~原始仏典 スッタニパータ 第3章 第9節 ヴァーセッタ より~(内容要約)

 

 

 

648 世の中で ”名と姓(姓名のこと)”  として つけられているものは

 

    ”名称” にすぎない

    

    人として 生まれた その時に つけられて

    

    約束の 取り決めによって 仮に 設けられて 伝えられているのである。

    

 

 

 

649 ”姓名” は ”仮に つけられたものにすぎない” ということを

    

    ”知らない人々(無知な人々)” にとっては

 

    ”誤った偏見(誤った考え方)” が 長い間 潜んでいる。

    

    ”知らない人々” は われらに 告げて言う。

    

    ”生まれ” によって ”バラモンなのである” と

 

 

 

 

650 ”生まれ” によって ”バラモン” と なるのではない。

    

    ”生まれ” によって ”バラモン ならざる者” と なるのでもない。

   

    ”行為” によって ”バラモン” なのである。

   

    ”行為” によって ”バラモン ならざる者” なのである。

 

 

 

651 ”行為” によって ”農夫” と なるのである。

    

    ”行為” によって ”職人” と なるのである。

     

    ”行為” によって ”商人” と なるのである。

    

    ”行為” によって ”傭人(やといにん)” と なるのである。

 

 

 

652 ”行為” によって ”盗賊” と なるのである。

    

    ”行為” によって ”武士” と なるのである。

    

    ”行為” によって ”司祭者” と なるのである。

   

    ”行為” によって ”王” となるのである。

 

 

 

 

653 ”賢者” は このように この ”行為” を あるがままに見る。

    

    かれらは ”縁起(えんぎ・因果関係)” を 見る者であり 

    

   ”行為(業・わざ)” と その ”報い(むくい)” とを 熟知している。

 

 

 

 

654 世の中は ”行為” によって 成り立ち

    

    人々は ”行為” によって 成り立つ。

    

    生きとし 生けるものは ”業(行為)” に 束縛されている。

    

    進みゆく車が 轄(くさび) に 結ばれているように。

 

 

 

 

655 ”熱心な修行” と ”清らかな行い” と

 

    ”感官の制御” と ”自制” と

 

     これによって ”バラモン” となる。

   

     これが ”最上” の ”バラモンの境地” である。

 

 

 

 

656 ”三つのヴェーダ(明智)” を 具えて ”こころ 安らか” に

 

    ”再び この世に 生まれることのない人” は

   

    諸々の 識者にとっては ”梵天や帝釈(たいしゃく)” と みなされるのである。

    

    ヴァーセッタよ この通りであると知れ。

 

 

 

 

ブッダが このように 説かれたので・・・

 

ヴァーセッタ と バーラドヴァージャの 二人の青年は・・・

 

ブッダを 最上級の言葉で 賞賛しつつ・・・

 

”ブッダ” と ”真理” と ”修行僧の集い(サンガ)” に 帰依しながら・・・

 

”在俗信者” (出家しない状態の信者) として・・・

 

その後も 熱心に 修行生活することを 誓ったのであった。

 

 

 

~以上が 第3章 第9節 ヴァーセッタの 要約した 内容でした。~

 

 

 

 

 

こんにちは わんわん

 

 

 

私たちは 日常生活において・・・

 

さまざまな ”名称” に こだわって 生きているようです。

 

これは さまざまな 社会的な ”肩書き” とも 言えるでしょう。

 

そして それが ”現代社会” における・・・

 

その人間の ”評価基準” にも なりうるものです。てんびん座

 

 

 

 

それを わかりやすく たとえれば・・・

 

私たちが 仮に ”平社員” と ”社長” の 二人に 接したときに・・・

 

どちらの人間を ”重視” して ”優遇” するのか?

 

それは 間違いなく ”社長” と いわれる 人間を・・・

 

私たちは ”重視” して ”優遇” するでしょう。ラブラブ!

