こんにちはわんわん



このブログで 最近 取り上げております “スッタニパータ” とは・・・

仏教の開祖であった “ゴータマ・ブッダ” が・・・

生前 弟子たちに 説いていたといわれる “ブッダの言葉” を・・・

”経典” として 後世に 伝えているものです。本





そして 弟子たちは ブッダの教えに従って ”出家” をして・・・

”完全に 世俗から 切り離された生活” を  送っていました。

そう考えると ブッダの教えとしての スッタニパータとは・・・

私たちのような ”世俗に生きる者” にとっては 

ほとんど ”意味をなさないもの” として 考えられがちです。ショック!





しかし 私が ブッダの教えである ”八正道” を・・・

”世俗にいながら” 2年前から 実践してみると・・・

日常生活から ”苦痛の出来事” が ”激減する” ことになりました。

つまり ”ブッダの教え” とは ”出家しなくても”・・・

十分に 効果があるものであると 考えられたのです。ひらめき電球

 




私たち ”世俗に生きる” 人間には・・・ 

急激に ”すべてを捨てる” ことは 不可能であるわけですが・・・

世俗に生きる人間としての ”考え方” は 捨てることができるでしょう。

つまり 私たちは ブッダの教えを ”自分のもの” に するには・・・

まず ”これまでの考え方” を 捨てることから 始めるべきのようです。目







今回の記事では スッタニパータ ”犀の角” での・・・

”世俗から離れよ” という 意味における・・・

ブッダの ”厳しい言葉” を ご紹介します。雷







57. ”正しくないこと” を “正しい” と ねじまげて 解釈するような・・・

    悪い友人との 関係を 避けなさい。

    ”欲” を むさぼって ”努力” を 怠けている人に 親しんではいけない。

    犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。






58・ ”学識” が 豊かで ”真理” を わきまえており・・・

    ”高邁(高い精神性の人)” で ”明敏(本質を知る人)” である・・・

     そのような 友人と 交わりなさい。
   
     それで ”ためになることがら” を 知って・・・ 

     さまざまな “疑問” を 解消して・・・・

     (それでも) 犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。

    




59・ 世の中の ”遊戯 や ”娯楽” や ”快楽” に 満足せずに・・・

    ”誘惑” されずに ”装飾” から 離れて・・・

    “真実(真理)” を 語りなさい。

     犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。






60・ “妻子” も ”父母” も・・・

    “財宝” も ”穀物(食料)” も・・・

    ”親族” や 他の ”あらゆる欲望” も 捨て去って・・・

     犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。







61・ これらの 私たちの ”執着” というものは・・・

    (実は) 楽しみが 少なく・・・快さも 少なく・・・

     ”苦しみ” が 大きいものである。

     つまり ”執着” とは・・・

     魚を釣る ”釣り針” のような (痛い)ものだ。    
     
     ”賢者” ならば 犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。 




   


62・  水の中の 魚が 網(あみ) を 破るように・・・

     火が すでに 焼いたところに 戻らぬように・・・

     さまざまな ”煩悩(欲望)” の 結び目を 破り去って・・・

     犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。

 





ブッダの ”厳しい言葉” が 次々と 登場して参りました。ガーン






先日も 書きましたが・・・

ブッダは ”ひとりで歩め” と 言っているのに・・・走る人

ここでも “よい友人” ならば 交わりなさい・・・と 言っているのは・・・






“友人” とは ”自分を映す鏡” を 意味しているので・・・

同じような “解脱(げだつ)を めざす人間” に 逢うことは・・・

自分自身も その人と 同じくらい ”高いレベル” に 到達しているので・・・

そのことを 私たちは 喜ぶべきであり・・・

その友人と 一緒に さらに ”先へ進みなさい”・・・という意味のようです。ニコニコ






そして 私たちが 日常生活で 追求している・・・

”遊戯 や ”娯楽” や ”快楽” や ”誘惑” や ”装飾” から 離れると・・・

この世の “真実(真理)” が 見えてくる・・・とも 説かれています。本






つまり 私たちが さまざまな ”欲望” から 離れることによって・・・

“こころ 静かな状態” に なることによって・・・

やっと “真理” が 見えてくることを 意味しています。目






しかし 問題なのは その次の NO.60の詩経です。

それは “財宝” や ”食料” だけではなく・・・

なんと ”妻子” や ”父母” や ”親族” までも・・・

”捨て去りなさい”・・・という 教えなのです。ガーン

 





これを どのように 解釈すべきか?・・・

私も 深く 悩んでしまった 部分でした。

そして さまざまな ”人間関係” というのも・・・

実は ”執着” であると 次の詩経では 示されています。得意げ







人間としては ”血のつながり” などは 決して 変えようがなく・・・

“家族” や ”親族” なども かけがえのない “人脈” であり・・・

さらには これこそが “財産” であると 考える人も 多いですね。ひらめき電球







しかし このような 極めて ”親密な” 人間関係においては・・・

そこでの “思いやり” というのが・・・

”快楽” を できるだけ多く 提供しようとする ”事実” があります。ラブラブ
 

 





つまり 自分の ”大切な人” に 対しては・・・

できるだけ “いい思いを させてあげたい” と 思うのが・・・

”思いやり” であると 私たちは 当然のように 考えています。

しかし このような ”思いやり” としての・・・

”快楽を与える” ということが・・・

ブッダの教えでは ”大きな苦しみの原因” に なっているわけです。しょぼん







そう考えると・・・

ブッダが 修行者たちに 説いていた ”真の意味” というのは・・・

これまでの ”誤った思いやり” を 捨て去り・・・

私たちは すべての人間に対して・・・

“本当の思いやり” を 持ちなさい・・・という 意味であると 考えられます。目








この仏典の訳者である 中村氏も・・・

修行者は 仮に ”ひとりで” 修行していても・・・

”人間関係” からは ”孤立するものではない”・・・と 述べていました。

つまり 私たちが ”人間として” 生きている以上は・・・

”他者との関わり方” を どうしても 考えなければ ならないのであり・・・

私たちは そこで 自分自身を ”成長させる” ことを 実現しなければなりません。星








それゆえに 私たちが・・・

”ブッダの教え” から 学べることとは・・・ひらめき電球








私たちが この世界での “真理” を 知ることによって・・・

他人に対する “本当の思いやり” を 知ることができ・・・

それによって ”苦しみの原因” を すべての人間から ”取り除かせる” ことで・・・

人類を “永遠の平穏” に 導くことができる・・・ということなのです。虹








それゆえに ”ブッダの教え” が・・・

”自分さえ 救われればよい” というものではなく・・・

”人類全体” を 救うもの・・・であることが わかってくるのです。星 










そして ブッダが ”すべてを捨てよ” と 説いていたのは・・・

これまで ”あたりまえ” と 考えられてきた ”常識” や ・・・

私たちの ”人間としての考え方” を 捨てなさい・・・という 意味なのです。目


 

 




私たちは そのことに 気づくべきであり・・・

これまで 自分には ブッダの教えは ”無理である” と 考えていた方も・・・

ご自身の ”考え方” を 変えるだけで・・・

ブッダの教えを ”自分のものにできる” と 思われます。ひらめき電球









私たちは ”世俗の常識” や ”世俗の考え方” を・・・

勇気を持って ”捨て去る” ことで・・・

これまで ”不可能” に 思われていた さまざまなことが・・・

”可能になる” ことが 期待できるのです。

次回の記事でも この ”サイの角” の 続きの内容を 考えて参ります。ニコニコ














(※) 昨年書きました・・・

   “本当の思いやり・・・とは?” という記事は こちらからどうぞドキドキ