~原始仏典スッタニパータ 第3章 第3節 ”みごとに説かれたこと” より~(内容要約)

 

 

ブッダは ある時・・・

 

サーバッティー市の ジェーダ林(孤独な人に食事を給する長者の園)に いらした。

 

 

 

そこで ブッダは 修行僧たちに 告げた。

 

「修行僧たちよ ”四つの特徴” を 具(そな)えた言葉は 

 

”みごとに (正しく・善く)” 説かれたのである。

 

悪しく 説かれたのではない。

 

諸々の智者が見ても 欠点がなく 非難されないものである。

 

 

 

その四つとは なにか?

 

① ”みごとに 説かれた言葉” のみを語り ”悪しく 説かれた言葉” を 語らず

 

② ”理法 (真理のこと)” のみを語って ”理にかなわぬ言葉”  を  語らず

 

③ ”好ましいこと” のみを語り ”好ましからぬこと” を 語らず

 

④ ”真実” のみを語って ”虚妄(きょもう・いつわり)” を 語らない   

 

 

 

この ”四つの特徴” を 具えている言葉は ”みごとに 説かれた” のであって

 

悪しく 説かれたのではない。

 

諸々の智者が見ても 欠点がなく 非難されないものである。

 

ブッダは 弟子たちに このように告げたのである。

 

そのあとで ブッダは 次のことを説いた

 

 

 

(1) ”最上の善い言葉” を 語れ

 

(2) ”正しい理(ことわり・真理)” を 語れ ”理に反すること” を 語るな

 

(3) ”好ましい言葉” を 語れ ”好ましからぬ言葉” を 語るな

 

(4) ”真実” を 語れ ”偽り(いつわり)” を 語るな

 

 

 

そして ヴァンギーサという長老は 立ち上がり ブッダに 敬意を表して告げた

 

「ふと 思い出すことがあります! (かつて 教わったことを)」

 

(ブッダは答えた) 「思い出せ ヴァンギーサよ。」

 

そこで ヴァンギーサは ブッダを ほめたたえつつ 次のような詩を語った。

 

 

 

「”自分を苦しめず” また ”他人を害しない言葉” を 語れ。

 

これこそ 実に ”善く説かれたことば” なのである。」

 

 

 

「”好ましい言葉 (愛情のこもった言葉)” を 語れ。 

 

その言葉は 人々に ”歓び迎え入れられる言葉” である。

 

”感じの悪い言葉” を 避けて 

 

”他人が気に入る言葉” のみを 語るのである。」

 

 

 

「”真実” は 実に ”不滅の言葉” である。

 

これは ”永遠の理法(真理)” である。

 

立派な人々は ”真実” の上に 

 

”ためになること” (道義・人のためになること) の上に

 

また ”理法” の上に ”安立” している といわれる。」

 

 

 

「”安らぎ(ニルヴァーナ)に 達するために 

 

”苦しみ” を ”終滅させる” ために

 

仏の説きたもう ”穏やかな言葉” は 

 

実に 諸々のことばのうちで ”最上のもの” である。」

 

 

 

 

 

こんにちは わんわん

 

 

私たちが 日常生活で つかい 発するという・・・

 

さまざまな ”言葉” には どういう意味が あるのか?

 

それは 紛れもなく 私たちの ”内面” を 表わすものです。ドキドキ

 

 

 

つまり 私たちの ”内面” である ”こころ” が・・・

 

”平穏” ならば ”発せられる言葉” も ”平穏” です。

 

反対に  自分自身の ”こころ” が ”荒れている” ならば・・・

 

”発せられる言葉” も ”荒れたもの” に なるわけです。ハートブレイク 波

 

 

 

 

それゆえに 私たちが つかっている ”言葉の意味” というのは・・・

 

自分自身の ”内面” の ”バロメーター” なのです。

 

そして 仏教の開祖であった ブッダは そのことを 極めて 重視していました。目

 

 

 

 

前回の記事でも ご紹介しましたが・・・

 

私たちが ”人間” として 生きている ”目的” というのは・・・

“こころの平穏” を 実現するためである・・・と 考えられるからです。ドキドキ

それが 実現される前に この人生で ”死” を 迎えたとしても・・・

私たちは ”死後の来世” を 含めて ”永遠に苦しむ” ことになります。しょぼんあせる

 

 

 

 

なぜ そういえるのか?

 

それは 私たちの ”内面” が つねに ”平穏” で なければ・・・

 

私たちは ”永遠の平穏” としての ”ニルヴァーナ” の 境地には 到達できません。

 

その結果 ”輪廻転生(りんねてんしょう)”  といわれる・・・

 

”人間” や ”生物” などに ”生まれ変わる” という・・・

 

”苦しみのある存在” からの ”脱出” が 不可能になるのです。しょぼんあせるうずまき

 

 

 

 

原始仏教としての ”ブッダの教え” とは 私たち 人類を・・・

 

そのような ”苦しみの悪循環” から ”脱出させる方法” を 説いていました。

 

そのために 重要なのが 自分自身の ”内面” である ”こころの状態” を・・・

 

私たちは 常に ”観察” しておく 必要があるわけです。

 

そして そのために 役立つのが 自分が発する ”言葉” なのです。メモ

 