 

 

 

 

それは なぜか? といえば・・・

 

私たちは 一介の ”平社員” よりも・・・

 

”社長” のほうが ”社会的信用” があり ”お金持ち” であり・・・¥

 

その人と 付き合ったほうが 自分自身も・・・

 

”優遇される” チャンスに 恵まれる 可能性が 高くなるからです。王冠1

 

 

 

 

それは 自分が ”社長” と ”コネ” を 作っておけば・・・

 

その社長に 社会的に ”引き上げてもらえる機会” が 生まれるのであり・・・アップ

 

その社長と 付き合っていけば 経済的にも・・・

 

何かしらの ”援助を受ける” チャンスに 恵まれることも 期待されるからです。

 

そんなことは 一介の ”平社員” では 不可能であり・・・

 

それゆえに 私たちは ”社長という名称・肩書き” を ”重視する” のです。ラブラブ!

 

 

 

 

つまり 私たちは 日常生活において・・・

 

”人間” が 作り出した ”名称” というものを ”重視する” ことになり・・・

 

その人間の ”本来の姿・本質” である ”人間性” というものは・・・

 

”名称・肩書き” の前では ”軽視する” 傾向が 強いようです。べーっだ!

 

 

 

 

その本質は 自分自身の ”欲望の実現” が ”最大の関心事” であり・・・

 

”欲望の実現” のためには 何よりも ”お金” が 不可欠であり・・・

 

その ”お金” を ”十分に 持っている” 人間こそが・・・

 

自分にとって ”重要な人間” であると 考えるからです。

 

それが 現代に生きる 私たちの ある種の ”常識” です。¥キラキラ

 

 

 

 

しかし 原始仏典における ”ブッダの教え” では・・・

 

”生まれ” としての ”世襲の高い地位” を 意味する・・・

 

”バラモン” という ”名称・肩書き” は 全く ”無意味” であると 説かれています。

 

つまり ”社会的な信用” も 表現する ”名称・肩書き” よりも・・・

 

”人間の本質” を 重視しなさい・・・と ブッダは 説いているのです。 

 

その ”本質” というのが 人間の ”行為” なのです。目

 

 

 

 

”行為” というのは・・・

 

私たちの ”外面的” な ”表現行為” であり・・・

 

それは 私たちの ”内面的” な ”考え方” によって 起こります。

 

それが 私たちの ”人間の本質” である ”人間性” と 呼ばれるものです。

 

ブッダが ここで 何を 言わんとしていたのか?

 

それは 人間としての ”内面性” を ”重視しなさい” と 説いているのです。ドキドキ

 

 

 

 

たとえば 最近 日本の芸能界では・・・

 

”飲酒・ひき逃げ事件” を 起こした ”芸能人” が いました。

 

これまで ”信用度も高い” と されていた 女性芸能人でしたが・・・

 

その 事件現場の ”記録映像” が 公開され・・・ 

 

その ”行為” は ”極めて悪質” であったと 判明しました。テレビ

 

 

 

 

そのような ”悪質な行為” というものは・・・

 

その人物が 普段から ”悪質な考え方” を していたことで・・・

 

それが ふとした はずみで ”外部” に ”出現した” と 考えられます。ドクロ

 

 

 

 

彼女の 人生に対する 考え方が・・・

 

普段から 自分自身で ”責任を持つ” と 考えていたならば・・・

 

まず ”飲酒運転” などを 決して やろうとは 思わず・・・

 

仮に ”交通事故” を 起こしても・・・

 

そこで 卑怯にも ”逃げ去る” ということは あり得なかったでしょう。 

 

つまり 人間の ”行為” とは・・・

 

その人間の ”本当の内面性” を ”具現化” するものです。 目 

 

 

 

 

つまり 私たちが どれほど ”社会的な肩書き” を 獲得しても・・・

 

自分自身の ”内面性” が ”低レベル” で あったならば・・・

 

いつか その ”低い内面性” が ”露呈” してしまい・・・

 

その結果 自分自身が ”激しく苦しむ” ことが 待っているのです。

 

それゆえに ブッダは ”名称” や ”肩書き” よりも・・・

 

自分自身の ”内面性” を ”高めなさい” と 説いているのです。ドキドキ  アップ

 

 

 

 

 

では 私たちが ”行為” を ”支配” している・・・

 

自分自身の ”内面性” を ”高める” には どうすればよいのか?

