※ この記事は 随時 加筆 更新することがあります。
どうぞ 時々 読み返されてみてください。
こんにちは
ブッダは この世の ”苦の原因” と 考えられる・・・
”煩悩(ぼんのう)”・・・つまり ”欲望” を 除去するためには・・・
”八正道(はっしょうどう)” においての
”八つの徳の道” の 実践が 大事であると説きました。
また 私たちが ”八正道” を 実践することは・・・
この世界の “真理” を ”自分自身で知る” ことに 導くものです。
それは どうしてか? というと・・・
“真理” を 知るためには ”人間の欲望” が ”妨害” しているからです。(※)
それゆえに 私たちが ”自分の欲望” を ”除去する” ことによって・・・
この世界の “真理” が ”見えてくる” ようになるのです。
そして ”八正道” とは とても厳しい 仏教での修行法ではなく・・・
一般の民衆も 実践できるような ”生活のやり方” なのです。
そして それぞれの 言葉に付く ”正” とは・・・
人間として ”正しいこと” という意味ですね。
それでは その ”八つの徳の道” を 示します。
1・正見・・・・・私たちは ”無常観” (すべては 永遠に続かない) によって
この世を ”正しく見る” ことが できると・・・
この世の ”快楽” や ”貪(むさぼり)” などの
その意味を ”疑う” ことが できるようになり・・・
(人間の 快楽や欲望を ”むなしい” と 思うことです。)
そこで ”人間の欲望” から 離れることが 可能になり・・・
人間からの ”解脱(げだつ)” が 可能になります。
(”人間からの卒業” が 可能になります。)
つまり 私たちが ”当たり前” とする ”世俗性” を
”否定する” ことによって・・・
この世界での ”真理” が 見えてくるのです。
ゆえに この ”正見” とは・・・
世俗に生きる私たちが ”曇ってしまった眼” を 覚まして・・・
人間としての ”すべての欲望” から 離れることによって
”本当に 正しいものを 見なさい”・・・という教えですね。
2・正思・・・・・これも 人間の ”欲望” や ”快楽” から・・・
”離れる”・・・ということであり
”財産” や ”名誉” などの・・・
”世俗で重視される” ものから 離れることによって・・・
”自分本位” や “自己中心” から 離れることができます。
それこそが 人間として ”正しい思考である”・・・という意味です。
3・正語・・・・・これは ”ウソ” をつかない・・・
”粗暴な言葉” などを 決して 使わないことです。
つまり 人間が ”話す言葉” や ”書く言葉” には・・・
その人の ”内面性” が 表現されるのです。
私たちは 日常生活では あまり 意識しませんが
”言葉の使い方” には とても重要な 意味があるのです。
4・正業・・・・・”業(ごう)” とは ”行為” のことです。
その内容とは・・・
まず ”殺生”(殺すこと) や ”盗み” などを
決して 行なってはなりません。
“殺さない” ということは・・・
“他の人間” や ”他の生物” は もちろんのこと・・・
“自分自身” も 殺しては ならないのです。
さらに ”殺さない” ということは・・・
”動物の肉” も ”食べてはならない” ことを 意味しています。
”肉を食べる” ということは 実質的に・・・
”他の生物を殺す” ことで 可能になるからです。
そして ”反道徳的” な 行為や・・・
”性行為” としての・・・
”淫らな行為”(買春・売春など) を 否定しています。
つまり これらの意味は・・・
人間の ”食欲” や “性欲” である・・・
人間として ”あたりまえ” とされる ”人間の欲望” を・・・
これ以上 拡大させずに ”縮小させる” ことを 意味しています。
それによって 私たちは “正しい行為” に 導かれるのです。
5・正命・・・・・これは ”道徳に反する仕事” などには
決して 就かない・・・ということです。
いわゆる ”犯罪” には 決して 手を出さないことです。
また ”規則正しく” 生活をする など・・・
”正しく 命を使う” という意味です。
6・正精進・・・・これは ”善” に関しての 内容であり・・・
過去の ”不善 (よくない行動)” を 断って・・・
未来での ”不善” も 行わない ということです。
(つまり “悪” を 行わないことです。)
また ここでの 仏教における ”悪” というのは・・・
いわゆる ”三毒” とされる・・・
