こんにちは わんわん

 


私は 幼いころから 周囲の人々から “思いやり” を たくさん 受けてきました。ドキドキ

そして そのたびに ”感謝” して参りました。ニコニコ





たとえば 訪問先では ”おいしいもの” を たくさん 頂いたり・・・ケーキ

“楽しい思い出” を たくさん 作ってくださったり・・・音譜

それは いつも “快適な時間” を 提供してくれていたわけです。ラブラブ





そして そんな経験が・・・

自分自身の “社会性” を 育んでくれたようであり・・・クローバー

それが 人間としての “健全性” を 養成するための・・・

”重要な役割” を 果たしてくれた とも 考えられます。

皆様も これまでの人生において ”同じように” 考えられているのではないでしょうか?ニコニコ 





しかし 私が 昨年から “ブッダの教え” を 深く 学んできましたが・・・星

私自身 これまで受けて来た さまざまな人たちからの “思いやり” というものが・・・

人間にとって ”本当に 正しいものだったのか?” ということを 考えてしまいました。ガーン





前回の記事では・・・

”苦しみ” の ”罪滅ぼしとしての快楽” を・・・

私たちは 日常生活の中で 誰かに 与えている と 書きましたが・・・
 
つまり 私たちは この世界で ”苦しむ現実” を 正面から 見つめずに・・・しょぼん

”快楽の提供” によって “幸福な人生になる”・・・と 思い込まされてきたようです。ラブラブ 






人間は この世界で 生きる中で ”すべての人” が・・・

”誰かを苦しめる” という ”宿命” にも あるようですが・・・しょぼん





しかし その “現実” を 見ないようにして・・・

ただ ひたすら ”快楽” を 提供して 満足してしまう。・・・ラブラブ

それが 私たちにとって ”善” であるという 価値意識が・・・

実は ”誤りである” ことにも 気づかずに 養成されてしまっているようです。 

つまり それこそが 人に対する “思いやり” であると 信じているようですね。ドキドキ






でも この世界で “おいしいもの” を どれだけ 食べていても・・・ケーキ 

“楽しい時間” を どれだけ 獲得していても・・・音譜

私たちは  その後 この世界で ”苦しむ現実” からは 逃れることはできません。しょぼん






つまり 人としての “思いやり“ というものは・・・

“一時的な満足” に 過ぎないものであり・・・

さらには ”人生を 勘違いさせるもの” に なってしまうことが 多いようなのです。ガーン

   





それゆえに 私たちが 誰かに対して ”本当の思いやり” を 示す ということは・・・

ただ ひたすら ”快楽の提供をすることではない”・・・のです。

つまり “本当の思いやり” とは 何か?・・・

それは この世界で ”苦しまない方法” を・・・

”ブッダの教え” によって ”教えてあげる” こと なのです。目







自分が ”大切に思う人” に 対して・・・

できるだけ “いい思いをさせたい”・・・と 考えるのは ”当然” かもしれません。

しかし その人のことを “本当に思いやる” ならば・・・

残念ながら ”快楽の提供” を ”控えるべきである”・・・と いわざるを得ません。ガーン








私たちは “今だけ” で ”満足” して 生きるのか?・・・時計

それとも “永遠の未来” まで 展望して 生きるのか?・・・星

それによって 自分の ”大切な人の未来” も 変わってしまうようですね。叫び


 





人間が この世界で ”苦しまない方法” とは いったい 何か?・・・

それが 仏教の開祖であった “ブッダの教え” なのです。星









人間の “思いやり” について・・・

私たちは 改めて 考えてみたいですね。ニコニコ
 
















(※) ブッダの教えである・・・

    ”八正道” の記事は こちらからどうぞ クローバー