 

それが 656の詩経にある  ”三つのヴェーダ(明智)” を 具えることです。ひらめき電球

 

 

 

 

その ”三つのヴェーダ(明智)” とは 注釈によれば・・・

 

① 宿明通・・・自分と 他の生物の ”生死の相(しくみ)” を 知ること

 

② 天限通・・・自分と 他の生物の ”未来世(死後の来世)の相” を 知ること

 

③ 漏尽通・・・現在の ”苦の姿” を 知り ”一切の煩悩(欲望)” を 断つこと

 

・・・という内容です。

 

 

 

つまり 人間や 生物としての ”生まれ” と ”死ぬこと” が・・・

 

なぜ この世界で 起こるのか?・・・

 

さらには ”死後の来世” に どのようなものが 待っているのか?・・・

 

 

 

 

それは ”ブッダの教え” によって 修行してゆけば それが わかるようになり・・・

 

その結果 現在の 自分自身の ”苦しみの現実” を 悟ることになり・・・

 

”苦しみの原因” である 自分自身の ”すべての欲望” を・・・

 

この人生で ”完全に断つ” ことを 実現しようと 決意するのです。

 

そんな 人間が ”内面性” が ”高まっている”・・・

 

”完成された人間” としての 人間像として 示されているのです。 星

 

 

 

 

そして 私たちが ”完成された人間” に なれると どうなるのか?

 

私たちが ”あらゆること” を ”知れる” ことで・・・

 

自分自身が ”不安” に なることも なくなり・・・

 

いつも ”こころ 安らか” に 生きることが 可能になります。

 

すると その人は ”再び この世に 生まれることのない人” に なれるのです。クローバー

 

 

 

 

その意味とは・・・

 

もはや その人は ”人間の次元” に とどまっておらず・・・

   

”梵天(ぼんてん)” や ”帝釈(たいしゃく)” と みなされる・・・

 

つまり ”神々の領域” に 到達することが 示されています。

 

ブッダは 私たちに まず その領域に 到達しなさい と 説いているのです。星

 

 

 

 

 

このブログでも これまで 繰り返し ご紹介してきましたが・・・


ブッダが 最終的に 目指していた ”ニルヴァーナ(彼岸)” に 到達するには・・・

 

まず 私たちが ”人間の完成” を 実現することが 不可欠です。

 

それは ”社会的な肩書き” を つけることではなく・・・ 

 

自分自身が ブッダの説く ”戒律” を ひとつづつ 実現することによって・・・(※)

 

いつも 自分自身を ”平穏の状態” に 維持することが 不可欠です。ドキドキ

 

 

 

 

現代社会では ”社会的な肩書き” が 重視されます。

 

それは 私たちが ”安定した経済力” を 備えることが 重要だからです。

 

そのために 私たちは 幼いころから 必死になって 勉強して・・・

 

”高学歴” を 具えて ”高水準の肩書き” を 得ようと 努力してきました。

 

その理由は 自分自身の ”欲望の追求” を 実現するためであり・・・

 

私たちは そのために 毎日 ”努力” してきたわけです。ガーンあせる

 

 

 

 

しかし 私たちが それを この人生で ”最大限” に 実現しても・・・

 

それは 自分自身を ”人間世界” に ”縛りつける” だけなのです。

 

そして それは 私たちを ”苦しみの世界” に ”縛りつける” だけです。

 

ブッダは 私たちを そのような ”不幸な状態” から ”脱出させる” ために・・・

 

”バラモン教” ではない ”新しい宗教” を 興したのです。

 

それが ”原始仏教” としての ”ブッダの教え” なのです。目

 

 

 

 

 

 

これまで 5回に分けて 第3章 第9節の内容を 考えて参りました。

 

皆様も ここで  第9節の内容を もう一度 振り返られて・・・

 

ご自身の 今後の 人生設計に お役立てください。ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 


(※) ブッダの教えによる ”戒律” についての 内容である・・・

 

    ”ブッダの教え 戒律 とは?” の 記事は こちらから お読み下さい 星

 

    ”ブッダの教え 戒律の意味 とは?” の 記事は こちらから お読み下さい 星