 

 

 

そして ”話す” あるいは ”書く” という・・・

 

私たちが 発している ”言葉” に 注目して・・・

 

自分自身で ”平穏な言葉” を つかうように ”努力” を すれば・・・

 

”自分の内面” も 自ずと ”平穏” に できるように なるのです。

 

これも ”ブッダの教え” による 極めて 重要な内容です。目

 

 

 

 

原典の内容からも 読み取れますが・・・

 

”好ましい言葉(愛情のこもった言葉)” ”他人が気に入る言葉”・・・

 

さらに ”他人を害しない言葉” を つかうことは・・・

 

周囲との 人間関係でも ”平和” が 維持されやすくなります。

 

その結果 社会生活でも ”トラブル” を 回避しやすくなり・・・

 

自分の周囲が ”平穏” となり 自分の ”内面の平穏” も 実現されます。ドキドキ

 

 

 

 

そして ”真実” のみを 語って・・・

 

”虚妄(きょもう・いつわり)” を 語らない  とは・・・

 

私たちが ”いつわり” である さまざまな ”ウソ” を つくことで・・・

 

周囲の人間との ”トラブルの原因” も 作ってしまう ことになります。

 

つまり ”ウソがばれる” ことで ”取り返しのつかない問題” も 発生します。

 

そこから 人間同士の ”争乱” も 発生して・・・

 

自分自身の ”内面” も ”激しく乱れる” ことに なるのです。 

 

だから 私たちは つねに ”真実” を 語るべきなのです。星

 

 

 

 

では なぜ 私たちは ”ウソ” を つくのか?

 

それは 自分自身の さまざまな ”欲望” が そうさせるのです。ラブラブ

 

そこには ”自分の立場” を ”有利” に しておきたい というような・・・

 

”人間(生物)の本能” とも 考えられる ”優越性の維持” が 考えられます。アップ

 

そして それこそが 私たちを ”人間” や ”生物” に ”縛りつける原因” でもあり・・・

 

そのままでは 私たちは ”輪廻の悪循環” からは 脱出できないのです。しょぼんあせる うずまき

 

 

 

 

そして ブッダが 私たちに・・・

 

”理法 (真理のこと)” のみを 語って・・・

 

”真実” を 語りなさい・・・と 説いていたのは・・・

 

私たちが この世界の ”理法” という ”真理” に 触れることによって・・・

 

この宇宙の中での ”正しく進む道” を 発見することが できるようになります。目

 

 

 

 

さらに ”ウソ” や ”いつわり” を ”語らねばならない” というような・・・

 

”哀れな状態”  としての ”人間” や ”生物” から・・・

 

あなたたちは ”別次元の存在” に ”移行しなさい” という意味なのです。星

 

 

 

 

それは 私たち自身が この世界で ”真理そのもの” に なってしまえば・・・

 

すべてが ”真理” に つつまれることを 意味するのであり・・・

 

そこには ”ウソ” も ”いつわり” も 存在する余地が 無くなるのです。

 

そこが 私たちが この宇宙の中で 目指すべき・・・

 

”ニルヴァーナ” としての ”彼岸(ひがん)” の 境地であると 考えられます。虹

 

 

 

 

そして 私たちが そこに 向かうためには・・・

 

まず 日常生活において ”ウソ” や ”いつわり” が ないという・・・

 

”正しい言葉” を つかうことが ”第一条件” なのです。

 

”ブッダの教え” とは このブログでも 繰り返し お伝えしていますが・・・

 

私たちの 現在の生活が ”死後の来世” と ”つながっている” ことを 示しています。星

 

 

 

 

ゆえに 私たちが ”死後の来世” を ”平穏” に したいのならば・・・

 

私たちは ”現在の生活” を まず ”平穏に維持する” ことが 条件なのです。

 

そのために 必要なのが 私たちが 毎日のように つかっている ”言葉” を・・・

 

いかに ”正しく つかうか?”・・・ということが 重要なのです。 

 

それが 自分自身を ”永遠の幸福” に 導くことに つながるのです。目

 

 

 

 

このブログでも かつて ご紹介したように・・・

 

”ブッダの教え” の 実践方法である ”八正道(はっしょうどう)” でも・・・

 

3番目に ”正語(しょうご)” という 項目があります。

 

それは ”正しい言葉” を つかいなさい という 教えでもありました。

 

なぜ そこに そんな内容が 記されているのか?

 

その理由は この第3章 第3節の内容からも 十分に ご理解できると 思われます。 星

 

 

 

 

 

皆様も 毎日 つかわれる ”言葉” について・・・

 

ここで 改めて 慎重に お考えになり・・・

 

ご自身を ”永遠の幸福” へ 導かれてみては いかがでしょうか?ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(※) ”ブッダの教え” の ”実践方法” である・・・

 

    ”八正道(はっしょうどう)” の 内容は こちらから お読み下さい星

   

    

 

    人間の ”優越性” について 考えました・・・

    

    ”人間は なぜ 差別するのか?” は こちらから お読み下さい星

 

      

 

    この世界の ”真理” について 考えました・・・

   

    ”真理” とは 何か?”  は こちらから お読み下さい星

 

 

 

 

 

 

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