こんにちは
前回の記事では 人間にとっての ”善・悪” の 意味について 考察しました。
そのことは ”旧約聖書の内容” からも 正しく 理解されます。
そして それは 私たちが・・・
この 宇宙の中での ”楽園” へ ”戻る” ために・・・
何よりも 必要とされる ”重要な真理” であると 考えられます。
そして 世界の 主要な宗教においては・・・
私たちが ”楽園” としての ”天国” や ”極楽浄土” などを 目指す場合・・・
そのための ”目標” というものが 具体的に 示されています。
それが ”仏教” に おいては・・・
いわゆる ”仏性(ぶっしょう)” と いわれる 言葉でも 示されています。
しかし 私たち 日本人は そんな言葉を 見聞きしても・・・
それが いったい ”何を 意味するのか?” ということが・・・
ほとんど よく わからない という人々も 多いわけです。
実は 私自身も かつては そのような 状態でしたが・・・
私が ”ブッダの教え” を 学んでみれば 理解できたような 気がしました。
それが 前回の記事でも ご紹介した内容にも ありました。
今回の記事では 仏教において 重要とされる ”仏性” について 考えてみます。
まず ”仏性” について 辞書をひくと どのような内容が 示されているのか?
その内容を まず ここで まとめてみます。
仏性(ぶっしょう)とは・・・
1 衆生(すべての人間・生き物)” が 生まれながらに もっている・・・
仏と なることのできる 性質。 仏心。
”覚性(かくしょう・悟り・智慧)” のこと。
2 仏の ”本当の姿” や ”心”。 仏の ”本性”。
仏教では この仏性を 開発(かいほつ)し 自由自在に 発揮することで・・・
かりに ”煩悩(ぼんのう・欲望)” が 残された状態であっても・・・
”全ての苦しみ” に 煩わされることがなく・・・
また 他の衆生の苦しみも 救っていける境涯を 開くことができるとされる。
この仏性が 顕現して 有効に活用されている状態を ”成仏(じょうぶつ)” と 呼び・・・
仏法修行の 究極の目的と されている。
さらに 日本の天台宗では 仏性を・・・
衆生(人間)に限らず 山川草木や 生類すべてに 仏性がある という・・・
”一切 悉有 仏性(いっさい しつう ぶっしょう)” という 考え方が 後世に生まれた。
~このような内容が 各辞書に 示されています。~
まず この内容を 理解するためには・・・
仏教において 私たちが 到達すべく ”目標としての仏” を 設定して・・・
その ”仏の状態” とは 何か? について 考える必要があります。
そして それが 前回の記事でも ご紹介した ”原子・素粒子の状態” です。
つまり 仏の ”本当の姿” や ”本性” が それに 当てはまります。
私たちが そのことを 知れると どうなるのか?
それは 私たちが ”人間” という 一種の ”縛られた状態” から・・・
”原子・素粒子” という ”自由な状態” へ 移行しようと 考え始めます。
そのためには どうすればいいか?
それは 自分自身が ”人間” であることへの ”執着心” が・・・
まったく ”無意味である” ことを 自覚することが 必要になります。
そして そこから ”人間” としての あらゆる ”煩悩(欲望)” も・・・
それに 従って ”無意味” と 考えるのであり・・・
その結果 自分自身の ”あらゆる欲望” から ”離れようと” 生きるわけです。
これが ブッダも 説いていた ”重要な生き方” なのです。
つまり 私たちが この 宇宙の中で・・・
”原子・素粒子の状態” に ”戻りたい” と ”強く 願う” ことが・・・
その人には ”仏性(ぶっしょう)” が 備わっている ということを 意味するようです。
そして そのように 生きることができる 人間が・・・
本来の意味での ”智慧(ちえ)ある人間” なのであり・・・
その人は この世界の ”真理を知る” 人間であると 言えるようです。
さらに ”智慧ある人間” というのは・・・
仏性を 開発(かいほつ)し 自由自在に 発揮することで・・・
かりに ”煩悩(ぼんのう・欲望)” が 残された状態であっても・・・
”全ての苦しみ” に 煩わされることがなく・・・
また ”他の衆生の苦しみ” も ”救っていける境涯” を 開くことができるとされる。
・・・ということも 示されています。
その理由は まず その人間が・・・
”それ以上” の ”欲望の拡大” を 起こさない からであり・・・
かりに 多少の ”煩悩(欲望)” が 内部に 残っていたとしても・・・
その人は ”それ以上” の ”苦しみ” も ”発生させない” からです。
だから ”全ての苦しみ” に ”それ以上” は ”煩わない” のです。
そして そのような生き方を ”周囲に示す” ことによって・・・
周囲の人々も 自分自身が ”人間” であることに ”疑問を持つ” ようになり・・・
その結果 自分自身が この人生で 目指すべき・・・