”貪り”・・・欲をむさぼること
”怒り”・・・怒ること
”無知”・・・知ろうとしないこと が 代表的です。
私たちは これらのことを・・・
日常生活から ”排除” することが 必要のようです。
そして 過去に行った ”善” というものを
さらに ”拡大する” ようにして・・・
未来でも ”新たな善” を 行いなさい・・・という意味です。
つまり ”善” への ”正しい努力をする” という意味ですね。
7・正念・・・・・これは 現在の自分の ”内面・外面” に対して
”気づいた状態” でいることが 大事である・・・ということです。
つまり ”自分の感覚” を・・・
”研ぎ澄まして”・・・“集中させて”・・・
”自分の内面” や ”自分の周囲” を・・・
”冷静に 見つめなさい”・・・という意味です。
8・正定・・・・・これは 正しく ”精神集中” を する という意味で・・・
これは ”禅定(ぜんじょう)” を 示しており
”瞑想(めいそう)を 行う” という意味です。
これにより 自分自身の ”集中力” を・・・
“極限” にまで 完成させてゆく・・・という内容です。
最近 私も ”瞑想” を 始めたのですが・・・
それについては 先日のブログでも 書きましたが
その効果は ”想像以上のもの” です。
以上が ”八正道” の 内容です。
さらに ブッダは・・・
ブッダ自身が かつて行っていた ”苦行 (極めて苦しい修行)” のような
”命がけの修行” というものは 全く必要ではない・・・と説きました。
そして ”快楽” だけを 追求するような 生活でもなくて・・・
その ”中間の道” と 考えられる・・・
”中庸(ちゅうよう)” が 重要であると 説いていました。
つまり この ”八正道” を・・・
”バランス良く” 実践していれば・・・
人間は 誰でも ”自分の煩悩(欲望)” を 消すことができて
さらには ”ブッダ(目覚めた者 という意味)” に なれると 説いたのです。
これこそが 仏教の開祖であった ブッダが 説いていた・・・
”原始仏教の教え” なのです。(原始仏典)
しかし 忘れてはならないのが これまでの記事で ご紹介してきました・・・
”四法印” や ”四聖諦” での 基本的な教えです。
つまり その ブッダの教えの ”大前提” を 踏まえなければ・・・
この 人間の世界から ”解脱(げだつ)” するという ”目標” を 忘れてしまい・・・
いくら ”八正道” を 心がけても・・・
人間の ”煩悩” が 消えることは まず 不可能のようです。
さらに この 人間界の ”苦痛の世界” から・・・
”どうしても 脱出したい”・・・と 常に 思わなければ・・・
人生に対する ”真剣さ” も やがて薄れ・・・
いつか ”元の生活” に 戻ってしまうことになりますね。
一見 ”簡単” そうに見える この ”八正道” というものは・・・
実は 私たちに 相当な ”覚悟” を 迫っていると わかってきます。
そして この ”八正道” とは・・・
自分自身による ”毎日の実践” によって・・・
自分自身の ”人間の成長” を 実現して・・・
自分自身の ”人間の完成” を 目指していると 考えられます。
それで 私たちは ”人間からの卒業” を 果たすことができ・・・
その結果 ”人間からの解放” が 実現されて・・・
この宇宙で ”苦しみのない存在” に なることができるようです。
そして この ”八正道” の 内容というのは・・・
”他宗教での教義” と 似ている内容が とても 多いようです。
それゆえに 各宗教間での ”共通した教義” というものが・・・
おそらく この世の ”真理” であると思われます。
私たちは そんな点に 注意しながら・・・
今後の人生に ”宗教での 貴重な教え” を 役立ててゆきたいですね。
(※)以下は 八正道についての 補足記事になりますので ご参考にされて下さい。
2012年11月 に作成した・・・
”八正道のバランス” という記事は こちらです。
瞑想の 実践方法について 考えました・・・
“瞑想のやり方” という記事は こちらです。
八正道を 実践する上での ポイントについて 考えました・・・
”八正道は 大樹の ようなもの” という記事は こちらです
”八正道は フィードバックが 重要です” という記事は こちらです
また この世界の “真理” について 書きました・・・
“真理 とは 何か?” という記事は こちらです
そして ”肉食” を なぜ やめる必要があるのか? について 書きました・・・
