~原始仏典スッタニパータ 第2章 第11節 ”ラーフラ” より~


335 ブッダが 言った

    ”ラーフラ (ブッダの 実の息子)” よ・・・

    おまえは しばしば ともに住むのに 慣れて・・・

    ”賢者” を ”軽蔑” するのではないか?

    諸人のために ”たいまつ” を かざす人々を 汝は 尊敬しているか?



336 ラーフラは 答えた

    しばしば ともに住むのに 慣れて・・・
    
    賢者を 軽蔑するようなことを 私は 致しません。

    諸人のために たいまつを かざす人々を 私は 尊敬しています。



337 (ブッダは ラーフラに説いた)

    愛すべく 喜ばしい ”五欲の対象” を 捨てて・・・

    信仰心によって 家から出て (出家して)・・・
 
    ”苦しみ” を ”終減せしめる” 者であれ。




338 ”善い友達” と 交われ。

    人里 離れた 奥まった 騒音の少ないところに ”坐臥(ざが)” せよ。

    ”飲食(たべるもの)” に ”量を知る” 者であれ。




339 衣服と 施された 食物と・・・
 
    病人のための物品と 坐臥の所・・・

    これらのものに対して ”欲” を 起こしてはならない。
 
    再び ”世(人間の世界)” に 戻って来るな。




340 ”戒律の規定” を 奉じて(戒律 に 従って)・・・

    ”五つの感官” を 制して そなたの 身体を 観ぜよ(観察せよ)。 

    身体に ついて 心を ”専注(集中)” させよ。

    切に ”世(人間の世界)” を 厭い(いとい) 嫌う者となれ。




341 ”愛欲” が あれば・・・

    ”汚いもの” でも ”清らか” に 見えてしまう。

    その ”美麗な外形” を ”避けよ” 。

    ”身(人間の肉体)” は ”不浄” であると 心に 観じて・・・

    心を 静かに 統一せよ。




342 “無相(むそう)の想い” を 修せよ。

    心に潜む ”傲慢(ごうまん)” を 捨てよ。

    そうすれば 汝は ”傲慢” を 滅ぼして・・・

    ”心 静まった者” として 日を 送るであろう。


   
    ブッダは このように ラーフラに 繰り返し 教えられた。




~以上が 第2章 第11節 ラーフラ の 内容でした。~本




こんにちは わんわん


前回までの記事では ブッダの教えによる ”目覚めた者” について 考えました。

ここでも 繰り返しますと その ”目覚めた者” とは・・・

この世界の ”真理” に ”目覚めた者” という 意味です。ひらめき電球




私たちが ”真理” に ”目覚める” と どうなるのか?

そこでは 人間としても ”正しい生き方” を ”知る” ことになり・・・

それによって ”苦しみのない人生” が 始まるのです。星




そして やがて 人間としての ”死” を 迎えたとしても・・・

この宇宙の中で ”苦しみのない存在” へ ”移行できる” ことに なります。

それが いわゆる ”ニルヴァーナ” の 状態であり・・・

私たちが ”彼岸(ひがん)” へ 到達するという 現象を 意味します。虹




原始仏典の中でも そのような ”真理を知った人間” の ことを・・・

ブッダは ”賢者(けんじゃ)” と 表現しています。

さらに ブッダは その ”賢者” に 対して・・・

この世界で ”どのように 生きるべきか?” ということも 言及していました。

それは ブッダ自身の ”生きざま” でも あったようです。

そして それが ”賢者としての義務” と 考えられるのです。目




今回の記事では 前々回の 続きの内容である・・・

原始仏典スッタニパータ 第2章 第10節の 内容について 考えます。

この内容も 2015年に 先行して 考えておりましたので・・・

今回も その内容を 再編集しながら ご紹介いたします。メモ




~それでは 以下が 2015年の 記事の内容です~



※ ※ ※



さて 今月も 先月に 引き続き・・・

原始仏典 スッタニパータ の 内容について 考えて参ります。

それは 今から 2500年前に 説かれていた その教えが・・・

現代社会においても 十分に 役立つものであるからです。

それは ”ブッダの教え” というものが・・・

この世界での “真理” を 説いていたものであり・・・

それは 私たち 現代人にも “共通する価値” を 示しているからです。星




仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” は 生前・・・

”シャカ族の王子” として ”妻子” を 持っていました。

しかし それにも関わらず ブッダは “出家” を 選択して・・・

その身 ひとつで ”厳しい修行生活” に 入ったわけです。雷




それは なぜか? といえば・・・

ブッダは 人間が なぜ この世界で ”苦しむ” ことに なるのか?・・・

そのことについて ”大きな疑問” を 持ったからです。

そして その “苦しむ原因” を ”究明したい” と 考えたからです。ひらめき電球




そして ブッダが “厳しい修行生活” を 経て・・・

その後 “悟り” を 得ることが できると・・・

”妻子” に 対しても その 貴重な教えを 説くことになりました。星




今回の記事で 取り上げます 原始仏典 スッタニパータ における・・・

第二章 第十一節での ”ラーフラ” というのは・・・

ブッダの ”実の息子” の 名前です。

ここでは その ”実の息子” に 対して・・・

ブッダが さまざまな教えを 説いているという 場面なのです。本


    

ブッダは まず 息子である ラーフラに対して・・・

”暗闇の世界” に ”たいまつ(明かり)” を 灯すような・・・

”賢者” たちを 尊敬しているか? と 尋ねます。

ここでの “賢者” というのは・・・

ブッダの 一番弟子とされていた ”サーリプッタ(舎利子)” を 指しています。

ラーフラは ”ブッダの実子” で あるがゆえに・・・

ブッダの弟子たちを ”見下していた” 傾向があったとも 伝えられていたのです。べーっだ!




