神・仏による救い” を 受けられるのです。
宗教における ”信仰の意味” とは そこに 見い出されると 考えられます。
私たちは 今後の ”地球環境の激変” を 覚悟するわけですが・・・
そこで 受けるであろう さまざまな ”恐怖の正体” というものは・・・
自分自身が ”人間” としての ”低次元の領域” に あることなのです。
そして 私たちが そのような ”恐怖の苦しみ” を 受けないためには・・・
今のうちに 自分自身が 現在の ”低次元の領域” から・・・
”神・仏” の ”高次元の領域” へ ”シフトする” ことが 重要です。
では ”神・仏” が ”救いたい” と 思うような 人間とは どういう人物か?
それは ”神・仏” に ”近づきたい” と 日頃から 考えている 人間です。
そして その人は 宗教における さまざまな ”戒律(かいりつ)” というものを・・・
日夜 守るべく ”精進” して ”実践” している 人間なのです。
私たちは ここに 宗教における ”信仰の意味” を 見い出せるのです。
つまり 私たちの 多くが そのことに 気づいて・・・
今後の生活で ”神・仏のレベル” に 近づくような 生き方を 選択すれば・・・
これまで 制御不能と 考えられてきた ”自然災害” や ”天変地異” などが・・・
たとえ 起こったとしても その被害は ”最小限” で 抑えられるでしょう。
それは 私たちが ”神・仏のレベル” を めざすこと で 実現されるのです。
皆様も 今後の 人生において・・・
このブログでも 特集して 考えております ”ブッダの教え” も 参考にされて・・・
ご自身が これまでの ”人間” としての ”低次元の領域” に とどまるのではなく・・・
”神・仏” としての ”高次元の領域” を めざすことによって・・・
今後の世界で ”苦しみのない人生” を 実現されてみては いかがでしょうか?
(※) 以下は 関連した内容の 過去記事ですので ぜひ お読みください。