”肉食をやめた理由” という記事は こちらからどうぞ
どうぞ 時々 読み返されてみてください。
こんにちは
ブッダは この世の ”苦の原因” と 考えられる・・・
”煩悩(ぼんのう)”・・・つまり ”欲望” を 除去するためには・・・
”八正道(はっしょうどう)” においての
”八つの徳の道” の 実践が 大事であると説きました。
また 私たちが ”八正道” を 実践することは・・・
この世界の “真理” を ”自分自身で知る” ことに 導くものです。
それは どうしてか? というと・・・
“真理” を 知るためには ”人間の欲望” が ”妨害” しているからです。(※)
それゆえに 私たちが ”自分の欲望” を ”除去する” ことによって・・・
この世界の “真理” が ”見えてくる” ようになるのです。
そして ”八正道” とは とても厳しい 仏教での修行法ではなく・・・
一般の民衆も 実践できるような ”生活のやり方” なのです。
そして それぞれの 言葉に付く ”正” とは・・・
人間として ”正しいこと” という意味ですね。
それでは その ”八つの徳の道” を 示します。
1・正見・・・・・私たちは ”無常観” (すべては 永遠に続かない) によって
この世を ”正しく見る” ことが できると・・・
この世の ”快楽” や ”貪(むさぼり)” などの
その意味を ”疑う” ことが できるようになり・・・
(人間の 快楽や欲望を ”むなしい” と 思うことです。)
そこで ”人間の欲望” から 離れることが 可能になり・・・
人間からの ”解脱(げだつ)” が 可能になります。
(”人間からの卒業” が 可能になります。)
つまり 私たちが ”当たり前” とする ”世俗性” を
”否定する” ことによって・・・
この世界での ”真理” が 見えてくるのです。
ゆえに この ”正見” とは・・・
世俗に生きる私たちが ”曇ってしまった眼” を 覚まして・・・
人間としての ”すべての欲望” から 離れることによって
”本当に 正しいものを 見なさい”・・・という教えですね。
2・正思・・・・・これも 人間の ”欲望” や ”快楽” から・・・
”離れる”・・・ということであり
”財産” や ”名誉” などの・・・
”世俗で重視される” ものから 離れることによって・・・
”自分本位” や “自己中心” から 離れることができます。
それこそが 人間として ”正しい思考である”・・・という意味です。
3・正語・・・・・これは ”ウソ” をつかない・・・
”粗暴な言葉” などを 決して 使わないことです。
つまり 人間が ”話す言葉” や ”書く言葉” には・・・
その人の ”内面性” が 表現されるのです。
私たちは 日常生活では あまり 意識しませんが
”言葉の使い方” には とても重要な 意味があるのです。
4・正業・・・・・”業(ごう)” とは ”行為” のことです。
その内容とは・・・
まず ”殺生”(殺すこと) や ”盗み” などを
決して 行なってはなりません。
“殺さない” ということは・・・
“他の人間” や ”他の生物” は もちろんのこと・・・
“自分自身” も 殺しては ならないのです。
さらに ”殺さない” ということは・・・
”動物の肉” も ”食べてはならない” ことを 意味しています。
”肉を食べる” ということは 実質的に・・・
”他の生物を殺す” ことで 可能になるからです。
そして ”反道徳的” な 行為や・・・
”性行為” としての・・・
”淫らな行為”(買春・売春など) を 否定しています。
つまり これらの意味は・・・
人間の ”食欲” や “性欲” である・・・
人間として ”あたりまえ” とされる ”人間の欲望” を・・・
これ以上 拡大させずに ”縮小させる” ことを 意味しています。
それによって 私たちは “正しい行為” に 導かれるのです。
5・正命・・・・・これは ”道徳に反する仕事” などには
決して 就かない・・・ということです。
いわゆる ”犯罪” には 決して 手を出さないことです。
また ”規則正しく” 生活をする など・・・
”正しく 命を使う” という意味です。
6・正精進・・・・これは ”善” に関しての 内容であり・・・
過去の ”不善 (よくない行動)” を 断って・・・
未来での ”不善” も 行わない ということです。
(つまり “悪” を 行わないことです。)
また ここでの 仏教における ”悪” というのは・・・
いわゆる ”三毒” とされる・・・
”貪り”・・・欲をむさぼること