ブッダは 出家者たちの 集団において・・・

”階級” や ”権勢” が 発生することを 恐れていました。

それは 当時の “バラモン(ヒンズー)教” における・・・

”カースト制” による ”身分差別” が ”無意味” であると 考えており・・・

自分の教えによって 集まってきた 僧侶集団の中にも それが 発生しないように・・・

”自分の息子” に 対して まず 厳しく 問いただした・・・という 場面なのです。雷




また ここで ブッダは “親” として・・・

”自分の子供” に 対しても・・・

この世は ”暗闇である” ということを 教えなさい・・・とも 説いているわけです。ガーン




そして 337からは・・・

人間として 愛すべき 喜ばしい “五官(感覚器官)” の 対象・・・

つまり “目・耳・鼻・舌・身” の 対象である・・・

“色・声・香・味・触” という ”感覚” を・・・

すべて ”捨て去りなさい” と 説いているわけです。

それは ”苦しみの原因” を ”取り除く” ために 必要だからです。

さらには 息子に対して “出家しなさい” と 説いているのです。お坊さん




338では ”善い友だち” と 関わりなさい というのは・・・

これは ”出家” を 共にしている 友人のことであり・・・(※)

飲食に ”量を知れ” というのは・・・

”足るを知る” という 意味のようです。(※)

これらの内容も 以前のスッタニパータに 登場していました。本




さらに 339では・・・

衣服や 食物や 薬などの 日常生活での さまざまなものや・・・

坐臥する場所 つまり 住居においても・・・

決して ”欲望” を 増長させてはならない と 説いています。

そして ブッダは 自分の息子にも・・・

この ”人間世界” に 再び 戻ってきてはならない・・・と 説いていたのです。雷




また 340では・・・

ブッダの教えでの ”戒律” を 重視して・・・

”五つの感官” つまり ”人間の欲望の原因” を 自分自身で 制することに・・・

細心の注意を 払い続けなさい・・・と 説いています。

そして この ”人間世界” に 対して・・・

心の底から ”嫌いになりなさい”・・・と 説いていたのです。ガーン




341では さらに 人間としての “愛欲” つまり ”愛情” に よって・・・

”美しい” と 思われることが・・・

それは 実際には ”汚いもの” であると 説いています。

つまり ”人間の肉体” そのものが “不浄” なのであり・・・

その ”厳しい現実” を 冷静になって 考えてみなさい・・・と 説いているのです。得意げ




そして 最後の 342では・・・

”無相の想い” という言葉が 登場します。

これは 仏教用語での ”すべての執着” から ”離れた境地” を 意味します。

つまり 人間は 自分自身の ”肉体への執着” からも 離れることが・・・

極めて 重要であると 説かれています。マッチョ




また 翻訳者の 中村氏の註釈によれば “無相” とは・・・

万物には ”定まった姿がない”・・・ことを 意味しています。

つまり ”自分の肉体” も やがて ”死” を 迎えれば・・・

すべてが “崩壊する” ことに なるのであり・・・

そんな ”不安定な存在” としての ”人間” とは・・・

“謙虚” で あるべきである・・・ということを 知るべきのようです。ガーン 




さらに そのように 考えることで・・・

”人間” としての ”傲慢” を ”捨て去る” ことが できると・・・

自分自身が “心静まった者” に なれると 説いています。

それこそが ブッダが 目指していた ”平穏の境地” である・・・

”涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)” である  ”ニルヴァーナ” なのです。虹




それにしても 以上のような内容を “親” として・・・

”自分の子供” に 対して ”明言できる” 人は 少ないでしょう。

それは まず 自分自身を・・・

”不浄な人間” として 定義することが まず できないからです。得意げあせる




さらには ”自分の子供” を・・・

”不浄な人間” として この世界に ”産み出させた” のは・・・

“親” としての自分の “重大な責任” ということを・・・

事実上 ”認めてしまう” ことにも なるからです。

それでは “親としてのメンツ” は ”丸つぶれ” に なってしまうからです。ショック!