”正しいゴール(目標)” も 自覚できるように なります。
それが 人間における ”本当の救い” であると 考えられるのです。
さらに 天台宗による 重要な教義である・・・
衆生(人間)に限らず 山川草木や 生類すべてに 仏性がある という・・・
”一切 悉有 仏性(いっさい しつう ぶっしょう)” という 考え方は・・・
”すべての生物” も ”原子・素粒子” によって 構成されているのであり・・・
皆 同じように ”原子・素粒子の状態” に ”戻りたい” と 願うのであり・・・
それは ”すべての生物” に ”共通” している ”真理” のようです。
また いわゆる ”成仏(じようぶつ)” という言葉は・・・
日本社会では 人間が ”死亡する” ことを 意味する言葉で 通用しています。
それは 人間は 誰でも ”死ぬ” ことによって・・・
すぐさま ”仏になる” と 考えられてきたからです。
しかし 辞書の内容からも 厳密には そうではありません。
それは この ”仏性” が ”顕現(明確に示される)” されることで・・・
”有効に活用されている状態” を ”成仏(じょうぶつ)” と 呼び・・・
仏法修行の 究極の目的と されている・・・と 示されています。
つまり 私たちが ”仏の状態” を 意味している・・・
”原子・素粒子の状態” へ ”戻りたい” と ”強く 願う” ことで・・・
そのために その人生で ”懸命な努力” を 払っている者 だけが・・・
この世界で ”成仏” することが できるのです。
それが ”本当の意味” で ”仏になる” ことを 意味しています。
仏教の開祖としての ブッダが・・・
なぜ ”人間の欲望” や ”人間への執着” というものを・・・
この人生で すべて ”捨て去りなさい” と 説いていたのか?
それは 私たちが このまま ”人間の状態” を ”肯定” していれば・・・
決して ”原子・素粒子の状態” には なり得ないことを 意味するからです。
そして もし 私たちが ”これまで通りの状態” で ありつづければ・・・
”死後の来世” では 再び ”人間” に ”生まれ変わる” ことが 待っており・・・
その結果 再び ”苦しみの一生” が 待っていることに なるからです。
その状態では 決して ”成仏した” とは 言えないのです。
仏教の開祖であった ブッダが 説いていた ”仏の状態” というのは・・・
この宇宙の中での ”苦しみのない存在” を 意味しているのです。
また 同時に 世界の宗教での ”天国” という 考え方における・・・
”死ぬ” ことで そこに ”無条件で入れる” というのも・・・
人間にとっての 極めて ”都合のいい考え方” を 示しただけに 過ぎないようです。
つまり もし 私たちが ”天国” に 入りたいのであれば・・・
この ”現世” での ”正しい努力” が 不可欠であり・・・
宗教における ”教義の実践” が 必要なのです。
これが なければ ”天国” へ 入ることも・・・
さらには ”成仏” することも ある意味 ”永遠に 不可能” なのです。
私たちは この ”真理” を ここで 正しく 理解すべきのようです。
私たちは 誰でも ”死ぬ” ことによって・・・
すべての人が ”仏になれる” とか ”天国に行ける” などという 考え方で・・・
この人生では ”好き放題” に 生きても ”許される”・・・などと 考えることがあります。
しかし それは この世界の・・・
”厳しい現実” を 見誤った ”大きな勘違い” であり・・・
その人は 残念にも ”死後の来世” は ”地獄世界” に 転落してしまうのです。
偉大な 宗教家であった ブッダも イエス・キリストも・・・
ふたりが 人類に対して ”共通” して 説いていたことは・・・
私たちが ”死後の来世” を ”地獄世界にしない” ために・・・
この人生で ”何を しておくべきか?” ということを 説いていました。
私たちは その内容を 真摯に 受け止めることで・・・
この宇宙の中での ”本当の幸福” に 自分を 導くべきであると 思われます。
皆様も ここで ご自身の 人生設計を 改めて 見直されて・・・
この人生での ”正しい目標” について お考えください。
現在の生き方が 自分を ”楽園” や ”天国” に 導くのか?・・・
あるいは 自分を ”地獄世界” へ 導くのか?・・・
そこで 決して ”誤った判断” を しては なりません。
そして 私たちが ”誤った判断” を することなく・・・
”正しい判断” を するために 重要なのが・・・
この世界の ”真理” を 説いていた ”ブッダの教え” なのであり・・・
さらには ”イエス・キリストの教え” なのです。
皆様も その ”貴重な教え” を 人生設計に 取り入れられて・・・
この人生を ”価値あるもの” に されてみては いかがでしょうか?
(※) ”ブッダの教え” での ”正しい生き方” が 示されている・・・
”八正道” の 解説記事は こちらから お読み下さい