”怒り”・・・怒ること
”無知”・・・知ろうとしないこと が 代表的です。
私たちは これらのことを・・・
日常生活から ”排除” することが 必要のようです。
そして 過去に行った ”善” というものを
さらに ”拡大する” ようにして・・・
未来でも ”新たな善” を 行いなさい・・・という意味です。
つまり ”善” への ”正しい努力をする” という意味ですね。
7・正念・・・・・これは 現在の自分の ”内面・外面” に対して
”気づいた状態” でいることが 大事である・・・ということです。
つまり ”自分の感覚” を・・・
”研ぎ澄まして”・・・“集中させて”・・・
”自分の内面” や ”自分の周囲” を・・・
”冷静に 見つめなさい”・・・という意味です。
8・正定・・・・・これは 正しく ”精神集中” を する という意味で・・・
これは ”禅定(ぜんじょう)” を 示しており
”瞑想(めいそう)を 行う” という意味です。
これにより 自分自身の ”集中力” を・・・
“極限” にまで 完成させてゆく・・・という内容です。
最近 私も ”瞑想” を 始めたのですが・・・
それについては 先日のブログでも 書きましたが
その効果は ”想像以上のもの” です。
以上が ”八正道” の 内容です。
さらに ブッダは・・・
ブッダ自身が かつて行っていた ”苦行 (極めて苦しい修行)” のような
”命がけの修行” というものは 全く必要ではない・・・と説きました。
そして ”快楽” だけを 追求するような 生活でもなくて・・・
その ”中間の道” と 考えられる・・・
”中庸(ちゅうよう)” が 重要であると 説いていました。
つまり この ”八正道” を・・・
”バランス良く” 実践していれば・・・
人間は 誰でも ”自分の煩悩(欲望)” を 消すことができて
さらには ”ブッダ(目覚めた者 という意味)” に なれると 説いたのです。
これこそが 仏教の開祖であった ブッダが 説いていた・・・
”原始仏教の教え” なのです。(原始仏典)
しかし 忘れてはならないのが これまでの記事で ご紹介してきました・・・
”四法印” や ”四聖諦” での 基本的な教えです。
つまり その ブッダの教えの ”大前提” を 踏まえなければ・・・
この 人間の世界から ”解脱(げだつ)” するという ”目標” を 忘れてしまい・・・
いくら ”八正道” を 心がけても・・・
人間の ”煩悩” が 消えることは まず 不可能のようです。
さらに この 人間界の ”苦痛の世界” から・・・
”どうしても 脱出したい”・・・と 常に 思わなければ・・・
人生に対する ”真剣さ” も やがて薄れ・・・
いつか ”元の生活” に 戻ってしまうことになりますね。
一見 ”簡単” そうに見える この ”八正道” というものは・・・
実は 私たちに 相当な ”覚悟” を 迫っていると わかってきます。
そして この ”八正道” とは・・・
自分自身による ”毎日の実践” によって・・・
自分自身の ”人間の成長” を 実現して・・・
自分自身の ”人間の完成” を 目指していると 考えられます。
それで 私たちは ”人間からの卒業” を 果たすことができ・・・
その結果 ”人間からの解放” が 実現されて・・・
この宇宙で ”苦しみのない存在” に なることができるようです。
そして この ”八正道” の 内容というのは・・・
”他宗教での教義” と 似ている内容が とても 多いようです。
それゆえに 各宗教間での ”共通した教義” というものが・・・
おそらく この世の ”真理” であると思われます。
私たちは そんな点に 注意しながら・・・
今後の人生に ”宗教での 貴重な教え” を 役立ててゆきたいですね。
(※)以下は 八正道についての 補足記事になりますので ご参考にされて下さい。
2012年11月 に作成した・・・
”八正道のバランス” という記事は こちらです。
瞑想の 実践方法について 考えました・・・
“瞑想のやり方” という記事は こちらです。
八正道を 実践する上での ポイントについて 考えました・・・
”八正道は 大樹の ようなもの” という記事は こちらです
”八正道は フィードバックが 重要です” という記事は こちらです
また この世界の “真理” について 書きました・・・
“真理 とは 何か?” という記事は こちらです
そして ”肉食” を なぜ やめる必要があるのか? について 書きました・・・
”肉食をやめた理由” という記事は こちらからどうぞ