こんにちは
前回の記事の 最後に書きました 内容は・・・
私たちに 残されている時間が ”あと わずか” で あるならば・・・
私たちは これから ”終活する” ことを 中心に 考えるべきである。
つまり 私たちは ”死後の来世” も 中心に 考えるべきである。・・・
そして 残されている時間が あと ”2〜3年” という ことになれば・・・
自暴自棄になって ”やりたい放題をやる” という人間も 多いでしょう。
そして ”有り金をすべて使う” という人間も 多くなるでしょう。
しかし その生活は すべて ”死後の来世” に 影響する。
そして そのような ”無軌道な生活” を してしまうと・・・
その人は ”死後の来世での地獄” が 待っている。・・・
・・・ということを 書きました。
”2025年” に アジア周辺で ”大規模な自然災害” が 発生する・・・
さらには それが 人類の存続に 深刻な 影響を及ぼす・・・
それらの ”予言” が 現在 確実に 存在しているという 現実の前に・・・
私たちは これから どのように 生きてゆくべきか?・・・
”賢明な人間” ならば そのことを 中心に 生きてゆくことになるでしょう。
しかし 私たちの中には それを ”曲解(きょくかい)” する人もいて・・・
どうせ あと 数年しか 生きられないならば・・・
”法律” も ”道徳” も 関係なく・・・
”自分の思うまま” に ”無軌道” に 生きても 構わないと 考えて・・・
さらには ”犯罪行為” も するという 人間たちも いるわけです。
では なぜ そうなるのか?
それは その人たちは この人生を ”一回きり” であると 考えるからです。
そして 死んでしまえば ”あとは どうでもいい”・・・
つまり ”人生での責任” も ”そこまで” なのであり・・・
それでも ”死ねば 天国に行ける” などと ”うそぶいて” いるからです。
しかし 原始仏教である ”ブッダの教え” を 学んで見れば・・・
そんな考え方は まったく 通用しないことが わかってくるのです。
人生とは ”最後の瞬間” まで ある意味 ”テストされる” のであり・・・
それによって ”死後の来世が決定される” ことに なるのです。
つまり 私たちは 最後まで ”自分の責任” を 取らなければ なりません。
そして 私たちが ”自分自身の死” を 自覚し始めると・・・
そこで ”終末への活動” つまり ”終活” を 意識することになります。
これは 最近の日本でも 年長者たちの ”流行” にも なっていますが・・・
これが もはや 年代を問わず 人類全体の ”義務” と 考えられます。
つまり 私たちは ”最後の責任のとり方” を 実践すべきなのです。
”終活” といえば 私たちの これまでの 生活の中での・・・
”身辺整理” つまり ”身の回りのモノの整理” が・・・
”終活の意味” としての 中心課題として 考えられています。
それは ”余計なもの” を ”すべて手放す” こと・・・
その意味は 遺族に対しての ”遺品整理” を なくすこと・・・
つまり 遺族に対する ”余計な負担” を 掛けさせない 思いやりです。
さらに ”自分の葬儀” に対する 生前予約や 費用の準備・・・
墓地の確保や 散骨の手配などの 煩雑な仕事を ”自分で済ましておく”・・・
ということが ”立派な人間である” などと 思われています。
もちろん それは 最後まで ”自分の責任” を 果たすことを 意味し・・・
人間として ”完成した” などと 思うことにも なりますが・・・
しかし それだけでも ”人生の完成” には ならないようです。
それは とりあえず ”身辺整理” は このように 果たしたのだから・・・
そして 自分は もうすぐ 死ぬのだから・・・
最後の日まで ”自分の欲望” を 限りなく 満足させよう・・・
そして 自分の ”食欲・性欲” などを これまで通りに 満足させて・・・
死ぬまで "欲の限りを尽くしてやる” と 思う人も 多いわけです。
しかし これこそが ”大きな落とし穴” なのであり・・・
それが 私たちを ”死後の地獄世界” に 導くものなのです。
仏教の開祖であった ブッダが 何を 人類に 説いていたのか?
それは 私たちが このまま ”人間” を ”肯定” していれば・・・
つまり ”人間としての欲望” を ずっと ”肯定” していれば・・・
その人は ”死後の来世” でも ”人間に転生する” のであり・・・
そこでも さらなる ”人間の苦しみ” に 直面すると 説いていたのです。
私たちが ”人間に転生する” とは 何を 意味するのか?
それは 人類史で 繰り返し 登場してきた ”戦乱の時代”・・・
人間世界で 現在も 世界各地で 起こっている ”悲劇的な状況”・・・
私たちは ”過去・現在” を 問わずに そこに ”放り込まれる” のです。
今後 私たちに ”未来” が 存在しないことが 現実になるならば・・・
私たちは 確実に そうなることを 覚悟しなければ なりません。
現代人の中には 自分の欲望の 実現のために・・・
もうすぐ 死ぬから ”多額の借金” を しても 構わないだろう・・・
つまり 返済の意思もなく ”踏み倒す” ことを 目的として・・・
複数の金融会社から ”借金を重ねる” 人間たちも 出てくるでしょう。
そのような ”多重債務者” も おびただしく 出てくるはずです。
しかし その人の ”多重債務(負債)” というものも・・・
”現世だけ” ということには ならないのです。
つまり ”負債を背負ったまま” で 死んでしまえば・・・
その人は ”死後の来世” まで その責任が 及ぶのです。
ゆえに ”死後の来世” に ”借金地獄” が 待っていることに なるのです。
ゆえに 私たちが ”終活” を するというのは・・・
自分自身の ”現世の後始末” を すべて 行うことです。
つまり ”現世での負債” は ”すべて返済する” ことが 不可欠です。
もしも 残りの人生が あと ”2〜3年” であるならば・・・
借金のある人は 今のうちに ”全額返済” しなければ・・・
”死後の来世” でも さらなる ”借金地獄” に 遭遇するのです。
”人間の欲望” というものは・・・
まさに ”底なし沼” の ごときであり・・・
私たちは それを ”そのまま” にして 死んでしまえば・・・
私たちの ”死後の来世” でも ”底なし沼” に 沈むことになります。
ブッダは そのことを 人類に 警告していたのであり・・・
私たちは ”終活” として ”底なし沼” から ”脱出” すべきなのです。
読者の皆様の中にも もし ”負債・借金” が ある方が あれば・・・
今のうちに あらゆる手段を講じて ”全額返済” することを お勧めしまず。
さらに 今後も 決して ”負債・借金” を 発生させないように・・・
残りの人生において ご自身の ”欲望を抑える生活” を 実践されて・・・
ご自身の ”来世への負債” を 発生させないように ご注意されて・・・
現世における ”終活の成功” を 目指されてみては いかがでしょうか?
(※) 借金の危険性についての 過去記事です。