しかし ブッダは そのような ”自分のメンツ” を 守ることよりも・・・

自分自身が その 厳しい修行生活の中で 知ることができた・・・

この世界での “真理” によって・・・

実の息子を “本当の幸福” へ 導こうと していたのです。

それは 自分自身の ”過去の誤り” を ”正面から認める” ことにより・・・

それ以上の ”問題の発生” を ”阻止” しようとする 意図があったと 考えられます。ひらめき電球




それで ブッダは 自分の息子に 対しても・・・

”人間としての欲望” を 限りなく ”抑制させる” ことで・・・ラブラブダウン

この世界での ”苦しみ” を 限りなく ”抑制させる” ことを 説いたのです。星





さらには 自分の息子に “出家” も すすめることで・・・

”人間世界” からの “完全な脱出” を 図らせました。

その理由は 自分の息子にも ”苦しみのない人生” を 実現させることで・・・

”死後の来世” も ”苦しみがない” というような・・・

“永遠の幸福” に 導きたい・・・と 願っていたからのようです。虹  



  

読者の皆様の中には すでに ご結婚されて・・・

”お子さん” を 持たれている方々も いらっしゃるでしょう。女の子男の子

しかし その方々も ”ブッダの教え” を 理解されて・・・

この ”人間世界” での ”苦しみの原因” を 理解されたのであれば・・・

その内容を 迷わずに ”子供たちに教える” 必要があると 思われます。

それが この世界での “真理” を 知ることができた者 としての・・・

“親としての義務” であるとも 考えられます。目




仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” であっても・・・

その生涯で ”悟り” を 得る 前までは・・・

他の人間たちと 同様に ”無知の状態” でした。ショック! 




それゆえに ブッダも  ”自分自身” に 対して・・・

”不浄な人間” であるとも まったく 思わず・・・

女性に対しても ”美しい” と 感じることになり・・・おとめ座キラキラ

その結果 ”結婚” して ”子供” も 残すことに なったわけです。男の子




しかし ブッダが この世の ”真理” を 知ったことによって・・・

自分自身の ”過去の行動” に・・・

”重大な誤り” が あったことに 気づいたのであり・・・

ブッダは その ”重大な責任” も 果たすことを 決意していたようです。

それが ここの ”ラーフラ” に 記されていると 考えられます。本




私たちは この人生において・・・

さまざまな ”誤り” を 犯すことがあります。

しかし 私たちは そこから 決して 逃げずに・・・

その ”誤り” に 対する “責任” を・・・

この人生で ”誠意をもって果たす” ことが 重要であると 考えられます。目




その理由は この先 将来・・・

さらには ”死後の来世” においても・・・

その “責任” は ずっと ”消えることがない”・・・と 考えられるからです。

それゆえに 私たちに まず できることは・・・

”誤りのない行動” を することが 第一であり・・・

そのためにも 今後の人生において ”努力し続ける” ことが 重要です。走る人




そして そのための ”重要な指針” になるものが・・・

ブッダの教えが 集約された ”原始仏典 スッタニパータ” にも 記されている・・・

さまざまな ”戒律(かいりつ)” であったと 考えられるのです。本




私たちは 今後の人生において・・・

”無知” であることから ”脱出” するために・・・

さらには これ以上 “重大な誤り” を “拡大させない” ためにも・・・

毎日の生活の中で “ブッダの教え” を 参考にしながら・・・

限りなく ”最善の努力” をして 参りたいですね。ニコニコ 




~以上が 2015年の 記事の内容でした。~



※ ※ ※



ブッダは 生前 ”実の息子” に 対しても・・・

この世界の ”真理” を 伝えました。

それは 自分自身の ”メンツ” や ”プライド” を 守ることよりも・・・

それが 事実上 自分自身を ”おとしめる” ことに なろうとも・・・

この世界の ”真理” を ”最優先” したのです。星




私たちにとって この人生で 何を ”最優先” するべきなのか?

私たちは ここで 改めて 深く考える 必要が あるようです。

それは この世界の ”真理” を ”知った者” としての・・・

つまり ”賢者” として ”正しい生き方” を ”知った者” で あるならば・・・

そのことは 自然に理解できる 内容であると 思われます。ひらめき電球




そして それによって この人生で ”苦しまない” だけでなく・・・

”死後の来世” においても ”苦しみのない存在” に なれるのであり・・・

それが この宇宙の中での ”本当の幸福” であると 考えられるのです。星





また そのことを 他の人々に ”伝える” ことは・・・

仏教における ”功徳(くどく)” を 積むことにも なり得ます。

そして その意味は 個人としての ”賢者” として 終わることがなく・・・

さらには ”多くの人々” も ”救う” ことになり・・・

それが ”賢者としての義務” を 果たすことになると 考えられるのです。目





それによって その人は ”普通” の 修行者よりも・・・

人間からの ”解脱(げだつ)のスピード” が ”加速する” ことになり・・・

より 早く ”苦しみのない存在” へ 移行できることが 考えられるのです。流れ星






皆様も ”ブッダの教え” を 深く 理解することで・・・

この人生で ”本当の意味” での ”賢者” に なることによって・・・

この宇宙の中での ”本当の幸福” を 獲得されてみては いかがでしょうか?ニコニコ










(※) スッタニパータでの ”友人” についての 意味について 書かれていた・・・

   ”ブッダの教え 世俗の考え方を 捨てよ” の 記事は こちらです星 


   

   また “量を知る” についての 内容である・・・

    ”足るを知る の 意味”  の 記事は こちらです星

  


   そして 2015年の 記事である・・・

   ”ブッダの教え 親の義務 とは?” の 記事は こちらです星